資料488 武家諸法度

 

 

 

 

 

 

武家諸法度には、元和令をはじめとして、寛永令、寛文令、天和令、宝永令、享保令とあるようですが、ここには元和令、寛永令、寛文令、天和令の四つを掲載しました。

 

       




  元和元年乙卯七月日発令の武家諸法度

  武家諸法度


 一文武弓馬之道專可相嗜事、
   左文右武、古之法也、不可不兼備矣、弓馬是武要樞也、號兵
   爲凶器、不得已而用之、治不忘亂、何不勵修錬乎、     
 一可制群飲佚遊事、       
   令條所載嚴制殊重、耽好色、業博奕、是亡國之基也、
 一背法度之輩、不可隱置於國々事、
   法是禮節之本也、以法破理、以理不破法、背法之類、其科不
   輕矣、
 一國々大名、小名
諸給人各相拘之士卒、有爲叛逆殺害人告者、
  速可追出事、
   夫挾野心之者、爲覆國家利器、絶人民鋒刃也、豈是允容乎、
 一自今以後、國人之外、不可交置他國者事、
   凡因國其風是異、或以自國之密事告他國、或以他國之密事告
   自國、佞媚之萌也、
 一諸國之居城雖爲修補、必可言上、况新儀
*之搆營堅令停止事、
   城過百雉、國之害也、峻壘浚隍、大亂之本也、
 一於隣國、企新儀、結徒黨者有之者、早速可致言上事、
   人皆有黨、亦少達者、是以或不順君父、或乍違于隣里、不守
   舊例、何企新儀
*乎、
 一私不可締婚姻事、
   夫婚合者陰陽和同之道也、不可容易、睽曰、匪冦婚媾、志將
   通、冦則失時、桃夭曰、男女以正、婚姻以時、國無鰥民也、
   以縁成黨、是姦謀本也、

 一諸大名參勤作法事、
   續日本紀制曰、不預公事、恣不得集己族、京裡二十騎以上不
   得集行
云々、然則不可引卒多勢、百万石以下貳拾万石以上不
   可過廿騎、拾万石以下可爲其相應、蓋公役之時者可隨其分限
   矣、
 一衣裳之科不可混雜事、
   君臣上下可爲各別、白綾、白小袖、紫袷、紫裏、練、無紋之
   小袖、無御免衆猥不可有着用、近代郎從諸卒、綾羅錦繡等之
   飾服、非古法、甚制焉、
 一雜人恣不可乘輿事、
   古來依其人無御免乘家有之、御免以後乘家有之、然近來及家
   郎諸卒、乘輿、誠濫吹之至也、於向後者、國大名以下一門之
   歴々者、不及御免可乘、其外昵近之衆
醫陰之兩道、或六十
   以上之人或病者等、御免以後可乘之、家郎從卒恣令乘者、其
   主人可爲越度、但公家門跡
諸出世之衆者非制限矣、
 一諸國諸侍可被用儉約事、
   富者彌誇、貧者恥不及、俗之凋弊無甚於此、所令嚴制也、
 一國主可撰政務之器用事、
   凡治國道、在得人、明察功過、賞罰必當、國有善人、則其國
   彌盛、國無善人、則其國必亡、是先哲之明誡也、
  右、可相守此旨者也、
   元和元年
乙卯七月日


    
* 况新儀之搆營……「儀」は、閣丁本、研本「規」、館本「城」に作る。
    * 何企新儀乎………「儀」は、研本「規」に作る。


  寛永十二年六月廿一日発令の武家諸法度

  武家諸法度


 一文武弓馬之道專可相嗜事、左文右武、古法也、不可不兼備矣、
  弓馬是武家之要樞也、號兵爲凶器、不得已而用之、治不忘亂、
  何不勵修錬乎、     
 一大名、小名在江戸交替所相定也、毎年四月中可致參勤、從者員
  數近來甚多、且國郡之費且人民之勞也、向後以其相應、可減少
  之、但上洛之節者、任敎令、公役者可隨分限事、
 一新儀之城郭搆營堅禁止之、居城之隍壘石壁以下敗壞之時者、達
  奉行所、可受其旨也、櫓塀門等之分者、如先規可修補事、
 一於江戸
何國、縱令何等之事雖有之、在國之輩者守其所、可相
  待下知事、
 一雖於何所行刑罰、役者之外不可出向、但可任撿使之左右事、
 一企新儀、結徒黨、成誓約之儀制禁事、
 一諸國主
領主等不可致私諍論、平日須加謹愼也、若有可及遲滯
  之儀、達奉行所、可受其旨事、
 一國主、城主、壹万石以上
近習、物頭者、私不可結婚姻事、
 一音信贈答嫁娶之儀式或饗應或家宅營作等、當時甚至華麗、自今
  以後、可爲簡略、其外万事可用儉約事、
 一衣裳之科不可混亂、白綾公卿以上、白小袖諸大夫以上聽之、紫
  袷、紫裏、練、無紋之小袖、猥不可着之、至諸家中郎從諸卒者、
  綾羅錦繡之飾服、非古法、令制禁事、
 一乘輿者、一門之歴々、國主、城主、壹万石以上
國大名之息、
  城主曁侍從以上之嫡子、或歳五十以上或醫陰兩道、病人免之、
  其外禁濫吹、但免許之輩者各別也、至于諸家中者、於其國撰其
  人、可乘之、公家、門跡、諸出世之衆制外之事、
 一本主之障有之者不可相拘、若有反逆殺害人之告者、可返之、向
  背之族者或返之、或可追出事、
 一陪臣質人所獻之者、可及追放死刑時、可伺 上意、若於當座、
  有難遁儀、斬戮之者、其子細可言上事、
 一知行所務淸廉沙汰之、不致非法、國郡不可令衰弊事、
 一道路驛馬舟梁等無斷絶、不可令致往還之停滯事、
 一私關所、新法之津留、制禁事、
 一五百石積以上之船停止事、
 一諸國散在之寺社領、自古至
*今所附來、向後不可取放事、
 一万事如江戸之法度、於國々所々可遒行事、
  右條々、准當家先例之旨、今度潤色而定之訖、堅可相守者也、
   寛永十二年六月廿一日

    
* 自今至今……「至」の次に、閣丙本以外三本「于」あり。


  寛文三年五月廿三日発令の武家諸法度 

  武家諸法度


 一文武弓馬之道專可相嗜事、
 一大名、小名在江戸交替之儀、毎歳守所相定時節、可致參勤、從
  者之員數彌不可及繁多、以其相應、可減少之、但公役者任敎令、
  可隨分限事、
 一新儀之城郭搆營堅禁止之、居城之隍壘石壁以下敗壞之時者、達
  奉行所、可受其旨、櫓塀門等者如先規可修補事、
 一於江戸
何國、縱何等之事雖有之、在國之輩守其所、可相待下
  知事、
 一雖於何處而行刑罰、役者之外不可出向、但可任撿使之左右事、
 一企新儀、結徒黨、成誓約之儀、制禁事、
 一諸國主
城主等不可致私之爭論、平日須加謹愼、若有可及遲滯
  之儀者、達奉行所、可受其旨事、
 一國主、城主、壹万石以上、近習
物頭者、私不可結婚姻事、
   附、與公家於結縁邊者、向後達奉行所、可受指圖事、
 一音信贈答嫁娶儀式或饗應或家宅營作等可爲簡略、其外万事可用
  儉約事、
 一衣裳之品不可混亂、白綾公卿以上、白小袖諸大夫以上聽之、紫
  袷、紫裏、練、無紋之小袖不可着之事、
 一乘輿者、一門之歴々、國主、城主、壹万石以上
國大名之息、
  城主曁侍從以上之嫡子或年五十以上或醫陰兩道、病人免之、其
  外禁濫吹、但免許之輩者各別也、至于諸家中者、於其國撰其人、
  可載之事、
 一本主之障有之者不可相拘、若有叛逆殺害人之告者、可返之、向
  背之族者、或返之、或可追出事、
 一陪臣質人所獻之者、可及追放死刑時者、達奉行所、可受其旨、
  若於當座、有難遁儀而、斬戮之者、其子細可言上事、
 一知行所務淸廉沙汰之、不致非法、國郡不可令衰弊事、
 一道路驛馬舟梁等、無斷絶、不可令致往還之停滯事、
 一私之關所、新法之津留、制禁之事、
 一五百石以上之船停止之、但荷船者制外之事、
 一諸國散在寺社領、自古至于今所附來者、向後不可取放事、
 一耶蘇宗門之儀、於國々所々、彌堅可禁止之事、
 一不孝之輩於有之者、可處罪科事、
 一万事應江戸之法度、於國々所々可遒行事、
  右條々、准當家先制之旨、今度潤色、定之訖、堅可相守者也、 
   寛文三年五月廿三日
  右之趣、壹万石以上之面々 御城え被 召之、被 仰渡之、



  天和三年七月廿五日発令の武家諸法度 

  武家諸法度


 一文武忠孝を勵し、可正禮儀事、
 一參勤交替之儀、毎歳可守所定之時節、從者之員數不可及繁多事、
 一人馬兵具等、分限に應し、可相嗜事、
 一新規之城郭搆營堅禁止之、居城之隍壘石壁等敗壞之時は、達奉
  行所、可受指圖也、櫓塀門以下は如先規可修補事、
 一企新規、結徒黨、成誓約
私之關所、新法之津留、制禁之事、
 一江戸
何國にて、不慮之儀有之といふ共、猥不可懸集、在國之
  輩は其所を守り、下知を可相待也、何處にて雖行刑罰、役者之
  外不可出向、可任撿使之左右事、
 一喧嘩口論可加謹愼、私之諍論制禁之、若無據子細有之は、達奉
  行所、可受其旨、不依何事、令荷擔は、其咎本人よりおもかる
  へし、
本主之障在之者不可相拘*事、
   附、頭有之輩之百姓訴論は、其支配え令談合、可相濟之、有
   滯儀は、評定所え差出之、可受捌事、
 一國主、城主、壹万石以上、近習
諸奉行、諸物頭、私不可結婚
  姻、惣て公家と於結縁邊は、達奉行所、可受指圖事、
 一音信贈答嫁娶之規式或饗應或家宅營作等、其外万事可用儉約、
  惣て無益之道具を好、不可致私之奢事、
 一衣裳之品不可混亂、白綾公卿以上、白小袖諸大夫以上免許事、
   附、徒若黨之衣類は羽二重絹紬布木綿、弓鐵炮之者は紬布木
   綿、其下に至は、万に布木綿可用事、
 一乘輿は、一門之歴々、國主、城主、壹万石以上
國大名之息、
  城主曁侍從以上之嫡子或年五十以上許之、儒醫諸出家は制外事、
 一養子は同姓相應之者を撰、若於無之は、由緒を正し、存生之内
  可致言上、五十歳以上十七歳以下之輩、及末期雖致養子、吟味
  之上可立之、縱雖實子、筋目違たる儀不可立事、
   附、殉死之儀、彌令制禁事、
 一知行所務淸廉沙汰之、國郡不可令衰弊、道路驛馬橋舟等無斷絶、
  可令往還事、
   附、荷船之外、大船は如先規停止之事、
 一諸國散在之寺社領、自古至于今所附來は、不可取放之、勿論新
  地之寺社建立彌令停止之、若無據子細有之は、達奉行所、可受
  指圖事、
 一万事應江戸法度、於國々所々可遒行事、
  右條々、今度定之訖、堅可相守者也、 
   天和三年七月廿五日 

    
* 何不可相拘事……「拘」は、閣丁本、研本、館本「抱」に作る。
 

 

   (注)  1. 上記の「武家諸法度」の本文は、『近世法制史料叢書 第二』(石井良助校訂、創文社・
         昭和34年10月15日複刊訂正第1刷発行)所収の「御当家令条」によりました。
        2. 『近世法制史料叢書 第二』の序に、「現存諸伝本は、目録、本文共、順序内容に多少の
        異同が存するが、今回本書を出版するに当つては、比較的善本と思はれる東京帝国大学法
        学部研究室所蔵(目録1冊共10冊) を原とし、同研究室所蔵令条記、内閣文庫所蔵御当家
        令条三本、同文庫所蔵令条記二本(この中、戊本─例言参照─は第三七巻を缺く)東京帝
        国大学附属図書館所蔵御当家令条及び上記編者所蔵御当家令条を以て校勘を加へ、異同
        を註記した」とあります。
(引用者注:だたし、ここでは校勘の註記は一部省略しました。)
        3.『近世法制史料叢書 第二』の例言に、「體裁は概ね原本の舊に仍つたが、句読点を施し
         て読解に便にし、……」とあります。
        4. 武家諸法度(ぶけしょはっと)=江戸幕府が武家の守るべき義務を定めた重要法令。徳川
                  家康が以心崇伝らに起草させ秀忠の名で出した1615年(元和1)の13ヵ条
                   (のち19ヵ条)の制令をはじめとして、将軍が代替わりごとに下した。居城の
                  修築、婚姻、参勤交代などを規定し、諸大名の武力を制限し、諸大名を監察し、
                  秩序の維持を図ることなどを目的とした。
       (『広辞苑』第6版による。)
        5. フリー百科事典『ウィキペディア』に、「武家諸法度
」の項があります。
                 フリー百科事典『ウィキペディア』 → 
武家諸法度
        6. 『古文書を楽しむ』というサイトに、「武家諸法度~江戸260年を支えた憲法~」がありま
         す。
               
『古文書を楽しむ』 → 「武家諸法度~江戸260年を支えた憲法~」
         
                                         
                                   



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