資料483 虫めづる姫君(『堤中納言物語』より)



         蟲めづる姫君  
                     堤中納言物語より 

       
 蝶(てふ)めづる姫君の住み給ふかたはらに、按察使(あぜち)の大納言の御むすめ、心にくゝなべてならぬさまに、親たちかしづき給ふ事かぎりなし。この姫君のの給ふ事、「人々の花蝶やとめづるこそ、はかなくあやしけれ。人はまことあり、本地(ほんち)たづねたるこそ、心ばへをかしけれ」とて、よろづの蟲のおそろしげなるをとり集めて、これが成らむさまを見むとて、さまざまなる籠箱(こばこ)どもに入れさせ給ふ。中にも、「かはむしの心ふかきさましたるこそ心にくけれ」とて、明暮(あけくれ)は耳はさみをして、手のうらにそへふせてまぼり給ふ。若き人々は、怖(お)ぢまどひければ、男(を)の童(わらは)の物怖(お)ぢせず、いふかひなきを召しよせて、箱の蟲どもを取らせ、名を問ひ聞き、いま新しきには、名をつけて、興じ給ふ。「人はすべてつくろふところあるはわろし」とて、眉さらに拔き給はず、齒ぐろめさらに、うるさし、きたなし、とてつけ給はず、いと白らかに笑みつゝ、この蟲どもを朝夕(あしたゆふべ)に愛し給ふ。人々怖ぢわびて逃ぐれば、その御方(かた)は、いとあやしくなむのゝしりける。かく怖づる人をば、「けしからず、はうぞくなり」とて、いと眉黑(まゆぐろ)にてなむにらみ給ひけるに、いとゞ心ちなむまどひける。
 親たちは、「いとあやしく、さまことにおはするこそ」とおぼしけれど、「おぼしとりたることぞあらむや。あやしきことぞと思ひて、聞(きこ)ゆる事は、深くさいらへ給へば、いとぞかしこきや」と、これをもいとはづかしとおぼしたり。「さはありとも、音聞(おとぎ)きあやしや。人はみめをかしき事をこそこのむなれ。むくつけゞなるかはむしを興ずなると、世の人の聞かむも、いとあやし」と聞(きこ)え給へば、「くるしからず。よろづの事どもをたづねて、末をみればこそ事は故(ゆゑ)あれ。いとをさなきことなり。かはむしの蝶とはなるなり」。そのさまのなり出(い)づるを、取り出(い)でて見せ給へり。「きぬとて人々の著(き)るも、蠶(かいこ)のまだ羽つかぬにし出だし、蝶になりぬれば、いともそでにて、あだになりぬるをや」とのたまふに、いひ返すべうもあらずあさまし。さすがに親たちにもさし向かひ給はず、「鬼と女とは人に見えぬぞよき」と、案じ給へり。母屋(もや)の簾(すだれ)をすこしまきあげて、几帳(きちやう)いでたてて、かくさかしく言ひ出だし給ふなりけり。
 これを若き人々聞きて、「いみじくさかし給へど、心ちこそまどへ。この御あそびものよ。いかなる人、蝶めづる姫君につかまつらむ」とて、兵衞(ひやうゑ)といふ人、
  いかでわれとかむかたなくいでしがなかはむしながら見るわざはせじ
と言へば、小(こ)だいふといふ人、笑ひて、
  うらやまし花や蝶やといふめれどかはむしくさき世をも見るかな
など言ひて笑へば、「からしや。眉はしも、かは蟲だちためり。さて齒ぐきは、皮のむけたるにやあらむ」とて、左近といふ人、
  冬くれば衣(ころも)たのもし寒くともかはむし多く見ゆるあたりは
「衣(きぬ)など著(き)ずともあらなむかし」など言ひあへるを、とがとがしき女聞きて、「若人(わかうど)たちは、何事言ひおはさうずるぞ。蝶めで給ふなる人も、もはらめでたうもおぼえず。けしからずこそおぼゆれ。さて又かはむしならべ、蝶と言ふ人ありなむやは。たゞそれが蛻(もぬ)くるぞかし。そのほどを尋ねてし給ふぞかし。それこそ心深けれ。蝶はとらふれば、手にきりつきて、いとむつかしきものぞかし。又蝶はとらふれば、わらは病(やみ)せさすなり。あなゆゝしともゆゝし」と言ふに、いとゞにくさまさりて言ひあへり。
 この蟲どもとらふるわらはべには、をかしきもの、かれがほしがるものを賜(たま)へば、さまざまに恐ろしげなる蟲どもを取り集めて奉る。かはむしは毛などはをかしげなれど、おぼえねばさうざうしとて、いぼじり・かたつぶりなどを取り集めて、歌ひのゝしらせて聞かせ給ひて、我も聲をうちあげて、「かたつぶりのつのの、あらそふやなぞ」といふことをうち誦(ずん)じ給ふ。わらはべの名は、例のやうなるはわびしとて、蟲の名をなむつけ給ひたりける。けらを・ひきまろ・いなかたち・いなごまろ・あまひこなむなどつけて、召し使ひ給ひける。
 かゝること世に聞えて、いとうたてあることをいふ中に、ある上達部(かんだちめ)のおほむこ、うちはやりてものおぢせず、愛敬(あいぎやう)づきたるあり。この姫君の事を聞きて、「さりとも是にはおぢなむ」とて、帶の端のいとをかしげなるに、くちなはの形(かた)をいみじく似せて、動くべきさまなどしつけて、いろこだちたる懸袋(かけぶくろ)にいれて、結びつけたる文(ふみ)を見れば、
  はふはふも君があたりにしたがはむ長きこころのかぎりなき身は
とあるを、何心なく御前にもて參りて、「袋などあぐるだにあやしくおもたきかな」とて、ひきあけたれば、くちなは首をもたげたり。人々心をまどはしてのゝしるに、君はいとのどかにて、「なもあみだ佛、なもあみだ佛」とて、「生前(さうぜん)のおやならむ。な騷ぎそ」とうちわなゝかし、顔ほかやうに、「なまめかしきうちしも、けちえんに思はむぞ、あやしき心なるや」とうちつぶやきて、近くひきよせ給ふも、さすがに恐ろしくおぼえ給ひければ、立ち處(どころ)居處(ゐどころ)蝶のごとく、せみ聲にの給ふ聲の、いみじうをかしければ、人々にげさわぎて笑ひいれば、しかじかと聞(きこ)ゆ。「いとあさましくむくつけき事をも聞くわざかな。さるもののあるを見る見る、みな立ちぬらむことぞあやしきや」とて、大殿(おとゞ)太刀をひきさげてもてはしりたり。よく見給へば、いみじうよく似せてつくり給へりければ、手に取り持ちて、「いみじう物よくしける人かな」とて、「かしこがりほめ給ふと聞きてしたるなめり。返事(かへりごと)をして、はやくやり給ひてよ」とて、渡り給ひぬ。
 人々、つくりたると聞きて、「けしからぬわざしける人かな」と言ひにくみ、「返事(かへりごと)せずはおぼつかなかりなむ」とて、いとこはくすくよかなる紙に書き給ふ。かなはまだ書き給はざりければ、片かんなに、
  契(ちぎり)あらばよき極樂にゆきあはむまつはれにくし蟲のすがたは
「福地(ふくち)の園に」とある。むまのすけ見給ひて、「いとめづらかに、さま異なる文(ふみ)かな」と思ひて、「いかで見てしがな」と思ひて、中將といひ合せて、あやしき女どものすがたをつくりて、按察使(あぜち)の大納言の出で給へるほどにおはして、姫君の住み給ふ方の北面(きたのおもて)の立蔀(たてじとみ)のもとにて見給へば、男(を)のわらはの異なる事なき、草木どもにたゝずみありきて、さて言ふやうは、「この木にすべていくらもありくは。いとをかしきものかな」と、「これ御覽ぜよ」とて、簾(すだれ)をひきあげて、「いとおもしろきかは蟲こそ候へ」と言へば、さかしき聲にて、「いと興ある事かな。こち持てこ」との給へば、「取りわかつべくも侍らず。たゞこゝもとにて御覽ぜよ」と言へば、あらゝかに踏みて出づ。簾を押し張りて、枝を見はり給ふを見れば、頭(かしら)へきぬ著(き)あげて、髮もさがりばきよげにはあれど、けづりつくろはねばにや、しぶげに見ゆるを、眉いと黑く、はなばなとあざやかに、涼しげに見えたり。口つきも愛敬(あいぎやう)づきてきよげなれど、齒ぐろめつけねば、いと世づかず。化粧(けさう)したらばきよげにはありぬべし。心うくもあるかなとおぼゆ。かくまでやつしたれど、みにくゝはあらで、いと樣異に、あざやかに氣高(けだか)く、はれやかなるさまぞあたらしき。練(ねり)色の綾の袿(うちぎ)ひとかさね、はたおりめの小袿(こうちぎ)ひとかさね、白きはかまを好みて著給へり。この蟲をいとよく見むと思ひて、さし出でて、「あなめでたや。日にあぶらるゝが苦しければ、こなたざまに來(く)るなりけり。これを一も落(おと)さで追ひおこせよ、わらはべ」との給へば、突き落せば、はらはらと落つ。白き扇(あふぎ)の、墨ぐろに眞名(まな)の手習(てならひ)したるをさし出でて、「これに拾ひ入れよ」とのたまへば、わらはべ取りいづる。みな君たちも、あさましう、「さいなんあるわたりに、こよなくもあるかな」と思ひて、此人(このひと)を思ひて、いみじと君は見給ふ。
 わらはの立てる、あやしと見て、「かの立蔀のもとにそひて、きよげなる男(をとこ)の、さすがに姿つきあやしげなるこそのぞき立てれ」と言へば、このたいふの君といふ、「あないみじ。御前には、例の、蟲興じ給ふとて、あらはにやおはすらむ。告げたてまつらむ」とて參れば、例の、簾の外(と)におはして、かはむしのゝしりてはらひ落させ給ふ。いと恐ろしければ、近くはよらで、「入(い)らせ給へ。はしあらはなり」と聞えさすれば、これを制せむと思ひて言ふとおぼえて、「それさはれ、ものはづかしからず」との給へば、「あな心憂(う)。そらごととおぼしめすか。その立蔀のつらに、いとはづかしげなる人侍るなるを。奥にて御覽ぜよ」と言へば、「けらを、かしこにいて見て來(こ)」との給へば、立ち走りていきて、「まことに侍るなりけり」と申せば、立ち走り、かはむしは袖にひろひ入れて、走り入り給ひぬ。たけだちよきほどに、髮も袿(うちぎ)ばかりにて、いと多かり。裾もそがねば、ふさやかならねど、とゝのほりて、中々うつくしげなり。「かくまであらぬも、世の常、ひとざまけはひもてつけぬるは、口惜(くちを)しうやはある。まことにうとましかるべきさまなれど、いと淸げに氣高う、わづらはしきけぞ異なるべき。あな口惜し。などかいとむくつけき心なるらむ。かばかりなるさまを」と思(おぼ)す。
むまのすけ、「たゞ歸らむはいとさうざうし。見けりとだに知らせむ」とて、疊紙(たゝうがみ)に草の汁して、
  かは蟲のけぶかきさまを見つるよりとりもちてのみまもるべきかな
とて、扇してうちたゝき給へば、わらはべ出で來たり。「これ奉れ」とて取らすれば、たいふの君といふ人、「この、かしこに立ち給へる人の、御前に奉れとて」と言へば、取りて、「あないみじ、右馬の助のしわざにこそあれ。心憂げなるむしをも興じ給へる御顔を見給ひつらむよ」とて、さまざま聞ゆれば、いらへ給ふ事は、「思ひとけば、ものなむはづかしからぬ。人は夢幻(ゆめまぼろし)のやうなる世に、誰(たれ)かとまりて、惡(あ)しき事をも見、よきをも見思ふべき」との給へば、いふかひなくて、若き人々、おのがじし心憂がりあへり。この人々、「返事(かへりごと)やはある」とて、しばし立ち給へれど、わらはべをもみな呼び入れて、「心憂し」と言ひあへり。ある人々は心づきたるもあるべし。さすがにいとほしとて、
  人に似ぬ心のうちはかは蟲の名を問ひてこそいはまほしけれ
むまのすけ、
  かは蟲にまぎるゝまゆの毛の末にあたる許(ばかり)の人はなきかな
と言ひて、笑ひて返りぬめり。二の巻にあるべし。

     

  (注) 1.  上記の「虫めづる姫君」の本文は、日本古典文学大系13『落窪物語 堤中納言物語』(松尾聰・寺本直彦校注。岩波書店・昭和32年8月6日第1刷発行、昭和38年8月30日第6刷発行)所収の『堤中納言物語』によりました。(『堤中納言物語』の校注は、寺本直彦氏です。)           
    2.   平仮名の「く」を縦に伸ばしたような形の繰り返し符号は、上の文字を繰り返すことによって表記してあります。(「さまざま」「とがとがしき」「さうざうし」「はふはふ」「しかじか」「見る見る」「はなばな」「はらはら」「さうざうし」「さまざま」。
 ただし、「中々」だけは「々」にしました。)
   
    3.   大系本の凡例に、次のようにあります。(詳しくは、大系本の359~363頁をご覽ください。)

 本書は黒川真頼・黒川真道旧蔵榊原忠次侯蔵本(故池田亀鑑博士蔵)を底本とした。この本は現存伝本中書写年代がほぼ明らかなものの中ではもっとも古く、比較的に本文のみだれ少い善本である。
 仮名づかいは歴史的仮名づかいに統一し、段落をわかち、句読点・濁点を施し、会話や引用には「 」をつけた。
 底本に「送りがな」のないものはこれを補った。
   
    4.   〇堤中納言物語(つつみちゅうなごんものがたり)=物語集。書名の由来は諸説あり未詳。10編の短編と一つの断章とから成る。「逢坂越えぬ権中納言」の一編は1055年(天喜3)女房小式部作。他の諸編もほぼ平安末期には成立したとされる。それぞれに人生の断面を巧妙に描く。 (『広辞苑』第6版による。)     
    5.  『京都大学貴重資料デジタルアーカイブ』に、京都大学附属図書館所蔵『伴信友校蔵書 堤中納言物語』があって、画像をみることができます。
 『京都大学貴重資料デジタルアーカイブ』
 → 『伴信友校蔵書 堤中納言物語』
   
    6.  フリー百科事典『ウィキペディア』に、「堤中納言物語」の項があります。
 → 「堤中納言物語」
   
    7.   「虫めづる姫君」関連の論文を、国立情報学研究所のCiNiiArticles(日本の論文をさがす)で検索することができます。
 → CiNiiArticles(日本の論文をさがす)
 → 「虫めづる姫君」関連の論文
   







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