資料459 都良香「富士山記」(『本朝文粋』巻第十二)



          富 士 山 記     都良香 
                  

富士山者。在駿河國。峯如削成。直聳屬天。其高不可測。歷覽史籍所記。未有高於此山者也。其聳峯欝起。見在天際。臨瞰海中。觀其靈基所盤連。亙數千里間。行旅之人。經歷數日。乃過其下。去之顧望。猶在山下。蓋神仙之所遊萃也。承和年中。 從山峯落來珠玉。玉有小孔。蓋是仙簾之貫珠也。又貞觀十七年十一月五日。吏民仍舊致祭。日加午天甚美晴。仰觀山峯。有白衣美女二人。雙舞山巓上。去巓一尺餘。土人共見。古老傳云。山名富士。取郡名也。山有神。名淺間大神。此山高。極雲表。不知幾丈。頂上有平地。廣一許里。其頂中央窪下。體如炊甑。甑底有神池。池中有大石。石體驚奇。宛如蹲虎。亦其甑中。常有氣蒸出。其色純靑。窺其甑底。如湯沸騰。其在遠望者。常見煙火。亦其頂上。匝池生竹。靑紺柔愞。宿雪春夏不消。山腰以下。生小松。腹以上。無復生木。白沙成山。其攀登者。止於腹下。不得達上。以白沙流下也。相傳。昔有役居士。得登其頂。後攀登者。皆點額於腹下。有大泉。出自腹下。遂成大河。其流寒暑水旱。無有盈縮。山東脚下。有小山。土俗謂之新山。本平地也。延暦廿一年三月。雲霧晦冥。十日而後成山。蓋神造也。
                                 (巻第十二、記)



〔書き下し文〕
富士山は、駿河國に在り。峯削り成せるが如く、直(ただ)に聳えて天に屬(つづ)く。其の高さ測るべからず。史籍の記せる所を歷(あまね)く覽(み)るに、未(いま)だ此の山より高きは有らざるなり。其の聳ゆる峯欝(さかり)に起(おこ)り、見るに天際に在りて、海中を臨(のぞ)み瞰(み)る。其の靈基(れいき)の盤連(ばんれん)する所を觀るに、數千里の間に亙(わた)る。行旅(かうりよ)の人、數日を經歷して、乃(すなは)ち其の下(ふもと)を過ぐ。之(ここ)を去りて顧(かへり)み望めば、猶(なほ)し山の下(ふもと)に在り。蓋(けだ)し神仙の遊萃(いうすゐ)する所ならむ。承和年中に、山の峯より落ち來(きた)る珠玉あり、玉に小さき孔(あな)有りきと。蓋し是(こ)れ仙簾(せんれん)の貫(つらぬ)ける珠(たま)ならむ。又貞觀十七年十一月五日に、吏民(りみん)舊きに仍(よ)りて祭を致す。日午(ひる)に加へて天甚だ美(よ)く晴る。仰ぎて山の峯を觀るに、白衣(はくい)の美女二人(ふたり)有り、山の巓(いただき)の上に雙(なら)び舞ふ。巓を去ること一尺(ひとさか)(あまり)、土人(くにひと)共に見きと、古老傳へて云ふ。
山を富士と名づくるは、郡(こほり)の名を取れるなり。山に神有り、淺間大神(あさまのおほかみ)と名づく。此の山の高きこと、雲表(うんぺう)を極めて、幾丈(いくつゑ)といふことを知らず。頂上に平地有り、廣さ一許里(いちりばかり)。其の頂の中央(なから)は窪み下りて、體(かたち)炊甑(すゐそう)の如し。甑(こしき)の底に神(あや)しき池有り、池の中に大きなる石有り。石の體(かたち)驚奇(きやうき)なり、宛(あたか)も蹲虎(そんこ)の如し。亦(また)其の甑の中に、常に氣有りて蒸し出(い)づ。其の色純(もは)らに靑し。其の甑の底を窺(うかが)へば、湯の沸き騰(あが)るが如し。其の遠きに在りて望めば、常に煙火(えんくわ)を見る。亦其の頂上に、池を匝(めぐ)りて竹生(お)ふ、靑紺(せいこん)柔愞(じうぜん)なり。宿雪(しゆくせつ)春夏消えず。山の腰より以下(しもつかた)、小松生(お)ふ。腹より以上(かみつかた)、復(また)生ふる木無し。白沙(はくさ)山を成せり。其の攀(よ)ぢ登る者(ひと)、腹の下に止(とど)まりて、上に達(いた)ることを得ず、白沙の流れ下るを以(も)ちてなり。相傳(あひつた)ふ、昔役(え)の居士(こじ)といふもの有りて、其の頂に登ることを得たりと。後(のち)に攀(よ)ぢ登る者、皆額(ひたひ)を腹の下に點(つ)く。大きなる泉有り、腹の下より出づ。遂に大河(だいか)を成せり。其の流(ながれ)寒暑水旱(すゐかん)にも、盈縮(えいしゆく)有ること無し。山の東の脚(あし)の下(もと)に、小山有り。土俗(くにひと)これを新山(にひやま)と謂(い)ふ。本(もと)は平地なりき。延暦廿一年三月に、雲霧晦冥(うんむくわいめい)、十日にして後(のち)に山を成せりと。蓋し神の造れるならむ。  


  (注) 1.  上記の都良香「富士山記」(『本朝文粋』巻第十二)は、日本古典文学大系69『懐風藻 文華秀麗集 本朝文粹』(小島憲之校注、岩波書店・昭和39年6月5日第1刷発行)所収の本文によりました。
 日本古典文学大系の本文には返り点がついていますが、ここではそれを省略しました。また、書き下し文(訓読文)の振り仮名(ルビ)も、一部省いてあります。        
   
    2.   本文の底本は正保5年刊本(8冊本)によったと、凡例にあります。    
    3.  〇都良香(みやこ・の・よしか)=平安前期の官人・文人。文章(もんじょう)博士。「文徳(もんとく)実録」の編纂に参加。「都氏文集」がある。(834-879)
 〇本朝文粋(ほんちょうもんずい)=平安後期の漢詩文集。藤原明衡(あきひら)撰。14巻。弘仁(810-824)年間~長元(1028-1037)年間の詩文432編を、「文選(もんぜん)」の体裁にならって39類に分類・撰集。
 〇富士山(ふじさん)=(不二山・不尽山とも書く)静岡・山梨両県の境にそびえる日本第一の高山。富士火山帯にある典型的な円錐状成層火山で、美しい裾野を引き、頂上には深さ220㍍ほどの火口があり、火口壁上では剣ヶ峰が最も高く3776㍍。史上たびたび噴火し、1707年(宝永4)爆裂して宝永山を南東中腹につくってから静止。箱根・伊豆を含んで国立公園に指定。立山・白山と共に日本三霊山の一つ。芙蓉峰(ふようほう)。富士。(以上、『広辞苑』第6版による。)
   
    4.   信州大学附属図書館のホームページに、『近世日本山岳関係データベース』があり、そこで都良香の「富士山記」を画像で見ることができます。これは『富士山記 富士縁起』という写本に収められているものですが、成立は明治時代、筆者・出版社等は記載されていないということです。(ページを拡大して見ることができます。)
    信州大学附属図書館 
  → 『近世日本山岳関係データベース』
  → (「富士山記」と入力して検索) 
  → 「富士山記・富士縁起」    
   
    5.   『立正大学文学部論叢』102(1995年9月20日発行)に、小山田和夫教授の「都良香の散文作品をめぐる研究の現状とその問題点の整理 ─『富士山記』を中心として─」という論文が掲載されていて、それを画像で見ることができます。
 『立正大学学術機関リポジトリ』で、この論文「都良香の散文作品をめぐる研究の現状とその問題点の整理 ─『富士山記』を中心として─」のpdfをダウンロードして見ます。
   
           







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