(注) | 1. |
上記の「荊人遺弓(『呂氏春秋』巻第一・孟春紀・貴公より)」の本文は、 『国立国会図書館デジタルコレクション』所収の『国訳漢文大成 経子史部第20巻』(国民文庫刊行会・大正13年12月10日発行、大正14年2月22日三版発行)に拠りました。 同書には、初めに書き下し文が、最後に原文(返り点付き)がまとめて収めてあります。ここでは、原文から返り点を除いて白文として掲載しました。 『呂氏春秋』巻第一・孟春紀・貴公の原文 → 308/411 『呂氏春秋』巻第一・孟春紀・貴公の書き下し文 → 18/411 |
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2. |
参考までに、少し注をつけておきます。 〇呂氏春秋(りょししゅんじゅう)=中国、戦国時代末、秦の呂不韋が食客らに作らせた書。26巻。儒家を主とし、道家・墨家の説を交え、諸種の学説を編集。呂覧。(『広辞苑』第6版による。) 〇荊(けい)=古代、中国の九州の一つ。今の湖南・湖北・広西・貴州省のあたりで、昔は、いばらが多い荒地であったことから。のち、おもに楚の国(湖北・湖南)をいう。 (『改訂新版 漢字源』2002年版による。) 〇孔子(こうし)=(呉音はクジ)中国、春秋時代の学者・思想家。儒家の祖。名は丘。字は仲尼(ちゅうじ)。魯の昌平郷陬邑(すうゆう)(山東省曲阜)に出生。文王・武王・周公らを尊崇し、礼を理想の秩序、仁を理想の道徳とし、孝悌(こうてい)と忠恕(ちゅうじょ)とを以て理想を達成する根底とした。魯に仕えたが容れられず、諸国を歴遊して治国の道を説くこと十余年、用いられず、時世の非なるを見て教育と著述とに専念。その面目は言行録「論語」に窺われる。後世、文宣王・至聖文宣王と諡(おくりな)され、また至聖先師と呼ばれる。(前551-前479) 〇老聃(ろうたん) → 老子 〇老子(ろうし)=(1)中国、春秋戦国時代にいたとされる思想家。道家の祖。史記によれば、姓は李、名は耳、字は聃(たん)または伯陽。楚の苦県(こけん)厲郷(れいきょう)曲仁里(河南省)の人。周の守蔵室(図書室)の書記官。乱世を逃れて関(函谷関または散関に至った時、関守の尹喜(いんき)が道を求めたので、老子(2)を説いたという。→太上老君。 (2)(1)の著書。2巻。宇宙の本体を大または道といい、現象界のものは相対的で、道は絶対的であるとし、清静・恬淡(てんたん)・無為・自然に帰すれば乱離なしと説く。編纂は孟子以後と考えられ、前漢初には現行本に近いものが成立していた。老子道徳経。 〇太上老君(たいじょう・ろうくん)=(老君は老子の敬称)老子を神格化して呼ぶ称。道教の三尊の一つ。「魏書」釈老志などに見える。(以上、『広辞苑』第6版による。) |
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3. |
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