資料379 知魚楽(『荘子』外篇 秋水第十七より)
知 魚 樂 『莊子』外篇第十七より
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莊子與惠子遊於濠梁之上莊子曰鯈魚出遊從容是魚樂也惠子曰子非魚安知魚之樂莊子曰子非我安知我不知魚之樂惠子曰我非子固不知子矣子固非魚也子之不知魚之樂全矣莊子曰請循其本子曰女安知魚樂云者既已知吾知之而問我我知之濠上也
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(注) 1. 上記の「知魚楽(『荘子』外篇 秋水第十七より)」の本文は、新釈漢文大系8『荘子 下』
(遠藤哲夫・市川安司 著、明治書院・昭和42年3月25日初版発行、昭和45年9月15日
7版発行)に拠りました。この本文は、秋水第十七の最後の一節です。
2. 新釈漢文大系の本文についている訓点は省いて、ここには白文として示しました。新釈
漢文大系には、書き下し文や、通釈・語釈、余説などがついています。
ここには、「余説」から一部を引かせていただきます。
恵子が、概念や感覚を異にする荘子と魚、あるいは自分と荘子との間には心理の流通はないので、
互いに相手の心を知ることはできないとするのに対して、荘子は、絶対の境地に立てば万物は一体で
心理も互いに流通するものであり、自分の心を推すことによって相手の心をも察知できると説くのであ
る。いわば、形式上の論理の末に走っては真の認識のあり得ないことをいうのである。
郭沫若は本章について、恵子の完全否定は詭弁であるが、荘子の「我はこれを知れり、濠上にてな
り」というのは、「安(いづくんぞ)」という字をたくみに「どこで」と解釈したにすぎないから、同じく詭弁を
弄し逃口上を打ったのであると言う(中国古代の思想家たち)。(同書、487頁)
3. 参考までに、人名や語句の注を少しつけておきます。
荘子(そうし)=(曾子との混同を避けてソウジとも)(1)荘周の敬称。(2)「老子」
と併称される道家の代表著書。荘周著。現行本は内編7、外篇15、雑編11
から成る。内編(逍遥遊・斉物論など)は多くの寓言によって、万物は斉同
で生死などの差別を超越することを説く。外篇・雑編は内編の意を敷衍(ふ
えん)したもの。唐代、南華真経と称。
荘周(そうしゅう)=戦国時代の思想家。字は子休。宋国の蒙(河南)の人。孟子と同
時代という。漆園の吏となり、恵施と交わる。老子とともに道家の代表者で、
老荘と並称。「荘子」はその著とされる。南華真人・南華老仙と称。荘子と
敬称。
恵子(けいし)=姓は恵、名は施。宋の人。「恵子」は、恵施の敬称。
恵施(けいし)=中国、戦国時代の思想家。名家(論理学者)の一人。宋に生まれ、
魏の恵王・襄王に仕えた。弁説をもって知られ、荘子と交わる。著「恵子」。
(前370頃-前310頃) (以上、『広辞苑』第6版による。)
濠梁之上(ごうりょうのほとり)=「濠梁」は、濠水という名前の川に設けたやな。又は、
濠水にかけた橋。「上」は、ほとり。(「梁」を橋の意にとった場合に「上」をそのまま
「うえ」と読んだり、「濠」を、掘割という意味にとったりする説もあるようです。)
鯈魚(ゆうぎょ・ちゅうぎょ)=(1)はや。おいかわ。(2)細長くて小さい魚のこと。
固不知子矣(もとよりしをしらず)=「固」は、もとより。「矣」は、文末に付けて、断定
や推定の語気を表す言葉。
(以上、『改訂新版漢字源』2002年による。)
請循其本(こう、そのもとにしたがわん)=議論の根本にたち戻ってみようではないか。
女安知魚楽(なんじ いずくんぞ うおのたのしみをしらん)……=「女」は、なんじ(=汝)。
4. 湯川秀樹の『創造への飛躍』(昭和46年刊)に、「知魚楽」という随想があります。こ
れは『湯川秀樹著作集』や講談社学術文庫などに入っているようです。
→ 講談社学術文庫『創造への飛躍』(2010年2月10日発行)
5. 『荘子を学ぶ』というサイトに、「荘子の濠梁問答の解釈」(知魚楽)というページが
あって参考になります。
6. フリー百科事典『ウィキペディア』に「荘子」 「荘子(書物)」の項があります。
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