資料388 『管子』巻第十九・弟子職第五十九



 

      弟子職第五十九      『管子』巻第十九  

 

 



先生施敎弟子是則温恭自虚所受是極見善從之聞義則服温柔孝悌毋驕恃力志毋虚邪行必正直游居有常必就有德顔色整齊中心必式夙興夜寐衣帶必飾朝益暮習小心翼翼一此不解是謂學則

少者之事夜寐蚤作既拚盥漱執事有恪攝衣共盥先生乃作沃盥徹盥汎拚正席先生乃坐出入恭敬如見賓客危坐郷師顔色毋怍受業之紀必由長始一周則然其餘則否始誦必作其次則已凡言與行思中以爲紀古之將興者必由此始後至就席狹坐則起若有賓客弟子駿作對客無讓應且遂行趨進受命所求雖不在必以反命反坐復業若有所疑奉手問之師出皆起
至於食時先生將食弟子饌饋攝衽盥漱跪坐而饋置醬錯食陳膳毋悖凡置彼食鳥獸魚鼈必先菜羹羹胾中別胾在醬前其設要方飯是爲卒左酒右醬告具而退奉手而立三飯二斗左執虚豆右執挾匕周還而貳唯嗛之視同嗛以齒周則有始柄尺不跪是謂貳紀先生已食弟子乃徹趨走進漱拚前歛祭先生有命弟子乃食以齒相要坐必盡席飯必奉擥羹不以手亦有據膝毋有隱肘既食乃飽循咡覆手振衽掃席已食者作摳衣而降旋而郷席各徹其餽如於賓客既徹幷器乃還而立
凡拚之道實水于盤攘臂袂及肘堂上則播灑室中握手執箕膺揲厥中有帚入戸而立其儀不忒執帚下箕倚于戸側凡拚之紀必由奧始俯仰磬折拚毋有徹拚前而退聚於戸内坐板排之以葉適己實帚于箕先生若作乃興而辭坐執而立遂出弃之既拚反立是協是稽
暮食復禮昬將擧火執燭隅坐錯總之法横于坐所櫛之遠近乃承厥火居句如矩蒸閒容烝然者處下奉椀以爲緒右手執燭左手正櫛有墮代燭交坐毋倍尊者乃取厥櫛遂出是去
先生將息弟子皆起敬奉枕席問所何趾俶衽則請有常有否先生既息各就其友相切相磋各長其儀周則復始是謂弟子之紀
 

 

 



   
※ 「三飯二斗」の「斗」は、原文「弓-(勹-ノ)+一+l」ですが、うまく表記できませんので、
     「斗」の正字という遠藤先生の注に従って、「斗」にしてあります。



 

 

 

〔遠藤哲夫先生の校訂の結果を用いての本文表示〕

先生施敎弟子是則温恭自虚所受是極見善從之聞義則服温柔孝悌毋驕恃力志毋虚邪行必正直游居有常必就有德顔色整齊中心必式夙興夜寐衣帶必飭朝益暮習小心翼翼一此不解是謂學則

少者之事夜寐蚤作既拚盥漱汛拚正席攝衣共盥先生乃作沃盥徹盥先生乃坐出入恭敬如見賓客危坐郷師執事有恪受業之紀必由長始一周則然其餘則否始誦必作其次則已後至就席狹坐則起凡言與行思中以爲紀古之將興者必由此始若有賓客弟子駿作對客無嚷顔色毋怍應且遂行趨進受命所求雖不在必以反命反坐復業若有所疑奉手問之師出皆起
至於食時先生將食弟子饌饋攝衽盥漱跪坐而饋置醬錯食陳膳毋悖凡置彼食鳥獸魚鼈必先菜羹羹胾中別胾在醬前其設要方飯是爲卒左酒右漿告具而退奉手而立三飯二汁左執豆右執梜匕周還而貳唯嗛之視同嗛以齒周則有始柄尺不跪是謂貳紀先生已食弟子乃徹趨走進漱拚前歛祭先生有命弟子乃食以齒相要坐必盡席飯必奉掔羹不以手毋有據膝毋有隱肘既食乃飽循咡覆手振衽掃席已食者作摳衣而降旋而郷席各徹其餽如於賓客既徹屛器乃還而立
凡拚之道實水于盤攘袂及肘堂上則播灑室中握手執箕膺揲厥中有帚入戸而立其儀不忒執帚下箕倚于戸側凡拚之紀必由奧始俯仰磬折拚毋有徹拚前而退聚於戸内坐扱排之以葉適己實帚于箕先生若作乃興而辭坐執而立遂出弃之既拚反立是協是稽
暮食復禮昬將擧火執燭隅坐錯總之法横于坐所櫛之遠近乃承厥火居句如矩蒸閒容烝然者處下奉椀以爲緒右手執燭左手正櫛有惰代燭交坐毋倍尊者乃取厥櫛遂出是去
先生將息弟子皆起敬奉枕席問所何趾俶衽則請有常則否先生既息各就其友相切相磋各長其儀周則復始是謂弟子之紀
 

 

 

   ※ 本文中の「」(虚+瓦)の漢字は、島根県立大学 “e漢字”を利用させていただきました。
    
 

 

   (注)  1. 上記の本文は新釈漢文大系 52 『管子 下』(遠藤哲夫著、明治書院・平成4年5月15
         日初版発行)によりました。
          ただし、本文に付けてある返り点・句読点等は、これを省略しました。新釈漢文大系には、
         書き下し文や校異・通釈・語釈がついていますので、詳しくはそちらを参照してください。
          底本については凡例に、「本書の底本には原則的に『明趙氏本管子』(光緒2年浙江書
         局)を用いたが、『管子集校』を初めとして諸本・諸説を参照して校訂を施した」とあります。
        2. 『管子』という著作について
          「衣食足りて礼節を知る」という言葉の原典として知られる『管子』は、古くは春秋時代の
         斉の管仲の著作として伝えられたが、その中に管仲よりは後代のことが記されていること
         などにより、管仲自身の著作ではなく、戦国時代から秦漢にかけて、管仲の偉業を敬慕す
         る後学の者たちによって成立したもの、と考えられているようです。しかし、中に管仲自撰
         のものも含まれている、とする考え方もあるようです。
          金谷治氏は、その著『管子の研究』(昭和62年、岩波書店)の結語において、「『管子』
         の全体は、おおよそ戦国中期の初めから漢の武帝・昭帝期のころまで、ほとんど三百年
         にわたって書き継がれてきたものである。それは管仲その人のこととして伝承されてきた
         ものを核として最初に成立し(原『管子』)、その後、異聞を加え、時代に応じた補修を施し、
         また新旧の資料を寄せ集めた新篇を増補してできあがったものである」と述べておられる
         そうです。(この項は、新釈漢文大系42『管子 上』の「管子解題」(筆者:遠藤哲夫氏)の
         「『管子』の書について」によりました。同書、3~9頁)
        3. 管子(かんし)=(1)管仲
(かんちゅう)の敬称。(2)斉(せい)の富民・治国・敬神・布教の術
              を述べた書。原本は86編といわれるが、現存76編、24巻。
                                          
           (『広辞苑』第6版による。)
           
管子(かんし)=(1)くだ。くだ状のもの。(2)春秋時代の斉(せい)の管仲(かんちゅう)のこ
              と。(3)(書名)24巻。春秋時代、斉
(せい)の管仲(?~前645)の著と伝えられ
              る。成立年代不明。政治・経済・軍事などの諸問題について、具体的な政策を示
              しつつ論じてある。               
 (『改訂新版 漢字源』2002年版による。) 
           
管仲(かんちゅう)=春秋時代、斉の賢相。法家の祖。名は夷吾。字は仲・敬仲。河南
              潁上の人。親友鮑叔牙
(ほうしゅくが)のすすめによって桓公に仕え、覇を成さしめた。
              「管子」はその名に託した後世の書。(-前645)
          管鮑の交わり(かんぽうのまじわり)=〔史記
管仲伝〕(管仲と鮑叔牙とが互いに親しくして、
              終始交情を温めたことから)友人同士の親密な交際。 
                                              
 (以上、『広辞苑』第6版による。)
        4.
『広島大学図書館教科書コレクション』で、『弟子職』(『弟子職補解』)(唐 房玄齡註釈;
         劉績 増註・明 朱長春 通演・日本 冢田虎 補解、文政7年(1824)江都 嵩山房・尾張
         東壁堂 発行)を見ることができますが、画像が小さいので読むことはできないようです。
           
冢田虎(つかだ・とら)・冢田大峰(つかだ・たいほう)=江戸後期の儒学者。名は虎。通称、多門。
                信濃の人。細井平洲に学び、尾張藩明倫堂督学。寛政異学の禁に際し、「滑川談(なめり
                かわだん)」を著し批判。著「聖道弁物」などを家塾雄風館で刊行。冢註(ちょうちゅう)とよば
                れる経書注釈書を残す。(1745-1832)
          
           
細井平洲(ほそい・へいしゅう)=江戸中期の儒学者。名は徳民。尾張の豪農の子。折衷学派の
                一人。江戸に塾を開き、米沢藩主上杉鷹山(ようざん)に招かれ、藩校興譲館の設立や藩
                政改革に参与。ついで尾張藩儒、藩校明倫堂の督学。領民教化にも努めた。著「嚶鳴館
                遺稿」など。(1728-1801)
             (以上、『広辞苑』第6版による。)
        5. 『米沢興譲館同窓会』というサイトで、細井平洲揮毫の「興譲館学則」を見ることがで
         きます。この細井平洲揮毫の「学則」は、山形県立米沢興譲館高等学校が所蔵してお
         り、生徒たちは今もこの「学則」を読んでいるということが、平成21年(2009)11月25
         日放送のNHK『歴史ヒストリア』「ただ、人を助けたい~直江兼続と「義」の後継者たち
         ~」で紹介されました。
        6. (1)「学則」の部分の新釈漢文大系『管子 下』の読みを次に示しておきます。

 

學則

 

 

先生敎へを施(ほどこ)し、弟子(ていし)(こ)れ則(のつと)る。
温恭
(をんきよう)にして自(みづか)ら虚(むなし)くし、受くる所は是(こ)れ極(きは)む。
善を見ては之
(これ)に從ひ、義を聞けば則(すなは)ち服す。
温柔
(をんじう)孝悌(かうてい)にして、驕(おご)りて力(ちから)を恃(たの)む毋(な)かれ。
(こころざし)は虚邪(きよじや)(な)く、行(おこな)ひは必ず正直(せいちよく)にす。
游居
(いうきよ)するには常(つね)有り、必ず有德(いうとく)に就(つ)く。
顔色
(がんしよく)は整齊(せいせい)にして、中心必ず式(のり)あり。
(つと)に興(お)き夜(よは)に寐(い)ね、衣帶(いたい)必ず飾(ととの)ふ。
(あした)に益(えき)し暮(くれ)に習ひ、小心(せうしん)翼翼(よくよく)たり。
(これ)に一(いつ)にして解(おこた)らず、是(これ)を學則と謂(い)ふ。

 

          (2) 『米沢興譲館同窓会』のサイトに出ている「興譲館学則」の読みを次に示してお
            きます。ただし、引用者が漢字を旧字体に、仮名遣いを歴史的仮名遣いに直して
            あります。

 

學則

 

 

先生敎へを施(ほどこ)し、弟子(ていし)これに則(のつと)る。
温恭
(をんきよう)(みづか)ら虚(むなし)うし、受くる所これを極(きは)む。
善を見てはこれに從ひ、義を聞いては則
(すなは)ち服す。
温柔
(をんじう)孝悌(かうてい)にして、驕(おご)りて力(ちから)を恃(たの)むことなく、
(こころざし)に虚邪(きよじや)なく、行(おこな)ひは必ず正直(せいちよく)
游居
(いうきよ)(つね)有り、必ず有德(うとく)に就(つ)く。
顔色
(がんしよく)整齊(せいせい)、中心必ず式(つつ)しみ、
(つと)に興(お)き夜(よは)に寐(い)ね、衣帶(いたい)必ず飾(ととの)ふ。
(あした)に益(えき)し暮れに習ひ、小心翼翼(せうしんよくよく)
此れを一
(いつ)にして解(おこた)らず、是(これ)を學則といふ。

  安永丙申九月         紀德民敬書

 

        7. 『諸子百家 中國哲學書電子化計劃』というサイトがあり、ここで『管子』を見る(読む)
         ことができます。
     → 『管子』   
                           → 『管子』の「弟子職」
     
                                     




                                                                                   
                                  
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