(注) | 1. |
上記の本文は新釈漢文大系 52 『管子 下』(遠藤哲夫著、明治書院・平成4年5月15日初版発行)によりました。 ただし、本文に付けてある返り点・句読点等は、これを省略しました。新釈漢文大系には、書き下し文や校異・通釈・語釈がついていますので、詳しくはそちらを参照してください。 底本については凡例に、「本書の底本には原則的に『明趙氏本管子』(光緒2年浙江書局)を用いたが、『管子集校』を初めとして諸本・諸説を参照して校訂を施した」とあります。 |
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2. | 『管子』という著作について 「衣食足りて礼節を知る」という言葉の原典として知られる『管子』は、古くは春秋時代の斉の管仲の著作として伝えられたが、その中に管仲よりは後代のことが記されていることなどにより、管仲自身の著作ではなく、戦国時代から秦漢にかけて、管仲の偉業を敬慕する後学の者たちによって成立したもの、と考えられているようです。しかし、中に管仲自撰のものも含まれている、とする考え方もあるようです。 金谷治氏は、その著『管子の研究』(昭和62年、岩波書店)の結語において、「『管子』の全体は、おおよそ戦国中期の初めから漢の武帝・昭帝期のころまで、ほとんど三百年にわたって書き継がれてきたものである。それは管仲その人のこととして伝承されてきたものを核として最初に成立し(原『管子』)、その後、異聞を加え、時代に応じた補修を施し、また新旧の資料を寄せ集めた新篇を増補してできあがったものである」と述べておられるそうです。(この項は、新釈漢文大系42『管子 上』の「管子解題」(筆者:遠藤哲夫氏)の「『管子』の書について」によりました。同書、3~9頁) |
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3. |
〇管子(かんし)=(1)管仲(かんちゅう)の敬称。(2)斉(せい)の富民・治国・敬神・布教の術を述べた書。原本は86編といわれるが、現存76編、24巻。(『広辞苑』第6版による。) 〇管子(かんし)=(1)くだ。くだ状のもの。(2)春秋時代の斉(せい)の管仲(かんちゅう)のこと。(3)(書名)24巻。春秋時代、斉(せい)の管仲(?~前645)の著と伝えられる。成立年代不明。政治・経済・軍事などの諸問題について、具体的な政策を示しつつ論じてある。(『改訂新版 漢字源』2002年版による。) 〇管仲(かんちゅう)=春秋時代、斉の賢相。法家の祖。名は夷吾。字は仲・敬仲。河南潁上の人。親友鮑叔牙(ほうしゅくが)のすすめによって桓公に仕え、覇を成さしめた。「管子」はその名に託した後世の書。(-前645) 〇管鮑の交わり(かんぽうのまじわり)=〔史記管仲伝〕(管仲と鮑叔牙とが互いに親しくして、終始交情を温めたことから)友人同士の親密な交際。 (以上の2項は『広辞苑』第6版による。) |
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4. | 『広島大学図書館 教科書コレクション画像データベース』で、『弟子職』(『弟子職補解』)(唐
房玄齡註釈; 劉績 増註・明 朱長春 通演・日本 冢田虎 補解、文政7年(1824)江都 嵩山房・尾張東壁堂 発行)を見ることができますが、画像が小さいので読むことはかなり困難なようです。 〇冢田虎(つかだ・とら)・冢田大峰(つかだ・たいほう)=江戸後期の儒学者。名は虎。通称、多門。信濃の人。細井平洲に学び、尾張藩明倫堂督学。寛政異学の禁に際し、「滑川談(なめりかわだん)」を著し批判。著「聖道弁物」などを家塾雄風館で刊行。冢註(ちょうちゅう)とよばれる経書注釈書を残す。(1745-1832) 〇細井平洲(ほそい・へいしゅう)=江戸中期の儒学者。名は徳民。尾張の豪農の子。折衷学派の一人。江戸に塾を開き、米沢藩主上杉鷹山(ようざん)に招かれ、藩校興譲館の設立や藩政改革に参与。ついで尾張藩儒、藩校明倫堂の督学。領民教化にも努めた。著「嚶鳴館遺稿」など。(1728-1801)(以上、『広辞苑』第6版による。) |
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5. | 『米沢興譲館同窓会』というサイトで、細井平洲揮毫の「興譲館学則」を見ることができます。ここには「興譲館学則」の読みと現代語訳も出ています。 この細井平洲揮毫の「学則」は、山形県立米沢興譲館高等学校が所蔵しており、生徒たちは今もこの「学則」を読んでいるということが、平成21年(2009)11月25日放送のNHK『歴史ヒストリア』「ただ、人を助けたい~直江兼続と「義」の後継者たち~」で紹介されました。 『米沢興譲館同窓会』のサイトで、『歴史ヒストリア』「ただ、人を助けたい~直江兼続と「義」の後継者たち~」の紹介文が見られます。 |
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6. |
(1)「学則」の部分の新釈漢文大系『管子 下』の読みを次に示しておきます。 學則 先生敎へを施(ほどこ)し、弟子(ていし)是(こ)れ則(のつと)る。 温恭(をんきよう)にして自(みづか)ら虚(むなし)くし、受くる所は是(こ)れ極(きは)む。 善を見ては之(これ)に從ひ、義を聞けば則(すなは)ち服す。 温柔(をんじう)孝悌(かうてい)にして、驕(おご)りて力(ちから)を恃(たの)む毋(な)かれ。 志(こころざし)は虚邪(きよじや)毋(な)く、行(おこな)ひは必ず正直(せいちよく)にす。 游居(いうきよ)するには常(つね)有り、必ず有德(いうとく)に就(つ)く。 顔色(がんしよく)は整齊(せいせい)にして、中心必ず式(のり)あり。 夙(つと)に興(お)き夜(よは)に寐(い)ね、衣帶(いたい)必ず飾(ととの)ふ。 朝(あした)に益(えき)し暮(くれ)に習ひ、小心(せうしん)翼翼(よくよく)たり。 此(これ)に一(いつ)にして解(おこた)らず、是(これ)を學則と謂(い)ふ。 (2) 『米沢興譲館同窓会』のサイトに出ている「興譲館学則」の読みを次に示しておきます。ただし、引用者が漢字を旧字体に、仮名遣いを歴史的仮名遣いに直してあります。 學則 先生敎へを施(ほどこ)し、弟子(ていし)これに則(のつと)る。 温恭(をんきよう)自(みづか)ら虚(むなし)うし、受くる所これを極(きは)む。 善を見てはこれに從ひ、義を聞いては則(すなは)ち服す。 温柔(をんじう)孝悌(かうてい)にして、驕(おご)りて力(ちから)を恃(たの)むことなく、 志(こころざし)に虚邪(きよじや)なく、行(おこな)ひは必ず正直(せいちよく)。 游居(いうきよ)常(つね)有り、必ず有德(うとく)に就(つ)く。 顔色(がんしよく)整齊(せいせい)、中心必ず式(つつ)しみ、 夙(つと)に興(お)き夜(よは)に寐(い)ね、衣帶(いたい)必ず飾(ととの)ふ。 朝(あした)に益(えき)し暮れに習ひ、小心翼翼(せうしんよくよく)。 此れを一(いつ)にして解(おこた)らず、是(これ)を學則といふ。 安永丙申九月 紀德民敬書 |
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7. | 『諸子百家 中國哲學書電子化計劃』というサイトがあり、ここで『管子』を見る(読む)ことができます。 → 『管子』 → 『管子』の「弟子職」 |