資料452 兎の話(林光雅訳『ジャータカ物語』より)



         兎 の 話 

                林光雅訳『ジャータカ物語』より
         
  菩薩は曾て兎となつてこの世の中に生れてきたと云ふことであるが、これに就いて次ぎの如き面白い話がある。
 印度の國に於けるある森の中に頗る怜悧な兎が住んでゐた。この森は屢々苦行者や賢人が訪ねてくる宏大なる美くしい場所で、花や果實、さては蔓草など豐かに生じ深き河の水は藍色をなして咽ぶが如く緩かに谷間へ流れてゐた。兎の姿した菩薩は獺と猿と豹との三疋の友達と共にこの河の近くに住んでゐた。
 すると兎はその友達から殆ど王樣扱ひにされてゐた、と云ふものは彼等がその兎をば如何(いか)なる動物にも勝(まさ)りて偉いものだと信じてゐたからである。いはゞこの兎は彼等の先生でありまたその他の小さい動物の先生でもあつて、その上苦行者のやうな生活を營んでゐた、自分より大きな他の動物でさへ彼を尊敬するくらゐで決して危害など加へることはなかつた。外(ほか)の連中は恰も敎子(をしへご)か友達でゞもあるかのやうに兎の敎へに傾聽してゐた。兎は三疋の友達と仲善く平和の生活を續けつつ自分は德を積み他を憐むことも深かりし故にその評判は天上の神々の耳にさへ達するやうになつた。一夕例の三疋の友達は兎を訪れ恭しくその足下に坐して説法を聽いた。たまたま梢から半ば姿を現はした月は恰も圓(まとか)なる鏡のやうであつた。兎の姿した菩薩は月を見て友達に斯う語つた。
 『あれ御覽。笑めるが如くに殆ど圓(まとか)なるあの月は明日が滿月のポーヤ祭であることを思はせるではないか。就いては私達も明日こそはポーヤ祭の御勤めを爲さねばならない。即ち私等は誰か客人に出會つたら、生物の生命を絶つことなく正しい方法に依つて得たる美味の食物を以て、客人に供養するまでは自分達の食物を取つてはならない、生命(いのち)は電光の一閃も啻ならぬ短いものであるから、他の生命を絶たぬやうに用心せよ。更に進んでは慈悲を行ふて功德を積め、慈悲の根本は善い行ひを營むことにある、功德を積むは幸福を得る原因であるから功德を積む機會は逃がさないやうに努め、決して非行の道を歩んではならない、不幸と恥辱とはそこに潜んでゐるのである。』
菩薩の化身である兎は既に友達に對して以上の説法をなし終つた時に、友達は皆恭(うやうや)しく頓首して立ち去つた。すると彼は深き物思ひに沈んでゐたが、やがて次ぎのやうな獨言(ひとりごと)を漏らした。
 『私の友達は明日ここへ客人が來ても夫々(それぞれ)然るべき食物を供養することが出來るが、私は與ふべき何に物をも有つてゐないから、その尊敬すべき客人に對して如何にせばよきや 私の食物たる草の葉は、客が人間であらうと、動物であらうとまさか供養の食物としては應(ふさ)はしくあるまい。嗚呼私が苟(いやしく)も客として來た者を適當に遇することが出來ないとすれば、私の命なんか何んするものぞ、思へば眞に悲しいことではあるよ。併しまてまてなにも悲しむには及ぶまい。私は私自身の肉體を持つてゐる、これは私の財物である、誰人の所有でもない。さうださうだ若し客が來ても供養の方法には窮せない、私の所有物中の最上のものを以て客を待遇しやう、即ちこの憐むべき私の肉體を以て供養の資に當てることにしやう。』
 斯樣思ひ定めたる後(のち)、兎は我が家に歸つて明日客の來ることもあらんかと、嬉しげに心待ちに待つてゐた。
 併し神々は豫て兎のこの心の誓ひを聞いてゐた、それかあらぬか、大地は歡喜の爲めに震動し出して、百花は兎の生を受けたる菩薩の頭上に雨の如くに降りかかり、風は芳香の花粉を吹き送り、美ばしい薔薇の色に染めなされた雲は彼に向つて微笑(ほゝえ)んでゐた。天上の神々は心から歡喜してゐる中に、神々の王である帝釋天は兎が果して飢えたる客を遇する爲めに、自分の肉身を犠牲にするだけの信念が有るか否かを試(ため)して見やうと決心した。
 そこで翌日になると、太陽は燒けるやうの光線を放射して大空は目映(まばゆ)い光(ひかり)に滿されて仰ぎ見ることさへも出來ず、昆虫の族(やから)は藪の深みに身を潜めて唸つて居り、鳥の群(むれ)は凉しい安息の場所を索(もと)めて木立の枝の間に隱れ、旅する人も炎熱と疲勞に力盡きて喘き歩くといふ眞晝(まひる)の頃に、帝釋天は婆羅門の托鉢僧の法衣を身に纏ひ、一見飢(うゑ)と暑さの爲めに半死の狀態にあるかと思はれるやうな姿をして天上から降り來たり、例の兎が三疋の友達と共に棲んでゐる所から程遠からぬ場所に在る一本の木の下に腰を下(おろ)した。
 かの托鉢僧は悲しげに呻(うめ)きながら、
 『私は今賴(よ)るべき人もなき心淋しい者である。林の中に道を失ふたけれども近所に友達があるではなし、嗚呼慈悲深き者よ、飢(うゑ)と疲れの爲めに死に瀕してゐる私を助けて下さい。窮迫の極にある私を誰か犒(ねぎら)ひくれる者はないかしら?』
と歎き悲(かな)しんでゐた。
 兎を始め四疋の連中は豫て、飢に苦んで訪れ來る人もあれかしと、待ち受けてゐたのだが、今婆羅門僧の切なる願ひ事を聞きつけ、急いでかの僧の憩(いこ)へる樹の下へ走つて來た。
 彼等は疲れ果てたる旅僧を見て彼に對ひ、
 『いやよく來てくれました。これはこれはもう大丈夫です。悲しみ召さるな、御心配無用です。私達を御(ご)僧の弟子のやうに思召せ、何卒ぞ今日は私達の待遇を御受け下さいませ。明日は何處(いづこ)へなりと御意に召した所へ往かれても仕方はありませんが。』
と親切に語りかけた。
 婆羅門僧は無言の中(うち)に同意を與へた。すると獺は嬉げにイソイソと自分の巢穴に走り込んで七尾のローヒタといふ魚を持ち來たり空腹の婆羅門僧に獻じた、そして彼は、
 『この七尾の魚は私が陸上で見出したもので決して水中より捕へて來たものではありませんから、御僧はこの魚を今日の滿月の聖日に於いて安心して御受け下さいませ、恐らく漁夫が忘れ置きしものか、さなくば魚自らが水中から跳び出したものでせうから。サア食し召されよ、そして死ぬ程苦しい飢を癒やして靜かに御休み下さいませ。』
と言つた。
 すると、豹は一疋の蜥蜴(とかげ)と一椀の牛乳とを携へて來た、牛乳は無論旅人が遺(のこ)し置きしを豹が程近い路の傍に於て見出したものであつた。今彼は恭しく稽首しつつ右の施し物を婆羅門僧に奉り、これを食して休息せらるるやうにと勸めた。次いで猿が出て來て、
 『私は熟した檬果(まんごう)、冷(ひやゝ)かの水、爽(さわや)かの氣分を養ふべき木影などを獻じますから、これを御受け下されて、今宵は私達と共に明かされよ、婆羅門の御僧如何にや?』
と言つた。
 最後に兎が恭しく近寄り婆羅門僧の前に頓首して、
 『森の中に生ひ育つてきた兎などには施すべき米もなく豆もなければ、何卒ぞ待遇(もてなし)の料として私の身體(からだ)を御受け下さいませ。火にかけて調理すれば私の身體(からだ)とても滿更捨てたものではありますまいから、これにて空腹を癒やし、今宵だけはこの見窄(みすぼ)らしい隱れ家に御泊り下さいませ。』
と申し出た。
 婆羅門僧の姿した帝釋天は、兎が眞實自分の肉身を提供する決心を有するか否かを怪みながら、
 『私に好意を示してくれる汝の生命(いのち)を絶つなどとは如何(いか)にしても私には出來ないことである。サアサア心靜かに家に歸りなさい。私は汝の申し條は親切ではあるが應じ得ないから。』
と答へた。すると兎は、
 『御僧の仰せは、眞に御僧が他の者の敎師たる役目に應はしい慈悲の心に富んでゐることを、證據立てるところの尤も至極の御詞である、それでは、せめて此處(こゝ)に御休み下されることだけでも御願ひ致します、私はまた何んとか御僧を待遇(もてな)す方法を考へますから。』
と言つた。 
 さて神々の王である帝釋天は兎の心底を知ることが出來た、いうまでもなく、兎は自分の肉身を饗應の施し物としてかの婆羅門僧に獻ずるには如何にすればよきかと、眞實心を傷めてゐたのである。そこで、帝釋天は先刻、獺、豹、猿の三疋から獻ぜられたる食料を調理する間兎をば心の儘に休ませて置いた。さて帝釋天は地上に炭火を作つた、すると、燃ゆる火は煙もなく黄金の焰となりて立昇(たちのぼ)つた。兎はこの火を見て喜ぶこと限りなく、婆羅門僧に對し恭しく頭を下げて、
 『慈悲を行ふは私の義務である、そして御僧をば尊敬すべき客人と思ひますから、私は供養を行ふべきこの機會をとり逃がすことは出來ない。嗚呼婆羅門の御僧よ。私が悦びの情を以て供養するこの施し物をば何卒ぞ御受け召されよ。切に御願ひ致します。』
と話すが早いか、
 兎は恰も蓮花の咲き笑ふてゐる池の中へ不死の白鳥であるハンサが躍(をど)り込むが如くに、燃え立つ火中に身を投じたのである。不思議にも、焰は兎に少しの苦痛をも與へず、却つて黄金の雲のやうに兎の身體を取り巻いた。神々の王である帝釋天は崇敬と感嘆の情に堪へざるものゝ如く、再びその光明に輝く神の姿を現はし、恭しく兎をば火焰の中から取り出だし、これを高く差し上げつゝ大音聲に叫んで、
 『諸々(もろもろ)の天に住んでゐる汝等諸々(もろもろ)の神よ。この偉大なる者の驚くべき行爲に歡喜せよ。この兎は余が何者であるかを知らなかつたにも拘らず、然も客を待遇(もてな)す料にとて余の爲めに自分の肉身を犠牲にしたのである。即ち彼は何等の施し物をも有たなかつた故に、自らの肉身を捧げたのであるから眞(まこと)に彼と彼の同族との間には雲泥の相違がある。彼は慈悲を行ふ點に於ては却つて神をも人をも慚愧せしむるものがある。』
と言つた。
 帝釋天は兎のこの行爲を人間並びに神々に知らしめんが爲めに、自分の宮殿及び神々の居所にこの兎を象徴したる姿を据ゑ置いた。そこで滿月のその夜から兎の姿は月の中に現はれるやうになつた。そして宛(さなが)ら銀の鏡に映し出だされたる影像の如き姿して滿月の夜毎に人間に對ひて慈悲の德を説き聞かせてゐる。
 さて兎の友達である獺、豹、猿の三疋は地上から姿を消して了つた。即ちかれ等は、飢えたる一人(ひとり)の婆羅門僧に對して慈悲を行ふ爲めに自らの肉身(にくしん)を犠牲に供したる、かの偉大なる兎の友として天上界へ迎へられたといふことである。 



  (注) 1.  上記の「兎の話(林光雅訳『ジャータカ物語』より)」の本文は、『国立国会図書館『デジタルコレクション』所収の『ジャータカ物語』(林光雅訳、甲子社書房・大正13年7月28日発行)に拠りました。
 『国立国会図書館デジタルコレクション』
  →『ジャータカ物語』(林光雅訳、甲子社書房・大正13年)
         (71~75/208)
   
    2.  漢字の振り仮名は括弧に入れて示しました。
 また、平仮名の「く」を縦に伸ばした形の繰り返し符号は、仮名を繰り返すことで表記しました(「たまたま」「まてまて」「さうださうだ」「イソイソと」など)。
 なお、原文で右傍線を施してあるものは、ここでは下線にしてあります。
   
    3.   文中に、今日の普通の表記とは異なる、また、歴史的仮名遣いとは合わない次のような表記が見られますが、これらは原文のままにしてあります。
「次ぎの(次の)」「美くしい(美しい)」「待遇しやう(待遇しよう)」「何に物(何物)」「爲め(爲)」「試して見やう」(試してみよう)」「失ふた(失うた)」「何卒ぞ(何卒)」「飢えたる(飢ゑたる)」
   
    4.   林光雅訳『ジャータカ物語』の「はしがき」に、
 譯者は巴利語原典の一部、ハーバードオリエンタルシリース、の梵語原典、並びにトーマスフランシスの英譯本生話、スパイアーの梵語原典の英譯、デュトーアの獨逸譯全篇、及び例のハウスペエール英譯等を座右に備へ、繁簡を取捨して約五十篇を現代的の日本語に移したのである。
とあります。(同書、4頁)
   
    5.   ジャータカ(Jātaka 梵)=古代インドの仏教説話の一つ。釈尊が前世に菩薩であった時の善行を集めたもの。パーリ語のジャータカ(約550話を含む)のほか、梵語のジャータカ‐マーラーや漢訳の六度集経などがある。絵画・彫刻などの題材となり、広く親しまれた。闍陀伽。本生ほんしょう。本生譚。本生経。                   (『広辞苑』第6版による。)      
    6.  フリー百科事典『ウィキペディア』「月の兎」「ジャータカ」の項があります。    
7.  『月兎』というホームページがあり、月と兎の伝承について調べてあって参考になります。
    8.  『赤い惑星』というサイトに『暦と星のお話』があり、そこに「月のウサギ伝説」というページがあって参考になります。
 『赤い惑星』
  →『暦と星のお話』 
  →「月のウサギ伝説」
  残念ながら今は見られないようです。
   
    9.  国立国会図書館の『レファレンス協同データベース』に、「月の兎の原話」についての質問に対する北九州市立中央図書館の回答があって、参考になります。
 →『レファレンス協同データベース』
   →  「月の兎の原話」についての質問に対する回答
   
    10.  『ジャータカ全集』全10巻(中村元 監修・補註、春秋社・1982~1991)があります。この本の新装版(2008年刊)が出ているそうです。    
    11.  『ジャータカ全集 4』(松村恒・松田慎也 訳、春秋社・1988年2月10日初版第1刷発行)の316話に、「ウサギ前生物語」が出ています。初めに、次のような前書きがあります。
 修行者に施す食べ物を何も持っていなかったウサギが焚火のなかに身を投げて、自分の肉を修行者に布施しようとする物語。

 次に、「これは、師がジェータ林に滞在しておられたとき、すべての生活用品を施すことについて語られたものである」として、ある一人の財産家が仏をはじめとする500人の修行僧に、すべての生活用品を差し上げたのに対して、師が「在俗信者よ、あなたは喜んで結構です。というのも、この布施というものはむかしの賢者たちの伝統であるからです。むかしの賢者たちは訪れた乞食(こつじき)に生命(いのち)を捨てて自分の肉をも施したのです」と言って、その財産家に請われるままに過去のことを話された、という形で物話が始まっています。その出だしは次のようになっています。

 むかし、バーラーナシーでブラフマダッタ王が国を治めていたとき、ボーディサッタはウサギの胎内に生まれ、森に住んでいた。この森の一方は山の麓、一方は河、一方は片田舎の村であった。ほかにまたウサギの三匹の友だちである猿とジャッカルとカワウソがいた。これら四匹とも賢く、いっしょに住んでおり、各自の餌あさり場で餌をあさり、夕方になると一ヵ所に集まった。ウサギの賢者は、「施しをしなければなりません。生活規律を守らねばなりません。斎戒日(さいかいび)の行(ぎょう)を実行しなくてはなりません」と、三匹を誡(いまし)めようとして教えを説いた。三匹はウサギの誡めを受けて、めいめいのすみかである藪(やぶ)のなかに入って暮らしていた。

 このように、ここに出て来る動物は、ウサギ・猿・ジャッカル・カワウソの4匹になっています。そして、バラモンに姿を変えたサッカ(帝釈天)に与える供物は、次のようになっています。
 カワウソは、一人の漁師が捕ってガンジス河の岸に砂で隠しておいた7尾の赤魚。(「これの持ち主はいますか」と3度呼んでも持ち主が見つからなかったので、カワウソは自分のすみかに持ち帰った、とあります。)
 ジャッカルは、畑の番人の小屋の中で見つけた、2串の肉と1匹のトカゲと一壺のヨーグルト。(これも、「これの持ち主はいますか」と3度呼んでも持ち主が見つからなかったので、ジャッカルは自分のすみかに持ち帰った、とあります。)
 猿は、森の中で見つけたマンゴーの実。

 
ウサギは、自分の食べる草を与えるわけにはいかないので、自分の身体の肉を差し上げようと考えて、バラモンが来たときに、「あなたは、行って薪を集め、火をおこしてから私に知らせてください。私は火の中に飛び込んで私の肉を差し上げます」と言って、バラモンがおこした炭火の中へ飛び込むときに、
 「私の毛の中に生き物がいたら、それらが死ぬことがないように」
と三度身体を振ってから、炭火の中へ身をなげました。
 ところが、その火はウサギの毛を1本も焼くことなく、まるで雪の中に入ったようであった、といいます。

 サッカ(帝釈天)は、ウサギの優れた行いが永遠に知られるようにと、山を搾って汁を取り、円い月面にウサギの姿を描きました。そして、四匹の賢者たちは仲よく暮らして、生活規律を遵守し斎戒日を正しく過ごして、それぞれにふさわしい果報を得た、という話になっています。
 この話の最後に、師が、「そのときのカワウソはアーナンダであり、ジャッカルはモッガッラーナであり、猿はサーリブッタであり、ウサギの賢者は実にわたくしであった」と、過去の前生を現在にあてはめられた、とあります。(同書、53~57頁) 
   







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