資料345  臨済録「明頭来明頭打……」(勘弁七)



                臨済録   勘弁七

因普化常於街市搖鈴云明頭來明頭打暗頭來暗頭打四方八面來旋風打虚空來連架打師令侍者去纔見如是道便把住云總不與麼來時如何普化托開云來日大悲院裏有齋侍者囘擧似師師云我從來疑著這漢


  (注) 1. 本文は、たちばな教養文庫 『臨済録』(朝比奈宗源・訳注、平成12年4月30日初版第1刷発行・平成18年4月20日第2刷発行)によりました。
『臨済録』は、正式には『鎮州臨済慧照禅師語録』(ちんしゅう りんざいえしょうぜんじ ごろく)といいます。   
   
    2.  親戚のところにあった明和七年(1770)六月吉辰の日付のある「本則」(虚無僧の認可証)の初めに、次のようにあります。
     本 則
   明頭來明頭打暗頭來暗
   頭打四方八面來旋風打虚
   空來連架打
   一日臨濟令僧把住曰或遇
   不明不暗來時如何
   師托開曰來日大悲院裏
   齊僧回擧似濟々曰我從
   來疑着這漢矣
       (以下、略)
この「來日大悲院裏齊」の「齊」は、正しくは「齋」だと思われます。また、「齊」の前に「有」がほしいところですが、脱字なのか、あるいは「齊」だけで「齊(齋)あり」と読ませるのかは、よく分かりません。
   
    3.  「明頭來明頭打暗頭來暗頭打四方八面來旋風打虚空來連架打」は、普通「みょうとうらいや、みょうとうた。あんとうらいや、あんとうた。しほうはちめんらいや、せんぷうた。こくうらいや、れんかだ」と読んでいるようです。    
    4.  たちばな教養文庫 『臨済録』勘弁七の本文を訓読しておきます。
因(ちなみ)に普化(ふけ)、 常に街市(がいし)に於(おい)て、鈴(れい)を搖(ゆりうごか)して云はく、「明頭來(みょうとうらい)や、明頭打(みょうとうた)。暗頭來(あんとうらい)や、暗頭打(あんとうた)。四方八面來(しほうはちめんらい)や、旋風打(せんぷうた)。虚空來(こくうらい)や、連架打(れんかだ)」と。師、侍者(じしゃ)をして去つて、纔(わずか)に是(かく)の如く道(い)ふを見て、便(すなわ)ち把住(はじゅう)して云はしむ、「總(すべ)て不與麼(ふよも)に來(きた)る時、如何(いかん)」と。普化、托開(たくかい)して云はく、「來日(らいじつ)、大悲院裏(だいひいんり)に齋(とき)有り」と。侍者回(かえ)りて師に擧似(こじ)す。師云はく、「我、從來這(こ)の漢(かん)を疑著(ぎちゃく)す」と。
   
    5. 『冠註拈評三百則不能語』(慧洪・顕孝等編、慧印評;古田梵仙注、明治14年4月・名古屋:文光堂刊)という本に、「(二十二)普化振鈴鐸縁」として、次の文が出ています。

鎭州普化和尚。 嗣2盤山1 尋常入レ市ニ。振2鈴鐸1ヲ云。明頭來ヤ。明頭打。暗頭來ヤ。暗頭打。四方八面來ヤ。旋風打。虚空來ヤ。連架打。一日。臨濟令下ム僧シテ捉住中シテ云ハ或ハ遇2コト不明不暗來1ニ時如何ト。師托開シテ云。來日大悲院裏ニ有レ齋。僧回テ擧2似ス濟ニ。濟云。我、從來疑2著ス這漢1ヲ。(以下、略)
※ 引用者注:ここに「捉住」とあるのは、普通「把住」となっているようです。

試みに、訓点に従って書き下してみます。
鎭州(ちんしゅう)の普化(ふけ)和尚(盤山を嗣ぐ)、 尋常市(いち)に入(い)り、鈴鐸(れいたく)を振りて云はく、「明頭來(みょうとうらい)や、明頭打(みょうとうた)。暗頭來(あんとうらい)や、暗頭打(あんとうた)。四方八面來(しほうはちめんらい)や、旋風打(せんぷうた)。虚空來(こくうらい)や、連架打(れんかだ)」と。一日(いちじつ)、臨濟、僧をして捉住(そくじゅう)して、「或いは不明不暗來(ふみょうふあんらい)に遇ふことある時如何(いかん)」と云はしむ。師、托開(たっかい)して云はく、「來日(らいじつ)、大悲院裏に齋(とき)有り」と。僧回(かえ)りて濟に擧似(こじ)す。濟云はく、「我、從來這(こ)の漢を疑著(ぎちゃく)す」と。
   
    6. 上記の『冠註拈評三百則不能語』は、『国立国会図書館デジタルコレクション』に入っています。
 『国立国会図書館デジタルコレクション』 
   → 『冠註拈評三百則不能語』 (16~17/48)
   
    7.  武田鏡村著『禅のことば 人生を豊かに生きるための120選』(PHP研究所、2009年6月10日第1版第刷発行)に、「この言葉は、いつ、どこから、何が現われても、それに対して自由自在に受けとめて対応するという自由な境地を表わす」とあります(同書、249頁)。    
    8. 「明頭來明頭打……」「總不與麼來時如何」の訳について
柳田聖山師は、「明るい朝が来れば、明るい朝次第、暗い晩が来れば、暗い晩次第、四方八方から来れば、つむじ風のよう、大空いっぱいに来れば、からざお方式(続けざまに反覆連打するやり方。からざおは、麦や豆を打って脱穀する道具)でやっつける」「ぜんぜんどんなふうにも来ないときは、どうする」と訳しておられます。(柳田聖山・訳著『臨済録』(中公クラシックE10、中央公論社 2004年2月10日発行) 「ぜんぜんどんなふうにも来ない」の注に、「内側より開く以外に、外からは開けようのない開け方」とあります。同書、43~44頁) 朝比奈宗源師は、「差別でくれば差別で受け、平等でくれば平等で受け、四方八方でくれば旋風(つむじかぜ)のように受け、虚空からくれば釣瓶(つるべ)打ちに受ける」「そのどれでもなく来たらどう受けるか」と訳しておられます。(朝比奈宗源・訳註『臨済録』(たちばな教養文庫)。注に「明頭は差別、偏位。暗頭は平等、正位と解されている」とあります。同書、224~5頁) 
   
    9. 臨済(りんざい)=唐の禅僧。臨済宗の開祖。名は義玄。曹州南華(山東省)の人。黄檗(おうばく)希運に師事して得道し、河北鎮州城東南の臨済院に住した。その法系を臨済宗といい、中国禅宗中最も盛行。その法語を集録した「臨済録」がある。諡号(しごう)は慧照禅師。(─867)
臨済録(りんざいろく)=仏書。臨済の法語をその弟子の三聖慧然(さんしょうえねん)が編集したもの。一巻。詳しくは「鎮州臨済慧照禅師語録」。
普化(ふけ)=唐代の禅僧。普化宗の開祖。鈴を振って遊行し、衆生を教化した。(─860)
普化宗(ふけしゅう)=江戸時代に盛行した禅宗の一派。唐の普化を祖とし、1254年(建長6)に東福寺の覚心が伝来。その徒を虚無僧(こむそう)といい、尺八を吹いて諸国を巡行。下総一月寺・武蔵鈴法寺を本山としたが、1871年(明治4)廃宗。
    (以上、『広辞苑』第6版による。)
   
    10. 『臨済録』に出ている普化の最後を、次に引いておきます。(たちばな教養文庫本による。)
普化一日、於街市中、就人乞直裰。人皆與之。普化倶不要。師令院主買棺一具。普化歸來。師云、我與汝做得箇直裰了也。普化便自擔去、繞街市叫云、臨濟與我做直裰了也。我往東門遷化去。市人競隨看之。普化云、我今日未、來日往南門遷化去。如是三日、人皆不信。至第四日、無人隨看。獨出城外、自入棺内、倩路行人釘之。即時傳布。市人競往開棺、乃見全身脱去。祇聞空中鈴響、隱隱而去。
   
    11. フリー百科事典『ウィキペディア』に、「臨済義玄」「普化宗」の項目があります。    
    12.  YouTubeに、尺八演奏『普化宗尺八ー本手調・阿字観ー藤由越山』があります。    
    13. 『京の通称寺(続編)』というサイトの中の「149 尺八根本道場」に、「普化宗と虚無僧について」というページがあります。
(現在、ページが見当たりません。2017年8月31日)
   
    14. 『朋盟のホームページ』に、「虚無僧尺八の表裏を探る」というページがあります。 
 『朋盟のホームページ』「虚無僧尺八の表裏を探る」
   





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