資料524 魏文帝「典論論文」



 

        典論論文             魏 文 帝

 

 


文人相輕自古而然傅毅之於班固伯仲之閒耳而固小之與弟超書曰武仲以能屬文爲蘭臺令史下筆不能自休夫人善於自見而文非一體鮮能備善是以各以所長相輕所短里語曰家有弊帚享之千金斯不自見之患也
今之文人魯國孔融文擧廣陵陳琳孔璋山陽王粲仲宣北海徐幹偉長陳留阮瑀元瑜汝南應瑒德璉東平劉楨公幹斯七子者於學無所遺於辭無所假咸以自騁驥騄於千里仰齊足而竝馳以此相服亦良難矣蓋君子審己以度人故能免於斯累而作論文
王粲長於辭賦徐幹時有齊氣然粲之匹也如粲之初征登樓槐賦征思幹之玄猿漏卮圓扇橘賦雖張蔡不過也然於他文未能稱是琳瑀之章表書記今之雋也應瑒和而不壯劉楨壯而不密孔融體氣高妙有過人者然不能持論理不勝詞以至乎雜以嘲戲及其所善楊班儔也常人貴遠賤近向聲背實又患闇於自見謂己爲賢
夫文本同而末異蓋奏議宜雅書論宜理銘誄尚實詩賦欲麗此四科不同故能之者偏也唯通才能備其體文以氣爲主氣之淸濁有體不可力強而致譬諸音樂曲度雖均節奏同檢至於引氣不齊巧拙有素雖在父兄不能以移子弟
蓋文章經國之大業不朽之盛事年壽有時而盡榮樂止乎其身二者必至之常期未若文章之無窮是以古之作者寄身於翰墨見意於篇籍不假良史之辭不託飛馳之勢而聲名自傳於後故西伯幽而演易周旦顯而制禮不以隱約而弗務不以康樂而加思夫然則古人賤尺璧而重寸陰懼乎時之過已而人多不強力貧賤則懾於飢寒富貴則流於逸樂遂營目前之務而遺千載之功日月逝於上體貌衰於下忽然與萬物遷化斯亦志士之大痛也融等已逝唯幹著論成一家言

 

 


     (注) 1. 本文は、新釈漢文大系93 『文選(文章篇)下』(竹田晃著、明治書院・平成13年
           1月25日初版発行)によりました。
             ただし、返り点・句読点は、省略しました。
         2. 新釈漢文大系 『文選(文章篇)下』の「典論論文」の「題意」に、
              
『典論』は、曹丕の著書。「論文」は、その五巻の中の一篇。中国に於ける文学論
            の初期のもので、この文中の語によって「建安の七子」の呼び方が生まれた。この文
            は、その七人の作家論を展開し、ついで文章の形式と特徴、文体は作家の文学的な
            資質(気)によることを論じ、最後に文学の政治における有効性と永遠性とを論じる。
            「文章は経国の大業にして、不朽の盛事なり」はつとに有名である。
 
          とあります。(同書、194頁)

             
建安七子(けんあんしちし)=建安は、後漢末の献帝朝の年号。建安七子は、
                   建安年中に輩出した七人の詩文家、すなわち孔融・陳琳・王粲
(おうさん)
                   徐幹・阮瑀
(げんう)・応瑒(おうとう)劉楨(りゅうてい)魏の都鄴(ぎょう)にいた
                   ので、鄴中の七子ともいう。        (『広辞苑』第6版による)

           3. 曹丕(そうひ)=三国の魏の初代皇帝。文帝。世祖。曹操の長子。字は子桓。
                 220年後漢の献帝に禅譲を受け、魏王朝を建てた。九品中正を始める。
                 文名があり、著「典論」。(在位220~226)(187~226)
            
九品中正 (きゅうひんちゅうせい)=魏晋南北朝の官吏登用法。漢代の郷挙里選
                       (きょうきょりせん)
に代わって魏の時に始められたもの。地方の州郡に中正と
                 いう官をおき、その地方の官吏志望者を九等に評価して推挙させ、その
                 判定に基づき登用。九品官人法。
   (以上、『広辞苑』第6版による)
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