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(注) |
1. |
上記の『碧巌録』第43則の本文は、『國譯禪學大成』第1巻(二松堂書店、昭和4年2月8日発行)所収の『佛果圜悟禪師碧巖録』によりました。この碧巌録は、国立国会図書館デジタルコレションに収めてあるものです。ただし、本文につけてある返り点は、これを省略しました。また、小字になっているところ(「不是這箇時節……」など)は、原文では二行の分かち書きになっている部分です。
国立国会図書館デジタルコレクション
→ 『國譯禪學大成』第1巻『佛果圜悟禪師碧巌録』
(第43則の原文は200~201/211に、国訳部分は121~124/211にあります。) |
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2. |
『碧巌録』第43則の「評唱」に出ている「滅卻心頭火自凉」(滅却心頭火自涼)は、臨済宗の高僧・快川紹喜(かいせんじょうき)が死に臨んで唱えた言葉として知られています。 快川紹喜(かいせんじょうき)=?~1582(天正10年)戦国時代の禅僧。諡号大通智勝国師、本姓土岐。美濃の人。はじめ妙心寺に住み、のち美濃の崇福寺、次いで武田信玄の請いにより甲斐恵林寺に移る。武田勝頼滅亡の時、六角承禎をかくまったかどで織田信長に寺を焼かれ、火中に死んだという。「心頭を滅却すれば火もおのずから涼し」とは「碧巌録」の評唱の語であるが、その時紹喜が唱えたとされている。(『角川日本史辞典第二版』による。) |
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3. |
「安禪不必須山水 滅卻心頭火自凉」」(安禅不必須山水 滅却心頭火自涼)という句は、晩唐の詩人・杜荀鶴の次の詩によったものです。(この詩は『全唐詩』巻693に収められています。)
夏日題悟空上人院 杜荀鶴
三伏閉門披一衲
兼無松竹蔭房廊
安禅不必須山川
滅得心中火自涼
夏日 悟空上人の院に題す 杜荀鶴
三伏 門を閉ざして一衲(いちなふ)を披(はお)り
兼ねて松竹の房廊を蔭(おほ)ふ無し
安禅 必ずしも山川を須(もち)ゐず
心中を滅し得て 火自(おのづか)ら涼し
なお、結句を「滅却心頭火亦涼」とするものがありますが、その形の詩がどこに出ているのか、はっきりしません。『全唐詩』には、「滅得心中火自涼」という形で出ています。 |
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4. |
『新明解国語辞典』第三版には、
心頭(しんとう)=心(の中)。「怒り─に発する〔=むらむらと、激しくおこる〕」
──を滅却すれば、火もまた涼し どんな火の熱さでも、精神集中によって無いものと思うことが出来れば、苦しさを感じなくなるものだ。〔「心頭、火を滅却すれば、また涼し」の誤読といわれる〕 とあり、「心頭を滅却すれば、火もまた涼し」は、「心頭、火を滅却すれば、また涼し」の 誤読だという説が紹介されています。 |
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5. |
フリー百科事典『ウィキペディア』に、「快川紹喜」「杜荀鶴」「碧巌録」の項があります。
フリー百科事典『ウィキペディア』
→ 快川紹喜 → 杜荀鶴 → 碧巌録 |
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6. |
〇碧巌録(へきがんろく)=仏書。宋の圜悟克勤(えんごこくごん)が、雪竇重顕(せっちょうじゅうけん)の選んだ百則の頌古(じゅこ)に垂示・評唱・著語(じゃくご)を加えたもの。10巻。臨済宗で重視される。詳しくは「仏果圜悟禅師碧巌録」。碧巌集。
〇心頭(しんとう)=心の中。念頭。「怒(いかり)─に発す」
─を滅却すれば火もまた涼し(織田勢に武田が攻め滅ぼされた時、禅僧快川が、火をかけられた甲斐の恵林寺山門上で、端座焼死しようとする際に発した偈(げ)と伝える。また、唐の杜荀鶴の「夏日題悟空上人院」の詩中に同意の句がある)無念無想の境地に至れば火さえ涼しく感じられる。どんな苦難に遇っても、心の持ちようで苦痛を感じないでいられる、の意。(以上、『広辞苑』第6版による。) |
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7. |
『詩詞世界』というサイトに、杜荀鶴の「夏日題悟空上人院」の解説があります。
『詩詞世界』
→ 杜荀鶴「夏日題悟空上人院」 |
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