資料391 管晏列伝第二(『史記』巻六十二)
 


 

    管晏列傳第二  史記巻六十二        司 馬  遷  

管仲夷吾者潁上人也少時常與鮑叔牙游鮑叔知其賢管仲貧困常欺鮑叔鮑叔終善遇之不以爲言已而鮑叔事齊公子小白管仲事公子糾及小白立爲桓公公子糾死管仲囚焉鮑叔遂進管仲管仲既用任政於齊齊桓公以覇九合諸侯一匡天下管仲之謀也管仲曰吾始困時嘗與鮑叔賈分財利多自與鮑叔不以我爲貪知我貧也吾嘗爲鮑叔謀事而更窮困鮑叔不以我爲愚知時有利不利也吾嘗三仕三見逐於君鮑叔不以我爲不肖知我不遭時也吾嘗三戰三走鮑叔不以我爲怯知我有老母也公子糾敗召忽死之吾幽囚受辱鮑叔不以我爲無恥知我不羞小節而恥功名不顯于天下也生我者父母知我者鮑子也鮑叔既進管仲以身下之子孫世祿於齊有封邑者十餘世常爲名大夫天下不多管仲之賢而多鮑叔能知人也
管仲既任政相齊以區區之齊在海濱通貨積財富國彊兵與俗同好惡故其稱曰倉廩實而知禮節衣食足而知榮辱上服度則六親固四維不張國乃滅亡下令如流水之原令順民心故論卑而易行俗之所欲因而予之俗之所否因而去之其爲政也善因禍而爲福轉敗而爲功貴輕重愼權衡桓公實怒少姫南襲蔡管仲因而伐楚責包茅不入貢於周室桓公實北征山戎而管仲因而令燕修召公之政於柯之會桓公欲背曹沫之約管仲因而信之諸侯由是歸齊故曰知與之爲取政之寶也管仲富擬於公室有三歸反坫齊人不以爲侈管仲卒齊國遵其政常彊於諸侯後百餘年而有晏子焉
晏平仲嬰者萊之夷維人也事齊靈公莊公景公以節儉力行重於齊既相齊食不重肉妾不衣帛其在朝君語及之即危言語不及之即危行國有道即順命無道即衡命以此三世顯名於諸侯越石父賢在縲紲中晏子出遭之塗解左驂贖之載歸弗謝入閨久之越石父請絶晏子懼然攝衣冠謝曰嬰雖不仁免子於戹何子求絶之速也石父曰不然吾聞君子詘於不知己而信於知己者方吾在縲紲中彼不知我也夫子既已感寤而贖我是知己知己而無禮固不如在縲紲之中晏子於是延入爲上客晏子爲齊相出其御之妻從門閒而闚其夫其夫爲相御擁大葢策駟馬意氣揚揚甚自得也既而歸其妻請去夫問其故妻曰晏子長不滿六尺身相齊國名顯諸侯今者妾觀其出志念深矣常有以自下者今子長八尺乃爲人僕御然子之意自以爲足妾是以求去也其後夫自抑損晏子怪而問之御以實對晏子薦以爲大夫
太史公曰吾讀管氏牧民山高乘馬輕重九府及晏子春秋詳哉其言之也既見其著書欲觀其行事故次其傳至其書世多有之是以不論論其軼事管仲世所謂賢臣然孔子小之豈以爲周道衰微桓公既賢而不勉之至王乃稱霸哉語曰將順其美匡救其惡故上下能相親也豈管仲之謂乎方晏子伏莊公尸哭之成禮然後去豈所謂見義不爲無勇者邪至其諫説犯君之顔此所謂進思盡忠退思補過者哉假令晏子而在余雖爲之執鞭所忻慕焉

 





    (注)  1. 本文は、新釈漢文大系88『史記 八(列伝一)』(水沢利忠著、明治書院・
         平成2年2月10日初版発行)によりました。ただし、返り点・句読点は省略し
         ました。
        2. 管仲(かんちゅう)=春秋時代の斉の賢相。法家の祖。名は夷吾。字は仲・
             敬仲。河南潁上の人。親友鮑叔牙
(ほうしゅくが)のすすめによって桓公に
             仕え、覇を成さしめた。「管子」はその名に託した後世の書。(-前645)
           鮑叔牙(ほうしゅくが)=春秋時代の斉の賢相。襄公の弟小白の大夫として
             これを補佐し、後に小白が斉公(桓公)となったとき、その知己管仲を宰
             相に推した。「管鮑の交わり」を以て名高い。
           管鮑の交わり(かんぽうのまじわり)=〔史記
管仲伝〕(管仲と鮑叔牙とが互い
             に親しくして、終始交情を温めたことから)友人同士の親密な交際。
                                   
(以上、『広辞苑』第6版による)
           管鮑の交わり(かんぽうのまじわり)=管仲と鮑叔との交際。まことの友情で
             つらぬかれた、情愛の深い交友関係をいう。
                           
 (赤塚忠著『漢文の基礎』旺文社、昭和42年による)
        3. この管仲と鮑叔の交友態度を称えた杜甫の詩があります。        
              貧交行            貧交行
(ひんかうかう)
           翻手作雲覆手雨   
手を翻(ひるがへ)せば雲と作(な)り 手を覆(くつがへ)せば雨、
           紛紛輕薄何須數   
紛紛(ふんぷん)たる軽薄 何ぞ数(かぞ)ふるを須(もち)ひん。
           君不見管鮑貧時交 
君見ずや 管鮑(くわんぱう)貧時(ひんじ)の交はり、
           此道今人棄如土   
此の道  今人(こんじん)(す)てて土(つち)の如し。
                                        (『唐詩選』巻二 七言古詩)
            この詩について、目加田誠氏は、その著『唐詩選』(新釈漢文大系19、明治書院・昭和
           39年)に、「この詩は天宝十一載、作者が長安にいて、貧しさに苦しんだころ の作とされ、
           世人の彼に冷たく、つれなく、交態の薄きを嘆き憤ったうた」と書いておられます。

        4. 『China the Beautiful』(錦繍中華之一頁)というサイトで、『史記三家注』の
          「管晏列伝第二」を読むことができます。
          
『China the Beautiful』(錦繍中華之一頁) → 下方の「歴史傳記」をクリック 
            → 「史記三家注」の「列傳 
一至十」をクリック → 史記巻六十二 管晏列傳第二
                    
お断り: 現在は見られないようです。(2017年10月27日)
        5. 『国立国会図書館デジタルコレクション』の中に、『国訳漢文大成』(経子史部
         第15巻と経子史部第20巻、文学部第18-20巻)が収録されており、そこで「国訳
         史記列伝 上巻」の「管晏列伝第二」
(10-13/446)を見る(読む)ことができます。
          また、「管晏列伝第二」の原文を見る(読む)こともできます。
        6. 「中國學」関係のリンク(参考)
『べんぞう(伊藤祥司)リンク1997』に、
          「中國學」関係のリンクが沢山出ていて参考になります。

                  




                                         
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