資料387 寺田寅彦の随筆「天災と国防」(旧字・旧仮名)

        


         
天災と國防        寺田寅彦  
         

 


 「非常時」といふ何となく不氣味な併しはつきりした意味の分りにくい言葉が流行り出したのは何時頃からであつたか思出せないが、唯近來何かしら日本全國土の安寧を脅かす黑雲のやうなものが遠い水平線の向側からこつそり覗いてゐるらしいといふ、云はゞ取止めのない惡夢のやうな不安の陰影が國民全體の意識の底層に搖曳してゐることは事實である。さうして、その不安の渦巻の廻轉する中心點はと云へば矢張近き將來に期待される國際的折衝の難關であることは勿論である。
 さういふ不安を更に煽り立てゞもするやうに、今年になつてから色々の天變地異が踵を次いで我國土を襲ひ、さうして夥しい人命と財産を奪つたやうに見える。あの恐ろしい函館の大火や近くは北陸地方の水害の記憶が未だ生ま生ましいうちに、更に九月二十一日の近畿地方大風水害が突發して、其損害は容易に評價の出來ない程甚大なものであるやうに見える。國際的の所謂「非常時」は、少くも現在に於ては、無形な實證のないものであるが、此等の天變地異の「非常時」は最も具象的な眼前の事實としてその慘狀を暴露してゐるのである。
 一家のうちでも、どうかすると、直接の因果關係の考へられないやうな色々な不幸が頻發することがある。すると人は屹度何かしら神祕的な因果應報の作用を想像して祈禱や厄拂ひの他力にすがらうとする。國土に災禍の續起する場合にも同樣である。併し統計に關する數理から考へて見ると、一家なり一國なりに或年は災禍が重疊し又他の年には全く無事な廻り合はせが來るといふことは、純粹な偶然の結果としても當然期待され得る「自然變異
(ナチュラルフラクチュエーション)」の現象であつて、別に必しも怪力亂神を語るには當らないであらうと思はれる。惡い年廻りは寧ろ何時かは廻つて來るのが自然の鐵則であると覺悟を定めて、良い年廻りの間に十分の用意をして置かなければならないといふことは、實に明白過ぎる程明白なことであるが、又此れ程萬人が綺麗に忘れ勝なことも稀である。尤もこれを忘れてゐるおかげで今日を樂しむことが出來るのだといふ人があるかも知れないのであるが、それは個人銘々の哲學に任せるとして、少くも一國の爲政の樞機に參與する人々だけは、この健忘症に對する診療を常々怠らないやうにして貰ひ度いと思ふ次第である。
 日本はその地理的の位置が極めて特殊である爲に國際的にも特殊な關係が生じ色々な假想敵國に對する特殊な防備の必要を生じると同樣に、氣象學的地球物理學的にも亦極めて特殊な環境の支配を受けて居る爲に、その結果として特殊な天變地異に絶えず脅かされなければならない運命の下に置かれて居ることを一日も忘れてはならない筈である。
 地震津波颱風の如き西歐文明諸國の多くの國々にも全然無いとは云はれない迄も、頻繁に我邦のやうに劇甚な災禍を及ぼすことは甚だ稀であると云つてもよい。我邦のやうにかう云ふ災禍の頻繁であるといふことは一面から見れば我邦の國民性の上に良い影響を及ぼして居ることも否定し難いことであつて、數千年來の災禍の試煉によつて日本國民特有の色々な國民性の優れた諸相が作り上げられたことも事實である。
 併しこゝで一つ考へなければならないことで、しかもいつも忘れられ勝な重大な要項がある。それは、文明が進めば進む程天然の暴威による災害がその劇烈の度を増すといふ事實である。
 人類が未だ草昧の時代を脱しなかつた頃、岩丈な岩山の洞窟の中に住まつてゐたとすれば、大抵の地震や暴風でも平氣であつたらうし、これ等の天變によつて破壞さるべき何等の造營物をも持ち合はせなかつたのである。もう少し文化が進んで小屋を作るやうになつても、テントか掘立小屋のやうなものであつて見れば、地震には却て絶對安全であり、又假令風に飛ばされてしまつても復舊は甚だ容易である。兎に角かういふ時代には、人間は極端に自然に從順であつて、自然に逆らふやうな大それた企ては何もしなかつたからよかつたのである。
 文明が進むに從つて人間は次第に自然を征服しようとする野心を生じた。さうして、重力に逆らひ、風壓水力に抗するやうな色々の造營物を作つた。さうして天晴れ自然の暴威を封じ込めたつもりになつて居ると、どうかした拍子に檻を破つた猛獸の大群のやうに、自然が暴れ出して高樓を倒潰せしめ堤防を崩壞させて人命を危くし財産を亡ぼす。その災禍を起させたもとの起りは天然に反抗する人間の細工であると云つても不當ではない筈である、災害の運動エネルギーとなるべき位置エネルギーを蓄積させ、いやが上にも災害を大きくするやうに努力してゐるものは誰あらう文明人そのものなのである。
 もう一つ文明の進歩の爲に生じた對自然關係の著しい變化がある。それは人間の團體、就中所謂國家或は國民と稱するものゝ有機的結合が進化し、其の内部機構の分化が著しく進展して來た爲に、その有機系の或一部の損害が系全體に對して甚しく有害な影響を及ぼす可能性が多くなり、時には一小部分の傷害が全系統に致命的となり得る恐れがあるやうになつたといふことである。
 單細胞動物のやうなものでは個體を截斷しても、各片が平氣で生命を持續することが出來るし、もう少し高等なものでも、肢節を切斷すれば、その痕跡から代りが芽を吹くといふ事もある。併し高等動物になると、さういふ融通が利かなくなつて、針一本でも打ち處次第では生命を亡ふやうになる。
 先住アイヌが日本の大部に住んでゐたこ頃に例へば大正十二年の關東大震か、今度の九月二十一日のやうな颱風が襲來したと想像して見る。彼等の宗敎的畏怖の念は吾々の想像以上に強烈であつたであらうが、彼等の受けた物質的損害は些細なものであつたに相違ない。前にも述べたやうに彼等の小屋にとつては弱震も烈震も效果に於て大した相違はないであらうし、毎秒廿米の風も毎秒六十米の風も矢張結果に於て略同等であつたらうと想像される。さうして、野生の鳥獸が地震や風雨に堪へるやうにこれ等未開の民も亦年々歳々の天變を案外樂に凌いで種族を維持して來たに相違ない。さうして食物も衣服も住居も銘々が自身の勞力によつて獲得するのであるから、天災による損害は結局各個人銘々の損害であつて、その囘復も亦銘々の仕事であり、又銘々の力で囘復し得られないやうな損害は始からありやうがない筈である。
 文化が進むに從つて個人が社會を作り、職業の分化が起つて來ると事情は未開時代と全然變つて來る。天災による個人の損害は最早その個人だけの迷惑では濟まなくなつて來る。村の瀦水池や共同水車小屋が破壞されゝば多數の村民は同時にその損害の餘響を受けるであらう。
 廿世紀の現代では日本全體が一つの高等な有機體である。各種の動力を運ぶ電線やパイプやが縱横に交叉し、色々な交通網が隙間もなく張り渡されてゐる有樣は高等動物の神經や血管と同樣である。その神經や血管の一箇所に故障が起ればその影響は忽ち全體に波及するであらう。今度の暴風で畿内地方の電信が不通になつた爲に、どれだけの不都合が全國に波及したかを考へて見ればこの事は諒解されるであらう。
 これ程大事な神經や血管であるから天然の設計に成る動物體内では此等の器官が實に巧妙な仕掛けで注意深く保護されて居るのであるが、一國の神經であり血管である送電線は野天に吹き曝らしで風や雪が一寸ばかりつよく觸れゝばすぐに切斷するのである。市民の榮養を供給する水道は一寸した地震で斷絶するのである。尤も、送電線にしても工學者の計算によつて相當な風壓を考慮し若干の安全係數をかけて設計してある筈であるが、變化の烈しい風壓を靜力學的に考へ、しかもロビンソン風速計で測つた平均風速だけを目安にして勘定したりするやうなアカデミックな方法によつて作つたものでは、弛張の烈しい風の息の僞週期的衝撃に堪へないのは寧ろ當然のことであらう。
 それで、文明が進む程天災による損害の程度も累進する傾向があるといふ事實を十分に自覺して、そして平生からそれに對する防禦策を講じなければならない筈であるのに、それが一向に出來てゐないのはどういふ譯であるか。その主なる原因は、畢竟さういふ天災が極めて稀にしか起らないで、丁度人間が前車の顚覆を忘れた頃にそろそろ後車を引出すやうになるからであらう。
 併し昔の人間は過去の經驗を大切に保存し蓄積してその敎に頼ることが甚だ忠實であつた。過去の地震や風害に堪へたやうな場所にのみ集落を保存し、時の試煉に堪へたやうな建築樣式のみを墨守して來た。それだからさうした經驗に從つて造られたものは關東震災でも多くは助かつてゐるのである。大震後横濱から鎌倉へかけて被害の狀況を見學に行つたとき、彼の地方の丘陵の麓を縫ふ古い村家が存外平氣で殘つてゐるのに、田圃の中に發展した新開地の新式家屋がひどくめちやめちやに破壞されてゐるのを見た時につくづくさういふ事を考へさせられたのであつたが、今度の關西の風害でも、古い神社佛閣などは存外餘りいたまないのに、時の試煉を經ない新樣式の學校や工場が無殘に倒潰してしまつたといふ話を聞いて一層その感を深くしてゐる次第である。矢張文明の力を買被つて自然を侮り過ぎた結果からさういふことになつたのではないかと想像される。新聞の報ずる所によると幸に當局でも此點に注意して此際各種建築被害の比較的研究を徹底的に遂行することになつたらしいから、今囘の苦い經驗が無駄になるやうな事は萬に一つもあるまいと思ふが、併しこれは決して當局者だけに任すべき問題ではなく國民全體が日常銘々に深く留意すべきことであらうと思はれる。
 小學校の倒潰の夥しいのは實に不可思議である。或友人は國辱中の大國辱だと云つて憤慨してゐる。一寸勘定して見ると普通家屋の全潰百三十五に對し學校の全潰一の割合である。實に驚くべき比例である。これには色々の理由があるであらうが、要するに時の試煉を經ない造營物が今度の試驗で見事に落第したと見ることは出來るであらう。
 小學校建築には政黨政治の宿弊に根を引いた不正な施工が附纏つてゐるといふゴシップもあつて、小學生を殺したものは○○議員だと皮肉をいふものさへある。或は吹拔き廊下のせゐだといふ甚だ手取り早で少し疑はしい學説もある。或は又大概の學校は周圍が廣い明地に圍まれてゐる爲に風當りが強く、その上に二階建である爲に一層いけないといふ解釋もある。いづれも本當かも知れない。併しいづれにしても、今度のやうな烈風の可能性を知らなかつた或は忘れてゐたことが凡ての災厄の根本原因である事には疑ない。さうして又、工事に關係する技術者が我邦特有の氣象に關する深い知識を缺き、通り一遍の西洋直傳の風壓計算のみを頼りにした爲もあるのではないかと想像される。此れに就いては甚だ僣越ながら此際一般工學者の謙虚な反省を促がしたいと思ふ次第である。天然を相手にする工事では西洋の工學のみに頼ることは出來ないのではないかといふのが自分の年來の疑であるからである。
 今度の大阪や高知縣東部の災害は颱風による高潮の爲にその慘禍を倍加したやうである。未だ十分な調査資料を手にしないから確實なことは云はれないが、最もひどい損害を受けた主な區域は恐らく矢張明治以後になつてから急激に發展した新市街地ではないかと想像される。災害史によると、難波や土佐の沿岸は古來屢々暴風時の高潮の爲に薙倒された經驗をもつてゐる。それで明治以前にはさういふ危險のあるやうな場所には自然に人間の集落が稀薄になつてゐたのではないかと想像される。古い民家の集落の分布は一見偶然のやうであつても、多くの場合にさうした進化論的の意義があるからである。その大事な深い意義が、淺薄な「敎科書學問」の横行の爲に蹂躙され忘却されてしまつた。さうして附燒刃の文明に陶醉した人間はもうすつかり天然の支配に成效したとのみ思上がつて處嫌はず薄弱な家を立て連ね、さうして枕を高くして來るべき審判の日をうかうかと待つてゐたのではないかといふ疑も起し得られる。尤もこれは單なる想像であるが、併し自分が最近に中央線の鐵道を通過した機會に信州や甲州の沿線に於ける暴風被害を瞥見した結果氣のついた一事は、停車場附近の新開町の被害が相當多い場所でも舊い昔から土着と思はるゝ村落の被害が意外に少ないといふ例の多かつた事である。これは、一つには建築樣式の相違にもよるであらうが、又一つには所謂地の利によるであらう。舊村落は「自然淘汰」といふ時の試煉に堪へた場所に「適者」として「生存」してゐるのに反して、停車場といふものゝ位置は氣象的條件などゝいふことは全然無視して官僚的政治的經濟的な立場からのみ割出して決定されてゐる爲ではないかと思はれるからである。
 それは兎に角、今度の風害が「所謂非常時」の最後の危機の出現と時を同じうしなかつたのは何よりの仕合せであつたと思ふ。これが戰禍と重なり合つて起つたとしたらその結果はどうなつたであらうか、想像するだけでも恐ろしいことである。弘安の昔と昭和の今日とでは世の中が一變してゐることを忘れてはならないのである。
 戰爭は是非共避けようと思へば人間の力で避けられなくはないであらうが、天災ばかりは科學の力でもその襲來を中止させる譯には行かない。その上に、何時如何なる程度の地震暴風津波洪水が來るか今のところ容易に豫知することが出來ない。最後通牒も何もなしに突然襲來するのである。それだから國家を脅かす敵として是程恐ろしい敵はない筈である。尤もかうした天然の敵の爲に蒙る損害は敵國の侵略によつて起るべき被害に比べて小さいといふ人があるかも知れないが、それは必しもさうは云はれない。例へば安政元年の大震のやうな大規模のものが襲來すれば、東京から福岡に至る迄のあらゆる大小都市の重要な文化設備が一時に脅かされ、西半日本の神經系統と循環系統に相當ひどい故障が起つて有機體としての一國の生活機能に著しい麻痺症狀を惹起する恐れがある。萬一にも大都市の水道瀦水池の堤防でも決壞すれば市民が忽ち日々の飲用水に困るばかりでなく、氾濫する大量の流水の勢力は少くも數村を微塵に薙倒し、多數の犠牲者を出すであらう。水電の堰堤が破れても同樣な犧牲を生じるばかりか、都市は暗闇になり肝心な動力網の源が一度に涸れてしまふことになる。
 かういふ此の世の地獄の出現は、歴史の敎ふる所から判斷して決して單なる杞憂ではない。しかも安政年間には電信も鐵道も電力網も水道もなかつたから幸であつたが、次に起る「安政地震」には事情が全然ちがふといふことを忘れてはならない。
 國家の安全を脅かす敵國に對する國防策は現に政府當局の間で熱心に研究されてゐるであらうが、殆ど同じやうに一國の運命に影響する可能性の豐富な大天災に對する國防策は政府の何處で誰が研究し如何なる施設を準備してゐるか甚だ心元ない有樣である。想ふに日本のやうな特殊な天然の敵を四面に控へた國では、陸軍海軍の外にもう一つ科學的國防の常備軍を設け、日常の研究と訓練によつて非常時に備へるのが當然ではないかと思はれる。陸海軍の防備が如何に十分であつても肝心な戰爭の最中に安政程度の大地震や今囘の颱風或はそれ以上のものが軍事に關する首腦の設備に大損害を與へたら一體どういふことになるであらうか。さういふことはさうめつたにないと云つて安心して居てもよいものであらうか。
 我邦の地震學者や氣象學者は從來かゝる國難を豫想して屢々當局と國民とに警告を與へた筈であるが、當局は目前の政務に追はれ、國民は其日の生活に忙はしくて、さうした忠言に耳を假す暇がなかつたやうに見える。誠に遺憾なことである。
 颱風の襲來を未然に豫知し、その進路とその勢力の消長とを今よりもより確實に豫測する爲には、どうしても太平洋上並に日本海上に若干の觀測地點を必要とし、その上に又大陸方面からオホツク海方面迄も觀測網を擴げる必要があるやうに思はれる。然るに現在では細長い日本島弧の上に、云はゞ唯一聯の念珠のやうに觀測所の列が分布してゐるだけである。譬へて云はゞ奥州街道から來るか東海道から來るか信越線から來るかも知れない敵の襲來に備へる爲に、唯中央線の沿線だけに哨兵を置いてあるやうなものである。
 新聞記事に據ると、アメリカでは太平洋上に浮飛行場を設けて横斷飛行の足がゝりにする計畫があるといふことである。嘘かも知れないが併しアメリカ人にとつては十分可能なことである。もしこれが可能とすれば、洋上に浮觀測所の設置といふことも強ち學究の描き出した空中樓閣だとばかりは云はれないであらう。五十年百年の後には恐らく常識的になるべき種類のことではないかと想像される。

 人類が進歩するに從つて愛國心も大和魂も矢張進化すべきではないかと思ふ。砲煙彈雨の中に身命を賭して敵の陣營に突撃するのもたしかに貴い日本魂であるが、○国や△国よりも強い天然の強敵に對して平生から國民一致協力して適當な科學的對策を講ずるのも亦現代に相應はしい大和魂の進化の一相として期待して然るべきことではないかと思はれる。天災の起つた時に始めて大急ぎでさうした愛國心を發揮するのも結構であるが、昆蟲や鳥獸でない廿世紀の科學的文明國民の愛國心の發露にはもう少しちがつた、もう少し合理的な樣式があつて然るべきではないかと思ふ次第である。
                          (昭和九年十一月、經濟往來)  

 

 
  (注) 1.  上記の寺田寅彦の随筆「天災と國防」(旧字・旧仮名)の本文は、『寺田寅彦全集』文學篇第五巻(隨筆五)(岩波書店、昭和25年9月5日第1刷発行)に拠りました。          
    2.  上記の全集(第五巻)の後記によれば、「天災と国防」は、昭和9年11月『経済往来』第9巻第11号に発表され、昭和10年7月発行の『蛍光板』に収録された由です。          
    3.  平仮名の「く」を縦に伸ばしたような形の繰り返し符号は、元の文字を繰り返して表記してあります(「生ま生ましい」「そろそろ」「めちやめちや」「つくづく」「うかうか」)。
 また、平仮名の「こ」を押しつぶしたような形の繰り返し符号は、「々」に置き換えてあります(「屢々」)。
   
    4.  寺田寅彦(てらだ・とらひこ)=物理学者・随筆家。東京生れ。高知県人。東大教授。地球物理学を専攻。夏目漱石の門下、筆名は吉村冬彦。随筆・俳句に巧みで、藪柑子と号した。著「冬彦集」「藪柑子集」など。(1878~1935)『広辞苑』第6版による。)        
    5.  フリー百科事典『ウィキペディア』に「寺田寅彦」の項があります。    
    6.  新字・新仮名によって読みやすく書き改められた「天災と国防」の本文を、青空文庫で読むことができます。底本は、改版された岩波文庫『寺田寅彦随筆集』第五巻(昭和23(1948)年11月20日第1刷、昭和38(1963)年6月16日第20刷改版、平成9(1997)年9月5日第65刷)だそうです。
   新字・新仮名による「天災と国防」(青空文庫)      
   
    7.  寅彦が4歳から19歳までを過ごした旧宅を復元した「寺田寅彦記念館」が高知市にあります。    
    8.  電子図書館『図書館。in』で、寺田寅彦の一部の作品を、縦書きで読むことができます。    
           
           
       

    

    

 
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