資料360 「杞憂」(『列子』天瑞第一、第十四章) 



         杞 憂    『列子』天瑞第一、第十四章 

杞國有人憂天地崩墜身亡所寄廢寢食者又有憂彼之所憂者因往曉之曰天積氣耳亡處亡氣若屈伸呼吸終日在天中行止奈何憂崩墜乎其人曰天果積氣日月星宿不當墜邪曉之者曰日月星宿亦積氣中之有光耀者只使墜亦不能有所中傷其人曰奈地壞何曉者曰地積塊耳充塞四虚亡處亡塊若躇歩蹈終日在地上行止奈何憂其壞其人舍然大喜曉之者亦舍然大喜
長廬子聞而笑之曰虹蜺也雲霧也風雨也四時也此積氣之成乎天者也山岳也河海也金石也火木也此積形之成乎地者也知積氣也知積塊也奚謂不壞夫天地空中之一細物有中之最巨者難終難窮此固然矣難測難識此固然矣憂其壞者誠爲大遠言其不壞者亦爲未是天地不得不壞則會歸於壞遇其壞時奚爲不憂哉
子列子聞而笑曰言天地壞者亦謬言天地不壞者亦謬壞與不壞吾所不能知也雖然彼一也此一也故生不知死死不知生來不知去去不知來壞與不壞吾何容心哉

 


  (注) 1. 上記の「杞憂」の本文は、新釈漢文大系22『列子』(小林信明著、明治書院・昭和42年5月25日初版発行、昭和46年5月25日8版発行)によりました。
「杞憂」という題は、引用者がつけたもので、『列子』の本文にあるものではありません。
   
    2.  新釈漢文大系の本文には句読点や返り点が施されていますが、ここではそれらを省略してあります。    
    3. 本文中の「 」の漢字は、島根県立大学のe漢字から利用させていただきました。    
    4.  新釈漢文大系の注を少し引かせていただきます。
(1)「只」は、これ。語助の字。香草続校書には、「即」と同じという。
(2)「中傷」の「中」は、あたる、の意。落ちてきたものが当たって、けがをする。
(3)「地積塊耳充塞四虚」について。中国古来の考え方では、「天円地方」であって、天球という考えはあっても、地球という考え方はない。それで、地は果てしなく広がって、四方の空間(四虚)に充塞している、とするのである。
(4)「長廬子」の「廬」は、「盧」とする本もある。
(5)「火木」は、一本には「水火」に作る。
   
    5. 〇杞憂(きゆう)=〔列子天瑞〕(中国の杞の国の人が、天地が崩れて落ちるのを憂えたという故事に基づく)将来のことについてあれこれと無用の心配をすること。杞人の憂え。取り越し苦労。「─であれば幸いだ」    
〇列子(れっし)=(1)春秋戦国時代の道家。名は禦寇(ぎょこう)。鄭の人。老子よりややおくれ、荘子より前、孔孟の中間の頃の人ともいうが、伝未詳。唐の玄宗は冲虚真人と諡(おくりな)した。(2)書名。8巻8編。列子(1)の撰とするが、異説が多い。列子死後の事項が多いので、後人の偽作ともいう。老子の清虚・無為に基づき、寓言が多い。冲虚真経。冲虚至徳真経。                
               (以上、『広辞苑』第6版による。)
   
    6. 初めの部分だけ、書き下し文と語釈をつけておきます。(読み仮名は現代仮名遣いです。) 

杞(き)の国に、人の天地崩墜(ほうつい)して身寄る所亡きを憂(うれ)へて寝食を廃する者有り。又、彼の憂ふる所あるを憂ふる者有り。因(よ)りて、往(ゆ)きて之(これ)を暁(さと)して曰(い)はく、「天は積気(せっき)のみ。処として気亡きは亡し。屈伸呼吸のごとき、終日天中に在りて行止(こうし)するなり。奈何(いかん)ぞ崩墜を憂へんや」と。其の人曰はく、「天果して積気なりとも、日月星宿(じつげつせいしゅく)、当(まさ)に墜(お)つべからざるか」と。之を暁(さと)す者曰はく、「日月星宿は、亦積気中の光耀(こうよう)有る者なり。只(こ)れ墜ちしむるも、亦中傷(ちゅうしょう)する所有る能(あた)はず」と。其の人曰はく、「地の壊(くず)るるを奈何(いかん)せん」と。暁す者曰はく、「地は積塊(せっかい)のみ。四虚(しきょ)に充塞(じゆうそく)し、処として塊(かい)亡きは亡し。躇歩蹈(ちょほしとう)のごとき、終日地上に在りて行止するなり。奈何(いかん)ぞ其の壊(くず)るるを憂へんや」と。其の人舎然(しゃくぜん)として大いに喜ぶ。之を暁す者も亦舎然として大いに喜べり。(以下、略)
  
語釈:
〇杞(き)=周代の国名。周の武王が、夏(か)王朝の子孫を封(ほう)じた国。今の河南省杞県にあった。
〇積気(せっき)=積み重なった大気。天のこと。
〇行止(こうし)=行くことと止(とど)まること。ふるまうこと。
〇星宿(せいしゅく)=星座のことだが、ここは、星をいう。「宿」は星座。
〇中傷(ちゅうしょう)=ここは、当たって怪我をする。「中」は、当たる。
〇積塊(せっかい)=積み重なった土塊。大地のこと。
〇四虚(しきょ)=四方の空間。
〇充塞(じゅうそく)=いっぱいになってみちふさがる。
〇躇歩蹈(ちょほしとう)=「躇」「」「蹈」のいずれも、地をふむ意。
〇舎然=「しゃくぜん」、「せきぜん」の両方の読みがある。意味は、疑いや迷いがすっかりなくなり、さっぱりするさま。釈然。
   
    7.  『陽碍山』というサイトに『中国故事物語』(河出書房新社、昭和38年1月30日初版発行)が入っていて、そこに「杞憂」が載っていますので、ご覧ください。
   残念ながら現在は見られないようです。
   
    8.  フリー百科事典『ウィキペディア』「杞」の項目があります。    
    9.  『故事成語大事典』の項目に「杞憂」があります。    








         トップページへ