資料376 寺田寅彦の随筆「田園雑感」(旧字・旧仮名)

     
    
 


         
田 園 雜 感             寺田寅彦  
         

 


        

 現代の多くの人間に都會と田舎とどちらが好きかといふ問を出すのは、蛙に水と陸とどつちがいゝかと聞くやうなものかも知れない。
 田舎だけしか知らない人には田舎は分らないし、都會から踏出した事のない人には都會は分らない。都鄙兩方に往來する人は兩方を少し宛知つて居る。其の結果はどちらも分らない前の二者よりも惡いかも知れない。性格が分裂して徹底した沒分曉漢になれなくなるから。それは兎に角、自分は今の處では田舎よりも都會に生活する事を希望し、それを實行してゐる。
 田舎の生活を避けたい第一の理由は、田舎の人のあまりに親切な事である。人のする事を冷淡に見放しておいてくれない事である。例へば雨のふる日に傘をさゝないで往來を歩き度いと思つたとしても、中々さうはさせてくれない。鼻の先に止つた蚊をそつとして置きたいと思つても、それは一通りの申譯では許されない。
 親切である爲に人の一擧一動は斷えず注意深い眼で四方から監視されて居る。例へば何月何日の何時頃に、私が煤けた麥藁帽を冠つて、某の橋を渡つたといふやうな事實が、私の知らない人の口から次第に傳はつて、おしまひにはそれが私の耳にも入るのである。個人の一擧一動は寒天のやうな濃厚な媒質を透して傳播するのである。
 反應を要求しない親切ならば受けてもそれ程恐ろしくないが、田舎の人の質樸さと正直さはそのやうな投げ遣りな事を許容しない。それで此等の人々から受けた親切は一々明細に記録しておいて、氣永にそして
なしくづしに此れを償却しなければならないのである。
 其處へ行くと流石に都會の人の冷淡さと薄情さはサッパリして居て氣持がいゝ。大雨の中を頭から濡れひたつて銀座通を歩いて居ても誰れも咎める人もなければ、餘計な心配をする人もない。萬一受けた親切の償却も簡易な方法で行はれる。
 それだから一見閑靜な田舎に住つて居ては、とても一生懸命な自分の仕事に沒頭して居る譯にはいかない。それには都會の「人間の砂漠」の中が一番都合がいゝ。田舎では草も木も石も人間臭い呼吸をして四方から私に話しかけ私に取りすがるが、都會ではぎつしり詰つた滿員電車の乘客でも磧の石塊同士のやうに默つて銘々が自分の事を考へて居る。そのおかげで私は電車の中で難解の書物をゆつくり落ち付いて讀み耽る事が出來る。宅に居れば子供や老人といふ代表的田舎者が居るので困るが、電車の中ばかりは全く閑靜である。此のやうな靜かさは到底田舎では得られない靜かさである。靜か過ぎて餘りに淋しい位である。
 これで都會に入り込んで居る「田舎の人」が居なければどんなに靜かな事であらう。

        

 今ではどうだか知らないが、私の國では村の豪家などで男子が生れると、其の次の正月は村中の若い者が寄つて、四疊敷六疊敷の大きな凧をこしらへて其家にかつぎ込む。そしてそれに紅白、或は紺と白と繼ぎ分けた紙の尾を幾條も付けて、西北の季節風に飛揚させる。刈株ばかりの冬田の中を紅木綿や
うこん木綿で頰冠りをした若い衆が酒の勢で縱横に驅け廻るのは中々威勢がいゝ。近邊のスパルタ人種の子供等は銘々に小さな凧を揚げてそれを大凧の尾にからみ付かせ、其の斷片を掠奪しようと爭ふのである。大凧が充分に風を孕んで揚がる時は若者の二人や三人は引きずられる位の強い牽引力をもつて居る。
 凧揚げのあとは酒宴である。それは本當にバッカスの酒宴で、酒は泉と溢れ、肉は林と堆く、其間をパンの群がニムフの群を追ひ廻すのである。
 豪家に生れた子供が女であつた爲に、ひどく失望した若い者等は、大きな羽子板へ凧のやうに絲目をつけてかつぎ込んだなどゝいふ話さへある。
 子供の初節句、結婚の披露、還暦の祝、さういふ機会は凡て村のバッカスに捧げられる。さうしなければ其の土地には住んで居られないのである。
 さういふ家に不幸のあつた時には村中の人が寄り集つて萬端の世話をする。世話人が餘り大勢である爲に事務は却つて澁滯する場合もある。そして最後には矢張り酒が出なければ收まらない。
 ある豪家の老人が死んだ葬式の晩に、或る男は十二分の酒を飲んで歸る途中の田圃道で、連の男の頸玉にかじり付いて、今夜位愉快に飲んだ事は近來にないといふ事を何遍も何遍も繰返しながらよろけ歩いて居た。此れなどは最も徹底的な一例であらう。
 危篤な病人の枕元へは大勢の見舞人が詰めかける。病人の頭の上へ逆樣に汗臭い油ぎつた顔を差し出して、六ヶしい挨拶をし六ヶしい質問をしかける。一層親切なのになると瀕死の人に
いやがらせを云ふ。さうして病人は臨終の間際迄隣人の親切を身にしみる迄味はされるのである。

        三

 田舎の自然はたしかに美しい。空の色でも木の葉の色でも、都會で見るのとは丸でちがつて居る。さういふ美しさも馴れると美しさを感じなくなるだらうといふ人もあるが、さうとは限らない。自然の美の奥行はさう見すかされ易いものではない。永く見て居れば居る程いくらでも新しい美しさを發見する事が出來る筈のものである。出來なければそれは眼が弱いからであらう。一年や二年で見飽きるやうなものであつたら、自然に關する藝術や科學は數千年前に完結してしまつて居る筈である。
 六つになる親類の子供が去年の暮から東京へ來て居る。此れに東京と國とどつちがいゝかと聞いて見たら、おくにの方がいゝと云つた。どうしてかと聞くと「お國の川には
えびが居るから」と答へた。
 この子供の
えびと云つたのは必ずしも動物學上のえびの事ではない。えびの居る淸洌な小川の流れ、それに翠の影をひたす森や山、河畔に咲き亂れる草の花、さういふやうなもの全體を引つくるめた田舎の自然を象徴するえびでなければならない。東京で魚屋から川鰕を買つて來て此の子供にやつて見れば此事は容易に證明されるだらう。
 私自身も此の
えびの事を考へると、田舎が戀しくなる。併しそれは現在の田舎ではなくて、過去の思ひ出の中にある田舎である。えびは今でも居るが「子供の私」はもう其處には居ないからである。
 併し此の「子供の私」は今でも「大人の私」の中の何處かに隱れて居る。そして意外な時に出て來て外界をのぞく事がある。例へば郊外を歩いて居て道端の名もない草の花を見る時や、或は遠くの杉の木の梢の神祕的な色彩を見て居る時に、僅かの瞬間だけではあるが、此の
えびの幻影を認める事が出來る。其れが消えたあとに殘るものは淡い「時の悲しみ」である。
 自然くらゐ人間に親切なものはない。そして其の親切さは田舎の人の親切さとは全く種類のちがつたものである。都會には此の自然が缺乏して居て其の代りに田舎の「人」が入り込んで居るのである。

        

 盆踊といふものは此頃もうなくなつたのか、それ共警察の監視の下に或る形式で保存されて居る處もあるかどうだか私は知らない。
 私が前後に唯一度盆踊を見たのは今から廿年程前に南海の或る漁村での事であつた。肺結核で其處に轉地して居る或る人を見舞に行つて一晩泊つた時が丁度舊暦の盆の幾日かであつた。蒸暑い、蚊の多い、そして何處となく魚臭い夕靄の上を眠いやうな月が照して居た。
 貴船神社の森影の廣場にほんの五六人の影が踊つて居た。どういふ人達であつたかそれはもう覺えて居ない。私には唯何となくそれが御伽噺にあるやうな淋しい山中の妖精の舞踊を想ひ出させた。そして其時何故だか感傷的な氣分を誘はれた。
 其時見舞つた病人はそれから間もなく亡くなつたのである。
 私は今でも盆踊といふと其夜を想ひ出すが、不思議な錯覺から、其時踊つて居た妖精のやうな人影の中に、死んだその人の影が一緒に踊つて居たのだと云ふやうな氣がして仕方がない。
 そして思ふ。西洋臭い文明が田舎の隅々迄擴がつて行つても、盆の月夜には、何處かの山影のやうな處で、昔からの大和民族の影が昔の踊を踊つて居るのではあるまいかと。
 盆踊といふ言葉にはイデイルリックなそしてセンシュアスな餘韻がある。しかしそれはどうしても現代のものではない。其の餘韻の源に遡つて行くと德川時代などを突き拔けて遠い遠い古事記などの時代に到着する。
 盆踊の未だ行はれて居る處があれば其處には何處かに奈良朝以前の民族の血が若い人達のからだに流れて居るやうな氣がして仕方がない。さうしてそれが今滅亡に瀕して居るやうな悲しみを感ずる。

        

 夏の盛りに蟲送りといふ行事が行はれる。大きな太鼓や鐘が畔道に据ゑられて赤裸の人形が力に任せてそれをたゝく。

   

 音が四方の山から反響し、家の戸障子に劇しい衝動を與へる。空には火炎のやうな雲の峯が輝いて居る。朱を注いだやうな裸の皮膚には汗が水銀のやうに光つて居る。凡てがブランギンの油繪を想ひ出させる。
 耳を聾するやうな音と、眼を眩するやうな光の強さは其中に却つて澄み通つた靜寂を釀成する。唯それはものゝ空虚な爲の靜かさでなくて、ものゝ充實し切つた時の不思議な靜かさである。
 烈しい音波の衝動の爲に、害蟲が果してふるひ落されるか、落された蟲がそれ切りになるかどうか、たしかな事は誰れも恐らく知らなかつた。しかしこんな事はどうでもいゝやうな氣がする。あれは或る無名の宗敎の莊重な儀式と考へるべきものである。
 私はこゝに一つの案をもつて居る。それは例へば東京の日比谷公園に或る日を期して市民を集合させる。そして田舎で不用になつて居る蟲送りの鐘太鼓を借り集めて來て誰れでもにそれをたゝかせる。社會に對し、政府に對し、同胞に對し又家族に對してあらゆる種類の不平不滿を懷いて居る人は、此の原始的樂器を原始的の努力をもつてたゝきつけるのである。
 もう少し社會が進歩すると私の此案を笑ふ人がなくなるかも知れないやうな氣がする。

        

 郷里から餘り遠くない
A村に木の丸神社といふのがある。此れは齊明天皇を祭つたものだと云はれて居る。天皇が崩御になつた九州の或る地方の名が即ち此村の名になつて居る。どういふ譯で此の南海の片隅の土地が此の天皇と結び付けられるやうになつたのか私は知らない。たしかな事は恐らく誰れにも分るまい。其れにも拘らずかういふ口碑は人の心を三韓征伐の昔に誘ふ。そして現代の事相に古い民俗的の背景を與へる。
 此の神社の祭禮の儀式が珍らしいものであつた。子供の時分に一二度見ただけだから、もう大部分は忘れてしまつたが、夢のやうな記憶の中を搜すとこんな事が出て來る。
 矢張り農家の暇な時季を選んだものだらう。儀式は刈株の殘つた冬田の上で行はれた。其處に神輿が渡御になる。それに從ふ村中の家々の代表者はみんな裃を着て、傘程に大きな菅笠のやうなものを冠つて居た。そして左の手に小さな鉦をさげて右の手に持つた木槌でそれを叩く。單調な聲でゆるやかな拍子で「ナーンモーンデー」と唱へると鉦の音が此れを請けて「カーンコ、カンコ」と響くのである。どういふ意味だか分らない。或る人は「南門殿還幸」を意味すると云つて居たがそれはあまり當にはならない。私は寧ろ意味の分らない方がいゝやうな氣がして居た。
 神輿の前で相撲がある。併しそれは相撲を
とるのではなくて、相撲を取らないのである。美々しい廻しを付けた力士が堂々として睨み合つていざ組まうとすると、衞士だか行司だかが飛び出して來て引き分け引き止める。さういふ事が何遍となく繰返される。そして結局相撲は取らないでおしまひになるのである。どういふ由緒から起つた事だか私は知らない。それにも拘らず其れを見る人の心は遠い昔に起つた或る何かしら可也深刻な事件のかすかな反響のやうなものを感ずる。
 その外「棒使ひ」と云つて、神前で紅白の布を巻いた棒を振り廻す儀式もあつたが、詳しい事はもうよくは覺えて居ない。
 文明の波が潮のやうに片田舎にも押し寄せて來て、固有の文化の名殘は大抵流してしまつた。「ナーンモーンデー」の儀式もいつの間にか廢止された。學校へ行つて文明を敎はつて居る村の靑年達には、裃をつけて菅笠をかむつて、無意味なやうな「ナーンモーンデー」を唱へる事は、堪へ難い屈辱であり、自己を野蠻化する所行のやうに思はれたのである。此れは無理のない事である。
 簡單な言葉と理窟で手早く誰れにも分るやうに説明の出來る事ばかりが、文明の陳列棚の上に美々しく並べられた。さうでないものは、塵塚に捨てられ、存在をさへ否定された。其れと共に無意味の中に潛んだ重大な意味の可能性は葬られてしまふのである。幾千年來傳はつた民族固有の文化の中から常に新しいものを取り出して、新しくそれを展開させる人は何處にもなかつた。「改造」といふ叫聲は、内にあるものゝエヺリューションではなくて、木に竹をつぐやうな意味にのみもて囃された。それであの親切な情誼の厚い田舎の人達は切つても切れぬ祖先の魂と影とを弊履の如く棄てゝしまつた。さうして自分とは縁のない遠い異國の歴史と背景が産み出した新思想を輸入して居る。傳來の家や田畑を賣り拂つて株式に手を出すと同じ行き方である。
 新思想の本元の西洋へ行つて見ると、却つて日本人の眼に馬鹿々々しく見えるやうな大昔の習俗や行事が其儘に行はれて居るのは寧ろ不思議である。
 此れはどちらがいゝか、議論をすると分らなくなるにきまつてゐる。
 唯此頃の新聞紙上を賑はすやうな色々の不祥な社會的現象は、それが大本敎事件でも寶塚事件でも、凡てが直接此等の事件とは何の關係もない南海の村落で此の「ナンモンデー」の廢止された事と何處かで聯關して居て、寧ろそれの當然の歸結であるやうな氣がする。
 さうした田舎の塵塚に朽ちかゝつて居る祖先の遺物の中から新しい生命の種子を拾ひ出す事が、爲政者や思想家の當面の仕事ではあるまいかといふ氣もする。


                         (大正十年七月、中央公論)           


 

        

    
(注) 1. 上記の寺田寅彦の随筆「寺田寅彦の随筆「田園雑感」(旧字・旧仮名)」の本文は、岩波文
         庫『寺田寅彦隨筆集』第一巻(小宮豊隆編、岩波書店、昭和22年2月5日第1刷発行・昭和
         33年9月10日第23刷発行)に拠りました。
         2. 文中の下線を施した語句(「なしくづし」「うこん」「いやがらせ」「えび」「とる」「取らない」)は、
         文庫の本文では傍点(、)が施してある語句です。
         3. 寺田寅彦(てらだ・とらひこ)=物理学者・随筆家。東京生れ。高知県人。東大教授。地球物
                    理学を専攻。夏目漱石の門下、筆名は吉村冬彦。随筆・俳句に巧みで、藪
                    柑子と号した。著「冬彦集」「藪柑子集」など。(1878~1935)
                                                  
 (『広辞苑』第6版による。)
         4. フリー百科事典『ウィキペディア』に「寺田寅彦」の項があります。
         5. 新字・新仮名によって読みやすく書き改められた「田園雑感」の本文を、青空文庫で読むこ
         とができます。底本は、改版された岩波文庫『寺田寅彦随筆集』第一巻(昭和38
(1963)
         10月16日第28刷改版、平成9
(1997)年12月15日第81刷)だそうです。
                 新字・新仮名による「田園雑感」(青空文庫)
         6. 寅彦が4歳から19歳までを過ごした旧宅を復元した「寺田寅彦記念館」が高知市に
         あります。
         7. 電子図書館『図書館。in』で、寺田寅彦の一部の作品を、縦書きで読むことができます。
     



 
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