資料579 滝沢敬一「まぐさ喘息の話」 




          まぐさ喘息の話     
                        
瀧 澤 敬 一

 毎年六月にはいるとフランスで「まぐさ風」(’ rhume des foins '  或はまぐさ喘息 ’ asthme des foins '  獨語 ' Heufieber ' )が流行する。適藥がないらしくて戀煩ひよりも始末がわるい。
 丁度野山で秣(まぐさ)を刈りとる時分にかゝるからつけた名であつて、俗説によると草花の花粉が鼻から飛び込んでこの病を引き起すのである。「熱」とは云ふが微熱があつたりなかつたり大した問題ではない。ひどい結膜炎の爲に讀書など出來ないし、鼻の奥がむづがゆく、鼻水が夜も晝も瀧の樣に流れる。ひどくなると一日二三十枚のハンケチでは足らず、タオルまでも持ち出さねばならぬ。雨が降つたりうすら寒い日は氣分がよくなり、天氣がよく風でも吹くときつと惡くなる。三人に一人位の割合でこれに喘息のおまけがつき、氣管支カタルにこぢれて相應に長びく。中には喘息の發作がつゞいて二三週間も生死の境をさ迷ふ人もある。
 ぐつと暑くなると病人はへり、七月十四日の共和祭前後には殆どなくなる。北部フランスでもその時分は秣がもう納屋にあるからである。
 この病氣は子供にもある。それに四十日から二ヶ月も續いて丁度六月を大試驗期とする學生には大打撃である。或る體質のものがかゝるのだと云ふが、それならその體質をどう改良するかは知れて居ない樣である。
 耳鼻咽喉の醫者は一時しのぎに電気や藥液で鼻の奥をやく。内科ではペプトンの皮下注射をやつたり、 autohémothérapie  と云つて患者の血を一方からとつてすぐ他方に注射したりする。又は長井博士發見の  éphédrine  が一番よいとすゝめる大學敎授もあつた。 近頃の新聞を見ると巴里の醫者で sympathico‐thérapie なる新療法を振り廻すものがある。鼻の奥にあるむづかしい名前の神經をくすぐるとこの病氣が豫防出來ると云ふのであるが、擽り賃が數千法もし、貧乏人には鼻が出せないし、山師だとの説が有力である。
 先年九州大學の某敎授(お名前は失念した)のお話により、オランダのライデンにあるこの病氣專門の治療研究所から藥をとり寄せ、二年間ほど四五月の頃數十日にわたり豫防注射をやつて見たが效能はなかつた樣に思ふ。
 十年前初めてこの病氣の見舞をうけた時にはそれと知る由もなく、長い間入浴を見合せたり、眼醫者にかけつけたりして馬鹿を見た。此頃では死にもしまいと運を天に任せて居る。但しいよいよ苦しくなつて寢食は愚か一寸した身動きも出來なくなると、仕方なしにアドリナリンの注射をやり胸がほごれた所で飯を食つたり看護の者と口をきいたりする。
 一年中ピンピンして居て又この六月が過ぎるとケロリとしてしまふ。醫者は草木のない場所に逃げ出せと云ふ。それには海上生活が一番よく次にはアルプスの氷河地帶に轉地でもするのであらうが、金と時とのかゝるこんな豫防法は萬人向と云ふ譯には行くまい。
 兩三年前シカゴ・トリビューン紙の寫眞畫報で「まぐさ熱時分」と題し、百姓がマスクをかけて野良仕事をして居るのを見て思ひつき、アメリカには何かよい療法でもあるかと問合せたら、答に曰く「金持ならばシカゴかニューヨークの中心にあるホテルに危險期間絶對に籠城する、それが駄目なら苦しむだけ」。これでは參考にはならない。尤もアメリカで hay fever time は九月に golden rod と云ふ黄色の草花が咲く頃であると云ふ。フランスは植物の分布も違ふしこの花のありやなしやは承知しない。
 夏スヰスを旅すると藥屋の店頭に「まぐさ熱」の藥をよく列べてあるから、フランスよりもこの病氣が多いのかも知れない。ドイツやイギリスにもフランス同樣にあるらしいが、その時期が異り、或る國でやられる人も他國では平氣なのである。自分も五六月を東京で暮した年だけは何ともなかつたから誰にも尋ねもしなかつたが、西洋のものは何でもある時代故「まぐさ熱」も勿論國産があることと思ふ。
 どうもあんまり鼻の敏感なのは警察の犬には持つて来いでも人間向ではない。この「まぐさ喘息」にかゝり易い鼻のきゝ過ぎる人間には色々厄介な例がある。或る紳士は兎の毛皮をかぐとすぐ喘息の發作のくる人であつた。或る時オペラで前列に腰を下した淑女の高價な毛皮が鼻の先にぶら下るとすぐ胸が苦しくなつた。近年は大概の毛皮は兎の變形加工であることは誰も承知の通りである。この紳士は默つて席を變へたであらうが、婦人が夏でも安物の動物をかつぎ廻ることが流行すると社交上甚だ困つたことになる。
 或る人は馬の匂で喘息が起る。馬背にかけたことのある毛布をしまつた室に入るや否や胸がせまつて來ると云ふ。古本や或る藥の匂にやられる人は輕いまぐさ風を引くのである。プラタヌスの並木を作るとその町で眼や喉を痛めるものが多くなるが、家の庭にもすゞかけの大木が頑張つて居るし、これも敵の片割れではないかとすくすくと小枝の延びるのが恐ろしい。
                                  (一一・五・一五


  (注) 1. この本文は、瀧澤敬一著『ふらんす通信』(岩波書店、1937年発行)によりました。    
    2. 平仮名の「く」を縦に伸ばした形の繰り返し符号は、同じ仮名を繰り返すことによって表記しました。(いよいよ、ピンピン、すくすく)    
    3. 最後にある(一一・五・一五)は、1911年5月15日のことだと思われます。1911年は明治44年に当たります。    
    4. 滝沢敬一(たきざわ・けいいち)=1884年(明治17年)東京生まれ。
  東京帝国大学を卒業後、正金銀行に入り、長らくフランスに勤務、
  フランスについての多くの随筆を書いた。著書に「ふらんす通信」
  などがある。1965年(昭和40年)没。
   
           
           


         トップページへ