資料377 貞観三陸地震(『日本三代実録』巻十六より)




       貞觀三陸地震  『日本三代實錄』巻十六より 

(貞觀十一年五月)廿六日癸未。陸奥國地大震動。流光如晝隱映。頃之。人民叫呼。伏不能起。或屋仆壓死。或地裂埋殪。馬牛駭奔。或相昇踏。城郭倉庫。門櫓墻壁。頽落顚覆。不知其數。海口哮吼。聲似雷霆。驚濤涌潮。泝洄漲長。忽至城下。去海數十百里。浩々不弁其涯涘。原野道路。惣爲滄溟。乘船不遑。登山難及。溺死者千許。資産苗稼。殆無孑遺焉。 

 
(注)上記の本文が拠った
國史大系本の原文には、「人民叫呼」の「叫」には「という漢字が、また「城郭」の「郭」には「」(「土+郭」)という漢字が用いられています。

   〔書き下し文〕
(貞觀十一年五月)廿六日癸未。陸奥國の地、大いに震動す。流光晝の如く隱映(いんえい)す。頃(しばら)く、人民叫呼(きょうこ)し、伏して起(た)つ能はず。或(あるい)は屋仆(たお)れて壓死し、或は地裂けて埋殪(まいえい)す。馬牛駭(おどろ)き奔(はし)り、或は相(あい)昇踏(しょうとう)す。城郭倉庫、門櫓(もんろ)墻壁(しょうへき)、頽落(たいらく)顚覆(てんぷく)するもの、其の數を知らず。海口(かいこう)哮吼(こうこう)し、聲は雷霆(らいてい)に似たり。驚濤(きょうとう)涌潮(ようちょう)、泝洄(そかい)漲長(ちょうちょう)し、忽ち城下に至る。海を去ること數十百里、浩々(こうこう)として其の涯涘(がいし)を弁ぜず。原野道路、惣(すべ)て滄溟(そうめい)と爲(な)る。船に乘るに遑(いとま)あらず、山に登るも及び難(がた)し。溺死する者、千許(ばか)り、資産苗稼(びょうか)、殆んど孑遺(けつい)無し。

〔現代語訳〕(意訳)
(貞観11年5月)26日癸未(みずのとひつじ)の日。陸奥国(むつのくに)に大地震があった。夜であるにもかかわらず、空中を閃光が流れ、暗闇はまるで昼のように明るくなったりした。しばらくの間、人々は恐怖のあまり叫び声を発し、地面に伏したまま起き上がることもできなかった。ある者は、家屋が倒壊して圧死し、ある者は、大地が裂けて生き埋めになった。馬や牛は驚いて走り回り、互いを踏みつけ合ったりした。多賀城の城郭、倉庫、門、櫓、垣や壁などは崩れ落ちたり覆(くつがえ)ったりしたが、その数は数え切れないほどであった。河口の海は、雷のような音を立てて吠え狂った。荒れ狂い湧き返る大波は、河を遡(さかのぼ)り膨張して、忽ち城下に達した。海は、数十里乃至(ないし)百里にわたって広々と広がり、どこが地面と海との境だったのか分からない有様であった。原や野や道路は、すべて蒼々とした海に覆われてしまった。船に乗って逃げる暇(いとま)もなく、山に登って避難することもできなかった。溺死する者も千人ほどいた。人々は資産も稲の苗も失い、ほとんど何一つ残るものがなかった。


  (注) 1.   上記の「貞観の三陸地震」の本文は、新訂増補國史大系『日本三代実録』前篇(吉川弘文館、昭和58年7月1日発行)に拠りました。三陸地震の記事は、巻十六の清和天皇貞観十一年五月のところにあります。
 ○五月戊午朔。五日壬戌。停端午之節。○廿六日癸未。陸奥國地大震動。流光如晝隱映。……

 書き下し文と現代語訳(意訳)は、引用者の読みと訳です。お気づきの点を教えていただければ幸いです。
   
    2.   上にも注記しましたが、國史大系本の原文には、「人民叫呼」の「叫」に「」という漢字が、また「城郭」の「郭」に「」(「土+郭」)という漢字が用いられています。(「」「」という漢字は、島根県立大学の“e漢字”を利用させていただきました。)    
    3.  参考までに、國史大系本の頭注を挙げておきます。
  之、原作久、今從印本及類史一七一 (「頃之」の「之」)
  潮、原作湖、今從同上 (「驚濤涌潮」の「潮」)
  十、原作千、據類史改 (「去海數十百里」の「十」)
  許、原作計、據類史改(「溺死者千許」の「許」)
   
    4.   2011年版『理科年表』平成23年 第84冊(国立天文台編、平成22年11月30日・丸善株式会社発行)によれば、この地震は、貞観11年5月26日(西暦869年7月13日)に三陸沖を震源として起こったマグニチュード8.3と推定される大地震でした。(この西暦はグレゴリオ暦です。)

 ☆ 2011年版『理科年表』の記事(「日本付近のおもな被害地震年代表」)
  869 7 13 (貞観11 5 26) M8.3
   三陸沿岸:城郭・倉庫・門櫓・垣壁など崩れ落ち倒潰するもの無数。津波が多賀城下を襲い、溺死約1千。流光昼のごとく隠映すという。三陸沖の巨大地震とみられる。 〔4〕

 (注) 年月日は最初にグレゴリオ暦、かっこ内に日本暦を示した。記事の最後の〔 〕内は今村・飯田による津波規模である。      
   
    5.   日本三代実録(にほん・さんだいじつろく)
    → 三代実録(さんだいじつろく)
 三代実録(さんだいじつろく)=六国史(りっこくし)の一つ。50巻。文徳実録の後をうけて、清和・陽成・光孝三天皇の時代約30年の事を記した編年体の史書。901年(延喜1)藤原時平・大蔵善行らが勅を奉じて撰進。日本三代実録。(『広辞苑』第6版による。)
   
6.  フリー百科事典『ウィキペディア』「日本三代実録」「貞観地震」の項があります。      
    7.   『産総研』(国立研究開発法人産業技術総合研究所)に『産総研 活断層・火山研究部門』というホームページがあり、そこで地震についての様々な研究論文が見られます。
 例えば、「西暦869年貞観地震の復元」(田村明子・澤井祐紀・黒坂朗子)など。
   
    8.  保立道久氏の『保立道久の研究雑記』に、貞観地震についての記事があって、参考になります。
  → 「9世紀火山地震(5)──貞観地震」
   
    9.   気象庁のホームページに「津波について」 や地震についての解説記事があります。     
10.  『日本三代実録』は、いくつかのサイトで、画像で見ることができます。例えば、
 〇 国立国会図書館デジタルコレクション
   『国史大系』(経済雑誌社編、明治30年7月24日発行)
   国立国会図書館デジタルコレクション
   → 『国史大系』
   → 貞観の地震は、第4巻 288頁 (コマ番号 151/377)

 〇 国立国会図書館デジタルコレクション
  『増訂 大日本地震史料』第1巻(文部省震災予防評議会編、昭和16年4月30日発行)
 国立国会図書館デジタルコレクション
   → 『増訂 大日本地震史料』
   → 貞観の地震は、同書 78頁 (コマ番号 44/480)

 〇 国立公文書館デジタルアーカイブ
  『日本三代実録』(内閣文庫、旧紅葉山文庫蔵)
 国立公文書館デジタルアーカイブ    
  貞観の地震は、「日本三代実録 8」 に出ています。(コマ番号 16~17/60) (16の最後の「廿六日癸未」から17の「陸奥國地大震動」に続きます。)                                  

 〇 京都大学附属図書館蔵の平松文庫『三代実録』50巻 (寛文13年刊)      
  京都大学図書館機構 
   → 平松文庫『三代実録』十六之七(435/1144)
  貞観の地震は、コマ番号 449~450/1144 に出ています。(449の最後の「廿六日癸未」から450の「陸奥國地大震動」に続きます。)
    11.  お詫び: 今、気がつきましたが、本文の「頃之。人民叫呼。伏不能起。」のところが「頃之。人民呼。伏不能起。」となって「叫」が抜け落ちていました。また、「泝洄漲長。」が「泝徊漲長。」となっていました。 「洄」(サンズイ+回。川の流れをさかのぼる)。
 今、訂正いたしました。正確に写したつもりでしたが、誠に申し訳ありません。深くお詫びいたします。 (2016年9月3日) 
   







           トップページへ