資料372 寺田寅彦の随筆「花物語」(旧字・旧仮名)

  
   
 
    
 
          
花物語     
                    
寺田寅彦  
         

 

     一 晝  顔

 

 

 いくつ位の時であつたかたしかには覺えぬが、自分が小さい時の事である。宅の前を流れてゐる濁つた堀川に沿うて半町位上ると川は左に折れて舊城の裾の茂みに分け入る。その城に向うた此方の岸に廣い空地があつた。維新前には藩の調練場であつたのが、其頃は縣廳の所屬になつたまゝで荒地になつてゐた。一面の砂地に雜草が所まだらに生ひ茂り處々晝顔が咲いてゐた。近邊の子供は此處を好い遊び場所にして柵の破れから出入して居たが咎める者もなかつた。夏の夕方は銘々に長い竹竿を肩にして空地へ出かける。何處からともなく澤山の蝙蝠が喰ひに出て、空を低く飛びかはすのを、竹竿を振うては叩き落すのである。風のない煙つた樣な宵闇に、蝙蝠を呼ぶ聲が對岸の城の石垣に反響して暗い川上に消えて行く。「蝙蝠來い。水呑ましよ。そつちの水にがいぞ」とあちらこちらに聲がして時々竹竿の空を切る力ない音がヒユーと鳴つてゐる。賑やかなやうで云ひ知らぬ淋しさが籠つてゐる。蝙蝠の出さかるのは宵の口で、遲くなるに從つて一つ減り二つ減り何處となく消える樣に居なくなつてしまふ。すると子供等も散り散りに歸つて行く。後はしんとして死んだ樣な空氣が廣場を鎖してしまふのである。いつか塒に迷うた蝙蝠を追うて荒地の隅迄行つたが、ふと氣が付いて見るとあたりには誰も居ぬ。仲間も歸つたか聲もせぬ。川向ふを見ると城の石垣の上に鬱然と茂つた榎が闇の空に物恐ろしく擴がつて汀の茂みは眞黑に眠つて居る。足をあげると草の露がひやりとする。名狀の出來ぬ暗い恐ろしい感じに襲はれて夢中に駈出して歸つて來た事もあつた。廣場の片隅に高く小砂を盛上げた土堤の樣なものがあつた。自分等は此れを天文臺と名けてゐたが、實は昔の射的場の玉避けの迹であつたので時々砂の中から長い鉛玉を掘り出す事があつた。年上の子供は此の砂山によぢ登つてはすべり落ちる。時々戰爭ごつこもやつた。賊軍が天文臺の上に軍旗を守つて居ると官軍が攻め登る。自分もこの軍勢の中に加はるのであつたが、どうしても此の砂山の頂き迄登る事が出來なかつた。いつもよく自分をいぢめた年上の者等は苦もなく駈け上つて上から弱蟲と嘲る。「早く登つて來い、此處から東京が見えるよ」などゝ云つて笑つた。口惜しいので懸命に登りかけると、砂は足元から崩れ、力草と頼む晝顔は脆くちぎれてすべりおちる。砂山の上から賊軍が手を打つて笑うた。しかしどうしても登り度いといふ一念は幼い胸に巢をくうた。或時は夢に此の天文臺に登りかけてどうしても登れず、藻搔いて泣き、母に起され蒲團の上に坐つてまだ泣いた事さへあつた。「お前はまだ小さいから登れないが、今に大きくなつたら登れますよ」と母が慰めてくれた。其後自分の一家は國を離れて都へ出た。執着のない子供心には故郷の事は次第に消えて晝顔の咲く天文臺もたゞ夢のやうな影を留めるばかりであつた。二十年後の今日故郷へ歸つて見ると此の廣場には町の小學校が立派に立つてゐる。大きくなつたら登れると思つた天文臺の砂山は取り崩されてもう影もない。たゞ昔の儘を留めてなつかしいのは放課後の庭に遊んで居る子供等の勇ましさと、柵の根元にかれがれに咲いた晝顔の花である。 

 

 

     二 月 見 草

 

 

 高等學校の寄宿舎にはひつた夏の末の事である。明け易いといふのは寄宿舎の二階に寢て始めて覺えた言葉である。寢相の惡い隣の男に踏みつけられて眼をさますと、時計は四時過ぎたばかりだのに、夜はしらしらと半分上げた寢室のガラス窓に明けかゝつて、覺め切らぬ眼には釣り並べた蚊帳の新しいのや古い萌黄色が夢のやうである。窓の下框には扁柏の高い梢が見えて、其上には今眼覺めた樣な裏山が覗いてゐる。床は其儘に、そつと拔け出して運動場へ下りると、廣い芝生は露を浴びて、素足につつかけた兵隊靴を濡らす。ばつたが驚いて飛出す羽音も快い。芝原の圍りは小松原が取り巻いて、隅の處々には月見草が咲き亂れてゐた。其中を踏み散らして廣い運動場を一圍りする内に、赤い日影が時計臺を染めて賄所の井戸が威勢よく軋り始めるのであつた。其頃或夜自分は妙な夢を見た。丁度運動場のやうで、もつと廣い草原の中を朧な月光を浴びて現ともなく彷徨うて居た。淡い夜霧が草の葉末に下りて四方は薄絹に包まれたやうである。何處ともなく草花のやうな香がするが何の匂とも知れぬ。足許から四方にかけて一面に月見草の花が咲き連なつてゐる。自分と並んで一人若い女が歩いて居るが、世の人と思はれぬ蒼白い顔の輪郭に月の光を受けて默つて歩いて居る。薄鼠色の着物の長く曳いた裾には矢張り月見草が美しく染め出されてゐた。どうしてこんな夢を見たものかそれは今考へても分らぬ。夢が覺めて見るとガラス窓がほのかに白んで、蟲の音が聞えてゐた。寢汗が出て居て胸がしぼる樣な心持であつた。起きるともなく床を離れて運動場へ下りて月見草の咲いてゐる邊を何遍となくあちこちと歩いた。其後も毎朝の樣に運動場へ出たが、此れ迄に此處を歩いた時の樣な爽快な心持はしなくなつた。寧ろ非常に淋しい感じばかりして、其頃から自分は次第に吾と吾が身を削る樣な、憂鬱な空想に耽るやうになつてしまつた。自分が不治の病を得たのも此頃の事であつた。

 

 

     三 栗 の 花

 

 

 三年の間下宿して居た吉住の家は黑髮山の麓も稍奥まつた處である。家の後ろは狹い裏庭で、其上はもうすぐに崖になつて大木の茂りが蔽ひ重なつてゐる。傾く年の落葉木實と一緒に鵯の鳴聲も軒端に降らせた。自分の借りてゐた離室から表の門への出入には是非共此裏庭を通らねばならぬ。庭に臨んだ座敷の外れに三疊敷許りの突き出た小室があつて、洒落れた丸窓があつた。此處は宿の娘の居間と極つてゐて、丸窓の障子は夏も閉ぢられてあつた。丁度此部屋の眞上に大きな栗の木があつて、初夏の試驗前の調べが忙がしくなる頃になると、黄色い房紐のやうな花を屋根から庭へ一面に降らせた。落ちた花は朽ち腐れて一種甘いやうな強い香氣が小庭に充ちる。此處等に多い大きな蠅が勢ひのよい羽音を立てゝ此れに集まつて居る。力強い自然の旺盛な氣が腦を襲ふやうに思はれた。此花の散る窓の内には内氣な娘が垂れ籠めて讀物や針仕事の稽古をして居るのであつた。自分が此家にはじめて來たころはやうやう十四五位で桃割に結うた額髮を垂らせてゐた。色の黑い、顔立も美しいといふのではないが眼の涼しい何處か可愛氣な兒であつた。主人夫婦の間には年老つても子が無いので、親類の子供を貰つて育てゝ居たのである。娘の外に大きな三毛猫が居るばかりで寧ろ淋しい家庭であつた。自分はいつも無口な變人と思はれてゐた位で、宿の者と親しい無駄話をする事も滅多になければ、娘にもやさしい言葉をかけたこともなかつた。毎日の食事時には此娘が駒下駄の音をさせて迎へに來る。土地の訛つた言葉で「御飯お上がんなさいまつせ」と云ひ捨てゝすたすた歸つて行く。初めはほんの子供のやうに思つてゐたが一夏一夏歸省して來る毎に、何處となく大人びて來るのが自分の眼にもよく見えた。卒業試驗の前の或日、灯ともし頃、復習にも飽きて離室の縁側へ出たら栗の花の香は馴れた身にもしむ樣であった。 主家の前の植込の中に娘が白つぽい着物に赤い帶をしめて猫を抱いて立つて居た。自分の方を見ていつにない顔を赤くしたらしいのが薄暗い中にも自分に分つた。そしてまともに此方を見つめて不思議な笑顔を洩したが、物に追はれでもした樣に座敷の方に駈込んで行つた。其夏を限りに自分は此土地を去つて東京に出たが、翌年の夏初め頃殆ど忘れて居た吉住の家から手紙が屆いた。娘が書いたものらしかつた。年賀の他には便りを聞かせた事もなかつたが、どう思うたものか、細々と彼地の模樣を知らせてよこした。自分の元借りてゐた離室は其後誰も下宿して居ないさうである。東京といふ處は定めて好い處であらう。一生に一度は行つて見たいといふやうな事も書いてあつた。別に何といふ事もないが何處となく艶かしいのは矢張若い人の筆だからであらう。一番おしまひに栗の花も咲き候。やがて散り申候とあつた。名前は母親の名が書いてあつた。

 

 

     四 凌 霄 花

 

 

 小學時代に一番嫌ひな學科は算術であつた。いつでも算術の點數が惡いので兩親は心配して中學の先生を頼んで夏休み中先生の宅へ習ひに行く事になつた。宅から先生の所迄は四五町もある。 宅の裏門を出て小川に沿うて少し行くと村はづれへ出る、そこから先生の家の高い松が近邊の藁屋根や植込の上に聳えて見える。此れに凌霄花が下から隙間もなく絡んで美しい。毎日晝前に母から注意されていやいやながら出て行く。裏の小川には美しい藻が澄んだ水底にうねりを打つて搖れてゐる。其間を小鮒の群が白い腹を光らせて時々通る。子供等が丸裸の背や胸に泥を塗つては小川へ入つてボチヤボチヤやつて居る。附木の水車を仕掛けて居るのもあれば、盥船に乘つて流れて行くのもある。自分は羨しい心をおさへて川沿ひの岸の草をむしり乍ら石盤をかゝへて先生の家へ急ぐ。寒竹の生籬をめぐらした冠木門をはひると、玄關の脇の坪には蓆を敷き並べた上によく繭を干してあつた。玄關から案内を乞ふと色の黑い奥さんが出て來て「暑いのによう御精が出ますねえ」といつて座敷へ導く。綺麗に掃除の屆いた庭に臨んだ縁側近く、低い机を出してくれる。先生が出て來て、默つて床の間の本棚から算術の例題集を出してくれる。横に長い黄表紙で木版刷の古い本であつた。「甲乙二人の旅人あり、甲は一時間一里を歩み乙は一里半を歩む……」といつた樣な題を讀んで其意味を講義して聞かせて、これをやつて御覽といはれる。先生は縁側へ出て欠伸をしたり勝手の方へ行つて大きな聲で奥さんと話をしたりして居る。自分は其問題を前に置いて石盤の上で石筆をコツコツいはせて考へる。座敷の縁側の軒下に投網が釣り下げてあつて、長押の樣なものに釣竿が澤山掛けてある。何時間で乙の旅人が甲の旅人に追ひ着くかといふ事がどうしても分らぬ、考へて居ると頭が熱くなる、汗が坐つて居る脚ににじみ出て、着物のひつつくのが心持が惡い。頭を抑へて庭を見ると、笠松の高い幹には眞赤な凌霄の花が熱さうに咲いてゐる。よい時分に先生が出て來て「どうだ、六ヶしいか、ドレ」といつて自分の前へ坐る。羅紗切れを丸めた石盤拭きで隅から隅まで一度拭いてそろそろ丁寧に説明してくれる。時々わかつたかわかつたかと念をおして聞かれるが、大方それがよく分らぬので妙に悲しかつた。俯向いて居ると水洟が自然に垂れかゝつて來るのをじつと堪へて居る、いよいよ落ちさうになると思切つてすゝり上げる、これもつらかつた。晝飯時が近くなるので、勝手の方では皿鉢の音がしたり、物を燒く匂がしたりする。腹の減るのもつらかつた。繰り返して敎へてくれても、結局あまりよくは分らぬと見ると、先生も悲しさうな聲を少し高くすることがあつた。それが又妙に悲しかつた。「もうよろしい、又明日おいで」と云はれると一日の務が兎も角もすんだやうな氣がして大急ぎで歸つて來た。宅では何も知らぬ母が色々涼しい御馳走をこしらへて待つて居て、汗だらけの顔を冷水で淸め、ちやほやされるのが又妙に悲しかつた。

 

 

     五 芭 蕉 の 花

 

 

 晴れ上つて急に暑くなつた。朝から手紙を一通書いたばかりで何をする元氣もない。何遍も机の前へ坐つて見るが、ぢきに苦しくなつてついねそべつてしまふ。時々涼しい風が來て軒のガラスの風鈴が鳴る。床の前には幌蚊帳の中に俊坊が顔を眞赤にして枕を脱してうつむきに寢て居る。縁側へ出て見ると庭はもう半分陰になつて、陰と日向の境を蟻がうろうろして出入して居る。此間上田の家から貰つて來たダーリアはどうしたものか少し芽を出しかけた儘で大きくならぬ。戸袋の前に大きな廣葉を伸した芭蕉の中の一株には今年花が咲いた。大きな厚い花瓣が三つ四つ開いた許りで、とうとう開き切らずに朽ちてしまふのか、もう少し萎びかゝつたやうである。 蟻が二三匹たかつて居る。俊坊が急に泣き出したから覗いて見ると蚊帳の中に坐つて手足を投げ出して泣いて居る。勝手から妻が飛んでくる。坊は牛乳の罎を、投げ出した膝の上で自分に抱へて乳首から呼吸もつかずごくごく飲む。涙でくしやくしやになつた眼で兩親の顔を等分に眺めながら飲んで居る。飲んでしまふと又思ひ出した樣に泣き出す。まだ眼が覺めきらぬと見える。妻は俊坊を負ぶつて縁側に立つ。「芭蕉の花、坊や芭蕉の花が咲きましたよ、それ、大きな花でせう、實が生りますよ、あの實は食べられないかしら。」坊は泣き止んで芭蕉の花を指して「モヽモヽ」といふ。「芭蕉は花が咲くとそれきり枯れてしまふつて御父ちやま、本當?」「さうよ、だが人間は花が咲かないでも死んで仕舞ふね」といつたら妻は「マア」といつたきり背をゆすぶつて居る。坊が眞似をして「マア」といふ。二人で笑つたら坊も一緒に笑つた。そして又芭蕉の花を指して「モヽモヽ」といつた。

 

 

     六 野 薔 薇

 

 

 夏の山路を旅した時の事である。峠を越してから急に風が絶えて蒸し暑くなつた。狹い谷間に沿うて段々に並んだ山田の縁を縫ふ小徑には、蜻蜓の羽根がぎらぎらして、時々蛇が行手から這ひ出す。谷を蔽ふ黑ずんだ蒼空には折々白雲が通り過ぎるが、それは只あちこちの峯に藍色の影を引いて通るばかりである。咽喉が渇いて堪へ難い。道端の田の縁に小溝が流れてゐるが、金氣を帶びた水の面は蒼い皮を張つて鈍い光を照り返してゐる。行く内に、片側の茂みの奥から徑を横切つて田に落つる淸水の細い流れを見つけた時は譯もなく嬉しかつた。すぐに草鞋のまゝ足を浸したら涼しさが身にしみた。道の脇に少し分入ると、此處だけは特別に樫や楢がこんもりと黑く茂つて居る。 苔は濕つて蟹が這うて居る。崖からしみ出る水は美しい羊齒の葉末から滴つて下の岩の窪みにたまり、餘つた水は溢れて苔の下をくゞつて流れる。小さい竹柄杓が浮いたまゝに雫に打たれて居る。自分は柄杓にかじりつくやうにして、旨い冷いはらわたにしむ水を味うた。少し離れた崖の下に一株の大きな野薔薇があつて純白な花が咲き亂れてゐる。自分は近寄つて強い薫りを嗅いで小さい枝を折り取つた。人の氣はひがするのでふと見ると、今迄ちつとも氣が付かなかつたが、茂みの陰に柴刈りの女が一人休んで居た。背負うた柴を崖にもたせて脚絆の足を投げ出したまゝじつと此方を見て居た。あまり思ひがけもなかつたので驚いて見返した。繼ぎはぎの着物は裾短かで繩の帶をしめて居る。白い手拭を眉深にかぶつた下から黑髮が額に垂れかゝつて居る。思ひもかけず美しい顔であつた。都では見ることの出來ぬ健全な顔色は少し日に燒けて一層美しい。人に臆せぬ黑い瞳でまともに見られた時、自分は何んだか咎められたやうな氣がした。思はず意氣地のない御辭儀を一つして此處を出た。 蟬が鳴いて蒸し暑さは一層烈しい。今折つて來た野薔薇をかぎ乍ら二三町行くと、向ふから柴を負うた若者が一人上つて來た。身の丈に餘る柴を負うてのそりのそりあるいて來た。逞しい赤黑い顔に鉢巻をきつくしめて、腰には硏ぎすました鎌が光つて居る。行違ふ時に「どうも御邪魔さまで」といつて自分の顔をちらと見た。しばらくして振り返つて見たら、若者はもう淸水の邊近く上つて居たが、向ふでも振りかへつて此方を見た。自分は何といふ譯なしに手に持つて居た野薔薇を道端に捨てゝ行手の淸水へと急いで歩いた。

 

 

     七 常 山 の 花

 

 

 まだ小學校に通つた頃、昆蟲を集める事が友達仲間で流行つた。自分も母にねだって蚊帳の破れたので捕蟲網を作つて貰つて、土用の日盛りにも恐れず、此れを肩にかけて毎日の樣に蟲捕りに出かけた。 蝶蛾や甲蟲類の一番澤山に棲んで居る城山の中をあちこちと永い日を暮した。二の丸三の丸の草原には珍しい蝶やばったが夥しい。少し茂みに入ると樹木の幹にさまざまの甲蟲が見つかる。玉蟲、こがね蟲、米搗蟲の種類がかずかず居た。強い草木の香にむせながら、胸ををどらせながらこんな蟲をねらつて歩いた。 捕つて來た蟲は熱湯や樟腦で殺して菓子折の標本箱へ綺麗に並べた。さうして此の箱の數の増すのが樂しみであつた。蟲捕りから歸つて來ると、からだは汗を浴びたやうになり、顔は火の樣であつた。どうしてあんなに蟲好きであつたらうと母が今でも昔話の一つに數へる。年を經て面白い事にも出會うたが、あの頃珍しい蟲を見付けて捕へた時のやうな鋭い喜びは稀である。今でも城山の奥の茂みに蒸された朽木の香を思ひ出す事が出來るのである。いつか城山のずつと裾のお濠に臨んだ暗い茂みにはひつたら、一株の大きな常山木があつて桃色がゝつた花が梢を一面に蔽うて居た。散つた花は風にふかれて、汀に朽ち沈んだ泥船に美しく散らばつてゐた。此樹の幹は處々蟲の食ひ入つた穴があつて、穴の口には細い木屑が蟲の糞と共に零れかゝつて一種の臭氣が鼻を襲うた。樹の幹の高い處に、大きな見事な兜蟲がいかめしい角を立てゝ止まつて居るのを見付けた時は嬉しかつた。自分の標本箱にはまだ兜蟲のよいのが一つもなかつたので、胸を轟かして網を上げた。少し網が屆き兼ねたがやうやう首尾よく捕れたので、腰につけて居た蟲籠に急いで入れて、包み切れぬ喜びをいだいて森を出た。三の丸の石段の下迄來ると、向ふから美しい蝙蝠傘をさした女が子供の手を引いて樹陰を傳ひ傳ひ來るのに逢うた。町の良い家の妻女であつたらう。傘を持つた手に藥瓶を下げて片手は子供の手を引いて來る。子供は大きな新しい麥藁帽の紐を可愛い頤にかけて眞白な洋服の樣なものを着て居た。自分の提げてゐた蟲籠を見付けると母親の手を離れて覗きに來たが、眼を圓くして母親の方へ駈けて行つて、袖をぐいぐい引つぱつて居ると思ふと、又蟲籠を覗きに來た。母親は早くお出でよと呼ぶけれども、中々自分の側を離れぬ。強ひて連れて行かうとすると道の眞中に踞んでしまつて到頭泣き出した。母親は途方にくれ乍ら叱つて居る。自分は其時蟲籠の蓋を開けて兜蟲を引出し道端の相撲取草を一本拔いて蟲の角をしつかり縛つた。そして、さあといつて子供に渡した。子供は泣きやんできまりの惡いやうに嬉しい顔をする。母親は驚いて子供を叱りながらも禮をいうた。自分はなんだか極りが惡くなつたから、默つて空になつた蟲籠を打ちふり乍ら駈け出したが、嬉しい樣な、惜しい樣な、かつて覺えない心持がした。其後度々同じ常山木の下へも行つたが、あの時の樣な見事な兜蟲はもう見付からなかつた。又あの時の母子にも再び逢はなかつた。

 

 

     八 龍 膽 花

 

 

 同じ級に藤野といふのが居た。夏期のエキスカーションに演習林へ行く時によく自分と同じ組になつて測量などやつて歩いた。見ても病身らしい、背のひよろ長い、そしてからだのわりに頭の小さい、いつも前屈みになつて歩く男であつた。無口で始終何か茫然考へ込んで居る樣な風で、他の一般に快活な連中からはあまり歡迎されぬ方であつた。然し極く氣の小さい好人物で柔和な眼には何處やら人を引く力はあつた。自分は此男の顔を見ると、どういふ譯か氣の毒なといふやうな心持がした。此男の過去や現在の境遇などに就いては當人も別に話した事はなし、他からも聞いた事はなかつたが、何となしに不幸な人といふ感じが、初めて逢うた時から胸に刻み付けられてしまつた。或る夏演習林へ林道敷設の實習に行つた時の事である。藤野の外に三四人が一組になつて山小屋に二週間起臥を共にした。山小屋といつても、山の崖に斜に丸太を横に立てかけ、其上を蓆や杉葉で蔽うた下に板を敷いて、銘々に毛布にくるまつてごろごろ寢るのである。小屋の隅に石を集めた竈を築いて、こゝで木樵の人足が飯を炊いてくれる。一日の仕事から歸つて來て、小屋から立昇る蒼い煙を岨道から見上げるのは愉快であつた。こんな小屋でも宅へ歸つた樣な心持になる。夜になると天井の丸太から吊したラムプの光りに集る蟲を追ひ乍ら、必要な計算や製圖をしたり、時にはビスケットの罐を眞中に、みんなが腹這ひになつてむだ話をする事もある。いつもよく學校の噂や敎授達の眞似が出て賑かに笑ふが、又折々若やいだ艶かしい樣な話の出る事もあつた。こんな時藤野は人の話を聽かぬでもなく聽くでもなく、何か不安の色を浮べて考へて居る樣であるが、時々かくしから手馴れた手帳を出して樂書をして居る。一夜夜中に眼が覺めたら山はしんとして月の光りが竈の所に差込んでゐた。小屋の外を歩く足音がするから、蓆の隙から覗いて見ると、蒼い月光の下で藤野がぶらりぶらり歩いて居た。毎朝起きるときまり切つた味噌汁をぶつかけた飯を食つてセオドライトやポールを擔いで出かける。目的の場所へ着くと器械を据ゑて交る交る觀測を始める。藤野は他人の番の時には切株に腰をかけたり草の上にねころんだりしていつもの樣に考へ込んで居るが、いよいよ自分の番になると急いで出て來て器械をのぞき、熱心に度盛りを讀んで居るが、どういふものか時々とんでもない讀み違ひをする。ノートを控へて居る他の仲間から、それではあんまりちがふやうだがと注意されて讀み違へたことに氣がつくと、顔を眞赤にして非常に恥ぢておどおどする。どうも失敬した失敬したと云ひ譯をする。なるべく藤野には讀ませぬ樣にしたいと誰も思つたらうが、さういふ譯にも行かぬので矢張り順番で讀ませる。すると五囘に一度は何かしら間違へて其度に非常に恥ぢて悲しい顔をする。そしてヅボンの膝を抱へて一層考へ込むのである。こんな風で二週間も大方過ぎ、もう引上げて歸らうといふ少し前であつたらう。一日大雨がふつて霧が渦巻き、仕事も何も出來ないので、みんな小屋に籠もつて寢て居た時、藤野の手帳が自分の傍に落ちてゐたのを何の氣なしに取り上げて開いて見たら、山に夥しい龍膽の花が一つ枝折に插んであつて、いろんな樂書がしてあつた。中に銀杏がへしの女の頭がいくつもあつて、それから Fate といふ字が色々の書體で澤山書き散らしてあつた。仰向きに寢て居た藤野が起き上つてそれを見ると、蒼い顔をしたが何も云はなかつた。

 

 

     九 楝 の 花

 

 

 一夏、腦が惡くて田舎の親類の厄介になつて一月位遊んで居た。家の前は淸い小溝が音を立てゝ流れてゐる。狹い村道の向側は一面の靑田で向ふには德川以前の小さい城趾の岡が見える。古風な屋根門のすぐ脇に大きな楝の木が茂つた枝を擴げて、日盛りの道に涼しい陰をこしらへてゐた。通りがゝりの行商人などがよく門前で荷をおろし、門流れで顔を洗うた濡手拭を口にくはへて涼んで居る事がある。一日暑い盛りに門へ出たら、樹陰で桶屋が釣瓶や桶の箍をはめて居た。綺麗に掃いた道に靑竹の削り屑や鉋屑が散らばつて楝の花がこぼれてゐる。桶屋は黑い痘痕のある一癖ありさうな男である。手拭地の肌着から黑い胸毛を現はして逞しい腕に木槌をふるうて居る。槌の音が向ふの岡に反響して靜な村里に響き渡る。稻田には強烈な日光が眩しいやうにさして、田圃は暑さに眠つてゐるやうに見える。其處へ羅宇屋が一人來て桶屋の側へ荷を下ろす。古いそして小さ過ぎて胸の合はぬ小倉の洋服に、腰から下は股引脚絆で、素足に草鞋をはいて居る。古い冬の中折れを眉深に着て居るが、頭は綺麗に剃つた坊主らしい。「今日も松魚が捕れたのう」と羅宇屋が話しかける。桶屋は「捕れたかい、此頃はなんぼ捕れても、みんな蒸氣で上(かみ)へ積み出すからこちらの口へははひらんわい」とやけに桶をポンポン叩く。門の屋根裏に巢をして居る燕が田圃から歸つて來てまた出て行くのを、羅宇屋は煙管をくはへて感心した樣に眺めて居たが「鳥でも燕位感心な鳥はまづないね」と前置をしてこんな話を始めた。村の或る舊家に燕が昔から巢をくうて居たが、一日家の主人が燕に「お前には永年うちで宿を貸してゐるが、時たまには土産の一つも持つて來たらどうだ」と戯れに云つた事があつた。そしたら翌年燕が歸つて來た時、丁度主人が飯を食つて居た膳の上へ飛んで來て小さな木實を一粒落した。主人は何んの氣なしにそれを庭へ投り出したら、間もなく其處から奇妙な樹が生えた。誰も見た事もなければ聞いた事もない不思議な木であつた。其木が生長すると枝も葉も一面に氣味の惡い毛蟲がついて、見るも淺猿しいやうであつたので主人は此木を引抜いて風呂の焚き附けに切つてしまうた。其時丁度町の醫者が通りかゝつて、それは惜しい事をしたと歎息する。どうしてかと聞いて見ると、それは我邦では得難い麝香といふものであつたさうな。こゝ迄一人で饒舌つてしまつて尤もらしい顔をして煙を輪に吹く。ポンポン桶をたゝきながら默つて聞いて居た桶屋は此時ちよつと自分の方を見て變な眼付をしたが、「そして其麝香といふのは其樹の事かい、それとも又毛蟲かい」と聞く、「ウーン、そりやあその、麝香にも又色々種類があるさうでのう」と、どちらとも分らぬ事をいふ。桶屋は強ひて聞かうともせぬ。桶をたゝく音は向ふの岡に反響して楝の花がほろほろこぼれる。

                   (明治四十一年十月、ホトトギス)



 


    (注) 1. 上記の寺田寅彦の随筆「花物語」(旧字・旧仮名)の本文は、岩波文庫『寺田寅彦
         隨筆集』 第一巻(小宮豊隆編、岩波書店、昭和22年2月5日第1刷発行・昭和33年
         9月10日第23刷発行)に拠りました。    
         2. 平仮名の「く」を縦に伸ばしたような形の繰り返し符号は、元の文字を繰り返して表記
         してあります(「散り散り」「かれがれ」「しらしら」「やうやう」「すたすた」「ボチヤボチヤ」
         「モヽモヽ」など)。
         3. 「七 常山の花」の初めのほうに出て来る太字の「ばつた」は、原文では傍点が付い
         ている文字です。ここでは、傍点がうまく表記できないので太字にしてあります。      
         4. 寺田寅彦(てらだ・とらひこ)=物理学者・随筆家。東京生れ。高知県人。東大教授。
             地球物理学を専攻。夏目漱石の門下。筆名は吉村冬彦。随筆・俳句に巧みで、
             藪柑子と号した。著「冬彦集」「藪柑子集」など。(1878-1935)

                                                    
  (『広辞苑』第6版による。)
         5. 新字・新仮名によって読みやすく書き改められた「花物語」の本文を、青空文庫で読
         むことができます。底本は、改版された岩波文庫『寺田寅彦随筆集』第一巻(昭和38
         
(1963)年10月16日第28刷改版、平成9(1997)年12月15日第81刷)だそうです。
                 新字・新仮名による「花物語」(青空文庫)
         6. 『小さな小さなラジオ放送局』というサイトで、寺田寅彦「花物語」の朗読を聞くことが
         できます。    → 
寺田寅彦「花物語」の朗読 
             お断り: 現在は聞くことができないようです。(2017年11月1日)
         7. 寅彦が4歳から19歳までを過ごした旧宅を復元した「寺田寅彦記念館」が高知市に
         あります。

         8. フリー百科事典『ウィキペディア』に、「寺田寅彦」の項があります。
         9. 花の名前の読み方について
          (1) 「常山の花」の「常山」は、寅彦は「じょうざん」と読んだのでしょうか、それとも「くさ
         ぎ」と読んだのでしょうか。改版の岩波文庫では、本文の「常山木」に「じょうざんぼく」と
         ルビを振っていますし、題名も「七 常山の花」としてありますから、ここも「じょうざん」と
         読ませるつもりなのでしょう。
          『広辞苑』(第6版)には、「じょうざん(常山)」の(2)のアに、「クサギ・コクサギの別称」
         とあります。そして、「くさぎ」の項には「臭木」の字が当ててあり、「漢名、臭牡丹樹・海州
         常山」とあります。
          寅彦は、「常山」「常山木」を、「くさぎ」とは読まなかったでしょうか。
          (2) 「凌霄花」は、『広辞苑』に「りょうしょうか(凌霄花)……〔植〕ノウゼンカズラの異称」
         と出ています。改版の岩波文庫では、題名も本文中の「凌霄花」もすべて「のうぜんかず
         ら」としてあって、「凌霄花」という漢字は全く出してありませんから、「凌霄花」を「りょうしょ
         うか」とは読まずに、「のうぜんかずら」と読んでいるわけです。
          寅彦も、おそらくそう読んでいたであろうと思いますが、いかがでしょうか。
        10. 電子図書館『図書館。in』で、寺田寅彦の一部の作品を、縦書きで読むことができます。
          



 
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