資料48 正法眼蔵第一  現成公按



       正法眼蔵第一  現 成 公 按(げんじやうこうあん)
 

 

 諸法の仏法なる時節、すなはち迷悟あり、修行あり、生(しやう)あり、死あり、諸仏あり、衆生(しゆじやう)あり。
 万法
(まんぽふ)ともにわれにあらざる時節、まどひなくさとりなく、諸仏なく衆生なく、生(しやう)なく滅(めち)なし。
 仏道、もとより豊倹
(ほうけん)より跳出(てうしゆつ)せるゆへ(ゑ)に、生滅(しやうめち)あり、迷悟あり、生仏(しやうぶつ)あり。
 しかもかくのごとくなりといへども、花は愛惜
(あいじやく)にちり、草は棄嫌(きけん)におふるのみなり。
 自己をはこびて万法を修証
(しゆしよう)するを迷(まよひ)とす、万法すゝみて自己を修証するはさとりなり。迷を大悟(だいご)するは諸仏なり、悟に大迷(だいめい)なるは衆生なり。さらに悟上に得悟する漢あり、迷中又迷(いうめい)の漢あり。諸仏のまさしく諸仏なるときは、自己は諸仏なりと覚知することをもちゐず。しかあれども証仏なり、仏を証しもてゆく。
 身心
(しんじん)を挙(こ)して色(しき)を見取し、身心を挙して声(しやう)を聴取するに、したしく会取(ういしゆ)すれども、かゞみに影をやどすがごとくにあらず、水(みづ)と月(つき)とのごとくにあらず。一方を証するときは、一方はくらし。
 仏道をならふといふは、自己をならふ也。自己をならふといふは、自己をわするゝなり。自己をわするゝといふは、万法に証せらるゝなり。万法に証せらるゝといふは、自己の身心を
(お)よび他己の身心をして脱落(とつらく)せしむるなり。悟迹(ごしやく)の休歇(きうけつ)なるあり、休歇なる悟迹を長々出(ちやうちやうしゆつ)ならしむ。
 人、はじめて法をもとむるとき、はるかに法の辺際
(へんざい)を離却(りきや)せり。法すでにを(お)のれに正伝(しやうでん)するとき、すみやかに本文人(ほんぶんにん)なり。
 人、舟にのりてゆくに、めをめぐらして岸をみれば、きしのうつるとあやまる。目をしたしく舟につくれば、ふねのすゝむをしるがごとく、身心を乱想して万法を
(はんけん)するには、自心自性(じしんじしやう)は常住(じやうぢゆう)なるかとあやまる。もし行李(あんり)をしたしくして箇裏(こり)に帰(き)すれば、万法のわれにあらぬ道理あきらけし。
 たき木はい
(ひ)となる、さらにかへりてたき木となるべきにあらず。しかあるを、灰はのち、薪(たきぎ)はさきと見取すべからず。しるべし、薪は薪の法位(ほふゐ)に住して、さきありのちあり。前後ありといへども、前後際断せり。灰は灰の法位にありて、のちありさきあり。かのたき木、はい(ひ)となりぬるのち、さらに薪とならざるごとく、人のしぬるのち、さらに生(しやう)とならず。しかあるを、生(しやう)の死になるといはざるは、仏法のさだまれるならひなり。このゆへ(ゑ)に不生(ふしやう)といふ。死の生(しやう)にならざる、法輪(ほふりん)のさだまれる仏転(ぶつてん)なり。このゆへに不滅といふ。生も一時のくらゐなり、死も一時のくらゐなり。たとへば、冬と春のごとし。冬の春となるとおもはず、春の夏となるといはぬなり。
 人のさとりをうる、水に月のやどるがごとし。月ぬれず、水やぶれず。ひろくおほきなるひかりにてあれど、尺寸の水にやどり、全月も弥天
(みてん)も、くさの露にもやどり、一滴(いつてい)の水にもやどる。さとりの人をやぶらざる事、月の水をうがたざるがごとし。人のさとりを罣礙(けいげ)せざること、滴露(てきろ)の天月を罣礙せざるがごとし。ふかきことはたかき分量なるべし。時節の長短は、大水小水(だいすいせうすい)を撿点し、天月の広狭(くわうけふ)を辦取(はんしゆ)すべし。
 身心(しんじん)に法いまだ参飽(さんぱう)せざるには、法すでにたれりとおぼゆ。法もし身心に充足すれば、ひとかたはたらずとおぼゆるなり。たとへば、船にのりて山なき海中にいでゝ四方(よも)をみるに、たゞまろにのみみゆ、さらにことなる相(さう)みゆることなし。しかあれど、この大海、まろなるにあらず、方(けた)なるにあらず、のこれる海徳つくすべからざるなり。宮殿(ぐうでん)のごとし、瓔珞(えうらく)のごとし。たゞわがまなこのを(お)よぶところ、しばらくまろにみゆるのみなり。かれがごとく、万法もまたしかあり。塵中格外(ぢんちゆうかくぐわい)、おほく様子(やうす)を帯(たい)せりといへども、参学眼力(さんがくげんりき)のを(お)よぶばかりを見取会取(ういしゆ)するなり。万法の家風をきかむには、方円(はうゑん)とみゆるよりほかに、のこりの海徳山徳おほくきはまりなく、よもの世界あることをしるべし。かたはらのみかくのごとくあるにあらず、直下(ちよくか)も一滴(てい)もしかあるとしるべし。うを水をゆくに、ゆけども水のきはなく、鳥そらをとぶに、とぶといへどもそらのきはなし。しかあれども、うをとり、いまだむかしよりみづそらをはなれず。只用大(ようだい)のときは使大(しだい)なり。要小(えうせう)のときは使小(しせう)なり。かくのごとくして、頭々(てうてう)に辺際(へんざい)をつくさずといふ事なく、処々に踏飜(たふほん)せずといふことなしといへども、鳥(とり)もしそらをいづればたちまちに死す、魚(うを)もし水をいづればたちまちに死す。以水為命(いすいゐめい)しりぬべし、以空為命(いくうゐめい)しりぬべし。以鳥為命あり、以魚為命あり。以命為鳥なるべし、以命為魚なるべし。このほかさらに進歩あるべし。修証(しゆしよう)あり、その寿者命者(じゆしやみやうしや)あること、かくのごとし。
 しかあるを、水をきはめ、そらをきはめてのち、水そらをゆかむと擬する鳥魚あらむは、水にもそらにもみちをうべからず、ところをうべからず。このところをうれば、この行李
(あんり)したがひて現成公按(げんじやうこうあん)す。このみちをうれば、この行李したがひて現成公按なり。このみち、このところ、大にあらず小にあらず、自にあらず他にあらず、さきよりあるにあらず、いま現ずるにあらざるがゆへ(ゑ)にかくのごとくあるなり。
 しかあるがごとく、人もし仏道を修証
(しゆしよう)するに、得一法(とくいつぽふ)、通一法(つういつぽふ)なり、遇一行(ぐういちぎやう)、修一行(しゆいちぎやう)なり。これにところあり、みち通達(つうだつ)せるによりて、しらるゝきはのしるからざるは、このしることの、仏法の究尽(きうじん)と同生(どうしやう)し、同参(どうさん)するゆへにしかあるなり。得処(とくしよ)かならず自己の知見(ちけん)となりて、慮知(りよち)にしられむずるとならふことなかれ。証究(しようきう)すみやかに現成(げんじやう)すといへども、密有(みつう)かならずしも現成(げんじやう)にあらず、見成これ何必(かひつ)なり。

 麻浴山宝徹
(まよくざんほうてつ)禅師、あふぎをつかふちなみに、僧きたりてとふ、「風性常住(ふうしやうじやうぢゆう)、無処不周(むしよふしう)なり、なにをもてかさらに和尚(をしやう)あふぎをつかふ」。
 師いはく、「なんぢたゞ風性常住をしれりとも、いまだところとしていたらずといふことなき道理をしらず」と。
 僧いはく、「いかならむかこれ無処不周底
(むしよふしうち)の道理」。
 ときに、師、あふぎをつかふのみなり。
 僧、礼拝
(らいはい)す。

 仏法の証験
(しようけん)、正伝(しやうでん)の活路(くわつろ)、それかくのごとし。常住なればあふぎをつかふべからず、つかはぬお(を)りもかぜをきくべきといふは、常住をもしらず、風性をもしらぬなり。風性は常住なるがゆへに、仏家(ぶつけ)の風(ふう)は、大地の黄金(わうごん)なるを現成(げんじやう)せしめ、長河(ちやうが)の蘇酪(そらく)を参熟(さんじゆく)せり。

 正法眼蔵見成公按第一

  これは天福元年中秋のころ、かきて鎮西
(ちんぜい)の俗弟子(ぞ
   くでし)
揚光秀(やうくわうしう)にあたふ。
   建長壬子拾勒

 

 



 
  (注) 1. 『正法眼蔵』(しょうぼうげんぞう)「現成公按」の本文は、岩波書店刊行『道元 上』
        (日本思想大系 12・1970年5月25日第1刷発行、寺田透・水野弥穂子 校注)に
        よりました。底本は、洞雲寺本。
         2. 巻末の水野弥穂子氏の解説によれば、洞雲寺本は全20冊で、広島県の洞雲
        寺所蔵。現成公按から大悟までを収めた第1冊・第2冊は、おそらく永平寺15世
         光周が永平寺9世宋吾書写本から写したものであろうということです。第3冊以降
         は阿波桂林寺の住持人用兼と昌桂首座とが、永正7年(1510)5月から8月にわ
        たって、阿波の桂林寺で書写したものであるということです。他の諸本が漢字と
         片仮名で書いてあるのに対し、全巻漢字と平仮名で書いてある点に特色がある
        由です。
        3. 本文のルビは、括弧(  )をつけて示しました。
        4. 『道元 上』の凡例から、いくつかを抄出しますと、
          ○読解に資するため、段落分け・改行を行い、句読点・引用符などを付した。○仮
          名は、現行普通の平仮名字体に改めた。○濁音記号は校訂者においてつけた。
        ○仮名づかいは底本通りとしたが、読解を助けるため、必要に応じて、右側に(  )
        に入れて歴史的仮名づかいを示した。○振仮名は、底本にあるものは片仮名で、
        校訂者によるものは平仮名でつけた。校訂者による振仮名は歴史的仮名づかい
        によった。
        5.  上記の凡例の「振仮名は、底本にあるものは片仮名で、校訂者によるものは平
        仮名でつけた。」によれば、底本にした洞雲寺本の「現成公按」には振仮名が全く
        施されていない、ということになります。
        6. 本文後から4行目に「正法眼蔵見成公按第一」とある「見」の字は、原文のままで
        す。
        7. 曹洞宗公式サイト『曹洞宗』の中に、「基本経典」として「正法眼蔵」の解説があり
        ます。 
          
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                  「正法眼蔵」の解説があります。

                   

             
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