資料389 寺田寅彦の随筆「疑問と空想」(旧字・旧仮名)
  
 




         
疑問と空想         
                    
寺田寅彦  
         

 


       一 ほとゝぎすの啼聲

 信州沓掛驛近くの星野温泉に七月中旬から下旬へかけて滯在してゐた間に毎日うるさい程ほとゝぎすの聲を聞いた。略同じ時刻に略同じ方面から略同じ方向に向けて飛びながら啼くことが屢々あるやうな氣がした。
 その啼聲は自分の經驗した場合では所謂「テッペンカケタカ」を三度位繰返すが通例であつた。多くの場合に、飛出してから間もなく繰返し啼いてそれ切りあとは啼かないらしく見える。時には三聲のうちの終の一つ又二つを「テッペンカケタ」で止めて最後の「カ」を略することがあり、それから又單に「カケタカ、カケタカ」と二度だけ繰返すこともある。
 夜啼く場合と、晝間深い霧の中に飛びながら啼く場合とは、屢々經驗したが、晝間快晴の場合はあまり多くは經驗しなかつたやうである。
 飛びながら啼く鳥は外にもいろいろあるが、併しほとゝぎすなどは最も著しいものであらう。この啼聲が一體何事を意味するかゞ疑問である。郭公の場合には明に雌を呼ぶ爲だと解釋されてゐるやうであるが、ほとゝぎすの場合でも果して同樣であるか、どうかは疑はしい。前者は靜止して鳴くらしいのに後者は多くの場合には飛びながら鳴くので、鳴き終つた頃にはもう別の場所に飛んで行つてゐる勘定である。雌が啼聲をたよりにして、近寄るには甚だ不便である。
 この鳴聲の意味を色々考へてゐたときにふと思ひ浮んだ一つの可能性は、この鳥がこの特異な啼音を立てゝ、さうしてその音波が地面や山腹から反射して來る反響を利用して、所謂「反響測深法」(
echo-sounding)を行つてゐるのではないかといふことである。
 自分の目測した處では時鳥の飛ぶのは低くて地上約百米か高くて二百米のところであるらしく見えた。假りに百七十米程度とすると自分の聲が地上で反射されて再び自分の處へ歸つて來るのに約一秒かゝる。ところが面白いことには「テッペンカケタカ」と一囘啼くに要する時間が略二秒程度である。それで第一聲の前半の反響が略その第一聲の後半と重なり合つて鳥の耳に到着する勘定である。從つて鳥の地上高度によつて第一聲前半の反響とその後半とが色々の位相で重なり合つて來る。それで、もしも鳥が反響に對して十分鋭敏な聽覺をもつて居るとしたら、その反響の聽覺と自分の聲の聽覺との干渉によつて二つの位相次第でいろいろちがつた感覺を受取ることは可能である。或は又反響は自分の聲と同じ音程音色をもつてゐるから、それが發聲器官に微弱ながらも共鳴を起し、それが一種特異な感覺を生ずるといふことも可能である。
 これは單なる想像である。併しこの想像は實驗によつて檢査し得らるゝ見込がある。それにはこの鳥の飛行する地上の高さを種々の場合に實測し、又同時に啼音のテムポを實測するのが近道であらう。鳥の大きさが假定出來れば單に仰角と鳥の身長の視角を測るだけで高さが分るし、ストップ・ウォッチ一つあれば大體のテムポはわかる。熱心な野鳥研究家のうちにもしこの實測を試みる人があれば、その結果は自分の假説などはどうならうとも、それとは無關係に有益な研究資料となるであらう。
 星野温泉は一寸した谷間になつてゐるが、それを横切つて飛ぶことが屢々あつた。さういふ場合には反響によつて晝間は勿論眞暗な時でも地面の起伏を知り又手近な山腹斜面の方向を知る必要がありさうに思はれる。鳥は夜盲であり羅針盤をもつてゐないとすると、暗い谷間を飛行するのは非常に危險である。それに拘らずいつも十分な自信をもつて自由に飛行して目的地に達するとすれば、その爲には何か物理學的な測量方法を持合はせてゐると考へない譯にはゆかないのである。
 これに聯關して又、五位鷺や雁などが飛びながら折々啼くのも、單に友を呼び交はし又互に警告し合ふばかりでなく或はその反響によつて地上の高さを瀬踏みする爲に幾分か役立つのではないかと思はれるし、又鳶が滑翔しながら例のピーヒョロピーヒョロを繰返すのも矢張同樣な意味があるのではないかといふ疑も起し得られる。これ等の疑問も若し精密な實測による統計材料が豊富にあればいつかは是非いづれとも解決し得られる問題であらうと思はれる。

       二 九官鳥の口まね

 先達て三越の展覧會で色々の人語を操る九官鳥の一例を觀察する機會を得た。この鳥が、例へば「モシモシカメヨカメサンヨ」といふのが、一應は如何にもそれらしく聞える。併しよく聞いて見ると、大體の音の抑揚
(アクセント)と律動(リズム)が似て居るだけで、母音も不完全であるし、子音はもとより到底ものになつて居ない。是は鳥と人間とで發聲器の構造や大さの違ふことから考へて當然の事と思はれる。問題は唯、それ程違つたものが、どうして同じやうに「聞える」かといふことである。想ふに、これに對する答はざつと二つに分析されるべきである。その一つは心理的な側からするものであつて、それは、暗示の力により、自分の期待するものゝ心像をそれに類似した外界の對象に投射するといふ作用によつて説明される。枯柳を見て幽靈を認識する類である。もう一つの答解は物理的或は寧ろ生理的音響學の領域に屬する。さうしてこれに關しては可也多くの興味ある問題が示唆されるのである。
 吾々の言語を言語として識別させるに必要な要素としての母音や子音の差別目標となるものは、主として振動數の著しく大きい倍音、或は基音とは殆ど無關係な所謂形成音
(フォルマント)のやうなものである。それで考へ方によつては、夫等の音をそれぞれの音として成立せしめる主體となるものは基音でなくて寧ろ高次倍音また形成音だとも言はれはしないかと思ふ。
 かういふ考が妥當であるかないかを決するには、次のやうな實驗をやつて見ればよいと思はれる。人間の言葉の音波列を分析して、その組成分の中からその基音並に低い方の倍音を除去して、その代りに、もとよりはずつと振動數の大きい任意の音を色々と置換へて見る。さういふ人工的な音を響かせてさうしてそれを聞いて見て、それがもし本來の言葉と略同じやうに「聞え」たとしたなら、その時にはじめて上記の考が大體に正しいといふことになるであらう。
 此れは餘りにも勝手な空想であるが、かうした實驗も現在の進んだ音響學のテクニックを以てすれば決して不可能ではないであらう。
 それは兎に角、以上の空想は又次の空想を生み出す。それは、九官鳥の「モシモシカメヨ」が、事によると、今こゝで想像したやうな人工音製造の實驗を、鳥自身も人間も知らない間に、ちやんと實行してゐるのではないかといふことである。
 この想像のテストは前記の人工音合成の實驗よりはずつと簡單である。即ち、鳥の「モシモシカメヨ」と人間のそれとのレコードを分析し、比較するだけの手數でいづれとも決定されるからである。
 かうした研究の結果如何によつては、杜鵑の聲を「テッペンカケタカ」と聞いたり、頰白の囀りを「一筆啓上仕候」と聞いたりすることが、うつかりは非科學的だと云つて笑はれないことになるかも知れない。兎も角も、人間の音聲に飜譯した鳥の啼聲と、本物とのレコードを丹念に比較して見るといふ研究もそれほどつまらない仕事ではないであらうと思はれるのである。

                           (昭和九年十月、科學知識)  


   
    

 


  (注) 1.  上記の寺田寅彦の随筆「疑問と空想」(旧字・旧仮名)の本文は、『寺田寅彦全集 文學篇』 第五巻(隨筆五)(岩波書店、昭和25年9月5日第1刷発行)に拠りました。
 なお、同全集の後記に、「本巻は口絵を除き旧版第五巻に同じである」という付記があります(後記7頁)。
(引用者注:「旧版」とは、昭和11-13年に出版された最初の『寺田寅彦全集 文学篇』をさしています。)    
   
    2.  上記の全集(第五巻)の後記によれば、「疑問と空想」は、本名を以て昭和9年10月『科学知識』第14巻第10号に発表され、昭和10年7月発行の『蛍光板』に収録された由です。    
    3.  平仮名の「く」を縦に伸ばしたような形の繰り返し符号は、元の文字を繰り返して表記してあります(「いろいろ」「ピーヒョロピーヒョロ」「それぞれ」)。
 また、平仮名の「こ」を押しつぶしたような形の繰り返し符号は、「々」に置き換えてあります(「屢々」)。
 なお、本文中に「啼く」「鳴く」・「啼聲」「鳴聲」の両方が出ていますが、これは全集本文のままです。
   
    4.  寺田寅彦(てらだ・とらひこ)=物理学者・随筆家。東京生れ。高知県人。東大教授。地球物理学を専攻。夏目漱石の門下、筆名は吉村冬彦。随筆・俳句に巧みで、藪柑子と号した。著「冬彦集」「藪柑子集」など。(1878~1935)(『広辞苑』第6版による。)    
    5.  フリー百科事典『ウィキペディア』に「寺田寅彦」の項があります。           
    6.  新字・新仮名によって読みやすく書き改められた「疑問と空想」の本文を、青空文庫で読むことができます。底本は、改版された岩波文庫『寺田寅彦随筆集』第五巻(昭和23(1948)年11月20日第1刷発行、昭和38(1963)年6月16日第20刷改版発行、平成5(1933)年10月15日第61刷発行)だそうです。
   新字・新仮名による「疑問と空想」(青空文庫)
   
    7.  寅彦が4歳から19歳までを過ごした旧宅を復元した「寺田寅彦記念館」が高知市にあります。           
    8.  電子図書館『図書館。in』で、寺田寅彦の一部の作品を、縦書きで読むことができます。    
           
           

 

         

 
                                 トップページ(目次)