資料616 流行コレラ病を煩はぬ為前方より手当の仕方

    


 

流行コレラ病を煩ハぬ爲前方より手當の仕方
さとふゆへ極上のす少々加へ朝々一杯づゝのむへし又ハ五苓散へ呉茱萸を加へ日々一貼づゝ用ゆるもよし
 邪氣
(あしきゝ)を除仕法
住居を清淨ニ掃除し 杜松子
(としよふし) 焰焇(えんしよふ) 砂糖此をませるはゑんしよふのはねぬ爲なり 右三品を合せて折々燒(たく)へし 伏臥事(うつふしになり)を忌む 腹(はら)を冷(ひや)す事ヲ忌む 胡瓜 西瓜 李 杏子 桃 すべて内を冷すものを忌む 油氣の物こなれあしき物を忌む 
  身持を惰弱
(だじやく)にし過酒(のみすぎ)する事を忌む
 此病に感し筋
(すち)つまり吐瀉(ハきしよう)ある時早く手當の仕方
 
柤*油(ほるとかるのあぶら)代銀三匁程  但し間に合兼る時ハ胡麻(ごま)の油を用るもよろし とかく早きをよしとす
右の油を綿にふくませ眼(め)口のへんをのぞき急に總身にぬり建(たて)こめて風のあたらぬ樣にして汗(あせ)をとせば愈(なを)るなり但し胸(むね)と背(せ)すちへ第一にぬるべし又鹽おんじやくニ而腹腰(はらこし)のあたりを度々あたゝめ灸を臍(ほそ)の上下幷ニ兩わきへすゑ芥子(からし)をとき紙へつけ手のひら足の土ふまずふくら脛(ハキ)へはり置べし 灸ハほそより各金尺五分程置すゑる也但シ寸法大人小兒ちがひニなるべし此灸前方ニすゑればわつらわず
  又一方 鹽灸 みそ灸 にら灸よし
ラウタニユム 三十滴(たらし) ホウマン 十五滴 薄苛油 三滴
右三味を預め備(そない)置候下(とこり)あると直ニ白米の煎汁三合程ニかきませて用ゆ
  〈頭書〉油ハ少しあたゝめて用ゆほるとの油ハむね脊すち計り
     へぬる其外ごま油ニてもよし
                右東御郡方施板之由

 〇  「柤*油」……*は、「方」の右に「八」の上が繋がった漢字。   
         「方」の右に「人」の漢字か。

 

 


 

 

 

 

  (注)  1. 上記の本文は、『茨城縣史料』幕末編Ⅱに収められている『南梁
       年録三十七』の本文(同書、291~292頁)を参照して記述しました。

      
2. 
行に分かち書きされている割注は、文字を小さくして、1行のまま記載し
        てあります。
      .  徳川斉昭(とくがわ・なりあき)=幕末の水戸藩主。治紀(はるとし)
             の子。字は子信、号は景山・潜竜閣。藩校弘道館を開設
             して文武を奨励、鋭意藩政を改革、幕政を補佐したが、
             将軍継嗣問題で一橋派に属し、井伊大老に忌まれて永
             蟄居。 諡号(しごう)、烈公。(1800-1860)(『広辞苑』第6版)
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            フリー百科事典『ウィキペディア』 → 徳川斉昭
      

      



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