(注) | 1. |
上記の「大塩平八郎の檄文」の本文は、『国立国会図書館デジタルコレクション』所収の「大塩中斎先生天保救民告文」(大鹽中齋先生九十年記念會發行・主催 大阪陽明學會、大正15年)に拠りました。 改行は、原文のとおりにしてあります。 |
|||
2. | 本文中の「鰥寡孤獨ニおひて」(おいて)、「あわれみ」(あはれみ)、「言語同断」(言語道断)などの文字は、原文のままにしてあります。 | ||||
3. |
〇大塩平八郎(おおしお・へいはちろう)=江戸後期の陽明学者。大坂町奉行所の与力。諱(いみな)は正高、のち後素(としもと)。号は中斎。家塾を洗心洞と名づけた。大坂天満(一説に阿波)生れ。天保の飢饉に救済を町奉行に請うが、入れられず、蔵書を売り払い窮民を救う。天保8年(1837)二月大坂に窮民・幕政批判の兵を挙げ、敗れて潜伏後、放火して自殺。著「洗心洞剳記」「古本大学刮且」など。(1793-1837)(『広辞苑』第6版による。) 〇大塩平八郎(おおしお・へいはちろう)=1793-1837 (寛政5-天保8)江戸後期の儒者。名は後素、号は中斎。家職の大坂町奉行所与力をつとめ、さらに吟味役として名声をあげた。その間、林述斎について朱子学を学び、のち陽明学に転じて知行合一説を信奉。職を辞したのちは学問・著述に専念するかたわら私塾洗心洞を開いて子弟の教育にあたった。1836(天保7)の飢饉に際して、翌 ’37窮民救済のため兵をおこしたが、失敗して自殺。著書「洗心洞剳記」など。 ※ 引用者注: 生年が「1792(寛政4)」となっていたのを、他を参照して「1793(寛政5)」と改めました。 〇大塩平八郎の乱=1837(天保8) 大坂で大塩平八郎らがおこした挙兵・反乱。前年の天保の飢饉に際し、大塩平八郎は民衆の救済を大坂町奉行に献策し、蔵書を売り貧民を救済。一方大坂町奉行の無為無策、豪商の奸智に憤慨し、付近の農民に檄文を回し、門下の与力・同心・近郷の富農らとひそかにはかり、貧農や市内の貧民、部落民などへ呼びかけて翌年2月挙兵、市内の豪商を襲い、米・金を窮民に与えたが、1日で鎮圧された。平八郎は潜伏1か月ののち発見されて自殺。平八郎が著名な学者で旧幕吏であったためこの事件の影響は大きく、越後柏崎の生田万、摂津能勢の山田屋大助の乱などはこの事件に直接影響されて起こった。 〇天保の飢饉(てんぽうのききん)=1833-36(天保4-7)に起こった全国的飢饉。’33より天候不良で冷害・洪水・大風雨が続発し、作柄は3分ないし7分作にとどまり米価が騰貴した。続く ’34、 ’35も不作が続き、’36に至って全国平均作柄4分という慢性的な大飢饉の様相を示した。このため米価をはじめ諸物価が騰貴し、農村の荒廃、農民・下層町人の離散困窮はなはだしく、各藩領内で一揆・打毀が激発した。幕府はその救済策として現米の給与・救小屋の設置、酒造制限・小売値段引下げ・囲米売却・廻米策・隠米禁止を行なったが、諸藩がこの危機に対処して飯米の確保につとめたため、江戸・大坂への廻米が激減し、いずれも不十分に終わった。この結果、大塩平八郎の乱をはじめ各地の一揆・打毀を続発させ、幕藩体制の崩壊を促進した。(以上、『角川日本史辞典』第2版による。) |
||||
4. |
『国立国会図書館デジタルコレクション』の『大日本思想全集 第16巻』に入っている「大塩中斎集」に、檄文の口語訳が出ています。(ただし、これを見るには、利用者登録をする必要があります。) (注8に出ている『団塊世代の我楽多(がらくた)帳』というブログに、『大日本思想全集 第16巻』に入っているこの檄文の口語訳が出ていますので、注8をご覧ください。) 『国立国会図書館デジタルコレクション』 →『大日本思想全集 第16巻』 (大塩平八郎集・佐藤一斎集) →「大塩中斎集」 →「檄文」口語訳(上に頭注の形で原文が出ています。) |
||||
5. |
『大塩の乱資料館』というサイトがあって、たいへん参考になります。ここの「別館」には、成正寺所蔵の大塩平八郎自筆の「大塩檄文」の
画像(『国立国会図書館デジタルコレクション』所収の「大塩中斎先生天保救民告文」と同じものと思われます)と、読点つきの読みやすい文章があり、その他、「大塩平八郎の肖像」や「大塩家墓所の写真」など多くの資料が見られます。 『大塩の乱資料館』(『本館』) → 『別館』 → 『古文書館』 → 「大塩檄文」の 画像 → 「大塩檄文(釈文)」 → 「大塩平八郎の肖像」 → 「成正寺」(大塩家墓所) |
||||
6. |
森鴎外に『大塩平八郎』という作品があり、青空文庫で読むことができます。 → 青空文庫 → 森鴎外『大塩平八郎』(新字・旧かな) 〔青空文庫〕 |
||||
7. | フリー百科事典『ウィキペディア』に「大塩平八郎」・「大塩平八郎の乱」の項があります。 | ||||
8. | 『団塊世代の我楽多(がらくた)帳』というブログに、「天満の元与力大塩平八郎はなぜ乱を起こしたのか? またその結果はどうなったか?」というページがあり、そこに『大日本思想全集第16巻』(昭和6年先進社内同刊行会)に出ている檄文の口語訳が引用されています。
『団塊世代の我楽多(がらくた)帳』 → 「天満の元与力大塩平八郎はなぜ乱を起こしたのか? またその結果は?」(ここに、檄文の口語訳もついています。) |