資料551 白居易「賀雨詩」(『白氏文集』巻第一 諷諭一)




      賀雨詩(『白氏文集』巻第一 諷諭一)
            
皇帝嗣寶暦 元和三年冬
自冬及春暮 不雨旱
上心念下民 懼歳成災凶
遂下罪己詔 殷勤告萬邦
帝曰予一人 繼天承祖宗
憂勤不遑寧 夙夜心忡忡
元年誅劉闢 一擧靖巴邛
二年戮李錡 不戰安江東
顧惟眇眇德 遽有巍巍功
或者天降沴 無乃儆予躬
上思答天戒 下思致時邕
莫如率其身 慈和與儉恭
乃命罷進獻 乃命賑饑窮
宥死降五刑 已責寛三農
宮女出宣徽 廏馬減飛龍
庶政靡不擧 皆出自宸衷
奔騰道路人 傴僂田野翁
歡呼相告報 感泣涕霑
順人人心悦 先天天意從
詔下纔七日 和氣生沖融
凝爲油油雲 散作習習風
晝夜三日雨 凄凄復濛濛
萬心春熙熙 百穀青芃芃
人變愁爲喜 歳易儉爲豐
乃知王者心 憂樂與衆同
皇天與后土 所感無不通
冠珮何鏘鏘 將相及王公
蹈舞呼萬歳 列賀明庭中
小臣誠愚陋 職忝金鑾宮
稽首再三拜 一言獻天聰
君以明爲聖 臣以直爲忠
敢賀有其始 亦願有其終


  (注) 1.   上記の「賀雨詩」は、新釈漢文大系97『白氏文集 一』(岡村繁著、明治書院・平成29年5月20日初版発行)によりました。「賀雨詩」は、『白氏文集』冒頭の詩です。    
    2.   詩中「」「」の漢字は、島根県立大学の “e漢字” を利用させていただきました。     
    3.  この「賀雨詩」について、新釈漢文大系の本詩についての「解題」に、次のようにあります。
 唐の憲宗の元和三年(808)冬から翌四年閏三月まで数か月間、中国最大の穀倉地帯である長江・淮水(わいすい)流域は大旱魃に襲われ、天下は上も下も深刻な恐慌状態に陥っていた。(中略)当時、白居易は、天子の詔勅の作成をつかさどる翰林学士に任ぜられ、あわせて天子への直諫を任務とする左拾遺の官を授けられて、憲宗の側近に侍していた。そこで彼は、被災地の住民を救済し、宮廷の浪費を節約するために、天子に対して(中略)二条の奏請文(中略)を奉呈した。かくて、この白居易の奏請を嘉納した憲宗は、わずかその二日後の閏三月三日己酉、百姓救済のための徳音を天下に降した。(中略)ところが不思議なことに、この徳音が降ってわずか七日後、沛然として三日三晩豪雨が降り続いて、やっと天下の人びとは愁眉を開き、歓呼雀躍した。(中略)
 この詩は、その待望の雨を慶賀した力作。時に白居易は三十八歳。左拾遺の官に就いてから満一年たった時のことであった。(同書、111~112頁)
   
    4.   同じ新釈漢文大系の「解題」に、「神田喜一郎「読白楽天詩記」(『東方学報』15-3、1946年。『神田喜一郎全集』第二巻、1983年)に詳細な考証があり、また謝思煒「白氏文集 巻第一「賀雨」校注」 (『白居易研究年報』 第三号、2002年、勉誠出版) がある」 とあります。    
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