一 朝の海べ
朝の潮風あびながら、 弟と二人、海べをかける。 しめつた砂をけりながら、 波うちぎはを、どんどんかける。
明かるい海だ、どこまでも。 地平線は銀色で、 空と海とがとけあつて、 明かるい海だ、どこまでも。
ぼくらは石を投げてみた、 「一二の三。」で投げてみた。 弟の石が海に落ち、 つづいてぼくのが海に落ち。
かもめが五六羽とんで來て、 波にゆられて浮かんでる。 水にもぐつてひよいと出て、 ひよいと浮かんでまたもぐる。
風に向かつてぼくたちは、 兩手をあげて息を吸ふ。 朝の海べはもう春で、 みんな樂しい、新しい。
二 潮 干 狩
海岸は、一面に潮が引いてゐて、もう大勢の人たちが、潮干狩をしてゐました。 先生は、私たち四年生の人員をお調べになつてから、次のやうにおつしやいました。 「これから潮干狩をするのですが、いつものやうに、四人づつ一組になつ て、仲よく貝をお取りなさい。さうして、海には、どんな生きものがゐる かを、よく氣をつけて見るやうになさい。」 勇さんと、正男さんと、花子さんと、私と、四人が一組になつて、ほり始めました。小さな熊手(くまで)で砂をかくと、かちりとさはるものがあります。三センチぐらゐのあさりでした。あさりは、こんな淺いところに、もぐつてゐるのかなと思ひながら、むちゆうになつてほつて行きました。おもしろいほど、たくさん出て來ました。 ほつたあとに水がしみ出て、まはりの砂が、少しづつくづれて行くので、手ですくつて、かい出しました。すると、小石のやうなものが、手にさはりました。砂を拂つてよく見ると、大きなはまぐりでした。はまぐりは、あさりよりも、少し深いところにゐることがわかりました。 「おや、こんな貝が出た。」 と、正男さんが、六七センチもある細長い貝を、みんなの前へ出しました。みんなは、 「何といふ貝だらう。」 といつて、いろいろ、貝の名前を思ひ出してみましたが、だれにもわかりません。 「先生に聞きに行きませう。」 と、花子さんは、その貝を持つて、先生のところへ走つて行きました。先生は、 「これは、いいものを見つけましたね。まてがひといふ貝ですよ。持つて歸 つて、みんなで標本を作つてごらんなさい。」 とおつしやいました。 私たちは、波うちぎはを、ぱちやぱちや歩きながら、子牛がねてゐるやうな岩の方へ行きました。 ひやりと、足にさはるものがありました。拾つて見ると、ぬらぬらした、茶色な海藻(かいさう)でした。はばの廣いひものやうな形をしてゐます。 「おや、春枝さんは、わかめを拾ひましたね。」 と、花子さんがいひました。私は、これがあの、おわんの中に浮いてゐるわかめかと思ひました。 「ぼく、こんなおもしろいものを見つけたよ。」 とうれしさうに笑いひながら、勇さんが走つて來ました。手には、葉の根もとにまるい玉のやうな袋のついてゐる、茶色な海藻を持つてゐました。 「おい、きみたち、このまるい玉を、みんなで持ちたまへ。いいかい。さ あ、指で勢よくつぶすのだよ。」 と、勇さんがいつたので、私たちは、みんな指先に力を入れました。「パチン。」と音がして、まるい玉がはじけました。 「おもしろいなあ。もう一ぺんやらう。」 と、みんなで、「パチン、パチン。」とつぶしました。 先生がごらんになつて、 「おもしろいことをしてゐますね。その海藻は、何だか知つてゐますか。」 とおたづねになりましたが、だれも知りません。 「ほんだはらといふものです。こんぶといつしよに、お正月のおかざりにす るでせう。」 と、先生がおつしやいました。 私たちは、先生といつしよに、岩のそばへ行きました。岩の間のすきとほつた水の中で、きれいな、六七センチばかりの魚が、からだをくねらせて、岩に生えた海藻の間を上手に泳いでゐました。べらといふ魚ださうです。 何とかしてべらを取りたいと思ひました。先生にお願ひしますと、先生は、たもで勢よく、さつとおすくひになりました。べらが、たもの中でぴちぴちとはねました。 海岸で、晝のおべんたうをたべました。 そのころから、潮がだんだんさして來て、私たちの歸る時には、あのあさりをほつたところも、海藻を拾つた波うちぎはも、もうすつかり、海の水でかくされてゐました。 三 光明(くわうみやう)皇后
聖武(しやうむ)天皇の皇后を、光明皇后と申しあげます。 そのころ、都は奈良(なら)にありました。野も、山も、木立も、みどりにかがやく奈良の都には、赤くぬつた宮殿や、お寺のお堂が、あちらこちらに見えてゐました。その中に、光明皇后のお建てになつた、せやく院といふ病院が立つてゐました。 せやく院には、大勢の病人がおしかけて、病氣をみてもらつたり、藥をいただいたりしてゐました。 「この子は、ひどい目の病で、ものが見えなくなりはしないかと心配しま したが、毎日、かうして藥をいただいてゐるおかげで、たいそうよくな りました。」 と、うれしさうにいふ母親もありました。 「私は、おなかの病氣で、長い間寝てゐましたが、このごろは、おかげで だいぶよくなりました。これも、みんな皇后樣のお惠みでございます。」 と涙をこぼして、ありがたがるおばあさんもありました。 光明皇后は、ときどき、この病院へおいでになつて、病人たちをお見まひになりました。やさしいおことばを、たまはることさへありました。 このやうに、しんせつにしていただくので、どんな重い病氣でも、きつとなほるといふうはさが、いつのまにか日本中にひろがりました。 光明皇后は、手足の痛む病人や、傷の痛みがなほらないやうな者のために、藥の風呂(ふろ)を作つておやりになりました。この風呂には、いつもあたたかい藥の湯が、あふれてゐました。 「皇后樣が、御自分で、病人のせわをなさるといふことだが、ほんたうだら うか。」 「こんなにしんせつにしていただいてゐれば、皇后樣におせわをしていただ くのと、同じことではないか。」 「まつたくその通りだ。うはさに聞けば、皇后樣は、千人の病人のせわをな さるといふ大願を、お立てになつたさうだ。ほんたうに、もつたいないこ とだ。」 このやうな話をしながら、藥の風呂にはいる病人が、いつも絶えませんでした。 光明皇后は、この藥の風呂へもおいでになつて、一人一人をしんせつおせわなさいました。
四 苗代のころ
春の少し暖い晩、「くく、くく。」と、蛙の鳴く聲がします。 そのころから、晝間は、廣いたんぼの一部で、もう苗代の仕事が始ります。黑い牛が、ゆつくりと引いて行くからすきのあとには、ほり返された新しい土が、暖い日光に照らされます。 土がほり返され、くれ打ちがすむと、田に水がなみなみと張られます。今度は、牛がまぐはを引いて、泥水の中を、行つたり來たりします。かうして、田の土は、だんだんこまかく耕されて行きます。 夜、遠くの田で鳴く蛙の聲が、「ころころ、ころころ。」と、にぎやかに聞え始めます。 種まきがすんで十日あまりたつたころ、淺い水の上に、二センチか三センチぐらゐの、若々しいみどりの苗が出そろつて行くのは、見ただけでも氣持のよいものです。ちやうど、たんざく形のみどりの敷物を、きちんと間を置いて、敷き並べたやうです。 苗が、二十センチぐらゐにのびて、葉先が、朝風にかるくゆれるやうになると、廣いたんぼは、しだいににぎやかになります。そろそろ、汗ばむくらゐ暑い日ざしを受けて、男も、女も、牛も、泥田の中で働きます。ここの田も、あそこの田も、ほり返した土のかたまりの間には、もうひたひたと、水がたたへられてゐます。 蛙のすみかが、かうして、たんぼいつぱいにひろがるのです。晝間は、働く人や、牛にゑんりよをするやうに、聲をひそめてゐますが、夕方から夜になると、さも自分たちの世界だといふやうに、さわぎたてます。家の前も、後も、横も、まるで夕立の降るやうに、蛙の聲でいつぱいです。靜かだといふゐなかの夜も、このころは、雨戸をしめてから、始めてほつとするほどです。 もうまもなく、田植が始ります。
五 笛の名人
笛の名人用光(もちみつ)は、ある年の夏、土佐(とさ)の國から京都へのぼらうとして、船に乘つた。 船が、ある港にとまつた夜のことであつた。どこからかあやしい船が現れて、用光の船に近づいたと思ふと、恐しい海賊が、どやどやと乘り移つて來て、用光をとり圍んでしまつた。 用光は、逃げようにも逃げられず、戰はうにも武器がなかつた。とても助らぬと覺悟をきめた。ただ、自分は樂人であるから、一生の思ひ出に、心殘りなく笛を吹いてから死にたいと思つた。それで、海賊どもに向かつて、 「かうなつては、おまへたちには、とてもかなはない。私も覺悟をした。私 は樂人である。今ここで、命を取られるのだから、この世の別れに、一曲 だけ吹かせてもらひたい。さうして、こんなこともあつたと、世の中に傳 へてもらひたい。」 といつて、笛を取り出した。海賊どもは、顔を見合はせて、 「おもしろい。まあ、ひとつ聞かうではないか。」 といつた。 これが、名人といはれた自分の最後の曲だと思つて、用光は、靜かに吹き始めた。曲の進むにつれて、用光は、自分の笛の音によつたやうに、ただ一心に吹いた。 雲もない空には、月が美しくかがやいてゐた。笛の音は、高く低く、波を越えてひびいた。海賊どもは、じつと耳を傾けて聞いた。目には涙さへ浮かべてゐた。 やがて曲は終つた。 「だめだ。あの笛を聞いたら、わるいことなんかできなくなつた。」 海賊どもは、そのまま、船をこいで歸つて行つた。
六 機 械
工場だ、 機械だ。 鐵だよ、音だよ。 どどどん、どどどん。
ピストン、 腕だよ。 あつちへ、こつちへ、 がたとん、がたとん。
車だ、 車輪だ。 ぐるぐる まはるよ。 ぐるぐる、ぐるぐる。
車輪と 車輪に、 皮おび すべるよ。 するする、するする。
齒車、 齒車、 齒と齒とかみ合ひ、 ぎりぎり、ぎりぎり。
動くよ、 音だよ、 鐵だよ、ぐるぐる、 がたとん、どどどん。
七 國旗掲揚(けいやう)臺 一 國旗掲揚臺のそばに、勇さんと、正男さんと、春枝さんの三人が集つて ゐる。三人とも、旗竿の先を見あげてゐる。 勇 「ずゐぶん、高いなあ。」 正男「どのくらゐあると思ふ。」 勇 「さあ、十四メートルぐらゐかな。」 正男「ぼくは、十三メートルないと思ふ。」 勇 「春枝さんは、どのくらゐ。」 春枝「さうね。十メートルぐらゐかしら。」 そこへ花子さんが來る。 花子「みんな、ここで何をしてゐるのですか。」 春枝「あの國旗掲揚臺の高さを、あててゐるのです。 花子さんも、旗竿の先を見あげる。 春枝「花子さんは、どのくらゐと思ひますか。」 花子「十一メートルはあると思ひます。」 春枝「あら、みんなちがひますね。だれが、いちばん正しいでせう。」 正男「何とかして、きちんと高さを計れないものかな。」 二 それから、三日ばかりたつたある日、正男さんが、自分のかげを見なが ら考へこんでゐる。 正男「けさは、ぼくのかげが、ずつと長くのびてゐたのに、今見ると、こん なに短くなつてゐる。ぼくのせいの高さに變りはないのに、かげだけ が、あんなにのびたりちぢんだりするのだな。」 正男さんは、あちらこちらと歩きながら考へる。しばらくして、 正男「待てよ、かげがのびたりちぢんだりしてゐる間に、ぼくのせいの高さ と同じ長さになる時が、あるにちがひない。いや、きつとあるはず だ。」 歩くのをやめて、立ち止る。急に思ひついたらしく、手をうつて、 正男「さうだ、さうだ。かうすればいいんだ。いい考へが浮かんだ。」 さもうれしさうに、にこにこする。 三 國旗掲揚臺の前に、みんな集つてゐる。 勇 「正男くん、わかつたつて、ほんたうにわかつたのか。」 正男「わかつた、ほんたうにわかつた。」 春枝「どうすればいいのですか。」 正男「まづ、ぼくのかげを計るのです。」 花子「かげを。」 正男「さう。」 勇 「きみのかげを計るんぢやないよ。あの國旗掲揚臺の高さを計るんだ よ。」 正男「まあ、待ちたまへ。かういふわけなんだ。 正男さんは、巻尺を勇さんに手渡して、 これで、ぼくのかげの長さを計つてくれたまへ。」 勇さんたちは、正男さんのかげを計る。 勇 「百二十八センチあるよ。」 花子「正男さんのかげを計つてから、どうしますの。」 正男「今、ぼくのかげが、百二十八センチあるでせう。ところが、ぼくのせ いの高さは、百二十四センチなんです。あとしばらくで、かげが百二十 四センチにちぢんで、ぼくのせいと同じ長さになります。」 勇 「わかつた、やつとわかつた。」 春枝「どうなるのですか。」 勇 「正男くんのせいと、かげの長さと同じになつた時刻は、あの國旗掲揚 臺の高さと、かげの長さが同じになるといふわけだらう。」 正男「さう、さう。」 春枝「それで、その時刻に、あの國旗掲揚臺のかげの長さを計るのです ね。」 正男「そのとほりです。」 勇 「うまいところに氣がついたな。」 花子「ほんたうですね。」 四 正男「さ、勇くん、ぼくが『ようし。』といつたら、國旗掲揚臺のかげの端 に、しるしをつけてくれたまへ。 勇さんは、國旗掲揚臺のかげのところへ行つて、しるしをつける用意 をする。 春枝さんと、花子さんは、ぼくのかげが百二十四センチになつた時、知 らせてください。」 二人は、巻尺を張つて見つめてゐる。まもなく、 春枝 花子「今、百二十四センチになりました。」 正男さんは、「ようし。」と叫ぶ。勇さんはしるしをつける。 勇 「さ、みんなで、いつしよに計つてみよう。」 みんな、「一メートル、二メートル、三メートル。」と聲を出して數へ る。 みんな「十メートル、十一メートル、十二メートル。」 勇 「ちやうど十二メートル。」 みんな「あれが十二メートルの高さかな。」 といつて、國旗掲揚臺の先を見あげる。
八 夏
じりじりと、 照りつける太陽。 ごみつぽいでこぼこの道を、 トラックが通る。
「カーン、カーン、カーン。」 けたたましい響きだ、 鐵工場の前。 その庭に、日まはりが咲いてゐる。
くろぐろと、 茂つた夏草。木立には、 蟬(せみ)が、 油を煮るやうに鳴きたてる。
「暑いなあ。」 だれもがさういふ。しかし、 夏ほど明かるくて、 さかんなものはあるまい。
九 油蟬(あぶらぜみ)の一生
油蟬の子は、土の中に住んでゐます。前足が丈夫ですから、けらや、もぐらのやうに、土の中を上手にもぐつて行きます。たいていは、木の細い根をぢくにして、まるい穴をほり、その中にはいつてゐます。油蟬の子の口には、針のやうな管がありますから、その管を木の根にさしこんで、汁を吸つて生きてゐます。 それにしても、この油蟬の子は、いつ、どこで生まれたのでせうか。 夏の末になると、親蟬は、木の皮にきずをつけて、その中に卵を生みます。卵は、そのままで冬を越して、あくる年の夏かへるのですが、その時は、二ミリぐらゐの小さな、白いうじのやうなものです。この小さな虫が、やがて木をおりて、いつのまにか、柔かい土の中にもぐりこんでしまひます。 最初は、淺いところにゐますが、年を取るにつれて、だんだん深いところへはいつて行きます。からだも大きくなり、形も色も、しだいに變つて、丈夫さうになります。 土の中へもぐつてから七年めに、やつと長い地下の生活が終るのです。そこで、油蟬の子は、深いところから、だんだん淺いところへ移つて、地上へ出る日の來るのを待つてゐます。 天氣のよい夏の夕方、油蟬の子は、今日こそと穴から地上へはひ出します。もう鳥などはたいてい寝てゐますが、それでも油蟬の子は用心して、急いで安全な場所をさがします。木とか、草とかにのぼつて、安心だと思ふと、前足のつめで、しつかりとそれにしがみつきます。すると、ふしぎにも、前足は堅くその場所にくつついて、動かなくなります。 そのうちに、堅いせなかの皮が縱に割れて、中からみづみづしいからだが現れます。すぐにせなかが出る。頭が出る。つづいて足が出て來ます。もう殘つたところは、腹の下の方だけです。 そこで、おもしろい運動を始めます。ぐつとそりかへるやうにして、頭を後へさげます。しばらくは、そのままで、じつと動かないでゐますが、やがて起き直つたと思ふと、からだは完全に拔け出します。しわくちやになつてゐた羽が、みるみる延びて來ます。 もう、蟬の子ではありません。色はまだ靑白くて、弱々しさうですが、形はりつぱな親蟬です。 夜風に當り、朝日に當ると、すつかり色が變つて、見るからに丈夫さうな油蟬になります。さうして、天氣のよい夏の日を、樂しさうに飛びまはり、鳴きたてます。 油蟬は、それから二三週間生きてゐます。滿六年といふ長い地下生活にくらべて、なんといふ短い地上の命でせう。ところで、この六年でさへ長いと思はれるのに、外國には、十何年も、土の中にもぐつてゐる蟬があるといふことです。
十 とびこみ臺
「向かふのとびこみ臺へ、泳いで行かう。」 といつて、本田くんといつしよに、肩を並べて泳いで行きました。 とびこみ臺の中段へあがつて、そこから、二人ともとびこみの練習をしましたが、本田くんの方が上手でした。 上のいちばん高い段からは、五年生の山本くんがとんでゐました。からだをぴんとのばして、臺の上から、まつさかさまに、水の中へずぶりとはいつて行くのは、いかにも愉快さうでした。 「わたなべくん、上の段からとばうよ。」 と、本田くんがいひましたので、いちばん上の段へのぼつて行きました。とばうと思つて下を見ると、何だかこはいやうな氣持がしました。 頭の上では、夏の太陽が、かんかんと照つてゐます。靑い波はきらきらと光つて、目が痛いやうです。 「おい、早くとびたまへ。きみがとばなければ、ぼくがとべないぢやない か。」 と、本田くんがいひました。 「よし。」 といつて、ちよつと下を見ると、足がぴつたり板について、離れないやうな氣がします。 空では、大きな入道雲が笑つてゐます。 「弱虫、早くとびたまへ。」 と、山本くんがいつたので、今度は、下を見ないで、向かふの山をじつと見つめました。 「えいつ。」 といひながら、思ひきつて、兩足で臺をけりました。 「あつ。」 と思つたその時、空と水がひつくり返つて、からだはもう水の中へもぐつてゐました。 水の上へ顔を出すと、本田くんと山本くんが、臺の上で笑つてゐました。 「おうい、ぼくのとび方は、どうだつたい。」 と聞きますと、二人は、 「よかつた、よかつた。うまかつたよ。」 とほめてくれました。 ぼくは、とびこみ臺の方へ泳いで行きました。
十一 千早城
楠木正成(くすのきまさしげ)がたてこもつた千早城は、けはしい金剛山(こんがうさん)にあるが、まことに小さな城で、軍勢もわづか千人ばかり。これを圍んだ賊は、百萬といふ大軍で、城の附近いつたいは、すつかり人や馬でうづまつた。 こんな山城一つ、何ほどのことがあるものかと、賊が城の門まで攻めのぼると、城のやぐらから大きな石を投げ落して、賊のさわぐところを、さんざんに射た。賊は、坂からころげ落ちて、たちまち五六千人も死んだ。 これにこりて、賊は、城の水をたやして、苦しめようとはかつた。 まづ、谷川のほとりに、三千人の番兵を置いて、城兵が汲みに來られないやうにした。城中には、十分水の用意がしてあつた。二日たつても、三日たつても、汲みに來ない。番兵がゆだんをしてゐると、城兵が切りこんで來て、旗をうばつて引きあげた。 正成は、この旗を城門に立てて、さんざんに賊のわる口をいはせた。賊が、これを聞いて、くやしがつて攻め寄せると、正成は、高いがけの上から大木を落させた。さうして、これをよけようとして、賊のさわぐところを射させて、五千人餘りも殺した。 この上は、ひやうらう攻めにしようとして、賊は、攻め寄せないことにした。 ある朝まだ暗いうちに、城中から討つて出て、どつとときの聲をあげた。賊は、「それ、敵が出た。一人ものがすな。」と押し寄せた。城兵はさつと引きあげたが、二三十人だけはふみとどまつた。賊が、四方からこれをめがけて押し寄せると、城から大きな石を四五十、一度に落したので、また何百人か殺された。ふみとどまつてゐたのは、みんなわら人形であつた。 もうこの上は、何でもかでも攻め落してしまへといふので、賊は、大きなはしごを作り、これを城の前の谷に渡して橋にした。幅が一丈五尺、長さが二十丈、その上を賊はわれ先にと渡つた。今度こそは、千早城も危く見えた。すると、正成は、いつのまに用意しておいたものか、たくさんのたいまつを出して、これに火をつけて、橋の上に投げさせた。さうして、その上へ油を注がせた。橋は、まん中からもえ切れて、谷底へどうと落ちた。賊は何千人か死傷した。 賊が、千早城一つをもてあましてゐると、方々で、官軍が、ひやうらうの道をふさいだので、賊はすつかり弱つた。百人逃げ二百人逃げして、初め百萬といつた賊も、しまひには十萬ばかりになつた。それが前後から官軍に討たれて、ちりぢりに逃げてしまつた。
十二 錦の御旗
大塔宮(だいたふのみや)は、北條(ほうでう)高時征伐のため、兵をお集めにならうとして、大和(やまと)の十津川(とつがは)から高野(かうや)の方へお向かひになつた。お供の者は、わづかに九人であつた。 途中には、敵方の者が多かつた。中にも、芋瀬(いもせ)の莊司(しやうじ)は、宮のお通りになることを知つて、道に手下の者を配つてゐた。 宮は、どうしても、そこをお通りにならなければならなかつた。 お供の中に、村上彦四郎(ひこしらう)義光(よしてる)といふ人がゐた。このへんの敵のやうすを探るために、思はず時を過して、宮のおあとから急ぎ足に道をたどつて來たが、ふと見ると、向かふに、日月を金銀で現した錦の御旗を、おし立ててゐる者がある。義光は、ふしんの眉(まゆ)をひそめた。あれこそは、大塔宮の御旗である。もしや、宮の御身に、何事か起つたのではなからうか。義光は、胸をとどろかした。 急いで近寄ると、芋瀬の莊司が、家來の大男に宮の御旗を持たせて、さもとくいさうに、何か聲高く話してゐるのに出あつた。 義光は大聲に、 「見れば尊い錦の御旗、どうしてそれを手に入れたのか。」 とつめ寄つた。 莊司は、わうへいに答へた。 「大塔宮を御道筋に待ち受け申し、この御旗を、この莊司が手に入れたの だ。」 義光は、かつと怒つた。 「それはけしからぬ。おそれ多くも宮の御道筋をふさいだ上に、錦の御旗を けがしたてまつるとは。」 と叫んで、御旗をうばひ取るが早いか、かの男をひつつかんで、まりのやうに投げつけた。 錦の御旗を肩にかけ、相手をにらみつけながら、おちつきはらつて、その場をたち去つた義光は、やがて宮に追ひつきたてまつつた。 大塔宮は、義光の忠義を心からお喜びになつた。
十三 母馬子馬
母馬子馬、 沼(ぬま)の岸、 夏のゆふべの柳かげ。
母が番して、 子の馬は、 ゆつくりゆつくり水を飲む。 まるくひろがる 水の輪が、 いくつも出ては消えるたび、
水にうつつた 三日月が、 ゆらゆら見えたりかくれたり。
母馬子馬、 沼の岸、 柳のかげが暮れて行く。
※ 第2連は、3行ずつ二つの連に分かれるのではないかと思われます が、原文のままにしてあります。
十四 くものす
二階の窓から見てゐると、大きなくもが一匹、すうつと、私の目の前へぶらさがつて來ました。私は、びつくりしました。 見ると、くもは、雨どひのところから、糸を引いておりて來たのです。さうして、そのまま、じつとして動かうともしません。これから、いつたい、何をしようとするのかと思ふと、私は、急におもしろくなつて來ました。 くもは、やがて後の方の足を動かして、おしりのところから、たくさんの細い糸を引き出し始めました。糸は、一センチ、二センチと、見るまに延びて、二メートルぐらゐになりました。何十本とも知れない細い、白い糸が、夕風にゆられながら、ふはふはと空中にただよつてゐるのは、ほんたうにきれいでした。 そのうちに、このたくさんの糸の中の一本が、向かふの柿の木の枝にくつつきました。くもには、それがすぐわかるものとみえて、しきりにこの糸を引つぱつたり動かしたりしてゐましたが、やがてそれを傳つて、向かふへ渡り始めました。さうして、風にゆられながら、やつと柿の木にたどり着きました。くもは、ほつと一安心したやうでした。 今度は、前の方の足をしきりに動かして、この糸を自分の方へたぐり始めました。すると、今までたるんでゐた糸が、だんだんまつ直になりました。かうして、雨どひと柿の木との間に、一筋の糸が、空中にぴんと張り渡されました。 くもは、この上を、いそがしさうに行つたり來たりして、すを作る仕事をつづけました。私は、くものりこうなのに、すつかり感心してしまひました。 晩になつて、また行つて見ますと、そこには、もうりつぱな網ができてゐました。
十五 夕 日
赤い大きな夕日が、今、西の遠い、遠い地平線に落ちて行くところです。 燒けきつた鐵のやうにまつかです。たらひほどに見える大きな圓の中には、何かとろとろと、とけた物が動いてゐるやうに見えます。 地上のみどりのあざやかなこと、美しいこと。遠くの木立や、家や、煙突が、くつきりと夕空に浮き出してゐます。 日は、ぐんぐんと落ちて行きます。一センチ、二センチと刻んで行くやうに、動くのがはつきりと見えます。もう、圓の下の端は、地平線にかかりました。 ずんずん、沈んで行きます。 圓は、しだいに半圓となりました。櫛(くし)ほどになりました。あ、とうとうかくれてしまひました。 日が落ちたあとの空は、なんといふ美しさでせう。今、日が沈んだばかりのところから、さし出たいく百筋のこまかい金の矢が、夕空を染めて、空は赤から金に、金からうす靑に、ぼかしあげたやうです。 あちらこちらに、眞綿を引き延したやうな雲が、金色に、くれなゐに、色づき始めます。 美しい空です。はなやかな空です。
十六 燕(つばめ)はどこへ行く
夏の末ごろ、燕が、電線や物干竿に、五六羽ぐらゐ並んで止つてゐるのを、よく見かけます。時には、十羽二十羽も、ずらりと並んでゐることがあります。その中には、親燕もゐますが、今年生まれた子燕が、たくさんまじつてゐます。もう大きさだけは、親燕と同じですが、まだ口ばしの下の赤色が、親燕ほどこくありません。口ばしの兩わきが、いくぶん、黄色に見えるのさへあります。 かうして、大勢の燕が並んでゐるのを見ると、何かしら、相談でもしてゐるやうに見えます。まもなく、去つて行かなければならない日本に、なごりを惜しんでゐるのかも知れません。これから行かうとする遠い國のことを、話し合つてゐるのかも知れません。 やがて、九月もなかばを過ぎると、燕は、そろそろ日本を去つて行きます。十月には、續々と去つて行きます。十一月の初めになれば、もうほとんど、その姿を見せなくなつてしまひます。 いつたい、どこへ行くのでせうか。 燕の行く先は、遠い、遠い南の海のかなたです。 東京から、四千キロもあるフィリピンで、ある年の十月の末、子どもが燕をつかまへました。すると、その右の足に、日本の文字を記した、小さな金屬の板がついてゐました。それによると、埼玉(さいたま)縣のあるところで、試みにしるしをつけて、はなしたものだといふことがわかりました。 しかし、燕はもつともつと、南へ飛んで行くのです。南洋の島々から、中には、さらに海を越えて、遠いオーストラリヤまで行くのがあるといふことです。 燕は、鳥の中でも、いちばん早く飛ぶ鳥です。汽車や自動車も、かなはないくらゐの早さですから、何百キロの海を、一氣に飛ぶことも、決してふしぎではありません。しかし、その中には、今年生まれた子燕がたくさんゐます。また、時にあらしや、そのほかの思ひがけない災難に、あはないともかぎりません。 昭和六年の秋のことでした。ヨーロッパのある國で、約十萬羽の燕が、急に落ちて來たことがあります。その年は氣候が不順で、九月の中ごろ急に寒くなり、雨が降り續きました。をりから南へ飛行中だつた燕は、食にうゑ、つめたい雨にずぶぬれになつて、もう、身動きもできなくなつてしまつたのです。そこで、その國の人々は、このつかれはてた鳥を拾ひ集めて、暖い家に入れてやり、食物を與へてやりました。さうして、つかれのなほるのを待つて、南の暖い國へ送つてやりました。何しろ十萬といふ數ですから、これを送るのはたいへんなことでした。九月の末から、十月の初めにかけて、汽車や飛行機で、何回にも送つたといふことです。 昔から、燕は、同じ家に歸つて來るといはれてゐます。つまり、今年ある家の軒下で巣(す)を作つた燕が、來年また、同じ巣へもどつて來るといふのです。近年になつて、いろいろな方法で、このことを調べてみますと、やはりさうであることがわかりました。ただ、あの小さなからだで、長い旅行を續けるせゐか、途中で死んで歸つて來ない燕も、かなり多いといふことです。 日本からオーストラリヤまでは、一萬キロ以上もありますが、燕は、決して自分の國を忘れません。日本に春が來ると思へば、もう矢もたてもたまらず、北をさして進むのです。その小さな胸には、若葉のもえる日本の春の美しさを、思ひ浮かべてゐるでせう。靑々と植ゑつけられた夏の稻田を、思ひ浮かべてゐるでせう。何よりも、あの家の軒下に作つた古巣が、なつかしいでせう。 春になると、だれもが、このめづらしいお客の歸つて來るのを、待ちこがれてゐます。ちらりと燕の姿を見た人は、きつと 「今日、始めて燕を見たよ。」 といつて喜びます。わけても、自分の家へ、いそいそと歸つて來た燕を迎へる人の心は、どんなにうれしいことでせう。
十七 バ ナ ナ
今日はバナナのお話をしませう。 あの黄色な皮をむくと、中から白い、柔かな實の出て來るバナナは、きつとみなさんのすきな果物(くだもの)にちがひありません。ところで、あのバナナが、どこでできるか、どういふ植物に生るか、みなさんはそれを知つてゐますか。 私たちのたべる、あの美しいバナナは、臺灣(たいわん)のゆたかな日光を受けて、育つた果物です。私たちが、「ばせう」といつてゐるものに、よく似た植物に生る果物です。 かういふと、みなさんは、臺灣にさへ行けば、バナナの木がどこにでもあつて、黄色なのを、そのまま取つてたべるのだなと思ふかも知れませんが、それは大きなまちがひです。 いくら臺灣でも、あの美しいバナナが、野生でできるのではありません。ちやうど、みなさんのたべる、おいしい梨(なし)や水蜜桃(すゐみつたう)などが、畠でだいじに育てられた木に生るのと同じことです。梨畠や桃畠へはいつて、枝のままもぎ取つてたべたら、みなさんはきつとしかられるでせう。臺灣のバナナにしても、それと同じことなのです。 臺灣では、よく山ぞひの土地に、バナナが植ゑてあります。ちよつと遠くから見ると、バナナの畠は、キャベツか、それとも、カンナでも作つた畠のやうな感じがします。それほど、あの大きな、ばせうに似た植物が、きちんと行儀よく、しかも、たくさん植ゑてあるのです。ところによると、何百メートルといふ高い山の斜面が、ほとんど全部、バナナ畠であることがあります。 これほどたくさん植ゑてあるバナナが、一本一本だいじにされてゐます。まはりの草を取つたり、肥料をやつたり、そのほか、いろいろせわをしてやるのです。實が生ると、梨や桃と同じやうに、袋まで掛けてやるのです。 バナナは、苗を植ゑてから早くて十箇月、あそくても一年二箇月たつと、數メートルの高さに成長して、花が咲きます。古い株を切つて出た芽は、それよりも早く成長して花が咲きます。 まづ、葉と葉の間から、太い、長い一本の軸(ぢく)が出ます。それが花の軸で、その先に、赤むらさき色の、大きな蓮(はす)のつぼみのやうなものがつきます。やがてそれが開くと、中に黄色な花が、矢車のやうに並んで咲きます。かうして、花が次から次へと、何段かに咲いて行つて、ふさのやうになります。 花が咲いてから三四箇月たつうちに、このふさがだんだん大きくなつて、それにぎつしりと、みなさんのたべる、あのバナナが生るのです。 バナナは、まだ靑いうちに取つてかごにつめ、船に積んで遠方へ送ります。靑いバナナは、むろへ入れて置くと、四五日のうちに、皮が黄色になり、おいしい味が出て來ます。 太陽のゆたかな熱と光とを吸つて、すくすくと育つた臺灣のバナナは、かうしてみなさんのお目にかかります。
十八 林 の 中
葉は落ちて 明かるきこずゑ、 林の中の 小道を行けば、 一足ごとに、 かさこそと 鳴る落葉。
たたずみて、 しばし聞きいる 林の奥の秋の靜けさ。 鳴くはいづこ、 ちち ちちと、鳥の聲。
見あぐれば 高きこずゑ、 小枝小枝は かすかにふるふ、 晴れたる空に、 細きこと 針のごとく。
十九 川 土 手 春來たときは 川土手に、 すみれの花が 咲いてゐた。 ゆらり ゆらゆら、春の水、 白い帆かげがうつつてた。
夏來たときは 土手の草、 ぼくのせいより 高かつた。 ちらと のぞいた大川に、 モーターボートが走つてた。
秋來たときは すすき原、 赤いとんぼが 飛んでゐた。 さやさやさやと 鳴る風に、 水は底まで澄んでゐた。
今は枯草、 川土手を、 寒い北風 吹きまくり、 ひたひたひたと、川の波、 あし間の舟に寄つて來る。
二十 振子時計
イタリヤのピサの町に、夕もやがこめて、日が靜かに落ちて行くころでした。 ガリレオといふ學生が、この町の有名な大寺院へ、お參りをしました。寺院の中は、もう、うす暗くなつてゐました。ちやうど今、番人が、ランプに火をつけたばかりのところでした。 天井からつるしてある、この大きなランプが、ふと、ガリレオの心をとらへました。 「おや。」 と思ひながら、そこに立ち止つて、じつと見つめました。 つるしたランプは、靜かに左右へ動いてゐます。それは、つい今しがた、番人が火をつけるために、手でさはつたからです。ガリレオがふしぎに思つたのは、そのランプの動き方でした。左から右へ、右から左へ、行つたり來たりするのに、その一回一回の時間が、どうやら同じであるやうに思はれてなりません。 「何かで、驗してみる方法はなからうか。」 しばらく考へてゐたガリレオは、やがて、自分の脈を取つてみました。 やつぱりさうでした。ランプが一回動くのに、脈が二つ打つと、次の動きにも、脈は二つ打ちます。おどろいたことには、ランプの動きがしだいに小さくなつて、のちにはかすかにゆれるだけですが、それでも一回の動きに、やはり脈は二つ打つといふぐあひでした。 ガリレオは、急いでうちへ歸りました。さうして、糸でおもりをつるして、同じやうなことを、何べんとなくやつてみました。 おもりを糸でつるして、それを動かすと、おもりは左右へ振ります。その糸を短くすれば、振り方が早く、長くすれば、振り方がおそくなります。しかし、糸の長さを、一メートルなら一メートルにきめておくと、おもりそのものは重くても輕くても、また、大きく動かしても小さく動かしても、振る時間は同じです。 十八歳の學生ガリレオは、このことを發見したのでした。それは、今から三百六十年ばかり昔のことです。 この發見があつてから、七十年餘り過ぎて、オランダのホイヘンスといふ人が、今までにない正確な時計を發明しました。それは、まつたくガリレオの、この發見を應用したものです。つまり、時計の機械に、振子を仕組んだもので、これが振子時計の始りです。
二十一 水 族 館
にいさんといつしよに、水族館へ行きました。入口のそばに池があつて、そこに、甲の長さが一メートルもある「うみがめ」が泳いでゐるのには、ちよつとびつくりしました。 中へはいつて、まづ目についたのは、室の窓ぎはに、いくつか並んでゐるガラスの箱でした。きれいな海の水が、こまかいあわをたてながら、どの箱にも注いでゐます。さうして、赤や、黄や、みどりの、何ともいへないほど美しいものが、その中にはいつてゐました。ぼくは思はず、 「きれいだなあ。何の花ですか、にいさん。」 といひますと、 「ほんたうにきれいだね。でも、花ぢやない。みんな海にゐる動物だよ。」 と、にいさんがいひました。 すきとほるやうなみどり色で、菊の花のやうに美しい形をしたのは、「いそぎんちやく」でありました。 ひのきの葉のやうな形で、黄色やえび茶色をしてゐるのは、「いそばな」でありました。 小さなきんせんくわが、むらがつて咲いてゐるやうなのは、「いぼやぎ」でありました。 「くらげ」もゐました。すきとほつた寒天のやうなからだから、腕が何本も出てゐます。ときどき、からだをしぼるやうにして、すいすいと浮きあがります。 「ああしてからだをしぼると、中の水が勢よく下へ出る。その反動で、く らげは運動するのだ。」 と、にいさんがいひました。 この室の中央に、直徑五メートルぐらゐの、まるい池があつて、中に、たくさんの「いわし」が泳いでゐました。二千匹はゐるだらうと、にいさんがいひました。このたくさんの「いわし」が、池のふちにそつて、みんな同じ方向へ泳いで行きます。一匹として、反對の方向へ進むものはありません。 「みんな、同じ方へ向かつて泳いでゐますね。」 「さうだ。さうして、よくごらん。外側をまはつてゐるものも、内側をま はつてゐるものも、そろつて同時に進んでゐるだらう。つまり、外側の ものは、大急ぎで進んでゐる、内側のものは、ゆつくり動いてゐる。そ れで、ちやうど内側も外側も、そろつて進めるのだ。」 次の室には、ガラスを張つた、大きな窓のやうなものが、順々に並んでゐて、そのガラス越しに、いろいろの魚のゐるのが見られました。「鯛」もゐました。「あぢ」もゐました。「かれひ」「たこ」、そのほか名前を始めて聞く魚が、たくさんゐました。 「鯛」は、なんといつても堂々としてゐます。五六十センチもあるのが、いういうと泳いで、ほかの魚などには、目もくれないといつたふうです。光線のぐあひで、せなかのあたりが、點々と空色に光るのが、ほんたうにきれいだと思ひました。 「あぢ」は、水の中にゐると、なかなか氣のきいた魚です。胸びれをすつと左右に張り、背びれ・しりびれを上下に張つて進むかつかうは、さかな屋の店先で見るのとは、まるでちがつた感じです。 それと似て、少し變つたのが「はうぼう」です。高いところから低いところへおりる時、その胸びれは扇(あふぎ)のやうにひろがります。ちやうど、グライダーが空中をすべるやうに、手ぎはよく水を切つて、おりて來ます。下へおりると、胸のところに足のやうなものがあつて、のこのこ歩くのにはおどろきました。 「かれひ」は、平たいからだをくねらせて泳ぎます。ほかの魚は、腹を下にし、背を上にして泳ぎますが、「かれひ」は、いつでもからだを横にしたまま、くねつて行きます。おもしろいのは、「かれひ」が、砂の中にもぐつてゐるやうすです。その平たいからだに、ちよつと砂をかぶると、上から見ても、どこにゐるのか見當がつきません。よくよく見ると、二つの目だけを砂の間から出して、きよろりきよろりと目だまを動かしながら、外を眺めてゐます。 「たこ」は、變つた活動をします。岩や砂の上を歩く時は、八本の長い足を上手にくねらせ、頭を横に傾けて進みます。にいさんの説明によると、「たこ」といふものは妙なもので、あの頭といつてゐる部分が實は胴で、頭は足のつけ根のところにあるのださうです。 「だから、歩く時、ああいふふうに頭が傾いて、へんなかつかうに見えるが、 あれは胴なのだから仕方がない。」 そのうちに、「たこ」が泳ぎ始めました。八本の足を一つにそろへ、胴を先頭に、まるで矢のやうに進みます。これが、「いか」だともつとすばらしいさうです。 「たかあしがに」といふ、大きなかにがゐました。左右の足をいつぱいに延したら、三メートルぐらゐはあるでせう。足の長い割合に、甲は小さいのですが、おもしろいのは、その口のところです。そこには、いろいろこみ入つた道具がついてゐますが、その上のところに、小さな觸角(しよくかく)があつて、それが、ちやうど人形のかはいらしい兩手を思はせます。しかも、その手は、ピヤノでもひくやうに、絶えず動いてゐます。 「かには、ピヤノの先生ですね。」 と、ぼくがいふと、にいさんは、 「それよりも、タイピストさ。」 と、いつたので、二人とも思はずふきだしてしまひました。
二十二 母 の 日
朝、目がさめたのは、五時過ぎであつた。ねえさんも起きるところであつた。ねえさんが、 「そうつと、靜かにお仕事をしませうね。一郎さんは、もう少したつて から起しませう。」 といつたので、私は、音のしないやうに起きて、着物を着かへた。こんなに早く起きることはめつたにないので、部屋の中が、いつもとは違つてゐるやうに思はれた。 ねえさんは、すぐに御飯をたき始めた。私は、飯臺を出してふいたり、みんなのお茶わんや、おはしや、おわんを並べたりした。それから一郎さんを起しに行くと、 「ねむいな。」 と大きな聲を出した。 「一郎さん、ゆうべのお約束よ。さ、靜かに起きませうね。」 といふと、 「ああ、さうだつた。」 といひながら、目をこすつて起きた。水で、じやぶじやぶ顔を洗つてから、 「ぼくは、庭はきをするのでしたね。」 と、一郎さんは、はうきを持つて、外へ出て行つた。 「ずゐぶん寒いな。」 そんなことをいつて、庭をはき始めた。 みんなが、いつしよに働いたので、朝の支度はすぐできあがつた。 「もうぢき六時ね。今日はお祝ひの日ですから、何か花をかざりたいも のですね。」 とねえさんがいつた。庭へ出て見ると、つばきが一りん咲きさうになつてゐた。それを折つて來ると、ねえさんが、 「きれいなつばきね。おかあさんのおすきな花だから、ちやうどいいで せう。」 といつて、一りんざしにさして、飯臺の上にかざつた。 そこへおかあさんが起きていらつしやつて、みんなのゐるのをごらんになつて、びつくりなさつた。 「まあ、けさはどうしたのです、こんなに早く起きて──それに、朝御 飯の支度もちやんとできて。」 一郎さんが、 「今日は母の日ですから、おかあさんのお手傳ひをしたのです。」 といつたので、おかあさんも、やつとおわかりになつた。 御飯の時、おかあさんが、おとうさんに、 「けさは、子どもたちが早く起きて、朝御飯の支度からお庭のさうぢま で、私の知らないうちに、すつかりしてくれたのですよ。」 とおつしやると、 「それは、えらい。感心なことだ。」 とおほめになつた。 その夜、みんなが集つてゐる時、一郎さんが、お座敷の眞中に立つて、 「ただ今から、母の日のお祝ひをいたします。初めに、ぼくが綴り方を 讀みます。」 といつて、綴り方を讀んだ。題は、「ぼくのおかあさん」といふのであつた。 私は國語の「水族館」を讀んだ。それからねえさんは、「母」といふ唱歌を歌つた。一郎さんがまた立つて、 「おしまひに、おかあさんに記念品をさしあげます。」 といつたので、おかあさんは、 「何をいただくのでせう。」 とにこにこなさつた。 一郎さんが、一枚の繪をさしあげた。 「おやおや、おかあさんをかいてくれましたね。これはありがたう。 一郎さん。」 次に、私が、自分でこしらへた前掛をあげた。おかあさんは、それをちよつとお當てになつて、 「よく似あひますね。かはいいぬひとりだこと。」 とおつしやつた。最後にねえさんは、ひもであんだきれいな買物袋をさしあげた。 「これは、いいものをもらひました。毎日の買物に持つて行きませう。」 と、うれしさうにおつしやつて、おとうさんにお見せになつた。 おとうさんは、 「これはこれは。今日はいい日だつたね。」 と、おかあさんにおつしやつた。
二十三 みにくいあひるの子
ゐなかは、いいお天氣であつた。麥畠は黄色く、からす麥はみどりであつた。野原には、かれ草が積みあげられ、こうの鳥は、長い、赤い足をして、歩きまはつてゐた。 畠や野原のまはりには、大きな森があり、森の中には、深いみづうみがあつた。 みづうみの、ごぼうの生えてゐる高いところに、一羽のあひるがすわつてゐた。それは、卵をかへしてゐるのであつた。けれども、親あひるはひなが出て來る前に、もうつかれきつてゐた。それに、たづねてくれるものも、まれであつた。ほかのあひるどもは、ごぼうの下にすはりこんでゐるよりは、みづうみでおよぎまはる方がすきであつた。 とうとう、一つ、一つと卵がわれた。「ぴいよ、ぴいよ。」と、どの卵からも、小さなひなのくびが、つき出してゐた。 「があ、があ。」と、親あひるがいふと、ひなたちは、すぐとび出して來た。さうして、みどりの葉の下で、まはりを見まはした。みどりは、目のためにいいから、親あひるは、見たいだけ見させてやつた。 「世界は、廣いものだなあ。」 と、ひなたちはいつた。 「これが世界だと思つてゐるのかい。世界は、庭の向ふがはで、ひろがつ てゐるのだよ。さあ、みんなそろつただらうね。」 といひながら、親あひるは立ちあがつた。 「いや、みんなではない。一ばん大きな卵が、まだ殘つてゐる。いつまで かかるのだらう。私は、もう、ほんたうにくたびれた。」 といつて、腰をおろした。 「どうだね。どんなふうだね。」 と、たづねて來た年よりのあひるがいつた。 「あの一つの卵に、長くかかるのですよ。こはれないのです。ちよつと見 てください。なんときれいなあひるの子ではありませんか。みんな父親 に似ていますよ。」 「その、こはれないといふ卵はどれかね。」 と、年よりのお客さんがいつた。 「これは、きつと七面鳥の卵だよ。私も一どそんなふうに、だまされたこ とがあつてね。そのひなたちには、しんぱいも、くらうもしました。な にしろ、水をこはがるのだから、どんなにしても、思ひきつて、はいる やうにしてやることができなかつたよ。私は、くわつ、くわつともなき、 こつ、こつともいつておしへたのだが、だめだつた。卵を見せてごらん。 さうだよ、それは七面鳥の卵だよ。そんなものは、ほつておいて、ほかの 子どもに、およぐことを敎へてやるがいいよ。」 「でも、もうすこし、だいてみませう。今までだいてゐたのだし、あと、四 五日はすわることもできますから。」 「それは、ごかつてに。」 年よりのあひるは、さういつたまま、どこかへ行つてしまつた。 それから二三日して、とうとう、その大きな卵がさけた。「ぴいよ、ぴいよ。」と、ひなはいつて、はつて出た。それは、ひどく大きなからだで、たいへんみにくいものであつた。 親あひるは、じつと、その子をながめた。 「これは、また、ひどく大きなひなだ。ほかのものは一羽だつて、こんなす がたをしてゐない。ほんたうに、七面鳥のひなかしら。なにしろ水に入れ てやらなければなるまい。」 あくる日は、いいお天氣で、太陽は、ごぼうの上を照らしてゐた。親あひるは、そのひなを、みんなつれて、水のところへおりて行つた。さつと音をたてて、水の中へとびこんだ。「くわつ、くわつ。」といふと、ひなたちも、一羽づつとびこんだ。水は、ひなたちの頭の上を流れたが、すぐに浮び出て來て、うまくおよいだ。みにくいあひるの子も、いつしよになつておよいだ。 「いや、七面鳥ではない。」 と、親あひるはいつた。 「あのうまく足を使ふやうす、あのしせいのいいのを見てもわかる。これは、 私の子だ。見るものの目のつけどころさへよければ、きれいな子なのだ。く わつ、くわつ。私についておいで。大きな世界の鳥小屋へつれて行つてあげ るからね。だが、私のそばにくつついてね。人にふまれないやうに、ねこに 氣をつけて。」 そこで、みんなは、鳥小屋を見にでかけた。そこには、二つの鳥の家族が、一つのうなぎの頭のことで、あらそつてゐた。さうして、親あひるにつれられたひなたちが、通つて行くと、一羽の鳥が、 「あれを見るがいい。あの、あそこにゐるあひるの子だよ。なんといふかつか うなんだらう。」 といふと、もう一羽の鳥が、とんで來て、そのみにくいあひるの子のくびすぢにかみついた。 「ほつておいてください。だれにも、わるいことをしないのですから。」 と、親あひるがいつた。 「あんまり、大き過ぎて、みつともないから、まあ、かみつきたくなるんだ よ。」 年よりのあひるは、 「あの一羽をのぞいたほかは、みんないい子だ。あれだけは、しくじつた ね。」 といつた。すると、親あひるは、 「あれは、美しくはありませんが、たちは、ほんたうにいいのです。それに、 ほかのものと同じやうにおよぎます。ほかのものよりうまくおよぐといつて も、いいぐらゐなのです。大きくなれば、きつと、美しくもなるでせう。卵 の中にあんまりながくゐたので、あたりまへにできてゐないのです。」 といつて、かばつた。 みにくいあひるの子は、あひるの仲間から、わる口をいはれるばかりでなく、にはとりからも、打たれたり、つつかれたりした。七面鳥は、ほに風をうけた舟のやうに、からだをふくらませて、向つて來た。「があ、があ。」といつて、顔をまつかにしてやつて來た。 あはれなあひるの子は、立つてゐた方がいいか、歩いてゐた方がいいかさへも、わからなかつた。すがたがみつともないばかりに、みんなから、しかりとばされるので、しみじみとなさけなく思つた。このやうにして、初めの日は過ぎた。 それからのちは、わるくなるばかりであつた。おしまひには、自分の兄や姉からまで、 「おまへなんかは、ねこに食はれてしまへばいい。」 といはれた。親あひるですら、 「遠いところにゐてくれさへすればいい。」 といつた。 かうして、あひるにはかみつかれ、にはとりにはこづきまはされ、ゑさをくれる娘には、足でけとばされた。 そこで、みにくいあひるの子は、かきをとび越えて、逃げ出した。すると、草むらにゐた小鳥が、恐れて飛びたつた。 「これも、自分がみつともないばかりに──。」 と、あひるの子は思つた。さうして、目をふさいだ。が、またさきへとんで行つた。 かうして、大きなぬまのあるところへやつて來た。そこには、かもが住んでゐた。あひるの子は、ここで、一晩横になつた。つかれて、氣が沈んでゐた。 朝がた、かもがとび起きた。さうして、新しい仲間のものを見た。 「おまへさん、おまへさんはよほどみにくいね。」 と、かもがいつた。 あひるの子は、このあしの間で、横になつてやすみたいと思つた。また、ぬまの水を飲ませてもらひたいとも思つたが、それも許してもらへさうもなかつた。 それから二日間、ここでそつと、かくれてゐた。 すると、そこへ、二羽のがんがやつて來た。どちらも、卵からはひ出してから間のないものであつた。 「おい、きみ。」 と、その一羽がいつた。 「きみは、じつにみにくいから、氣に入つたよ。どうだ、われわれといつしよ にでかけて、渡り鳥になる考へはないかね。きみは、みつともないから、い いしあはせにであふかも知れないよ。」 この時である。「ぽん、ぽん。」と、空でなつた。さうして、二羽のがんは、ぬまの中に死んで落ちた。「ぽん、ぽん。」と、またなつた。 がんのむれは、そろつて、あしの間から飛びたつた。また、音がひびいた。ものすごい鳥うちが、はじまつてゐたのである。 かりうどは、ぬまのまはりに、待ちぶせしてゐた。あしの上にひろがつてゐる木の枝にも、すわつてゐた。靑いけむりが、暗い木の間から、雲のやうにたちあがつた。 かり犬が、ぴしやつ、ぴしやつと、ぬまぢへはいつて來た。 あはれなあひるの子は、きもを、つぶした。頭をねぢ曲げて、それを、つばさの中に入れた。ところが、ちやうどその時、恐ろしい大きな犬が、そのすぐそばに立つてゐた。したは口からたれて、目はみにくく光つてゐた。鼻をあひるの子のそばにつきつけて、齒をむいた。それから、ぴしやつ、ぴしやつと、どこかへ行つてしまつた。 「ああ、ありがたい。」 あひるの子は、ためいきをついた。 「自分がみにくいので、犬もかみつかうとしない。」 しばらく、じつと、靜かにしてゐた。その間も、たまの音は、あしの間になり響き、鐵ぱうはひきつづいて火ぶたをきつた。日の暮になつて、やつと、ひつそりした。しかし、あはれなあひるの子は、起きあがる氣にもなれなかつた。いく時間もたつてから、やうやくあたりを見まはし、それから、できるだけ早く、ぬまぢの外へ逃げて行つた。野や草原を越えて、どんどん走つて行つた。あらしが、吹きまくつてゐたので、一つのところから、ほかのところへたどりつくには、たいへん骨が折れた。 暮れがたになつて、あひるの子は、ある、小さな、まづしい農家の小屋へやつて來た。小屋はひどくあれてゐて、どつちへ倒れるかわからなかつた。風がひどいので、あひるの子は、立つことはできず、すわりこんでしまはなければならなかつた。あらしは、ますますはげしくなつて來た。 あひるの子は、小屋の入口の戸が、すこし開いてゐるのを見つけたので、そこから、中へはいつて行つた。 中には、一人の女が、ねことにはとりと、いつしよに、住んでゐた。ねこは、ソニイといつて、せ中を丸くしたり、のどをならしたり、火花を出すことさへできた。にはとりは、足の短い、こびつちよといふ名で、いい卵を生んだ。女は、このねことにはとりを、自分の子のやうに、かはいがつた。 朝になつて、よそから來たあひるの子は、すぐに見つけられた。ねこはのどをならし、にはとりは、こつ、こつとさわいだ。 「なんだらう。」と、女は、ふしぎに思つて、あたりを見まはした。けれども、よく見えなかつたので、どこからかまよひこんだ、ふとつたあひるだと思つた。 「これは、たいしたまうけものだよ。これからは、あひるの卵もたべられる。 をすでなければいいが、まあ、かつておいてみよう。」 と、女がいつた。 そこで、あひるの子は、三週間ばかり、ためしにおいてもらつた。しかし、卵を生まなかつた。そればかりでなく、ねこやにはとりとは、まつたくちがつた考へを持つてゐた。 にはとりは、 「おまへさんは、卵を生むことができるかい。」 と、あひるの子にたづねる。 「いいえ。」 「ぢや、お願ひだから、口を出さないでほしいね。」 すると、ねこがいふ。 「おまへさん、せなかをまるくしたり、のどをならしたり、火花を出したりす ることができるかい。」 「いいえ。」 「それなら、かしこい人たちがものをいつてゐる時に、自分の考へなどは、い へないのだよ。」 それで、あひるの子は、すみつこにすわつてばかりゐた。そこへ、さわやかな空氣と日の光が流れて來た。あひるの子は、急におよぎたくなつたので、にはとりに、思はずその話をした。 「おまへさん、なにを考へてゐるの。」 と、にはとりはさけんだ。 「おまへさんは、することがないから、そんなことを心に考へるのだよ。のど をならすか、卵を生みなさい。さうすれば、そんなことは考へなくなつてしま ふよ。」 「でも、水の上をおよぐのは、いい氣持ですからねえ。それに、水の下へもぐ つて、底へ行くと、それは、さつぱりしますよ。」 「おまへさん、氣がくるつたのだよ。ねこに聞いてごらん。水の上をおよいだ り、もぐつたりするのが、いい氣持か、どうか。それから、うちのおばあさん に聞いてごらん。世界中で、あの人ほどりかうな人は、ありはしないから。」 「あなたは、私のいつてゐることが、おわかりにならないのです。」 「おまへさんのいふことが、わからないつて。ぢや、だれにわかるのかね。私 のことはいはないとしても、おまへさん、ねこやおばあさんよりかしこいと は、思つてゐないだらうね。うぬぼれてはいけないよ。人がしんせつにしてあ げる時は、喜ぶものですよ。暖かなへやにはいつてさ、ものごとを敎へてもら へる人たちの仲間入りをしたんだもの。それなのに、おまへさんは、口數が多 過ぎる。だから、おまへさんとおつきあひするのがいやなのさ。ほんたうです よ。ためを思つていつてゐるのですよ。いやなことをいふやうだが、それは、 いい友だちは、みなさうしたものだよ。まあ卵を生むか、のどをならしたり、 火花を出すことを、せい出して、勉強するのだね。」 「私は、廣い世界に出たいと思つてゐるのです。」 「どうぞ、かつてにおいでよ。」 そこで、あひるの子は、でかけて行つた。さうして、およいだり、もぐつたりした。けれども、すがたがみつともないので、いろいろな動物たちから、のけものあつかひにされた。 秋が來た。森の木の葉が、こがね色や、茶色になつた。雲は、あられや雪で重くなつて、低くたれてゐた。 ある夕暮、太陽が美しくしづむ時であつた。草むらから、大きな、りつぱな一むれがやつて來た。まぶしいほど白い鳥で、長くて、よく曲るくびを持つてゐた。それは、白鳥であつた。白鳥は、みごとな羽をひろげ、この寒い國から、暖かい國、廣いみづうみへと飛んで行つた。高く、高くのぼつて行つた。あひるの子は、それを見て、ふしぎな氣持になつた。あひるの子は、水の上を、車のやうにくるくるまはり、そのくびを白鳥の方にさしのべ、自分でもおどろくほど、へんな、大きな聲を出した。あひるの子は、あの美しい、しあはせな白鳥を、忘れることはできなかつた。さうして、白鳥たちが見えなくなると、すぐ、水のどん底まで、もぐつて行つた。 あひるの子は、あの鳥の名も、どこへ飛んで行つたのかといふことも、知らなかつた。しかし、今までに、だれをなつかしく思つたよりも、あの鳥をなつかしがつた。けつして、うらやましく思つたのではない。どうして、あの鳥の持つてゐるやうな美しさを、持つたらなどと望まれよう。 そのうちに、寒い冬が來た。あひるの子は、水のおもてが、すつかりこほつてしまはないやうに、水の中をおよぎまはらなければならなかつた。しかし、一晩ごとに、そのおよぎまはるあなが、だんだん小さくなつて行つた。あひるの子は、あながこほつてしまはないやうに、いつも足を使つてゐなければならなかつた。とうとう、つかれはてて、氷の中にとぢこめられたまま、身動きもせず、倒れてしまつた。 よく朝、早く、一人の農夫が來かかつた。あひるの子を見つけて、木ぐつで氷をくだき、うちへつれて歸つた。すると、あひるの子は、生きかへつた。子どもたちは、いつしよに遊ばうとしたが、あひるの子は、またいぢめられるかと思つて、恐ろしさのあまり、牛乳なべの中へとびこんだ。たちまち牛乳が、へや中に流れたので、おかみさんは、手をたたいておこつた。そこで、あひるの子は、バターを入れてあるたるの中へとびおり、こんどはまた、こなをけにはいつてしまつた。おかみさんは、聲を張りあげ、火ばしであひるの子を打つた。子どもたちは、あひるの子をつかまへようとして、ころげまはつて、笑つたりさけんだりした。うんよく、その戸が開いてゐたので、あひるの子は、雪の中の草むらへはいりこんだ。そこで、つかれきつて、横になつてゐた。 あひるの子が、きびしい冬の間どんなに苦しんだか、ここで話をすることは、あまりにかはいさうである。 太陽が照りはじめ、ひばりが歌ひ出した時、あひるの子は、ぬまの草むらの中で、横になつてゐた。美しい春であつた。 すると、とつぜん、あひるの子は、つばさをばたつかせることができた。前より強く空氣を打ち、飛ぶことができた。どうして、こんなになつたのかわからないうちに、大きな庭の中に來てゐた。そこには、にはとこの木がかんばしくにほひ、その長いみどりの枝は、流れる水の上にのびてゐた。ここは、ほんたうにきれいで、春の喜びがあふれてゐた。 ところが、木のしげみから、二、三羽の美しい白鳥があらはれて來た。白鳥は、つばさをさらさらとならし、輕く水の上をおよいでゐた。あひるの子は、そのみごとな鳥を知つてゐた。さうして、なんだか悲しい思ひが、こみあげて來た。 「私は、あのけだかい鳥のところへ飛んで行かう。私のやうなみつともないも のが、おくめんもなく近づいて行くのだから、殺されるかも知れない。しか し、かまはない。仲間に追ひかけられたり、にはとりに打たれたり、女の子に つきのけられたり、冬中ひもじい思ひをしたりするよりは、あの鳥に、殺され た方がましだ。」 さういつて、水の中にとびこみ、白鳥の方におよいで行つた。 白鳥は、あひるの子を見た。さうして、羽をひろげて、ゆつたりと近づいて來た。 「──。」 あはれなあひるの子は、殺されるものと思ひながら、水の上に、頭をたれた。そのとたん、すみきつた水の上に、自分のすがたのうつつてゐるのを見た。それは、ぶかつかうな、みつともないあひるの子ではなかつた。白鳥であつた。 生れが、白鳥の卵であつてみれば、あひるの小屋に生れても、さしつかへはない。白鳥は、その受けて來たまづしさとふしあはせとを、かへつて喜んだ。今は、その身をとりまくりつぱなものの中に、しみじみと幸福をさとつたのである。 大きな白鳥たちは、そばへおよいで來て、くちばしで輕くなでてくれた。 小さな子どもが來て、水に、パンや、麥を投げてくれた。一ばん小さい子どもが、 「あすこに新しいのがゐるよ。」 とさけんだ。するとほかの子どもたちも、 「さうさう、新しいのが來た、來た。」 と喜んだ。子どもたちは、手をたたいて、をどりまはつた。おとうさんや、おかあさんのところへ、走つて行つた。パンやおかしを投げてよこした。みんなは、 「新しいのが、一ばんきれいだ。」 といふと、年をとつた白鳥が、新しい白鳥の前に來て、頭を下げた。新しい白鳥は、すつかりはぢ入つてしまつた。どうしていいのかわからないので、つばさの中に頭をかくした。ほんたうに幸福であつたが、すこしもいばらなかつた。そのむかし、いぢめられたり、あざけられたりした時のことを考へた。それが、今では、すべての鳥の中で、一ばん美しいといはれる身の上になつたのである。にはとこの木でさへ、新しい白鳥の前に枝をかがめた。太陽は、暖かくおだやかに照らした。すると、つばさが、さらさらと音をたてた。わかい白鳥は、そのほそながいくびをあげて、心の底から喜ばしさうにさけんだ。 「私が、まだ、みにくいあひるの子であつた時、こんな幸福があらうなどと は、ゆめにも思はなかつた。」
[奥付]
(「十 とびこみ臺」までが「第四學年前期用(第一分冊)」)
[第一分冊の奥付] 昭和21年3月 2日 飜刻印刷 昭和21年3月20日 飜刻發行 (昭和21年3月2日文部省檢査濟) 初等科國語三 第四學年前期用(第一分冊) (新) 定 價 金五拾錢 著作權所有 著作兼發行者 文 部 省
東京都王子區堀船町一丁目857番地 飜刻發行兼印刷者 東 京 書 籍 株 式 會 社 代表者 井 上 源 之 丞 東京都王子區堀船町一丁目857番地 印刷所 東 京 書 籍 株 式 會 社 ─────────────────────────── 東京都王子區堀船町一丁目857番地 發行所 東京書籍株式會社
Approved by Ministry of Education (Date Mar. 2, 1946)
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