資料472 馬舟の句碑「秋風や野に一筋の走り水」 
         



            馬舟の句碑「秋風や野に一筋の走り水」
        

 

 江戸時代中頃、江戸芝金杉町に居住していた野内丈助は、号を以直といい、馬舟という俳号で句作をしていました。
 当時、三鈷坂にあった三鈷山清信寺に、彼の俳友たちによって建てられた句碑があったということです。

    秋風や野に一筋の走り水


 三鈷坂にあった三鈷山清信寺というお寺が、その後どうなったかは分かりませんが、随分昔のことですから、お寺も句碑ももうなくなってしまったのでしょうか。

  

 

 
  (注) 1.  上記の「馬舟の句碑「秋風や野に一筋の走り水」」は、ある資料によって記述しました。       
    2.  句の作者・野内丈助(以直)は、太市衛門ともいい、寛保2年(1742)、常陸国久慈郡相川村に、父・以孝の四男として生まれました。江戸芝金杉町に居住し、馬舟という俳号で句作をしたということが分かっています。寛政5年(1793)年、52歳で亡くなりました。その他の詳しいことは分かっていません。          
    3.  芝金杉町は、現在の芝。昭和39年の区画整理で、それまでの芝金杉町・芝金杉海岸・芝新堀町・芝松本町・本芝・本芝入横町・芝田町・三田四国町など17の旧町が合併して「芝」となったそうです。  
    4.  三鈷坂は、現在は三光坂(さんこうざか)といい、フリー百科事典『ウィキペディア』に次のように出ています。
 
「三光坂(さんこうざか)は、東京都港区白金2丁目と4丁目の境界にある坂。坂下は、恵比寿通り(東京都道305号芝新宿王子線)との交差点になっており、ここから目黒通りまで向かう道路の中途までの区間が三光坂となっている。坂を上ると高級住宅地が広がる。坂下に、都営バス田 87のバス停「三光坂下」が存在する」。「本来は、坂下専心寺にあった三葉の松にもとづき三鈷(さんこ)坂だったというが、別に、日月星の三光などともいう。かつては三葉坂とも呼ばれていた。」
 フリー百科事典『ウィキペディア』
   → 「三光坂」
 
    5.  東京都港区立神応小学校のホームページに、「神応小学校歷史シリーズ」のページがあって、そのVol.1-5に「白金の町の坂道」があり、そこの「三光坂」の解説に次のようにあります。
 
坂の下の専心寺の境内(けいだい)にあった三葉の松を、土地の人々が三鈷(さんこ)の松と呼んでいたことから三鈷坂(さんこざか)と名付けられ、古い地図や名所図会などには三鈷坂とでています。
 しかし、鈷(こ)と光(こう)の音が近いことから光の字を用いるようになったという説と、日・月・星の3つの光を指して三光としたという説と、字名(あざめい)の名光・東名光・西名光の3つの光からきたという説があります。
 
お断り:東京都港区立神応小学校は、かつて東京都港区白金6丁目にありましたが、 小中一貫教育校として「白金の丘学園 白金の丘小学校・白金の丘中学校」が 開校するにあたり、三光小学校、朝日中学校とともに2015年(平成27年)3月31日付で閉校したそうです。(フリー百科事典『ウィキペディア』による。)
 フリー百科事典『ウィキペディア』
    → 
港区立神応小学校
 
    6.  上に「清信寺」とあるのは、あるいは「専心寺」のことかとも思いましたが、山号が違うので別の寺院なのでしょう。清信寺の山号は「三鈷山」、専心寺の山号は「松宮山」となっています。
 かつて「三鈷山清信寺」というお寺があったのかどうかは、調べがついていません。
 
    7.  『猫のあしあと』というサイトに、「専心寺」の項があって参考になります。
  『猫のあしあと』 
 → 「専心寺|港区白金にある浄土宗寺院、三光町、三葉坂由来の松
 
         
         
         

 
    
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