(注) | 1. | 上記の本文は、早稲田大学図書館の古典籍総合データベース所収の『養蚕秘録』によりました。これは、世に「金色姫の伝説」として知られている話です。 | |||
2. | 上記の『養蚕秘録』は、享和3年(1803年)刊の『扶桑國第一産 養蚕秘録』(上垣守國作、西村中和・速水春曉斎 画、江戸書林・須原屋茂兵衛、大阪書林・柏原屋清右衛門、京都書林・須原平左衛門)です。 | ||||
3. |
「御殿の庭を深く堀(ほり)て」「大王堀らせ見給ふに」の「堀る」(正しくは「掘る」)の漢字は、原文のままにしてあります。 また、振り仮名は、必要と思われるものだけ原文によって付けてあります。ただし、「光契(くわうけい)夫人」の「光(くわう)」は、引用者が補いました。 なお、「肉を供(くう)じて」の供の読みは、(くう)でよいのか、読み取りに自信がありません。 |
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4. |
「常陸國豊良湊(とよらのみなと)」が現在のどこにあたるのかについて。 (1)茨城県日立市川尻町小貝ヶ浜。 近くに蚕養(こがい)神社や、豊浦小学校、豊浦中学校などがあります。川尻町は、もと多賀郡豊浦町大字川尻でしたが、豊浦町は昭和31年(1956年)、日立市に編入されて豊浦町という名前が消滅しました。 (2)茨城県つくば市神郡(かんごおり)。 ここに豊浦と呼ばれた地域があるそうです。そして、蚕影神社があります。 (3)茨城県神栖市日川(にっかわ)(もと、鹿島郡神栖町日川←鹿島郡豊良浦日向川村)。 ここに、蚕霊神社があります。 「豊良湊」は、果たしてどこを指すのでしょうか。 |
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5. | 『日本伝承大鑑』というホームページの「蚕影神社」の項に、「養蚕秘録 享和2年(1802年)刊。全3巻。蚕の飼育から製糸に至るまで、養蚕に関する技術や知識を図解した実用書。後年シーボルトがオランダに持ち帰り、ヨーロッパの養蚕技術向上のために利用している」とあります。 | ||||