資料500 「天に張り弓」(『枕草子』のなぞなぞ)



        
『枕草子』の「殿などのおはしまさで後」の段の後半に出ているなぞなぞの話を掲げました。



         天に張り弓       『枕草子』のなぞなぞ

(わらは)に教へられしことなどを啓すれば、いみじう笑はせたまひて、宮「さることぞある。あまりあなづる故事(ふるごと)などは、さもありぬべし」などおほせらるるついでに、宮「なぞなぞ合(あはせ)しける、方人(かたうど)にはあらで、さやうのことにりやうりやうじかりけるが、『左の一はおのれいはむ。さ思ひたまへ』など頼むるに、さりともわろきことはいひ出(い)でじかしと、たのもしくうれしうて、みな人々作り出(い)だし、選(え)りさだむるに、『そのことばをただまかせてのこしたまへ。さ申してはよもくちをしくはあらじ』といふ。げにとおしはかるに、日いと近くなりぬ。人々『なほこのことのたまへ。非常(ひざう)に、おなじこともこそあれ』といふを、『さは、いさ知らず。な頼まれそ』などむづかりければ、おぼつかなながら、その日になりて、みな方(かた)の人、男(をとこ)女居(ゐ)わかれて、見證(けんそ)の人などいとおほく居竝(ゐな)みてあはするに、左の一いみじく用意してもてなしたるさま、いかなることをいひ出でむと見えたれば、こなたの人、あなたの人、みな心もとなくうちまもりて、『なぞ、なぞ』といふほど心にくし。左の一『天に張り弓』といひたり。右方の人はいと興ありてと思ふに、こなたの人はものもおぼえず、みなにくく愛敬(あいぎやう)なくて、あなたによりてことさらに負けさせむとしけるをなど、かた時のほどに思ふに、右の人、『いとくちをしく、をこなり』とうち笑ひて、右の一『やや、さらにえ知らず』とて、口を引き垂れて、『知らぬことよ』とてさるがうしかくるに、籌(かず)ささせつ。右の一『いとあやしきこと、これ知らぬ人はたれかあらむ。さらに籌(かず)ささるまじ』と論ずれど、左の一『「知らず」といひてむには、などてか負くるにならざらむ』とて、つぎつぎのもこの人なむみな論じ勝たせける。『いみじく人の知りたることなれども、おぼえぬときはしかこそはあれ。なにしにかは、知らずとはいひし』と、後(のち)にうらみられけること」などかたり出でさせたまへば、御前(おまへ)なるかぎり、女房「さ思ひつべし。くちをしういらへけむ。こなたの人のここちうち聞きはじめけむ、いかがにくかりけむ」なんど笑ふ。これは忘れたることかは、ただみな知りたることとかや。


  (注) 1.  上記の「「天に張り弓」(『枕草子』のなぞなぞ)」の本文は、日本古典全書『枕草子』(田中重太郎校註、朝日新聞社・昭和22年6月25日初版発行、昭和31年5月15日第6版発行) によりました。
 日本古典全書『枕草子』の本文は、三巻本系統第1類に属する陽明文庫蔵三冊本(旧二冊本)を底本とした、と同書の凡例にあります。      
   
    2.  最後のところに「これは忘れたることかは」とある「かは」は、底本をはじめ三巻 本系統の本には「か」を欠いていて、「これは忘れたることは」となっているそうです。日本古典文学大系の校異に、「〇かは─は(底・三本ホボ)。かは(能本)」と あり、新日本古典文学大系の脚注に、「能因本により補う」とあります。
 また、日本古典文学大系の頭注には、「ただみな知りたることとかや」の末尾が能因本には「ことにや」となっている、とあります。
   
    3.   「殿などのおはしまさでのち」の段は、日本古典全書『枕草子』(田中重太郎校註、朝日新聞社・昭和22年6月25日初版発行、昭和31年5月15日第6版発行)では138段、岩波の日本古典文学大系本では143段、同じく岩波の新日本古典文学大系本では136段になっています。         
    4.   「童(わらは)に教へられしこと」とあるのは、清少納言が道隆の没後、彼女が同僚の女房たちから道長方に内通していると噂され、里に下がって不快な日々を送っていたときに、中宮定子から、山吹の花びらただ一重を包んだ文(ふみ)が届けられ、そこには、「いはで思ふぞ」とだけ書いてあった。清少納言がこの歌の上の句を忘れていて、「口元まで出かかっているのに言い出せないのは、どうしてなのかしら」と言うのを聞いた、前に座っていた童女が、「『下ゆく水』と申します」と言った、ということを指しています。「心には下行く水のわきかへりいはで思ふぞいふにまされる」(古今六帖・五)。    
    5.   「天に張り弓」について、日本古典全書本の頭注に、「弓張月。弦月。これを三日月と解くことは小児でも知っているやさしい謎である」、日本古典文学大系本の頭注に、「上弦または下弦の月をいう。最も初歩の謎」、新日本古典文学大系本の脚注に、「弓張月、つまり上弦下弦の月を心(解答)とする謎で、最も平凡なもの」とあります。    
    6.   本文の終わり近くの「さ思ひつべし」を、日本古典全書本と新日本古典文学大系本では、女房の言葉と見ていますが、日本古典文学大系本では、これを地の文として読んでいます。
 〇日本古典全書本:御前(おまへ)なるかぎり、女房「さ思ひつべし。くちをしういらへけむ。こなたの人のここちうち聞きはじめけむ、いかがにくかりけむ」なんど笑ふ。
 〇日本古典文学大系本:御前(おまへ)なる限(かぎ)り、さ思ひつべし。「くちをしういらへけん」「こなたの人の心地、うち聞きはじめけむ、いかがにくかりけむ」なんどわらふ。
 〇新日本古典文学大系本:おまへなるかぎり、「さ思(おもひ)つべし」「くちお(を)しういらへけん」「こなたの人の心ち、うち聞きはじめけむ、いかゞにくかりけん」なんど笑ふ。
   
    7.  終わり近くにある「これは忘れたることかは」について、日本古典全書本の 頭注に次のようにあります。
 「このお話の右の一番は、「天に張り弓」の解を忘れてゐたのではない。自分は「いはでぞ思ふ」の上の句を忘れたのだが。 底本をはじめ三巻本系統本には「かは」の「か」 がない。その本文によると、以下終まで、この話は、「自分が忘れたことはみな人が知 つてゐることだ」といはれる例であらうか、などの意となるが、しばらく本文を改めて通説にしたがつた。しかし、「ただみな……」への接続は未だ穏当でない。」
 日本古典文学大系本の頭注には、「この例は私の場合のように忘れて失敗したのではない、ただ誰も知っているので油断したためと思われるが」とあります。
 新日本古典文学大系本の脚注には、「「これは」以下、中宮の話に対する 「おまへなるかぎり」の女房たちの反応を見ての思いであろう。でもこのお話は忘れた失敗談ではなくて、皆知っての失敗談だと私には思えるけれど、の意。女房たちにはわだかまりを捨て切れず同調できない気持の反映、と思われる」とあります。
   
    8.  清少納言の度忘れの話と謎合わせの話との関係について、日本の文学 古典編『枕草子 下』の著者・鈴木日出男氏は、次のように述べておられます。
 中宮は、謎合せに勝った男の話を長々と語る。この作者が名高い歌を度忘れしたのとは逆に、周囲の意表をついて誰もが知る謎を出題してかえって勝ちを得たという話である。一見この場には関連なさそうにみえるこの話は、しかし作者をさりげなく引き立てていることになる。自分への嫌疑を晴らそうとしないばかりか、誰もが知る歌をも失念してしまい、あたかも言葉を忘れたかのような作者を、中宮はいたわり励ましているのである。(中略)この章段の前半と後半とは、度忘れが 話の契機になっているぐらいの関連性しかない。論理的な結構などとはほど遠い。しかしながら、これははじめから、主家の悲運の現実の真相を探り出したり、中傷される自分の真意を明らかにしようとする文章であろうとはしていまい。それよりも、中宮をはじめとする人々との共感の瞬時瞬時が、自己を生かす力であるという価値観を先行させているのである。女房たちからの嫌疑をあれほどまでに悩んでいたにもかかわらず、そうした苦しみや悩みなどを一言も述べずに終わっている。(同書、83~84頁)
   
    9.   現代語訳を付けておきます。ただし、本文に一部、意味の取りにくいところがあり、その部分の解釈はいろいろありますので、ご注意ください。
 なお、現代語訳にあたっては、下記の書物を参考にさせていただきました。 
 〇日本古典全書『枕草子』(田中重太郎校註、朝日新聞社・昭和22年6月25日初版発行、昭和31年5月15日第6版発行)
 〇日本古典文学大系19『枕草子 紫式部日記』(池田亀鑑・岸上愼二・秋山虔 校注、岩波書店・昭和33年9月5日第1刷発行、昭和38年10月30日第5刷発行)
 〇日本の文学 古典編『枕草子 下』(鈴木日出男 校注・訳、ほるぷ出版・昭和62年7月1日初版第1刷発行)
 〇新日本古典文学大系25『枕草子』(渡辺 実・校注、岩波書店・1991年1月18日第1刷発行) 

    *  *  *  *  * 

 童女に上の句を教えられたことなどを申し上げると、中宮様はたいそうお笑いになって、「よくそういうことがあるものですよ。あまり知りつくして馬鹿にしている古歌などは、きっとそういうこともあるでしょう」などとおっしゃって、そのついでに、「なぞなぞ合わせをしたときに、左方・右方のどちらのひいきの人でもなかった人で、そうしたなぞ合わせに達者だった人が、『左の一番は、私が出しましょう。そうご承知おきください』などと、みんなを頼みに思わせるので、いくらなんでもへたなことは言い出すまいと、頼もしくうれしくなって、みんなでなぞなぞを作ってその中から選定するときに、『そのなぞの言葉は、そのまま残しておいて私にお任せください。そう申している以上、決して不都合なことはしません』と言います。いかにもその通りだろうと思っているうちに、なぞなぞ合わせの当日が近づいてきました。『やはり、そのなぞの文句を言ってください。ひょっとして、同じなぞの文句ででもあったら大変です』と言うのを、『それじゃあ、もう知りません。お頼みにならぬがよいでしょう』などと腹を立てましたので、不安な気持ちのまま当日になって、みんな左方・右方の人が男女ともに分かれて座り、勝負を見届ける審判人などが大勢並んで座ってなぞ合わせを始めたところ、例の左の一番の人が十分に用意をして準備した様子は、どんなことを言い出すのだろうと期待を持たせるように見えましたので、味方も敵もみんなが待ち遠しくどうなることかと見つめていた中で、『なぞ、なぞ(これから出す問題の答えは何だ、何だ)』と言いましたときの様子は、自信たっぷりでした。すると、左一番の人は、『天に張り弓』と言ったのです。右方の人は、子どもでも知っている易しいなぞなので、勝ったも同然なので、たいそうおもしろいことを言ったものだ、と思いましたが、味方の左方の人は茫然として、みんな憎く不快になって、さては先方の右方に通じてわざとこちらを負けさせようとしたのだな、と一瞬そう思ったのですが、右方の人は、『張り合いがなくて、ばかばかしい』と笑って、『やあ、これは一向に分からん』と、口を「へ」の字の形にして、『これは分からん』と、おどけたしぐさをしかけますと、なぞを出した人は、勝ちのしるしの籌(かず)を籌刺(かずさし)に刺させてしまいました。右方の人は、『これは妙なことだ。こんなことを知らない人はあるものですか。絶対に籌(かず)を刺させることはできまい』と反対しますが、左一番の人は、『「しらない」と言ったからには、どうして負けにならないことがあろう。当然負けですよ』と言って、次々の勝負もこの人がみんな弁じて、勝ちにさせたのでした。誰もがよく知っていることでも、思い出せないときなら、『知らない』ということになるけれど、誰もがよく知っていることを、いったいどうして『知らない』などと答えたのでしょう。あとで、みんなに恨まれたことです」などと、中宮様が語り出されなさると、おそばの女房たちはみな、「負けた右の人たちは、いかにもそのように恨みがましく思ったでしょう。どうしてそんな残念な答え方をしたのでしょうね。それにしても、味方の左方の人たちの気持ちも、一番の人が『天に張り弓』と言ったのを聞きつけたときは、どんなにか憎らしかったでしょう」などと笑った。この話は、私の場合のように、度忘れしたのではない。ただ、誰もが知っているので油断したためだと思われる。

 その後、今はもうなくなってしまった旺文社文庫に、日本古典全書の校注をされた田中重太郎氏の訳注による『枕草子(上)(下)』があることに、気がつきました。この文庫に、田中氏による現代語訳がついていて、たいへん参考になります。
 〇旺文社文庫『枕草子(上)(下)』(田中重太郎・訳注、旺文社・1988年5月2日初版発行、1990年重版発行) 
   
    10.   フリー百科事典『ウィキペディア』に、枕草子の項があります。
  フリー百科事典『ウィキペディア』 → 枕草子
   

 

 

 


  
           トップページへ