杉田玄白が古稀を迎える前年の享和元年(1801)8月5日、
彼が「有卦に入(い)る」ということで、男女の孫子たちが、
福の「ふ」に因んで頭に「ふ」の字のついた七つのもので祝
ってくれました。そこで、玄白も彼らの長寿を願って「養生
七不可」を執筆し、親友の子弟に配る意味もあってこれを
版に起こしました。
「養生七不可」は、項目だけを挙げると次の七つです。
昨日非不可恨悔 昨日の非は恨悔すべからず
明日是不可慮念 明日の是は慮念すべからず
飲與食不可過度 飲と食とは度を過ごすべからず
非正物不可苟食 正物に非ざれば苟しくも食すべからず
無事時不可服藥 事なき時は藥を服すべからず
頼壯實不可過房 壯實を頼んで房を過ごすべからず
勤動作不可好安 動作を勤めて安を好むべからず
実際の「養生七不可」には、それぞれに説明がついています
ので、それを以下に示します。
「有卦に入(い)る」とは、陰陽道でその人の干支によって
定めた幸運の年回りで、有卦に入ると7年間幸運が続くとい
います。当時、有卦に入る年に「福」を取り込むため、頭に
「ふ」のつく七つのものを揃えて祝う風習があったそうです。
養生七不可
昨日非不可恨悔
きのふは過ぬ假令少の過(あやまち)にても改めがたきは勿論なりしかるに一度思はざるの不幸に逢ひ志(こゝろざし)をうしなふこと出來て己が意にまかせざることあれば心中に粘着(左注:ねばりつき)し少時(しばらく)も忘れ得ずくりかへしはてなく恨み悔る人ありかくのごときものは氣必凝滯(左注:こりとゞこほる)す是蒙昧(左注:くらき)より天壽を損の一つとなるなり
明日是不可慮念
明日はしられず大凡成と成らざるは賢愚によらず豫(あらかし)め知るゝ物なり然るに成(な)ることをなし得ず成らざることを強てなさんとはかり無益に思ひを労し心中少時も安からず徒に怏鬱(左注:うつたい)して日々に快(こゝろよき)事をしらざる人あり是また蒙昧より天壽を損るの一つなり此二事を明らめ得ざれば百病を生るの因となるなり是を明らむる大要は他なし唯决断にあり
飲与食不可過度
飲食の二つは其品を賞し其味を樂しむ為にあらず唯是を以て一身を養ふ為に飲み食ふものなりされば饑飽(左注:うゑあき)によりて氣力に強弱を見(あら)はすこと其著(いちじる)しき正據なり如何となれば飲食一度腹中に入て自然の力を以て是を消化し其度宜しき時は清潔(左注:きよく
きよき)の血液を生じ能一身を養ひ種々の妙用を便ず舊物(ふるきもの)は棄り新物は養ふこと人々自然に受得る所なり其理法に説若度に過る時は養に剩餘(あまり)ありその餘る所の物ぜんぜんに穢物(左注:けがらはしきもの)となり終には病を生るの因(左注:もと)となる古人も守レハ口如レ瓶と箴(いましめ)たり故に飲食は度に應するをよしとす其度に有餘不足なきを貴といへとも少し不足なるは益あり有餘なるは害あり
非正物不可苟食
食は五味の調和を賞すといへども食に對して品数(しなかず)多く交(まじ)へ食ふべからす椀中にては其品別なりといへども胃中に下るときは混して一となり消化して不潔(左注:きよからぬ)の血液を生す譬へば五色の間(左注:まじり)して何の色とも名くべからざるが如し殊に饐餲(いあい、左注:すゑあざれ)せる物魚鳥の肉不鮮(左注:あたらしくなき)の物最食ふべからず是また化して不潔の血液となる共に病を生るの因となる唯新鮮(左注:あたらしく あざらけき)にして品数少く食ふをよしとす
無事時不可服藥
藥物は効力ある物ゆゑ法にたがふ時は却て害あるものなりされば古には毒ともいへり然るに今時の人是を知らず藥だに服すれば能き事とこゝろえさせることなきに漫(みだり)に藥を服するは甚しき誤なり醫せざれは中醫を得と云ふこともあり大抵の病は藥を服さずとも自然の力によりて病は平癒するものなり邊鄙の人は大方の病には藥を服さずして快復するもの多し譬は飲酒度に過たる人は發渇頭痛(左注:かはき づつう)し心中も懊憹(おうのう、左注:くるしみ)す故に自ら吐せんことを欲す終に自ら吐逆し其飲たるものを吐(はき)盡す如許なれば忽快復す是其自然のちからを以て治るの證なり然に其人力足らず吐むと欲して自ら吐事を得ず如許時は吐藥を与へて是を吐しむこれにより吐ときは其治すること自然の吐逆と同じ是藥の効にして藥を服するの法なり總て病の治するは自然にして藥は其力の足らざる所を助るものなり西洋(左注:おらんだ)の人は自然は體中の一大良醫にして藥は其輔佐(左注:たすけ)なりとも説りかくあることを辨へす少の事にも藥を服するは其益少くして其害多し殊に持藥は意あるべきことなり假初にも腹中に入たる物は再ひ取去りがたきは勿論なり瑣細(ささい、左注:わづか)の物にても知べし鼠(ねずみ)蝮蛇(まむし)の類ひ人を損傷すといふは微細なる歯を以て人の肉を咬(か)み螫(さす)なりしかある時は其毒氣血に従ひて流行し散蔓(左注:ちりひろごり)し大毒となり動(やゝも)すれば命を失ふに至る藥も亦然り譬ひ一丸(左注:ひとつぶ)一刀圭(左注:ひとさし)にても効力ある藥を輕卒(左注:かるはづみ)には服すべからず恐るべきは此物なり其法に合はざるときは害あるがゆゑなり
頼壯實不可過房
人の精水は生涯其量(左注:ほど)の定りたるものにはあらず一氣の感動によつて血液中の精氣を分利(左注:わけ)し一種の霊液となして射し出せるなり故に生靈たる人物をも生ずかくあるものを漫に房に入精水を費す時は一身の精氣を減耗(左注:へら)し生命を損する事言葉を待ずして知るべし
勤動作不可好安
血液は飲食化して成り一身を周流し昼夜に止らざる事河水の止らざるが如し此内より阿蘭陀にてセイニューホクトと名づくる物を製し出す漢人の氣と名づくるもの是なり余が解體新書に譯する神經汁亦是なり漢説は形なきに似蘭説は形あるに似たり其説ところ異といへども校訂すれば一理なり物理小識に説ところ畧蘭説に近し合せ見るべし血液は此力を以て順(めぐ)り氣は血液の潤(うるほひ)を以(もつ)て立こと一ツなるが如し漆器に呵すれは露立棊子を握れば又露立は共に其證なり後註と見合すべし此二物の妙用によつて生涯を保つ事衆人異事なし然れども日々に生し日々に増のみにては害ある事故天より主(つかさど)る物を具へ内には臓腑在て是を分利し其色を変化し外には九竅(左注:こゝのつのあな)をまうけて其物を泄(もら)す上より出るものは痰(左注:たん)唾(左注:つば)涕(左注:はな)涙(左注:なみた)の類下より出る物は小便其糟粕(左注:かす)は大便となして棄去り其精の氣となる物は鼻口より天の大氣を吸入(左注:ひくいき)し呼(左注:つくいき)に從て此物を兼て鼻口より泄す其他は一身腠理より霧の如くに泄(も)れ去る腠理は即汗孔なり是より泄れ出るものを西洋にてヲイトワツセミンゲと名づく常は容易に見えがたき物なり冬時陰氣行れ鼻口の氣見え易き頃日に映する時は遊糸(いとゆふ)の如く影さすもの是なり皮膚に潤あるは此物を以てなり如許日々程よく泄れ去る人は病あることなし是血液清潔にして能順行し氣も閉塞せさるか故なりかくある人にても動作を惡み安逸(左注:やすき)を好む時は血液の清きものも次第に不潔となり氣も是によつて閉塞(左注:とぢ)し動作せざれば血液流行あしくなるの證は假如は久坐久臥すれば其床に着たる下の方己が體の重きに壓れて氣血の流行自由ならず故に其所麻痺(左注:しびれ)す然れどもこれにも遲速あり樂事には遲く患事には速し是氣の閉と不閉との分れなり長病人の破睏(とこすれ)を生ずるは其甚にして血液の腐敗するなり百病を生ずる因となるなり雨水は茶を煮るに良なるものなり是を貯ふる法は雨の下る時壺にうけて是を貯へ口を封し坐右に置昼夜其傍を往来する時其壺を振動かせは壺中の水数日をへて損ぜす清潔なること新に下るものゝ如し若振動かさゞれば腐て濁を生じ終には垢を生し虫も生ず人の動作を惡み血液不潔となること此理にちかし
夫人の生れながらにして強弱あるは草木の同じ時節に種をくだし同じやうに培ひ同じ畠に生じて肥痩あるが如し能生長すると能生長せざるは其種によるなるべし然れどもそれ相應に花咲實のり秋に至りて枯る所は同じことなり是其物の天年の終れるなり若風雨に逢て吹倒され或は人の為に傷られ時ならずして枯ることあるは其天年を終らざるなり人亦然り先天(左注:たいないより)の毒あると毒なきとによりて強弱あるなり毒ある物は生れながら弱く病あるものなり此毒より病ものは治しがたし如許者も保養能ときは受得し天壽は保つものなりまた生れながら強く無病なる者も後天(左注:うまれてのち)の毒(左注:とく)とて保養あしければ病を生じ此毒より病者は保養を能し藥天を用れば治するものなり天年を保ち得ず半途にて死る者なり是草木の風雨に逢て時ならずして枯るに同じ愚老生れ得たる病身にて万事人なみならずされど幸に醫家に生れ少しは養生の道をも辨へ幼より強(しひ、左注:むり)たる事をなさず其益によりてや此年月を無事に經て孫子も生し今日にては人に健なりと羨(うらやま)るゝほどなり然れども生れ得し病身の治したるにはあらず元より我身のことなり且醫者のことなれば脉をも診ひ腹をも探りて見るに此所宜くなりしと思ふ所もなしはや來る春は古稀の年に成事なれば其しるしには目歯の少しあしきまでなり其外は不自由の所も覚えず健なりと譽らるゝも虚譽(左注:そらほめ)にはあるまじ愚老より年若き朋友どもの丈夫頼に身を持なせし者は皆千古の人となり今は此世に在者は少し前に譬へし草木の生長はあしけれど同じやうに花咲實のり枯る時節までは持つべきといへるは愚老が類ひなるべきか總て血液の不潔なるもの次第よくもれ去さる時は其餘れるもの便よき所に留滯(左注:とゞこほり)し積り積りて苛烈(左注:からき)の惡液に変し其極に至りては楊梅結毒などの多年癒ざる瘡口より流れ出る惡水の如く臭氣は鼻をつき味は辛烈にして膽礜(たんばん)の性にひとし故に筋肉を腐蝕(左注:くさらし)し堅硬なる骨を朽腐(左注:くちくさらす)す是によつて鼻柱も落頭骨も碎(くだ)く梅毒のみならず他の病もまた然あるなりかく恐怖すべき惡液を貯へながらも多年生命を保つものは幸に其液一所に聚り凝(こる)がゆゑなり若惡液周身に散蔓するか又は生命を主る要所を侵し傷る時は忽に死するものなり其惡液の一所に聚り瘡となるものは前に譬へし草木の幹(みき)ばかり半朽て枝葉に枯ざる所有が如し是其根へ腐のいらざればなり又氣の変により閉塞して病をなすといふは病皮(かは)の裏にあることなれば容易に説示しがたし假令は少しく心下の痞と腹の微滿(左注:すこしはる)する類は多くは氣の閉塞(左注:とぢふさぐ)するによるなり故に噯氣(あいき、左注:をくび)すればもれ放屁(ほうひ)すればもるこの滯氣の泄れ去により緩りて快を覚ゆるなり又其他留飲に似たる症にもあり是も膓中に氣の聚る所ありて其聚る所胞脹(ほうちやう、左注:ふくれはり)し他の所を推し迫(左注:せばまる)む故に拘急(左注:ひきつる)する所もあるものなり是等によつて膓の位置或は片位し或は上下し少しく其本位にたがふ膓は博多(はかた)ごまに糸を巻たるやうに順能ものにはあらず上下左右種々に迂廻曲折(めぐりめぐり、まがりをる)したるものなり大體魚鳥の膓に似たり故に能く按腹(左注:はらをもむ)すれば其本位に復しその氣の聚るもの散(さん)ず此時は雷鳴し或は水の如くに鳴りて治す又鍼して治するも同し其鍼眼(左注:はりくち)より微の氣もれて絞膓(左注:よぢれる)の本位に復する故なり總て氣の閉塞も甚しき物は生命を損ずる事惡液の害をなすに異事なし凡氣といふものは雨を帶たる風の如し其力弱き時は寒少しその暴烈なるに至りては強力にして家を倒し垣をも倒す又童子の持遊びに紙鐵炮と云ふ物あり是は細き竹の後先の節を去り其筒になりたる内へ半より少し先のかたへ嚙たる紙を丸(左注:たま)に作り細き棒にて推送り又別に一丸を作りて同じやうに推やる時は其間に包れたる空氣次第におし迫められ勢(いきほ)ひ強くなり終には先の丸を激發(左注:はぢきでる)す其音恰も二三分の鐵炮の如し氣の閉塞して勢ひを増こと大凡是に似たり葢風寒暑濕の類ひ婦人女子富家に生れし者は室居の手當衣服の備へ如何にも防くへき道あるへし男子は野外(左注:のみち)をも往來せざれば立がたき身なれば貴人といふとも天より行るゝの氣なれば防くべき道なきことなり愚老年來外邪に傷られし人を見るに血液清潔のものは多く輕症にして治し易し元より不潔の血液を貯へし人は邪氣是に相混じて重症となる所謂邪氣乘レ虚入といふは此類ひなるべし如許の所を知て常に血液の不潔とならざるやうに意を用ゆべきこと也大凡大病を患る人快復(くはいふく)の後は多く病前に比すれば形體壯にして無病なりと云ふものなり是は如何なる人にても大病中は飲食をつゝしみ保養を宗とする故なりその元より積貯へし不潔の血液病中にもるべき所より泄盡新に生ずる清潔の血液の能養ふが故なり是等を以て血液の成立を明むべし又たまたま右説く所の旨に違ひ長命せし人もあり中島官兵衛隠居して後寛亭といへりといへる人は日々大酒せしが八十五歳にて死せり西依儀兵衛成齋先生といへりと云ふ儒生は大食いにして美味を嗜し人なりしが九十八歳にて命終れり三井長意といへる醫生は七十四歳にて男子を生じ其子十九才の時家を讓り四年隱居して死せり此長意は直に逢し人にはあらず其家を繼し子を宇右衛門といへり此宇右衛門には親しかりしゆゑ其平生を聞り其宇右衛門も七十歳斗にて男子出生有し悦友太夫隠居して德壽斎といへりといふ人ありき生得才氣もありしが如何なる不幸にや其身至て貧しく官途(左注:ほうかう)の間にも思はざる事出來て家禄をも甚しく減ぜられ夫のみならず其子どもの事によりて隱居して後も罪かうふりしことありたり他の目よりもかくては命續くまじなど憐しほどなりしが八十五歳にて死せり本橋岡右衛門といへるははかばかしき身にもあらすしかも微禄(左注:しようろく)の者にて漸々夫婦のみくらし子といふものもなく樂しきことも見えざりしが滯りなく六七十年の勤仕を經九十の年士分に加へられ九十九歳にてちかき比死せりかくさまざまに替りたる人々も皆長命はなしたり何れも同藩(左注:おなじやしき)の士にて朝暮出會其平生は知り盡せり悉く心まめにして動作を嫌はず事に臨て决断よく成と不成を能辨へしものどもなり然れは禀受(左注:むまれつき)さへ強き人ならば少し飲食は度に過ても動作を能し決斷よければ氣も滯らず血液も不潔にならず長命はなるものとみえたり是を以て見る時は此二事生を養ふ所の第一なること明らかなり他所にても長壽の者を見しに多くは此類なりされども其平生を委く知らざれは證にはなしがたし故に此には擧ず若生得虚弱の者此所を辨へず彼は大酒せしかど何ヶ年の壽を保ち是は過食せしかども多病にはなかりしと己が生得を弁へず漫りに飲食を過し且これに加ゆるに無益の事に思を労する人々は如何ンして天壽を終ることを得む是鄙き譬にいへる鵜の眞似する鴉の類ひなるべし又人間一生は飲食の為に身を持つとて明日病ことを思慮もせず過飲過食する輩は五十年の苦労せんより一日の栄花勝れりと眼前刑にあふは知りながら盗するもの共と品こそかはれ其情は相似たるべしかゝる人あらむには迚も此事語るべきことにはあらず
今年享和改元八月五日余有卦といふものに入よしなり男女の孫子ども不文字つきたるもの七ツを以て余を祝すと也余また若年より意に注し事と漢土阿蘭陀諸名家の醫書中より養生の大要たるべき一二を取り舐犢の愛餘り彼等が命長かれと其うけに入ものゝ為に不文字七ツを以て此七事を作り同しく祝し報ゆる也是は醫家たる人は能知れる所なれど其業にあらざる者はしらざるところもあるべしと記し出したり其内象の主用と病患傳變の理とは知りて益なければ皆此に擧ず唯知り易く解し易からむことを要とし俗説を以て述著せり總て事のくだくだしきは所謂老婆の親切なり又一々寫し与へむは採筆に懶し將能ついでなれば親友の子弟にも頒んと志せどもそれは猶更に心苦し因て梓に刻し家に藏して其贈らむと思ふ人々の数に足らしむるまてなり
小 詩 僊
堂 主 翁 著
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(注) |
1. |
上記の本文は、『早稲田大学古典籍総合データベース』所収の「養生七不可」によりました。
『早稲田大学古典籍総合データベース』
→ 「養生七不可」
この本文の後に「附録」がついているのですが、ここではそれを省略しました。
また、本文が2行に小さく分かち書きされているところは、文字を小さくして1行で表記してあります。
文字の右脇に小さく注記されている文字は括弧(
)に入れて示しました。左脇に小さく注記されている文字は(左注: )として示しました。 |
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2. |
『京都大学貴重資料デジタルアーカイブ』にも同じ富士川文庫の「養生七不可」が入っています。
『京都大学貴重資料デジタルアーカイブ』
→ 「養生七不可」 |
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3. |
お断り:本文の終わりにある「其内象の主用と病患傳變の理とは知りて益なければ皆此に擧ず」の「擧」は、久の下に未を書いた形の崩し字になっています。
それで、杉本つとむ・岡田袈裟男両氏の「翻刻「養生七不可」杉田玄白著「病家三不治」大槻玄沢述」(注4参照)ではこれを「条」と読んでおられるのですが、崩し字の下が木ではなく未となっていることが気になります。
そこで、『養生七不可』(瀧浦文彌校註、単純生活社・昭和13年4月20日発行)で瀧浦文彌氏がこれを「擧」と読んでおられるのを採って、ここでは「擧」としておきました。 |
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4. |
「養生七不可」の翻刻文
杉本つとむ・岡田袈裟男両氏による正確な「養生七不可」の翻刻文を、早稲田大学リポジトリで見ることができます。(附録の「病家三不治」の翻刻文も入っています。)
(1)早稲田大学リポジトリで、「養生七不可」と入力してキーワード検索。
(2)出て来たファイルをダウンロードする。
(3)ファイル「翻刻「養生七不可」杉田玄白著「病家三不治」大槻玄沢述」を開いて本文を読む。 |
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5. |
『国立国会図書館デジタルコレクション』には、次のものが入っています。
○『養生七不可』(瀧浦文彌校註、単純生活社・昭和13年4月20日発行)
○『日本衛生文庫 第一輯』(三宅秀・大澤謙二
共編、教育新潮研究会・大正6年3月18日発行)にも「養生七不可」が入っていますが、原文の最後の2ページが欠けています。 |
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6. |
杉田玄白(すぎた・げんぱく)=江戸後期の蘭医。名は翼(たすく)。
字は子鳳。号は鷧斎(いさい)など。江戸の小浜藩邸に生まれ
る。代々藩の外科医。前野良沢らと「解体新書」を翻訳。
著「蘭学事始」「形影夜話」「野叟独語」など。(1733~
1817) (『広辞苑』第7版による。)
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