資料608 柴野邦彦「進学喩」(『校訂新編漢文読本』巻三所収)





         
進 學 喩       柴  野  邦  彦

三月二十二日詰旦輕装取路東寺南暮春天氣風
日和煦加以西山吉峰大士像啓龕都人士女相將
行香輿者騎者歩者負者抱者絡繹載路吾以獨行
心孤漫與路人問語相勞乞火吹烟分菓醫渇行相
詼謔以自慰但予以前途遼遠心遽脚忙不能與近
郊遊人差池逍遙與一人言未了又及前者語如此
數人之後顧初與言者既在數里之後不復可辨眉
目也半日後則山轉林蔽杳不見影響也吾思與嚮
數人擧足進歩校之一歩之間其所爭雖多不能以
寸惟積數分之多漸進而先也初其數十百歩之相
前後亦便旋佇立之頃猶可一蹶而及焉半日後非
復一蹶之可庶幾矣如此而至乎十日之後則雖有
輕車駿馬將無所可企望也我羸弱難於歩而彼非
皆老幼婦女也然而吾所以能漸先彼而進者何也
此無他彼之所期在十數里之内矣故其心怠也吾
之 所期在數百里之外矣故其心勤也我於是曉學
之方 焉請諸君期於數百里之外而無忽一歩之功
也可

 
(頭注)三月二十二日……安永三年、
    東寺……在
京都
    西山……都名所、西山善峰寺、在小鹽山上
        安置千手觀音木像
    差池……不
齊貌、謂或先或後也、差音志、
    校………比也、通較、

(後注)(一)啓龕 絡繹載路 前途遼遠 差池 便旋佇立
    (二)詰旦=黎明=詰朝 非皆老幼婦女─皆非老幼婦女
          

     
(簡野道明編『校訂新編漢文読本』巻三・所収)

  (注) 1.  上記の本文は、簡野道明編『校訂新編漢文読本』巻三(東京明治書院、明治44年12月25日訂正発行・大正2年1月11日校訂発行・大正2年12月8日校訂再発行)によりました。  
 この『校訂新編漢文読本』巻三は、旧制中学用の教科書です。本文の改行は教科書の通りにしてあります。   
   
  2.  教科書の本文には訓点がついていますが、ここではそれらを省略しました。(部分的に送り仮名のついていないところがあります。)
 この訓点によって書き下した文を、注9に示しました。
   
  3.  『校訂新編漢文読本』巻三は、広島大学図書館の『教科書コレクション』所収の教科書画像によりました。
  → 広島大学図書館教科書コレクション画像データベース

  → 簡野道明編『校訂新編漢文読本』巻三
   
  4.  上記の本文と『栗山文集』の本文との漢字の違いは次の通りです。
      上記の本文    『栗山文集』
 (4行目)  漫        謾
 ( 〃 )  烟        煙
 ( 〃 )  菓        果
 (6行目)  差池       差馳
   
    5.  筆者の柴野邦彦は、江戸時代の儒学者・文人。名は邦彦、字は彦輔、号は栗山。讃岐の人。朱子学を唱え、官学とした。尾藤二洲・古賀精里とともに寛政の三博士と称される。著に『栗山文集』がある。    
    6.  『栗山文集』には、「進学三喩」として載せられており、上記の「進学喩」はその初めの教えの部分である。    
    7.  フリー百科事典『ウィキペディア』に、柴野栗山の項があります。
  フリー百科事典『ウィキペディア』 
     → 
柴野栗山
   
    8.  旧制中学校の漢文教科書には、柴野栗山の「進学喩(しんがくのゆ)」を取り上げたものが、いくつか見られます。気づいた教科書を上記のものを含めて三つほど挙げておきます。
 〇 『校訂新編漢文読本』巻三(簡野道明編。東京明治書院、明治44年12月25日訂正発行・大正2年1月11日校訂発行・大正2年12月8日校訂再発行)
 〇 『新選漢文教科書』第三学年用(飯島忠夫編。三省堂、昭和12年6月6日発行・昭和12年12月10日修正再版発行)
 〇 『新制 中等漢文』第三学年用(手塚良道編。英進社、昭和12年6月2日発行・昭和12年11月25日訂正再版発行)
   
    9. 〇 書き下し文
三月二十二日、詰旦輕装して、路を東寺の南に取る。暮春の天氣、風日和煦(わく)なり。加ふるに西山の吉峰大士像の啓龕(けいがん)を以てす。都人士女相將(ひき)ゐて香を行ふ。輿する者、騎する者、歩する者、負ふ者、抱く者、絡繹(らくえき)として路に載(み)つ。吾獨行して心孤なるを以て、漫に路人と問語して相勞し、火を乞ひて烟を吹き、菓を分ちて渇を醫し、行〃(ゆくゆく)相詼謔して以て自ら慰む。但(た)だ予は前途遼遠なるを以て、心遽(あわただ)しく、脚忙しく、近郊の遊人と、差池(しち)逍遙すること能はず。一人と言ひて未だ了(おは)らざるに、又前者と語る。此(かく)の如くすること數人の後、初め與(とも)に言ひし者を顧(かへりみ)れば、既に數里の後に在り、復た眉目を辨ずべからざるなり。半日の後は、則ち山轉じ林蔽(おほ)ひ、杳(えう)として影響を見ざるなり。
吾思ふに嚮
(さき)の 數人と、足を擧げ歩を進むるとき、之を一歩の間に校(くら)ぶれば、其の爭ふ所は、多しと雖も 寸を以てすること能はず。惟(た)だ數分の多きを積みて、漸く進みて先んずるなり。初め其の數十百歩の相前後するや、亦便旋(べんせん)佇立(ちよりつ)の頃にして、猶ほ一蹶(いつけつ)して及ぶべし。半日の後は、復た一蹶の庶幾(しよき)すべきに非ず。此(かく)の如くにして十日の後に至らば、則ち輕車駿馬(しゆんめ)有りと雖も、將(まさ)に企望すべき所無からんとす。我は羸弱(るいじやく)にして歩に難(なや)めり。而して彼は皆老幼婦女のみに非ざるなり。然(しか)り而(しかう)して吾能く漸く彼に先んじて進める所以の者は、何ぞや。此れ他(た)無し。彼の期する所は、十數里の内に在り。故に其の心怠るなり。吾の期する所は、數百里の外に在り。故に其の心勤むるなり。我是に於て、學の方を曉(さと)りぬ。請ふ諸君數百里の外に期して、一歩の功を忽(ゆるがせ)にすること無くんば、可なり。

* 「絡繹として路に載つ」の「載つ」は、「載(み)つ」と読む。
* 「行〃」は、「行く行く」、「惟〃」は、「惟だ」と読ませる、平仮名の「こ」をつぶした形の繰り返し符号を示したものです。
* 「我は羸弱にして歩に難めり]の「難めり」は、「難(なや)めり」。
* 「而して彼は皆老幼婦女のみに非ざるなり」は「非皆」となっているので、部分否定。

[語句の注をつけておきます。](読み仮名は、現代仮名遣い)
 〇詰旦(きったん)……詰朝、詰晨に同じ。早朝、又は明日の朝。「喆朝」を誤って「詰朝」としたもの。喆(てつ)は哲の古字で、あきらか、道理に明るい、の意。
 〇和煦(わく)……春の日の暖かなこと。煦は、あたためる。ひかり。
 〇西山……京都の善峰寺(よしみねでら)のこと。
 〇啓龕(けいがん)……厨子の扉を開いて、いつもは見せない仏像を一般に見せること。
 〇絡繹(らくえき)……人馬が行き来して往来が絶えないさま。
 〇載路……「路(みち)に載(み)つ」。路に満ちること。この言葉は、詩経の大雅、「生民」に、「厥聲載路」(厥(そ)の聲路に載(み)つ)とあって、朱熹の「詩経集伝」に、「載
、満ツル也」(せきは、みつるなり)とあるそうです。(『広漢和辞典』下巻による。)
 〇漫……そぞろに。すずろに。
 〇詼謔(かいぎゃく)……冗談をいう。たわむれる。
 〇差池(しち)……そろわないさま。ちぐはぐなさま。
 〇如此……ここは、「かくのごとくすること」と読む。
 〇杳(として)……はっきりしないさま。杳は、暗いさま。はるかなさま。はっきりしないさま。
 〇校之(これをくらぶれば)……校は、くらべる。
 〇便旋(べんせん)……さまよい歩く。ぶらぶら歩く。小便をする。
 〇便旋佇立の頃にして……この「頃」は、「あひだ」と読ませるようです。
 〇一蹶(いっけつ)……一度つまずくこと。
 〇庶幾(しょき)……心から願うこと。
 〇企望(きぼう)……強く願い望むこと。
 〇羸弱(るいじゃく)……身体などがよわいこと。羸は、よわい。つかれる。やせる。
 〇非皆……「皆非」が全部否定であるのに対して、「非皆」は部分否定。「皆非」は、「みんなが~でない」に対して、「非皆」は、「みんながみんな~であるわけではない」。例、「必不」は、必ず~ず(全部否定)。「不必」は、必ずしも~ず(部分否定)。
 〇曉……さとる。悟る。
 〇忽(ゆるがせにす)……物事をいいかげんにする。なおざりにする。
   




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