資料520 佐佐木信綱「夏は来ぬ」(『新編教育唱歌集 第五篇』による)



    

 

 

       夏は來ぬ 
               佐佐木信綱

卯の花の匂ふ垣根に、時鳥

 

 

   早も來鳴きて、忍音もらす 夏は來ぬ。

 

 

 

 

さみだれの注ぐ山田に、賤の女が

 

 

   裳裾ぬらして、玉苗植うる 夏は來ぬ。

 

 

 

 

橘の薰る軒端の窓近く

 

 

   螢飛びかひ、おこたり諌むる 夏は來ぬ。

 

 

 

 

楝ちる川べの宿の門遠く、

 

 

   水雞聲して、夕月すずしき 夏はぬ。

 

 

 

 

五月やみ、螢飛びかひ、水雞なき、

 

 

   卯の花咲きて、早苗植ゑわたす 夏は來ぬ。

 

 

 

 

 

 

 

※ 語句の読みを、歴史的仮名遣いで記しておきます。( )内は現代仮名遣い。
    時鳥……ほととぎす。
    忍音……しのびね。
    賤の女……しづのめ(しずのめ)。(後に、「早乙女(さをとめ)」と改められた。)
    裳裾……もすそ。
    諌むる……いさむる。
    楝……あふち(おうち)。
    水雞……くひな(くいな)。
    五月……さつき。
    早苗……さなへ(さなえ)。


  (注) 1.  歌詞の本文は、講談社文庫『日本の唱歌〔上〕』明治篇(金田一春彦・安西愛子編。昭和52年10月15日第1刷発行、昭和57年7月30日第3刷発行)によって、『新編教育唱歌集 第五篇』(明治29年5月)のものを挙げました。 ただし、仮名遣いを引用者が歴史的仮名遣いに改めてあります。         
    2.  この歌の初出については、よく分からないところがありますので、もう少し調べてみます。(2024年1月5日)

 この歌の初出は、『新撰 国民唱歌』第二集(大阪 三木楽器店、明治33年(1900)6月14日発行)だそうです。後に、『新編教育唱歌集 第五篇』(明治29年5月)に収められました。歌の作曲者は、小山道之助。
 初出については、『新撰 国民唱歌』というページに詳しい説明が出ていますので、ご覧ください。
 →  『新撰 国民唱歌』
 
    3.  この歌の初出については、つぎの論考が参考になります。

 上田信道『唱歌「夏」と「夏は来ぬ」考(1)』「児童文学資料研究」№. 94 所収)
 上田信道『唱歌「夏」と「夏は来ぬ」考(2)』「児童文学資料研究」№. 95 所収)
 上田信道『唱歌「夏」と「夏は来ぬ」考(3)』「児童文学資料研究」№. 96 所収)
 
    4.   講談社文庫『日本の唱歌〔上〕』明治篇で、編者の金田一春彦氏は、「明治・大正のころの人で恐らく歌わなかった人は誰もいないだろうと思われる著名な唱歌。歌詞は日本の初夏の田園風物を描いて遺憾がなく、さすがに歌人佐佐木信綱の作である。曲もほとんど完全なヨナヌキ長音階でありながら、きめが細かく、単調さを感じさせず、美しい出来である。第二節の「賤の女」はのちに「早乙女」と改められた(後略)」と書いておられます。  
    5.   『二木紘三のうた物語』に、「夏は来ぬ」があります。
   →『二木紘三のうた物語』
夏は来ぬ
 
    6.  佐佐木信綱(ささき・のぶつな)=歌人・国文学者。三重県生れ。東大卒。父弘綱 の主宰した竹柏会を継ぎ、機関誌「心の花」を創刊。歌風は温和で平明。 万葉集の研究でも知られる。歌集「思草」、著「日本歌学史」など。文化勲章。(1872-1963)(『広辞苑』第6版による。)  
    7.  フリー百科事典『ウィキペディア』に、「佐佐木信綱」「夏は来ぬ」の項があります。
 フリー百科事典『ウィキペディア』
 → 
「佐佐木信綱」                                       
 → 
「夏は来ぬ」 
 
    8.  YouTube に、NHK東京放送児童合唱団による合唱「夏は来ぬ」があります。
 → YouTube
「夏は来ぬ」(合唱:NHK東京放送児童合唱団)
       
 
9.  「夏は来ぬ」の楽譜の石碑と作曲者小山作之助の胸像が、小山の母校の後身にあたる新潟県上越市立大潟町立中学校の校庭にあるそうです。
      *  *  *

 「内山米六「おもい草子」」というブログに、小山作之助の胸像と「夏は来ぬ」の楽譜の石碑の写真が出ていますのでご紹介します。 
  内山米六「おもい草子」
  → 小山作之助の胸像と「夏は来ぬ」の楽譜の石碑の写真 
         

 



   
        
       

       
 
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