資料394 寺田寅彦の随筆「震災日記より」(旧字・旧仮名)
震災日記より
寺田寅彦
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(注) | 1. |
上記の寺田寅彦の随筆「震災日記より」(旧字・旧仮名)の本文は、『寺田寅彦全集 文學篇』第五巻( 隨筆五)(岩波書店、昭和25年9月5日第1刷発行)に拠りました。 なお、同全集の後記に、「本巻は口絵を除き旧版第五巻に同じである」という付記があります(後記7頁)。(引用者注:「旧版」とは、昭和11-13年に出版された最初の『寺田寅彦全集 文学篇』をさしています。) |
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2. | 上記の全集(第五巻)の後記によれば、〈「震災日記より」は文の末尾に昭和十年十月十日の日附のある原稿で、「橡の實」に於て初めて発表されたものである〉由です。『橡の實』は、著者の没後、昭和11年3月15日に小山書店から発行された単行本です。(扉に「吉村冬彦著」、奥付に「寺田寅彦著」とあります。) この「震災日記より」について、『橡の實』巻頭の「『橡の實』のはじめに」の中で、小宮豊隆が次のように書いています。 寺田さんは、その後、一月置きに『澁柿』の巻頭を書く傍ら、少しづつその「書きおろし」を書き溜めて行つた。そのうち寺田さんは、病氣になつた。病氣が少し重もつて、寺田さんは床につかなければならなくなつた。然し寺田さんは、床についても、からだの痛みが薄らぐ合間合間に、この「書きおろし」を殖やして行つた。そのうち寺田さんのからだの痛みは次第に劇しくなつて、寺田さんはものを書く事が出來なくなつた。小山書店の主人が行つて、毎日、寺田さんの口授を筆記する事が始まつた。然しそれも寺田さんのからだの工合で、十月十六日には、一時中斷されなければならなかつた。その中斷が、永久の中斷になるだらうとは、寺田さんも小山君も、恐らく夢にも想像しなかつたに違ひない。然し、その、誰にも夢にも想像出來なかつた事が實際に現はれて、昭和十年十二月三十一日、寺田さんは死んでしまつたのである。 寺田さんが亡くなつたあとで、小山君は、寺田さんが生前計畫してゐた『柿の種』の續篇──『橡の實』の原稿の整理を、私に一任した。私は快くそれを引き受けた。(中略) 『震災日記より』は、大正十二年の大震災の折の日記を、寺田さん自身で抄出しかけて、一二四頁一行「者が引切なしに通る。」といふ所まで書いて來てゐたのを、小山君が筆記に行き出してから、まづこの仕事の仕上げを賴まれ、先きを書き續けたものださうである。寺田さんは、自分の手帳を見ながら、是をぽつりぽつりと口授して行つたといふ。(同書、1~11頁) * 引用者注:文中に出て来る『渋柿』とは、大正4年3月に松根東洋城が創刊した俳句雑誌のことです。 |
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3. | 平仮名の「く」を縦に伸ばしたような形の繰り返し符号は、元の文字を繰り返して表記してあります(「みしみし」「千切れ千切れ」「じりじり」「うろうろ」「わざわざ」「ガラガラ」「さまざま」)。 | ||||
4. | この「震災日記より」の「震災」は、言うまでもなく大正12年9月1日に起こった関東大震災のことです。 〇関東大震災(かんとう・だいしんさい)=1923年(大正12)9月1日午前11時58分に発生した、相模トラフ沿いの断層を震源とする関東地震(マグニチュード7.9)による災害。南関東で震度6(当時の最高震度)。被害は、死者・行方不明10万5000人余、住家全半壊21万余、焼失21万余に及び、京浜地帯は壊滅的打撃をうけた。また震災の混乱に際し、朝鮮人虐殺事件・亀戸事件・甘粕事件が発生。 〇朝鮮人虐殺事件(ちょうせんじん・ぎゃくさつじけん)=1923年(大正12)9月の関東大震災の際、在日朝鮮人が暴動を起こしたという流言が伝えられ、自警団や軍隊・警察により数千人の朝鮮人が虐殺された事件。 〇亀戸事件(かめいど・じけん)=関東大震災下の亀戸警察署で社会主義者らが虐殺された事件。1923年(大正12)9月5日前後に、労働運動家の平沢計七・川合義虎ら10人、ほかに自警団員や朝鮮人を警察と軍隊が殺害。 〇甘粕事件(あまかす・じけん)=1923年(大正12)9月16日憲兵大尉甘粕正彦(1891-1945)らが、関東大震災の戒厳令下で、無政府主義者大杉栄・伊藤野枝らを殺害した事件。(以上、『広辞苑』第6版による。) |
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5. | 寺田寅彦(てらだ・とらひこ)=物理学者・随筆家。東京生れ。高知県人。東大教授。地球物理学を専攻。夏目漱石の門下、筆名は吉村冬彦。随筆・俳句に巧みで、藪柑子と号した。著「冬彦集」「藪柑子集」など。(1878~1935)(『広辞苑』第6版による。) | ||||
6. | フリー百科事典『ウィキペディア』に「寺田寅彦」の項があります。 | ||||
7. | 新字・新仮名によって読みやすく書き改められた「震災日記より」の本文を、青空文庫で読むことができます。底本は、岩波書店『寺田寅彦全集 第七巻』第五巻(平成9(1997)年6月5日発行。底本の親本は、『寺田寅彦全集 文學篇』(岩波書店、昭和60(1985)年)だそうです。 → 新字・新仮名による「震災日記より」(青空文庫) |
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8. | 寅彦が4歳から19歳までを過ごした旧宅を復元した「寺田寅彦記念館」が高知市にあります。 | ||||
9. | 電子図書館『図書館。in』で、寺田寅彦の一部の作品を、縦書きで読むことができます。 | ||||