資料572 「アリストファネスの演説」(プラトン『饗宴』より)





      「アリストファネスの演説」(プラトンの『饗宴』より)


 「勿論僕は」とアリストファネスは言つた、「エリュキシマホス、君やパウサニアスとは全く違つた意味の演説をするつもりだ。人間が愛の神をないがしろにしてゐるところを見ると愛の力を一向に理解してゐるとは思はれない。若しさうでなければ、人間は愛の為めに立派な神殿や祭壇を建てて、その光栄のため荘厳な犠牲を献げた筈である。然るに一向そんな風も見えない。が、これは是非ともさうしなければなるまいと思ふ。なぜかと言ふに、愛の神は神々のうち最も人間に親しく、人間の助力者であり、またその幸福を破壊する疾病の治療者であるからである。が、私は今ここに此の愛の神の力を説いて見たい。諸君は私の言を世間に宣べ伝へて欲しい。そこで、私はまづ諸君に人間の原始性を語り、またいかなる変化が生じたかを述べて見よう。即ち原始の人間は現在とは全然相違してゐたのである。人間の性(セツクス)は現在に於ては男女両性にわかれてゐるけれども、原始時代にあつては、三つの性に、即ち男性、女性、及び両性合一の三性にわかれてゐたのである。その両性合一のものは、今では絶滅してしまつて、ただその(一)アンドロギュノスといふ名称(なまへ)ばかりが、嘲弄の意味を帯びて残つてゐるに過ぎない。つぎに原人の全体(からだ)は球形をなしてゐて、背中と胸とは輪のやうに連つてゐて、四本の手と四本の足とを有してゐた。円形の頸の上には反対の方向に向いた二つの顔がついてゐて、おなじ一つの頭を戴いてゐた。その顔は二つとも細かなところまで同一であつた。耳は四つあるし、陰部は二つあつた。その外すべてこれに準ずるものと思つてよろしい。原人は今我々が歩くやうにして何処へでも歩いて行つたが、若し大急ぎで行かなければならぬ時には、その四本の手と四本の足と合せて八本で身を支へて車輪のやうに転(ころが)つて行く事が出来た。前にも言つたやうに、原人には三つの性があつた、これは太陽と月と地球との三つから来たのである。即ち、男性はもと太陽の子であり、女性は地球の子であり、両性者は太陽と地球とから生れた月の子であつたのである。かうして原人はその親の円形であるやうに、その身体(からだ)も円形であり、その運動も円形であつた。彼等の威力と膂力(りよりよく)とは恐ろしく強大なものがあつて、また頗る雄大な観念を抱懐してゐた。ホメロスの伝へてゐるところによれば、そのうちの(二)エフィアルテスやオチュスやの如きは、天に駈け昇つて、神々を打仆さうと企てたと云ふ。
  (一)アンドロギュノスとは希臘語で「男」「女」の二語を合一したもので、此の男女両性者は既に神話中にも存してゐる。即ち、ヘルメスとアフロディテとの子なるヘルマフロディトスは自ら願つてニュンフのサルマシスと一身同体(上体は女性下体は男性)に変形せしめられたといふ。(二)エフィアルテスとオチュスとのことはホメロスの「オヂュッセウス」の第11巻307行に出てゐる。     

 そこで(一)ゼウスを始め神々が会議を開いて、彼等の処分法を協議したが、議が一決しなかつた。といふのは、神々が若し曾つて巨人族を滅ぼしたやうな方法を用ゐて、雷霆をもつて一撃のもとにこれを絶滅させてしまふのは容易なことであるが、それでは彼等がこれまで奉納して来た犠牲や礼拝が絶えてしまふからである。さればと言つて、神々はまた人間どもの暴慢無礼を忍ぶことも出来なかつた。そこでつひにゼウスがいろいろ考へた末に言つた、『余は今一つ名案を得た、この方法によれば彼等人間どもを滅ぼさないで、しかもよくその傲慢心をくぢき、その行動を改めさせることが出来よう。それは彼等を二つに断ち切つてしまふのだ。かうすれば、彼等はその力が弱くなると同時にその数を増すから、我々に取つては益々好都合である。そして彼等は二足をもつて直立して歩くやうになるだらう。然も彼等が若しなほ無礼をやめないに於ては再びこれを二つに切つて、今度は一足をもつて跳び歩くやうにしてしまはう』かう言つてゼウスは丁度我々が塩漬けにする果実(くだもの)を断つやうに、また毛髪(かみのけ)をもつて卵を切るやうにして、人間を一人づつ両断してしまつた。それから(二)アポロオンをしてその顔面(かほ)と半頸(くび)との方向(むき)を変へさせた。これは人間に自分の裁断面を観させて、彼等に謙遜の心を起させようがためである。アポロオンは彼等の創傷(きず)を治療(なほ)し、彼等の顔面を向きかへらせ、切断した皮膚を我々が今腹と呼んでゐるところに、丁度嚢(ふころ)の口でもくくるやうに引き寄せて、その中央(まんなか)にくくり目をこしらへた、これが今我々の臍と呼ぶところである。それから今度は胸部(むね)を形成(かたちづく)つて、丁度靴匠(くつや)が靴型の上で革の皺襞(しは)を延ばすやうに沢山の皺襞(しは)を延ばした。けれどもその少しばかりは腹部及び臍部に残して置いて、原始の変化の記念とした。人間はかうして両断せられると、互ひにその半分を求めて、両手で抱き合つて、一体に還らうと欲(ねが)つた。こんな風に彼等は互に離れようとしなかつたので、饑餓(うゑ)と怠惰との為めにどんどん死んで行つた。若しまた一方が死んで、他の一方が生き残つた際には、他の片われを求めて、それが全男または全女の両断せられたもの、即ち我々の男子又は女子と呼ぶものの、そのいづれであらうとも、これを抱いた。こんな風にして彼等は破滅して行つた。ゼウスはこれを見て憐れに思ひ、一つの新しい方法を創(つく)つて、陰部を身体の前側に廻はしてやつた。なぜと言へば陰部は始めから外側についてゐたものではないからである。始め人間の種子は、(三)蟋蟀(きりぎりす)などのやうに相手の胎内に生みつけないで、地中に生み付けたものであるけれど、陰部が置き替へられると、男性は女性の胎内に生殖するやうになつた。かうして男性は相手の女性を得て生殖するを得、もつて人類を絶滅せしめる事から免れるに至つた。また若し男性にして他の男性と結合することを得れば、大に満足し、元気付いて各々(めいめい)の仕事に専心するやうになるのである。かやうに人間には太古から相互の間に愛が存してゐて、二人一体となつて、再びその原始の状態に還らうとするのである。
  (一)ゼウス(ジュピタア)はクロノスとレアとの子であるが、のち父を滅ぼして自ら天界の主宰神となる。(二)アポロオンはゼウスとレアとの間の子。太陽、音楽、詩歌等の神。(三)これは多分蟋蟀が土から生れるものの象徴として用ゐられてゐるところから来たものであらう。アナクレオン(希臘の抒情詩人)の句にも「血なく肉なく生れたる悩みを知らぬ土のむすめ」とある。    

 そこで我々はいづれも、その別々になつてゐる時は丁度割符か、又は一面しかない平目魚(ひらめ)のやうなものである。それ故常に他の半分を探し求めてゐる。両性人、即ちアンドロギュノスと呼ばれてゐた者の両分せられて出来た男子は、女子を愛するもので、かの多情な男子は通例この種族から出たものである。また男子を愛する多情な女子もさうである。けれども女性から両分せられた女子は、男子を棄てて顧みず、ただ女子のみを愛する。かの(一)女性の愛者はこの種の人である。それから男性の両分せられて出来た男子は男子を求め、その少年時代には、その男性の半分として成年男子を愛してその傍らに横はつてこれを抱擁することを好む。この種の人は天性最も男性的であるから、少年及び青年として最も有為なものに属する。彼等を無恥なもののやうに言ふ人もあるけれど、それは誤つてゐる。彼等のこの事を為すや、決して無恥からではなくて、勇気と胆力と男らしさとを有してゐる、自分と相似たものを愛するからに外ならない。彼等が成長した暁、国家に取つて最も有用な人物となるのがその確かな証拠である。成年に達すると、彼等は青年を愛するやうになつて来る。そして結婚したり子供を儲けたりすることは天性その好まないところである。彼等は(二)法律の命ずるところに従つて結婚するに過ぎない。若し結婚しないでしまふことが出来れば、彼等は満足して生活するであらう。かやうにこの種の人は常に自分に似たものを愛して、男子との間に愛をおくつたり返したりすることを望んでゐる。彼等が若しその真の半分に出逢つたならば、その者が青年の愛者であらうとその他のものであらうと、驚くばかり熱烈に友情や愛情をこれに注いで、片時(かたとき)も互に離れようとはしないで、一生涯かたい交りを結んで渝(かは)らないであらう。けれども彼等が互に何を求め合つてゐるかは説明することは出来ない。彼等の熱烈な愛情は肉体的の慾望と云ふよりは、むしろ精神的の慾望であつて、彼等も自らこれを説明することは出来ないで、ただ漠然とその情を感じてゐるばかりである。今かりに、彼等の相ならんで横はつてゐる枕もとに(三)ヘファイストスの神がその神器をもつて現れて、彼等に向つて『汝等は抑も互に何を求めてゐるのであるか』と訊ねようとも、彼等は何もこれに答へることは出来ないであらう。そして更に『汝等は全然一体となつて昼夜を問はず同棲せんことを望んでゐるか。若しそれが汝等の望むところであるならば、我れ直ちに汝等二人を融合して一体となし、その生ある限り両人一体となつて同棲し、息絶えた後も冥界に於て両人一個の亡者として、離れることの無いやうに取り計(はから)つてやらう。汝等は抑もこれを望むか、この望みを達して満足するか』と問はれたならば、この言葉を聴いた彼等は、両人互に相擁して融合し、もつて二人たることなく、全く一人たらんことを望み、その常に渇望してゐることを否(いな)んだり、または承諾しなかつたりするものは一人もなからう。その理由奈何(いかん)と言へば、我々の原始性はもと一にして完全なものであつたので、我々はこの完全なる一体たらんとする慾望を不断に有してゐるからである。そしてこれが即ち愛である。前にも言つたやうに、我々はもと一体であつたのを、その悪行によつて、丁度アルカディア人がラケダイモン人のために分離せられたやうに、神のために二つに分割せられたものであるから、若し我々が神々に対して従順でないならば、我々はまたまた両分されて、丁度あの記念碑などに彫刻されてゐる浮彫の肖像みたやうに鼻の半分を断ち切られ、割符の切れのやうになつて歩かなければならなくなるだらう。それゆゑ我々は互に相戒めて、神を畏(おそ)れて、悪を避け善を行ふやうにしなければならない。而してこの場合、我々を左右し、我々を導くものは即ち愛(エロス)である。この神に抗(さから)ふてはならない、この神に抗ふものは即ち神々に抗ふものである。若し我々がこの神と親睦し、この神と融和するならば、我々は今甚だ求めにくくなつてゐる我々の真の愛者を見出してこれを所有することが出来よう。ところでエリュキシマホス、僕は真面目なのだから、僕の演説をひやかして、これはパウサニアスとアガトオンとのことを言つてゐるのだなどと言つてくれちや困る。勿論パウサニアス、アガトオンの両君は先刻(さつき)言つたやうな種類の人で、男性的な性質の人には違ひないと思ふ。けれども僕の言ふところは一般的のことであつて、男女を通じて適用出来るのだ。若し我々が完全な愛を得て、各人みなその原始性に復帰して、原始の真正な愛を有するやうになつたならば、我々人類はどんなにか幸福だらう。そして若しこれが最善の事だとすると、我々の現在の状態にあつては、今言つたやうに我々に類似した愛者を見出すことが、それに次いで最も善いことだと思ふ。今若し我々に利益を与へるものを賞讃すべきだとすれば、我々の神なる愛を讃美しなければならない。なぜと言へば、この愛の神は我々の最大の恩人であつて、現世に於ては我々を導いてその以前の半分と融合せしめ、また未来のためには我々に楽しい希望を与へ、我々が神を畏れ敬ふならば、我々を本性に還らしめ、我々を治療し、我々を幸福にしてくれるからである。エリュキシマホス、これが僕の愛の演説だ。君の演説とはすつかり違つてゐるが、前にも君に頼んだ通り、ひやかすのは止してくれたまへ。そして今度は他の人々の説を聞かう。もつとも他の人々と言つたところで、あとに残つてゐるのはもうアガトオンとソクラテスとに過ぎないのだが」
  (一)女性間の同性の愛はエオリアから起つて全希臘にひろまつた。レスポスの女詩人サッフォの如き女性の同性恋愛者として最も有名である。(二)雅典にはなかつたがスパルタには、ある場合必ず結婚しなければならなぬ法律があつた。(三)ヘファイストスは羅馬神話のヴァルカンである。鍛冶の神。    



  (注) 1.  上記の「アリストファネスの演説」(プラトン『饗宴』より)は、『饗宴』恋愛論(プラトオン著、生田春月訳。越山堂・大正8年9月27日発行)によりました。この本は、「国立国会図書館デジタルコレクション」に収められています。
 → 国立国会図書館デジタルコレクション
  →  プラトオン著『饗宴』恋愛論34~38/79)            
   
    2. 表記は、仮名遣いは原本のとおり歴史的かなづかいとし、漢字は概ね常用漢字に改めました。    
    3.  〇プラトン【Platon】=古代ギリシアの哲学者。アテナイの名家の生れ。ソクラテスに師事し、後にアテナイ市外にアカデメイア(学園)を開いた。真の実在は感覚的個物ではなくその原型たる超感性的なイデアであるとし、このイデア論に基づいて認識・道徳・国家・宇宙を論じた。著「ソクラテスの弁明」「国家」「饗宴」「ティマイオス」など約30編の対話篇。(前427~前347)
〇アリストファネス【Aristophanēs】=古代ギリシアの喜劇作者。ペロポネソス戦争前後のアテナイ動揺期に際し、政治・社会・学芸などについて辛辣無比な諷刺を「雲」「平和」「鳥」「女の平和」「蛙」などの作(11編現存)で試みた。(前445頃~前385頃)
〇饗宴(Symposion ギリシア)=プラトン対話篇の一つ。悲劇詩人アガトンの祝宴で、出席者が順次エロス賛美の演説をする。最後にソクラテスがエロスは、肉体の美から精神の美、さらに美のイデアへの愛慕にまで高まると説く。
〇生田春月(いくた・しゅんげつ)=詩人。名は清平。米子市生れ。真実に生きる悩みを告白する詩風。自殺。詩集「霊魂の秋」「象徴の烏賊」など。(1892~1930)          (以上、『広辞苑』第7版による。)
   
    4. フリー百科事典『ウィキペディア』に、「ソクラテス」「饗宴」「生田春月」の項があります。
 → フリー百科事典『ウィキペディア』
  → 「ソクラテス」
  → 「饗宴」
  → 「生田春月」
   






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