『解体新書』や『蘭学事始』でその名を知られる杉田玄白が、
文化14年(1817)、83歳(数えで85歳)で亡くなる前年の
文化13年(1816)、彼が82歳(数えで84歳)のときに書き
残した、自分の老いについての赤裸々な告白「耄耋獨語」
(ぼうてつどくご・老いぼれの独り言)をご紹介します。
夫人欲の難止ハ世の常情なりわけて壽と福とハ人々の願ふ所
なりされハ秦始皇漢武帝の類富江海を保ち貴き事
ハ天子の身として福に望む所ハなけれとも自由ならさるは此
壽命の事と見えて方士に命して遠く不老不死の薬を求
めしかとも其事調すして終にハ崩し給ひたりこれを以て
見れバならぬ事のならぬハ常人にかハることなしこれハ其身
いつも年若く手足達者にて面影のかハらて年のつもれ
かしとやねかひ思ふの誤なるへし金石にて造りしものにて
も数十年の星霜を經れは自然に破れ損するハ凡形あ
るものゝならひなり扨翁ハいかなる天の助け厚かりしにや
幸に生れて八十に餘る齢を保ちけふまてもさせる老苦を
覚さるか如し但十年も前にくらふれハ違へる事なきに
あらすこれといふ不足も覚へさるようなれとも次第に起
居なとハ昔とは大に差へり近き程まて道も二三里はかりハ
歩チなから可なりに行戻りなりたり故に我を知るものハ幸に
幸を重る人なりと逢ふ人ことに羨めること多かりしにより
自ら其数を算へて九幸と号せり打續て去々年の秋ま
ては逆事といふハ見聞さる身也しか満れハ缺るの習ひ思ハぬ
外に嫡孫の男子一人先立たりいともいとも残り多くはあれとも又思ひ
かへせハ老少不定ハ世のありさま我一人の事にもあらす高貴の
位にある御方にても聖賢にても逃れ給ぬハ此哀傷なりとハ
思ひあきらめさるにハあらすわせ(本ノマヽ)となましひに長命せしの一ツ
と思ハる扨其後も飲食動作さして変れる事なきやうなり
しか血肉恩愛にひかされ甚悲みの老か身にこたへしにや
明る春ハ心地常ならすいたつきの事出來て身體熱氣はけし
く病ふの床に打臥しぬこはいにし年も一兩度まて病み
煩ひし吃逆と小便閉との病一時に発し朝タ夕へを待へから
さる老々あへしき(本のマヽ)やうになりしかと孫子等打集り兎や角
介抱して薬餌を尽したり未タ レ盡の命にや又幸に廿日余
にして故に復したり夫より後も大かたハ過越せし年月に
変りし事なかりしようなりしか俄に動作衰へこれまてハ
さして苦労とも思ハさりし一二里の道も次第次第にせつなに
覚へ心に急き行く時は身のうち汗ばみ扨もつらしと
覚ゆるやうになりたりよく顧ミ思へは其春に秋もくらぶ
れハ其衰弱は月々増り行事身に知るゝよふになりたれハ
自から心細くなりぬこれハ外人の目に見えねとも老の慨
きハ此事なり
一 つらつらかく成行ゆえんを考るに右にいへるの衰弱のみな
らす先第一には物を視るに初ハ目鏡なしとも其物ハ分れぬ
にハあらさりしに近き程ハ兩眼常にうちかすみ次第に深き
霞其中に立ならふやうに覚へ十間も隔りし所の人の面色
ハたしかならす其身なりそふりハ誰なりと思へとたしかにそれと
分らす夜は我行ク向より來る一はりの提灯細く長く五ツ六ツ
に見え尤近よれハ其形よりハ細く見えしなりましてあかし
ともし行く身も路の高下不慥なり扨日暮れハ眼鏡に
ても燈下にてハ書を讀事も物書事もならす昼も常に
眼花ちりていとうるさしかくてハ有も無かことし鼻ハかハる
事なきやうなれとも寒きあした夕にハ水涕したゝりて
うるさく又落してハ物汚さんかとの心支なきにもあらす
凡て香臭をきく事も若き時にくらふれハ薄きやうに覚
ゆ耳ハ年に比ふれハちかきやうなれ共若き時とハちかひて
次第次第にうとくなりて物音たしかならす殊に上逆つよき
朝なとハ鳴てうるさく常々前より來る物の音ハ聞ゆれ
とも後より來る物の音ハうとうとし夫か為に誤りて怪我にて
もせんやと思へハ心支なり又口は命を繋くの元にして尤重
き所なりされハ人初て生るれハ天より乳汁をあたへて
直に吸はせ此乳哺の養ひによりて生長し扨生育に随ひ
有形の物を食ふへき程なれは自然に歯といふものを生す
これも剛く堅きものをも喰ふやうになれハ齡(はかハ)りといふ事
ありて別に堅実なる歯牙を拔き換へて揃ひ給へり其頃
に至りし程は人ごとに朝夕何の心もつかすいつまてもかくあるもの
のやうに思ひて縱(ほしいまゝ)に堅剛の物を食ふなり然るに誰しも初
老の頃になれハ少しツゝのなやみ出來るもの也扨翁はこ
れと反し幸に耳順の頃に至り初て歯にハ少ツゝのなやみ出
來たりしに夫より後今年は壱本壱本とかそへ遂にハ去月は
壱本今月ハ二本とかけ始て今ハはや一本も殘なく落尽し
たりこれによりて硬き物とてハ少しのものも喰ふ事ならぬやう
になりぬされと是まて珍膳佳肴より名菓美味をも喰尽し
八十に餘れる齢を經たれハこれといふ望の物もなし但當時三
度の食口中にかなふもの斗食すれとも其度毎に如何やう
心をつけても歯といふ垣のなくなりたれハ時々喰ひこほれてむさ
し未た一二本殘りもありしまてハ熱き物を喰ふ度には思ハす
知らす息吹かけてさます事ありしかと見え其頃まてハさして
心付さりしか不殘落て後ハやはらかき物も一寸唇にてくはへ食
ふ事故其熱き物なれハ其熱きにたへす食事の度に火傷(やけと)
せぬ日はなきやうなり麺類なとはやハらかにして食し易きは
つなれ共これもちよと歯にくはへ呑込されハならぬものなり
さるによりてこれも心に叶す喰ふに不自由なれハ強て望す
况や魚肴ハ其骨を舌にて探り食ハねハならぬものなるに其
相手となる歯なけれハすへきやうなく若これを貪らは骨咬
の患を起さんと思へハくハさるかましかと明らむる事多しすてに
入歯を作りて用ひし事ありしに物喰ふため物いひの為にハ
少しよき様にも覚へたれとも下地を黄楊の木にて作り余程
大成物故如何様の上手に作られても馴れぬ中ハいとうるさし
又これをしのひて用るももと自然の物ならねハ養の為にハ
ならぬやうなり又よく馴しと思へハ木目たちて舌にさハり常に
苔ある舌の心地にて物の風味よろしからす殊に人々己れ己れの
口中自然にほひ有ものなるにかゝるものを新に作り添ふる
の常にたかふ所出來る故にや快らす覚ゆるなり老てハ誰も
食事のたひにむせやすきものなる上にこれありてハ(入歯の字脱か)むせる
ことますます甚しき様になり兎にも角にも不自由いはんかたなし扨
て物語するに其五音の中歯音缺くる故其接語の不便尤も
甚しき事のミなり
一 上の七竅はかりも如斯なるに下二竅のうるさくつらき事
ハ挙て数へかたく先ツ後門は日々飲食の糟粕を泄す第一
の要所なれハ自由になくてハ叶ぬ所なるに老者のならひ多
くハ秘結かちにて厠に居ること長く寒風の時なとハ其
苦ミいはんかたなし又それにつけては便毎に脱肛し急に
收りかね又直には坐にも就きかたく色々手當し湯にて
むしあたゝめ漸くにして取り納めて後始て我身の様に
覚ゆる事なり又平常にても放屁もれ易く何かにつけて
氣分あしき事人の知らさる苦み也但大便ハ日毎に壱兩度にて
事済なれハこれを忍ひて忍はれと小水は左にあらす老
の身ハ年毎に頻数になるもの故夜もひるも数しけく殊に冬
は西北の風立肌寒き日は通して後も又忽に聚るやうに餘
瀝たへす清水の滴るやうの心地して意安からす其不浄不
潔なる事何にたとへん心持もあらす(本のまゝ)わけて貴人の座に列
る時はいかなる尾籠仕出さんかと心中安からす是等人の知
らさる苦みなりさある心地の時ありていそき便所に至り
便せんとすれハ陰器縮りて自由ならす思はぬ方に飛散
てつらし家に在りてハ竹の筒なと用ひて便すれともそれも
なき所にてハ前かたに心を配り置ぬるなと事々物々如此なる
事なれハ老のつらき事数限りもなし
一 又手足ハもとより意の如くならす手にていはゝこゝは如
何なる魔神の乘り移り給ひしや先物書んと思ふとき
筆を把るにこれより彼所に引んと心に念したる筆頭思は
ぬ方に向ひ又何々といふ文字書んと思ひたるに其文字意
にたかひあらぬ字をかく事度々なり又事繁く心中いそかし
き折ハ分て甚しきやうなりそれのミならす一向に忘却して
紙に向ひて當惑する事度々ありかゝる事は我なから怪し
く思ひ侍るなり又日によりて今まて何ともなかりし筋骨俄
に痛出轉筋して不自由になる事もあり其中にも膝頭足
跗なとハ度々に覚ゆこれを物にたとへていはゝ革にて結
付し蝶つかひのしけくあけたてせし故延過たるか如くと
同しやうなるものなるへく如何にも筋の長くたるみし樣
也かくなりたる事故仮初の事にも跌き倒れんかと思へハ
一寸の起居に油断ならす殊に腰はわけて其衰弱甚し
これ腰骨は一身を保つ要所なれハ若き時より格別に
労せし所故にやと思ハれ侍るなり夫故蜂か蟋蟀のやう
に縮りしかと思ハるゝ心持にて立居に付てもともすれハ倒るへし
やと一入に苦し元より貴人の前親しき友の前にても意を用
ひされハ慥ならさるやうなり心に前を踏んと思へハ足は跡に
殘り後に止んと思へハ前へ出我身なから自由ならすしかある故
に起居歩行にひよろつく事度々あり又我なから怪しきハ
さして歩行いそくとはなくして意にもあらぬ道いそかれ踏
止んとすれは弥いそくやうになりて止りかぬる事もありこれハ
暖和にて上逆する日[な]とにある事也暫腰にても打懸け
て休らひ行けハ何の障もなしさなけれハ直に倒るゝやうなり
此餘も意をつけてためし見なハ老のくるしさ餘多あるへし
一 扨筋骨は有形物故日々衰弱し行ハ勿論にて是ハ無是
非事なから精神ハ形なきものなれハ左ハなき筈なりと古
人もいへるとなりさあれハ人たる者の老耄ハ其人の恥と思ひ
我ハせましと兼てよりたしなみ侍れと夫も叶ぬ事にや
近き頃は同し咄を幾度もして人に笑れ親しき友とちの
名朝夕召仕の者の名も呼違るやうになりたり又調度の類
これ忘れてハと仕廻置て其所を忘るゝ事度々なり甚
しきハ手に持し物を忘れて尋る事有それか中に用にも
立ぬ古き事をハ覚へ居て忘れさる事もあり古に所謂
老人八変に舊きを記して新なるを記せじといひしハ我
身の上を説しものそと思ハる翁すてに如斯不自在なる身
となりしを他より無病なり達者なり珍敷長命なりと
羨るゝハ此苦しみを知さる人の外目より視し所なり六十
ハ六十七十ハ七十程の衰あり此故に身のつらさは其年ほとにあ
るものと知へき事なり
一 翁壯年より親かりし友達ハ皆泉下の人となり生殘りたる
ハたへてなくなりたれ共ヶ樣の事なと語り合ふ友とてハなく
何に付ても物淋しく面白き事ハなし旧友の鵞斎老人の
何事も余所になされていにしへをかたるをたにもきく人の
なきとむかしの人讀置ける哥を打吟して感し語れしを
思ひ出すまてなり其人も又地下の人とハなりぬ初にもいへる
如く翁はいかなる天助を得て生れし身にや齢八十に
餘り幸に幸を身に重ね天恩の厚きに朝夕の事不足
なく行歩不叶なれ共行度と思ふ所へは駕にて行き不孝
不悌の子を持されハ歯ハなくても口にあふやうに三時も食
も作り与ふれハ口腹にかなひて不足と思ふ事なし夜ハ
寒からぬやうにとて水鳥のぬく毛はかりを入たる夜着蒲
團を作りていたはるゆへそれに包まれハいさゝか寒しとも
思ハすたゝ暁かたとなれハ肌寒きやうに覚ゆこれハ老か身
の衰自然に氣血のめくり不足し行ゆへにやされと目
覚て寐返なとすれハ忽ち宵に寐し時の如く暖氣
復する事なりこれハ養の足さるにあらす積り重ね
し高齢に衰弱せし故なるへし又食事も高年の身
大食はならす宵に程よく食しても朝の食事の待るる
やうなり萬事斯の如き手當殘る所なきなれとも寐
覺の寒き故にや手足の働不自由なる樣に覚ゆこれハ
若き時より日々入湯せしのくせなるへしとて毎朝居風呂
をわかしくるゝ故それに入て快よく温り湯あかりして後ハ
身の働も自由のやうなり又入湯のミにてハ急に温氣
加ハらぬ日もあり其時は温湯一二盃も飲内よりもこれを
助くるなりかくせされハ十分にはなき樣なり扨氣血の循
り自然はかりにてハ事足らしと思へハ毎夜按摩の瞽者
招き日暮るゝ頃より臥床に入り按撫なさしめて其運
動を助け眠付を度として止る事ハ常々なり如斯子
供等の心をくはりかしつき仕る事故今日まて長命して
無事にある事と思ハる人に貴賤上下の差別ハ
あれとも養に何一ツ不足はなかるへし元より醫師の
身なれハ針灸湯液の類ハ意を用ゆるなりされとも
春さり秋來り去年より今年と衰ひ行事ハ是非なき
事なりそれにつきくたくたしくいひ立し数々の老の苦し
み其身にあたらされハ知られさる所なりそをおもひ彼を
思へハ長命は詮なきものなり此身神仙にあらされハ片時
も無心不慾にしてハ居られす頭上にて雷鳴すれハ落こと
かまはぬ心にハなられすされハ見るにつけ聞につけても木
偶人の如くにもならす無益なる長命なり油煙斎貞柳老
人の百ゐても同し浮世に同し花月ハ眞丸雪ハ眞白と
狂哥せしハけにさる事そかし我八十年なからひ見しに
これにいつかたかふ事なししかれ共死かたこそましかとも(本のまゝ)
思ハるゝ事もあり
一 翁若かりし時日本橋通四丁目に家主宇右衛門といひし
ものありたり此男寛文年中の生にて長命して齢九十歳
に餘りて時の人仇名して孔子宇右衛門と呼しものなりこれ其
頃まては少し常人にかハりし所ある者ハあた名せし事なり
しか此男よく文字の音に通せしとて孔子といへる名を
得たる由なり扨此男身貧にして齢長かりけれハ壽命
にあきはて死へき藥求たしとて人々に所望せしよし慥に
聞し事あり此事狂人の言の如くなれとも氣血あくまて
衰へ萬事不自由なる上にはさもあるへしさして驚く
程の事にはあらしと思ふなり彼貞柳か哥の如くなれハ
強て長命を願ふハ無益の事なり秦始漢武ハ扨置て
あまりに命おしかる人々は此苦しみを知らさるのひかことなり
これを知らさる人々の為にとて翁か此身にある所を記
し留めて八十にあまりし老か身にて申置侍るなり
斯編所述先生老來之常態盡矣然今耄
耋而有此獨語所以精力之過絶元神之全存
豈與世之加馬齡而空老于醫卜(本のまゝ)者同日而論
乎哉夫子所謂老而益壯者先生有焉
敎下末弟 茂 質 拜題
[ ]に入れた文字は原文にはなく補った文字です。
齢(はかハ)り、縱(ほしいまゝ)、火傷(やけど)の仮名は原文に
ついている振り仮名です。
(本ノマヽ)(本のまゝ)(入歯の字脱か)は、原文に入っている傍書
です。この傍書のある部分には、引用者が下線をつけて
あります。
(注) | 1. |
本文は、新日本古典籍総合データベースに収められている、慶應 義塾大学信濃町メディアセンター・北里医学図書館富士川文庫所 蔵の『耄耋獨語 玉味噌』(マイクロ/デジタル版)所収の 「耄耋獨語」によりました。 新日本古典籍総合データベース → 『耄耋獨語 玉味噌』(マイクロ/デジタル版) なお、改行は原文の通りにしてあります。 「耄耋獨語」(ぼうてつどくご)の読みについて 「耄」の字は普通「耄碌」という熟語で「モウ」と読んでいますが、 「耄」は漢音ボウ、呉音モウ、「耋」は漢音テツ、呉音デチなので、 漢音で統一して「ぼうてつどくご」と読んでいます。 |
|||
2. |
平仮名の「く」を縦に伸ばした形の繰り返し符号は、同じ字を 繰り返して表記してあります。 いともいとも つらつら 次第次第 うとうとし 壱本壱本 己れ己れ ますます くたくたしく など |
||||
3. |
本文の初めに出ている「秦始皇漢武帝の類富江海を保ち」の 「類」の字、本文35行目「れハ其衰弱は月々増り行事身に知 らるゝようになりたれハ」の「増」の字、それと最後の跋文 に出ている「醫」の字は、片岡一男著『杉田玄白評論集』の 読みに拠らせていただきました。原文の文字、特に「増」の 字がたいへん読みとりにくい形になっています。その他にも 多くの文字の読み方をこの本で教えていただきました。記し て謝意を表します。 |
||||
4. |
上記の本文を起こすに当たって、次の二つの著書および論文 を参考にさせていただきました。 (1)片桐一男著『杉田玄白評論集』(勉誠出版、2017年 5月30日初版発行) (2)『中京大学教養論叢』第27巻第2号所収の「杉田玄白 「耄耋独語」呆け老人の独りごと」(筆者・中崎昌雄氏) に収められている「付録「耄耋独語」原文」 → 中京大学学術情報リポジトリ →「杉田玄白「耄耋独語」呆け老人の独りごと」 ここで KJ00004207484.pdf(1.29 MB) をダウンロード して論文を見ます。 特に片桐一男著『杉田玄白評論集』には多くを学ばせていた だきました。 |
||||
5. |
杉田玄白(すぎた・げんぱく)=江戸後期の蘭医。名は翼(たすく)。 字は子鳳。号は鷧斎(いさい)など。江戸の小浜藩邸に生まれ る。代々藩の外科医。前野良沢らと「解体新書」を翻訳。 著「蘭学事始」「形影夜話」「野叟独語」など。(1733~ 1817) (『広辞苑』第7版による。) |
||||
6. | 「耄耋独語」の現代語訳には、次のものがあります。 〇 日本の名著22 『杉田玄白・平賀源内・司馬江漢』(芳賀 徹責任編集、中央公論社・昭和46年4月10日初版発刊)。 〇 中公クラシックス J 24 『蘭学事始』(芳賀徹ほか訳) ここにも「耄耋独語」の現代語訳が入っています。 〇『杉田玄白評論集』(片桐一男著、勉誠出版刊) ここには「耄耋獨語」の原文も掲載されています。 |
||||
7. | 〇 語句の注を幾つか付けておきます。 積聚(しゃくじゅ)……胃病・胃痙攣などの胃の病気。 宿疾(しゅくしつ)……持病のこと。宿痾(しゅくあ)。 得食(えしょく)……好きな食べ物。 燈(ともしび)……あかり。ともしび。 吃逆(きつぎゃく)……「しゃっくり」のこと。 其春に秋もくらぶれバ……この「秋も」は「秋を」と読みたいところ ですが、「を」にあたる仮名が「も」に近く、「を」とは読めな いので困ります。 上逆(じょうぎゃく)……気が下腹から上部へ発作的に突き上げて くる症状。のぼせ。(『広辞苑』による。) 齢(はかは)り……歯がわり。歯の生えかわり。 初老(しょろう)……40歳の異称。 耳順(じじゅん)……[論語・為政「六十にして耳順(したが)う] (何事を聞いてもすぐ理解できる意)60歳の異称。(『広辞苑』 による。) 骨咬(こつこう)……骨が刺さること。 上手につくられても……正しくは「上手につくらせても」であろう。 歯音(しいん)……歯を用いて出す音。 泄す……もらす。排泄する。 糟粕(そうはく)……残りかす。 秘結(ひけつ)……便秘。 轉筋(てんきん)……こむらがえり。 足跗(そくふ)……足の甲。足趺(そくふ)。 むかしの人讀置ける哥……昔の人が詠んでおいた歌。 木偶人(もくぐうじん・ぼくぐうじん)……でく。木彫りの人形。 茂質(しげかた)……大槻玄沢の諱(いみな)。 |
||||
8. |
『日本の名著22』(杉田玄白・平賀源内・司馬江漢)の 巻頭解説「十八世紀日本の知的戦士たち」の中で、芳賀 徹氏は次のように書いておられます。 『蘭学事始』の草稿を書きあげて大槻玄沢にその校訂を 託し、『耄耋独語』を書いて老衰の身のリアリスティッ クな自己診断を下すと、玄白はもはやこれで今生の勤め をいっさい果たしおえたとでもいうかのように、翌文化 14年4月17日(1817)、さわやかな初夏の光のなかにそ の悔いなく満ちた85年の生涯を閉じた。(同書、81頁) また、「杉田九幸翁」の「九幸」については、玄白が古稀 の年以来使っていた号であるとして、彼によればその九幸 とは、 太平の世に生きていること 首都で育ったこと 上下によき友を得たこと 長寿に恵まれたこと 俸禄を得ていること 貧乏にすぎはしないこと 名声を得たこと 子孫にも恵まれたこと そして老齢にあってなお元気であること であった、と紹介しておられます。(同書、78頁) |
||||
9. |
『日本医史学雑誌』第8巻第3・4号、杉田玄白140年忌記念特集号(日本医史学会・昭和33年1月15日発行)に、「杉田玄白史料解題」が出ています。よくまとめられていて参考になると思いますので、その中から「耄耋独語」の解説を引かせていただきます。(本文中の漢数字は算用数字に直してあります。) 19 耄耋独語 1巻、未刊写本。文化13年(1816)の春の著で、時に玄白84才、著述としては最後のものである。この年正月9日の節分に84才を迎えた彼は、例の得意の計算法で生来2万9千9百19日になり人々はその天寿を羨んでいるがおいぼれると思うことも自由にならないとて老いの繰言を並べ、高齢は決して楽しいものではないことを知らせるためにこの一篇を記すという意味の自序がある。内容は一種の回想録体の自叙伝で、「蘭学事始」の欠を補う玄白史料として重要である。末尾に大槻玄沢の漢文の跋があり、老いぼれたと称する師の精力絶倫なるをたたえている。本書は伝写本ただ一部のみで、「玉味噌」と合綴され、慶応大学医学部図書館の富士川本中に存する。かつて大島蘭三郎氏により一端が「医学とインターン」誌上に掲載されたほか公表されていない。玄白の最後の著述として重視すべき文献である。(同誌、13頁) |
||||
10. | フリー百科事典『ウィキペディア』に、「杉田玄白」の 項があります。 フリー百科事典『ウィキペディア』→「杉田玄白」 |