資料583 養老律令・軍防令 第十七



         養老律令・軍防令  第十七   柒拾陸條 

凡軍團大毅。領一千人。少毅副領。校尉二百人。旅帥一百人。隊正五十人。  
凡兵士。各爲隊伍。便弓馬者。爲騎兵隊。余爲歩兵隊。主帥以上。當色統領。不得參雜。  
凡兵士簡點之次。皆令比近團割。不得隔越。其應點入軍者。同戸之内。毎三丁取一丁。
凡國司。毎年孟冬。簡閲戎具。  
凡兵士。十人爲一火。々別充六駄馬。養老肥壯。差行日。聽將充駄。若有死失。仍即位替。  
凡兵士。人別備糒六斗。鹽二升。幷當火供行戎具等。並貯當色庫。若貯經年久。壞惡不堪。即廻納好者。起十一月一日。十二月卅日以前納畢。毎番於上番人内。取二人守掌。不得雜使。行軍之日。計火出給。  
凡兵士。毎火。紺布幕一口。着裏。銅盆。小釜。隨得二口。鍬一具。剉碓一具。斧一具。小斧一具。鑿一具。鎌二張。鉗一具。毎五十人。火鑽一具。熟 一斤。手鋸一具。毎人。弓一張。弓弦袋一口。副弦二條。征箭五十隻。胡籙一具。大刀一口。刀子一枚。礪石一枚。藺帽一枚。飯袋一口。水甬一口。鹽甬一口。脛巾一具。鞋一兩。皆令自備。不可闕少。行軍之日。自盡將去。若上番年。唯將人別戎具。自外不須。  
凡兵士上番者。向京一年。向防三年。不計行程。  
凡弩手赴敎習。及征行。不須科其弓箭。  
10 凡軍團。毎一隊。定強壯者二人。分充弩手。均分入番。  
11 凡衛士者。中分。一日上一日下。謂。無事故日者。毎下日。即令於當府敎習弓馬。用刀弄槍。及發弩抛石。至午時各放還。仍本府試練。知其進不。即非別勅者。不得雜使。  
12 凡兵士向京者。名衛士。火別取白丁五人。充火頭。守邊者。名防人。  
13 凡軍團大毅小毅。通取部内散位。勳位。及庶人武藝可稱者充。其校尉以下。取庶人便於弓馬者爲之。主帳者。取工於書算者爲之。  
14 凡兵士以上。皆造歴名簿二通。並顯征防遠使處所。仍注貧富上中下三等。一通留國。一通毎年附朝集使。送兵部。若有差行。及上番。國司據簿。以次差遣。其衛士防人還郷之日。並免國内上番。衛士一年。防人三年。  
15 凡兵衛使還者。經三番以上。免一番。若欲上者聽。  
16 凡差兵士。充衛士防人者。父子兄弟。不得併遣。若祖父母々々老疾合侍。家無兼丁。不在衛士及防人限。  
17 凡差兵廿人以上者。須契勅。始合差發。  
18 凡大將出征。皆授節刀。辭訖。不得反宿於家。其家在京者。毎月一遣内舎人存問。若有疾病者。給醫藥。凱旋之日。奏遣使郊勞。  
19 凡有所征討。計行人。滿三千以上。兵馬發日。侍從充使。宣勅慰勞發遣。其防人滿一千以上。發日遣内舎人發遣。  
20 凡衛士向京。防人至津之間。皆令國司親自部領。衛士至京之日。兵部先檢閲戎具。分配三府。若有闕少者。隨事推罪。自津發日。專使部領。付大宰府。其往還。在路不得前後零疂。使侵犯百姓。及損害田苗。斫伐桑漆之類。若有違者。國郡録狀申官。統領之人。依法科罪。軍行亦准此。  
21   凡將帥出征。有宿嫌者。不得配隷。  
22 凡軍營門。恒須嚴整。呵叱出入。若有勅使。皆先通軍將。整備軍容。然後受勅。  
23 凡衛士。雖下日。皆不得輙卅里外私行。必有事故。須經本府。判聽乃去。其上番年。雖有重服。不在下限。下番日。令終服。  
24 凡將帥出征。兵滿一万人以上。將軍一人。副將軍二人。軍監二人。軍曹四人。録事四人。五千人以上。減副將軍々監各一人。録事二人。三千人以上。減軍曹二人。各爲一軍。毎惣三軍。大將軍一人。
25 凡大將出征。臨軍對寇。大毅以下。不從軍令。及有稽違闕乏軍事。死罪以下。並聽大將斟酌專決。還日具狀申太政官。若未臨寇賊。不用此令。  
26 凡軍將征討。須交代者。舊將不得出迎。當嚴兵守備。所代者到。發詔書。勘合符。乃以從事。  
27 凡征行者。皆不得將婦女自隨。  
28 凡征行。大將以下。有遭父母喪者。皆待征還。然後告發。  
29 凡士卒病患。及在陣被傷。皆遣醫療。軍監以下。親自臨視。  
30 凡大將出征。克捷以後。諸軍未散之前。即須對衆詳定勳功。幷録軍行以來。有所克捷。及諸費用。軍人。兵馬。甲仗。見在損失。大將以下連署。軍還之日。軍監以下録事以上。各赴本司勾勘。訖然後放還。  
31 凡申勳簿。皆具録陣別勳狀。勳人官位姓名。左右廂相捉姓名。人別所執器仗。當團。主帥。本屬。官軍賊衆多少。彼此傷殺之數。及獲賊。軍資。器械。辨戰時日月戰處。幷畫陣別戰圖。仍於圖上。具注副將軍以上姓名。附簿申送太政官。勳賞高下。臨時聽勅。  
32 凡行軍。叙勳定簿。毎隊以先鋒者爲第一。其次爲第二。不得第一等。勳多於第二。即勳色雖同。而優劣少異者。皆以次歴名。若不合全叙。則從後減退。  
33 凡叙勳。應加轉者。皆於勳位上加。若無勳位。一轉授十二等。毎一轉加一等。六等以上。兩轉加一等。二等以上。三轉加一等。其五位以上。加盡勳位外。仍有餘勳者。聽授父子。如父子身亡。毎一轉賜田兩町。其六位以下及勳位。加至一等外。有餘勳者。聽廻授。不在賜田之限。  
34 凡勳人得勳。後身亡者。其勳依例加授。若戸絶無人承貫者停。  
35 凡勳位犯除名。限滿應叙者。一等於九等叙。二等於十等叙。三等於十一等叙。四等以下於十二等叙。其官當及免官免所居官。計降卑於此法者。聽從高叙。  
36 凡非因簡點次者。不得輙取人入軍。及放人出軍。其詐冒入軍。被認入賤。及有蔭合出軍者。勘當有實。皆申兵部。聽出軍。在軍者。年滿六十。免軍役。雖未滿六十。身弱長病。不堪軍役者。亦聽簡出。  
37 凡兵衛。毎至考滿。兵部校練。隨文武所能。具爲等級申官。堪理時務者。量才處分。其年六十以上。皆免兵衛。即雖未滿六十。若有尩弱長病。不堪宿衛。及任郡司者。本府録狀。幷身送兵部。檢覆知實。奏聞放出。  
38 凡兵衛者。國司簡郡司子弟。強幹便於弓馬者。郡別一人貢之。若貢采女郡者。不在貢幷衛之例。三分一國。二分兵衛。一分采女。  
39 凡軍團。各置鼓二面。大角二口。少角四口。通用兵士。分番敎習。倉庫損壞須修理者。十月以後。聽役兵士。  
40 凡行軍兵士以上。若有身病及死者。行軍具録隨身資財。付本郷人將還。其屍者。當處燒埋。但副將軍以上。將還本土。
41 凡出給器杖等。付領之日。明作文抄。行還事畢。據簿勘納。如有非理損失。申官推徴。  
42 凡從軍甲仗。經戰失落者。免徴。其損壞者。官爲修理。不經戰損失者。三分徴二。不因從軍而損失者。皆准損失處當時估價及料造式徴備。官爲修理。即被水火焚漂。非人力所制者。勘實免徴。其國郡器仗。毎年録帳。附朝集使。申兵部。勘校訖。二月卅日以前録進。
43 凡軍器在庫。皆造棚閣安置。色別異所。以時曝涼。  
44 凡私家。不得有鼓鉦。弩。牟。矟。具装。大角。少角。及軍幡。唯樂鼓不在禁限。  
45 凡在庫器仗。有不任者。當處長官。驗實具狀申官。隨狀處分除毀。其鑽。刃。袍。幡。弦麻之類。即充當處修理軍器用。在京庫者。送兵部。任充公用。若弆掌不如法。致有損壞者。隨狀推徴。  
46 凡五位以上子孫。年廿一以上。見無役任者。毎年京國官司。勘檢知實。限十二月一日。幷身送式部。申太政官。檢簡性識聰敏。儀容可取。充内舎人。三位以上子。不在簡限。以外式部隨狀充大舎人及東宮舎人。  
47 凡内六位以下。八位以上嫡子。年廿一以上。見無役任者。毎年京國官司。勘檢知實。責狀簡試。分爲三等。儀容端正。工於書算。爲上等。身材強幹。便於弓馬。爲中等。身材劣弱。不識文算。爲下等。十二月卅日以前。上等下等。送式部簡試。上等爲大舎人。下等爲使部。中等送兵部。試練爲兵衛。如不足者。通取庶子。  
48 凡帳内。取六位以下子及庶人爲之。其資人不得取内八位以上子。唯充職分者聽。並不得取三關及大宰部内。陸奥。石城。石背。越中。越後國人。  
49 凡給帳内。一品一百六十人。二品一百卌人。三品一百廿人。四品一百人。資人。一位一百人。二位八十人。三位六十人。正四位卌人。從四位卅五人。正五位廿五人。從五位廿人。女減半。減數不等。從多給。其太政大臣三百人。左右大臣二百人。大納言一百人。  
50 凡帳内資人。癃疾應免仕者。皆申式部。勘驗知實。聽替。  
51 凡大宰及國司。並給事力。帥廿人。大弐十四人。少弐十人。大監。少監。大判事六人。大工。少判事。大典。防人正。主神。博士五人。少典。陰陽師。
醫師。少工。算師。主船。主厨。防人佑四人。諸令史三人。史生二人。大國守八人。上國守。大國介七人。中國守。上國介六人。下國守。大上國掾五人。中國掾。大上國目四人。中下國目三人。史生如前。一年一替。皆取上等戸内丁。並不得收庸。
 
52 凡邊城門。晩開早閉。若有事故。須夜開者。設備乃開。若城主有公事。須出城檢行者。不得倶出。其管鎰。城主自掌。執鑰開閉者。簡謹愼家口重大者充之。  
53 凡城隍崩頽者。役兵士修理。若兵士少者。聽役隨近人夫。逐閑月修理。其崩頽過多。交闕守固者。隨即修理。役訖具録申太政官。所役人夫。皆不得過十日。  
54 凡置關應守固者。並置配兵士。分番上下。其三關者。設鼓吹軍器。國司分當守固。所配兵士之數。依別式。  
55 凡防人向防。若有家人奴婢及牛馬。欲將行者。聽。  
56 凡防人向防。各賷私粮。自津發日。隨給公粮。  
57 凡防人上道以後。在路破除者。不須差替。  
58 凡防人將發。犯罪在禁。及對公私事非至徒者。隨即量決發遣。罪至徒以上差替。  
59 凡防人欲至。所在官司。預爲部分。防人至後一日。即共舊人。分付交替使訖。守當之處。毎季更代使苦樂均平。  
60 凡舊防人替訖。即給程粮發遣。新人雖有欠少。不充元數。不得輙以舊人留帖。  
61 凡防人。向防及番還。在道有身患。不堪渉路者。即付側近國郡。給粮幷醫藥救療。待差堪行。然後發遣。仍移本貫及前所。其身死者。隨便給棺燒埋。若有資財者。申送兵部。令將還本家。  
62 凡防人。在防守固之外。各量防人多少。於當處側近。給空閑地。遂水陸所宜。斟酌營種。幷雜菜。以供防人食。所須牛力官給。所收苗子。毎年録數。附朝集使。申太政官。  
63 凡防人在防。十日放一日休暇。病者皆給醫藥。遣火内一人。專令將養。  
64 凡蕃使出入。傳送囚徒及軍物。須人防援。皆量差所在兵士逓送。  
65 凡縁東邊北邊西邊諸郡人居。皆於城堡内安置。其營田之所。唯置庄舎。至農時。堪營作者。出就庄田。收斂訖勒還。其城堡崩頽者。役當處居戸。隨閑修理。  
66 凡置烽。皆相去卌里。若有山岡隔絶。須遂便安置者。但使得相照見。不必要限卌里。  
67 凡烽。晝夜分時候望。若須放烽者。晝放烟。夜放火。其烟盡一刻。火盡一炬。前烽不應者。即差脚力。往告前烽。問知失候所由。速申所在官司。  
68 凡有賊入境。應須放烽者。其賊衆多少。烽數節級。並依別式。  
69 凡烽置長二人。檢校三烽以下。唯不得越境。國司簡所部人家口重大。堪檢校者充。若無者。通用散位勳位。分番上下。三年一替。交替之日。令敎新人通解。然後相代。其烽須修理。皆役烽子。自非公事。不得輙離所守。  
70 凡烽。各配烽子四人。若無丁處。通取次丁。以近及遠。均分配番。以次上下。  
71 凡置烽之處火炬。各相去廿五歩。如有山嶮地狹。不可得充廿五歩之處。但得應照分明。不須要限相去遠近。  
72 凡火炬。乾葦作心。葦上用乾草節縛。々處周廻。插肥松明。並所須貯十具以上。於舎下作架積着。不得雨濕。  
73 凡放烟貯備者。須收 。藁。生柴等。相和放烟。其貯藁柴等處。勿令浪人放火及野火延燒。  
74 凡應火筒。若向東。應筒口西開。若向西。應筒口東開。南北准此。  
75 凡白日放烟。夜放火。先須看筒裏。至實不錯。然後相應。若白日天陰霧起。望烟不見。即馳脚力。逓告前烽。霧開之處。依式放烟。其置烽之所。遶烽二里。不得浪放烟火。  
76 凡放烽。有參差者。元放之處。失候之狀。速告所在國司。勘當知實。發驛奏聞。  


  (注) 1. 上記の「養老律令・軍防令」は、日本思想大系3『律令』(井上光貞・関晃・土田直鎮・青木和夫 校注。岩波書店・1976年12月20日第1刷発行)によりました。
   
    2. 日本思想大系3『律令』の凡例に、
〇令は『令義解』『令集解』の写本が残存する部分について、それらより令文を抽出したものを掲げ、残りの部分は逸文を掲げた。
〇「軍防令」は内閣文庫蔵紅葉山文庫本『令義解』を底本とした。
〇各文ごとにまず原漢文を掲げ、その後に訓読文を付した。
〇条文には各篇目ごとに条文番号をつけた。
〇原文には、句点・返り点を付した。句点は、訓点のある底本については、その句点・読点及び訓読を参酌しつつ施し、適宜省略・補入した。底本に訓点がない場合はこれに准じた。返り点は、訓点のある底本では返り点のある場合とない場合が混在するが、底本の訓読にしたがって記入した。
〇字体は概ね通行の字体を用い、一部旧字体を残したものもある。
〇訓読文の作成にあたって、訓点の施されている紅葉山文庫本及び藤波本・猪熊本を底本とする部分については、できるだけ底本の訓読に従うことを基本方針とした。
とあります。(詳しくは、同書を参照してください。)
   
3. 日本思想大系3『律令』の原文には返り点がつけてありますが、ここではそれを省略しました。
字体は、通行の字体を旧字体に直して表記しました。
    4. 本文中の漢字の「」は、島根県立大学の ”e漢字” を利用させていただきました。    
    5. 『国立公文書館デジタルアーカイブ』で、内閣文庫蔵・紅葉山文庫本の『令義解』を画像で見ることができます。「軍防令」は『令義解』巻五の八頁裏(11/34)~三十頁表(32/34)に出ています。
(「令義解」の「№1(全9件中)次の件名 >  末尾
   件名:令義解 1」とある「次の件名」を数回クリックして、「件名:令義解 5」を表示してから見て下さい。11~32/34)
 国立公文書館デジタルアーカイブ
   →  内閣文庫蔵・紅葉山文庫本『令義解』
   
    6. 『国立国会図書館デジタルコレクション』に国史大系が入っていて、『国史大系』第12巻(経済雑誌社、明治33年9月15日発行)に『令義解』があり、「軍防令」を見ることができます。
 『国立国会図書館デジタルコレクション』
   → 『国史大系』第12巻
   →『令義解』(16~178/880)
   →「軍防令」(99~109/880)
   
    7. 『官制大観 律令官制下の官職に関わるリファレンスVer.0.8』というサイトに、「現代語訳「養老律令」」があって、参考になります。
 『官制大観』→ 現代語訳「養老律令」
   
    8. この軍防令(ぐんぼうりょう)は、引用者が防人の規定がどうなっているかを見るために引いたものです。これによれば、
辺境を守備する兵士を「防人」と名づけること。(第12条)
防人は各自が弓矢・刀・砥石・水桶などを持参すること。(第7条)
防人の勤務が3年であること。現地までの往復日数は年限のうちに数えないこと。(第8条)

防人が津(難波)に到着するまでは、国司が責任をもつこと。(第20条)
防人が津(難波)に到着するまでの食料は自費であること。(第56条)
などが分かります。
なお、防人については、日本思想大系3『律令』の補注(17軍防令)の12bに、詳しい注が付いています。(同書、623~624頁)

 防人の部領については、補注の20bに、次のようにあります。
防人の部領 軍防令の規定では、津にいたるまでが国司の部領、津出発後は専使の部領となっていたが、和銅六年十月の詔で、専使の部領をとどめ、逓送によることとした。難波までの国司の部領については、万葉集巻二〇、天平勝宝七歳二月の防人歌にその実例が見え、守・掾・大目・少目等の国司が、遠江・相模・駿河・上総・常陸・下野・下総・信濃・上野・武蔵の諸国からそれぞれ防人を部領して難波に至り、同年三月、難波において、勅使紫微大弼安倍朝臣沙弥麻呂、兵部使少輔大伴宿祢家持の検校を受けている。防人の帰還にあたっては、天平十年の場合、難波までは海路大宰府官人の部領により、難波からは路次の諸国の逓送により行なわれたことが、同年の筑後・周防・駿河の各正税帳によって推測される。(同書、624~625頁)
   
    9. フリー百科事典『ウィキペディア』に、「令義解」「防人」の項があります。
 フリー百科事典『ウィキペディア』
   → 「令義解」
   → 「防人」
   




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