資料317 山笑ふ・山粧ふ・山眠る(『改正月令博物筌』・『臥遊録』より) 

  



 

 

    山笑ふ・山粧ふ・山眠る 
          
(『改正月令博物筌』・『臥遊録』より)
    

 

 

 出典について

 

 

 俳句に「山笑ふ」「山粧ふ」「山眠る」という季語がありますが、この言葉は北宋の画家・郭煕の言葉で、一般に出典は南宋の呂祖謙の『臥遊録』だとされているようです。しかし、この言葉が最初に出ている書物を出典として挙げるとすれば、子の郭思が編集した『林泉高致集』とすべきではないでしょうか。
 『広辞苑』や『諸橋大漢和辞典』が出典としている『画品』(『畫品』)が、もし『林泉高致集』に含まれているという『画品』(『畫品』)を指しているのだとすれば、出典は「『林泉高致集』「画品」」(『林泉高致集』「畫品」)と表示すべきではないでしょうか。


 『広辞苑』には、「山笑う」の解説に、
 山笑う  [画品、郭煕四時山「春山淡冶にして笑うが如く、夏山蒼翠
    として滴
(した)たるが如し、秋山明浄にして粧うが如く、冬山
    惨淡として睡
(ねむ)るが如し」] 春の芽吹きはじめた華やかな
    山の形容。冬季の山の淋しさに対していう。笑う山。
<季・春>
とあります。ここでは、出典を『画品』として挙げているわけです。

 『諸橋大漢和辞典』には、「淡冶」の項目に、次のようにあります。
  淡冶
 タンヤ あっさりしてなまめかしいさま。[畫品]郭煕四時山、
    春山淡冶而如
笑、夏山蒼翠而如滴、秋山明浄而如粧、冬
    山惨淡而如
睡。(巻七)


 
ここでも出典を、同じく『畫品』(『画品』)として挙げています。
  
大修館書店の編集部に問い合わせたところ、この『畫品』は明の楊愼撰の『畫
 品』だということでした。その「山水」という一節の冒頭に、「郭煕四時山、春
 山淡冶而……冬山惨淡而如睡」が出ているそうです。
(2002年1月21日)

  
(参考)序でに、『諸橋大漢和辞典』から、「春山淡冶而……冬山惨淡而如睡」が引
    用してある部分を抜き出しておきます。
     「春山」
シユンザン の項の「春山如笑」
       春の山の温雅なさま。[郭煕、山水訓]眞山之煙嵐、四時不
同、春山澹冶
       而如
笑、夏山蒼翠而欲滴、秋山明淨而如粧、冬山惨淡而如睡。
     「夏山」
カザン なつやま。なつの山。夏山欲雨を見よ。[臥遊録、郭煕記]春山
       淡冶而如
笑、夏山蒼翠而如滴。
     「冬山」
トウザン 冬枯のさびしい山。[郭煕、山水訓]秋山明淨而如粧、冬山惨
       淡而如
睡。[畫鑒]冬山惨淡而如睡。
     「四時山色」
シジノサンシヨク 四季の山の景色。[郭煕、山水訓]眞山之煙嵐、四
       時不
同、春山淡冶而如笑、夏山蒼翠而欲滴、秋山明淨而如粧、冬
       山惨淡而如
睡。
     
「春山如笑」と「四時山色」の項に引用されている夏山のところが、「夏
      山蒼翠而欲
滴」と、「滴」でなく「滴」となっていることが注目
      されます。そうなっている本文もあるのだと思われます。


 『畫品』(『画品』)について、鈴木敬著『中國繪畫史 上』圖版
[註・參考文獻・年表・索引](吉川弘文館、昭和56年3月20日発行)の「參考文獻」のところに、次のように記されています。
『林泉高致(集)』一巻 北宋郭煕撰・郭思纂集
山水訓、畫意、畫訣、畫題、畫格拾遺の五篇が現存するが、その成立は許光凝が序を記した政和七年(1117)頃であろう。
現存通行本には「畫記」一篇が失われているが、近年、北京圖書館より明抄本の「畫記」が發見され、さらに臺北故宮博物院から文淵閣本を底本として『林泉高致集』全篇が排印され出版されたものの、「畫記」に關する限り兩本とも誤字・誤寫が多いように見受けられる。しかし本書の發見により郭煕の活躍年代、官衙、宮中殿閣の壁屛畫の制作時のおおよそも推定されることになり、郭煕傳の缺を補うところが大きい。」(同書、97-98頁)


 
郭煕の子・郭思が、郭煕の画論をまとめたという『林泉高致集』を見てみると、この中の「山水訓」に、「春山淡冶而如笑、夏山蒼翠而如滴、秋山明浄而如妝、冬山惨淡而如睡」という言葉が出ています。(「妝」は、「俗に粧に作る」と『増補字源』昭和30年にあります。また、「淡冶」が「澹冶」となっている本もあります。

        * * * * * * * * * * 

 
 ☆『改正月令博物筌』より 

 初めに、『改正月令博物筌』に引かれている、『臥遊録』に出ているという郭煕の言葉を紹介しておきます。ここには「詩」と書いてありますが、詩ではなく詞章(言葉)というべきではないでしょうか。


 山 眠 冬の山の姿(すがた)をいふ。四季の山の
 
(やまねふる) 姿をいへる詩(し)あり次にしるす      

 四季山之詞            臥遊録ニ出

春山淡冶而如  春ノ山ハアツサリトシテ人ノヱメルヤウナ
(シユンサンタンヤトシテワラフカコトシ)            

夏山蒼翠而如  夏ノ山ハアヲアヲトシテウルホフヤウナ
(カサンサウスイトシテシタヽルカコトシ)            

秋山明淨而如  秋ノ山ハサツパリトシテカザリタルヤウナ
(シウサンメイシヤウニシテヨソホフカコトシ)            

冬山慘淡而如  冬ノ山ハモノサビシウテシヅマツタコヽロナリ
(トウサンサンタントシテネムルカコトシ)            

右の詩(し)の心(こゝろ)を以て季に春ハ山笑(やまわら)ふ秋ハ山粧(よそほふ)冬ハ山眠(ねふ)ると三ツ出(いだ)して夏の山滴(やましたゝる)を季に用ひざるも俳の掟(おき)て也

 

 


        * * * * * * * * * *  
 
   ☆『臥遊録』より

 次に、『呂祖謙全集』第16冊によって、『游録(繁本)』の本文も見ておきましょう。

 
(この本の『臥遊録』の「臥」は、「」(臣+ト)という字に、「遊」は「游」の字になっています。「」の文字と、下に出てくる「の文字は、島根県立大学e漢字フォントを利用させていただきました。)

 游録(繁本)』の本文のうち、初めの部分と『春山淡冶而如笑,……』の前後の部分を少し引用しておきます。

   宗少文好山水, 愛遠游。西陟荊、巫, 南登衡岳, 因結宇衡山, 有尚平之志。以疾還江陵, 歎曰..『老、病倶至, 名山恐難徧覩, 唯澄懷觀道, 以遊之。』凡所遊履, 皆圖之於室。謂人曰..『撫琴動操, 欲令衆山皆響。』

  簡文入華林園, 顧謂左右曰..『會心處不必在遠。翳然林水, 便自有濠、濮間想也。不覺鳥獸禽魚, 自來親人。』


  荀中郎在京口, 登北固望海, 云..『雖未覩三山, 便自使人有凌雲意。若秦、漢之君, 必當褰裳濡足。 』

  支公好鶴, 住剡東山。有人遺其雙鶴, 少時翅長, 欲飛, 支意惜之, 乃鎩其翮。鶴軒翥不復能飛, 乃反顧翅, 垂頭視之, 如有懊喪意。林曰..『既有凌霄之姿, 何肯爲人作耳目之翫!』養令翮成, 置使飛去。

  ………………………………

  《雲陽記》曰..『谷口去雲陽宮八十里, 流錂潦沸騰, 飛泉激灑。兩岸峭壁, 孤竪横盤, 凜然凝沍。毎入穴中, 朱明盛暑, 當晝暫暄, 涼秋晩候, 縕袍不煖, 所謂寒門也。漢世以爲避暑之處。』

  鞏氏《耳目志》..『海山微茫而隠見, 江山嚴厲而峭卓, 溪山窈窕而幽深, 塞山童頳而堆阜。』
  

  郭煕《記》『春山淡冶而如笑, 夏山蒼翠而如滴, 秋山明淨而如粧, 冬山慘淡而如睡。』

  王績嗜酒, 不任事。有奴婢數人種麥, 春秋釀酒, 養鳬雁, 蒔藥草自供。以《周易》、《老子》、《荘子》置牀頭, 他書罕讀也。游北山東皋, 著書自號『東皋子』。

  李瀆淳淡好古, 杜門不仕, 往來中條山中。不親産業, 所居木石幽勝。所乘馬嘗爲宗人借, 憇於廛間, 人有見者以語瀆, 瀆即鬻之。

  謝靈運詩題云..『石門新營所住, 四面高山, 回谿石瀬, 茂林脩竹。』

  陳湯爲人沉勇有大慮, 多策謀, 喜奇功, 毎遇山川, 常登望之。

  ………………………………

       * * * * * * * *

 

 

 

  序でに、游録(繁本)』の「點校説明」(陳金生 黄靈庚)から、一部を省略して引用しておきます。
 

 

  《游録》爲呂祖謙歿世前所作。其時呂氏身罹風痺, 連日常起居亦難以自理, 然猶讀書,  著述不少怠。 是書之作, 蓋呂氏於病痛糺纏之際, 『因有感於宗少文「游」之語, 毎遇昔人記載人境之勝, 輒命門人隨手筆之』, 既以調理自娯, 又爲興寄『故國之念』也。
  傳世版本有繁、簡之別。繁本見於元陶宗儀《説郛》巻七十四下, 無序跋, 凡一百一十七則。簡本見明顧元慶《文房小説》, 凡四十六則。二本前二十一則皆同出劉義慶《世説新語》, 而後各絶異。《四庫》館臣謂簡本『參差不倫, 了無取義。祖謙必不如是之陋。此本出陳繼儒《普秘笈》中, 殆明人依託也』。學者多以繁本爲呂氏舊觀, 而視簡本爲贋作也。其實不然。繁本前無序, 後無跋., 簡本前有宋王深源之序, 後有顧元慶之跋。王序頗詳此書曲折, 謂『此書未及成編, 而已迫夢奠。後二十餘年, 先生之從子喬年既取「
游」二字, 扁先生燕寢之堂, 復以是編屬東陽郭君淇書之, 且屬深源識其顚末』云云, 既云『扁堂』, 又屬『書之』, 其事之可覆可詳, 言之鑿鑿 , 豈明人所能無端『依託』乎?
  《
游録》是『未及成編』之書, 爲呂氏門人子弟『隨手筆之』, 蓋非出一人之手, 亦非一時之編, 其時稿本已各不同矣。故繁、簡二本之真僞, 未可顧此失彼, 妄下雌黄。所謂兼之則兩全, 偏之則倶傷, 故二本宜并收録之, 以存其異者可也。   
  繁本《游録》, 除《説郛》本外, 別有《金華叢書》本。比較二本異同, 蓋以《説郛》本爲優。如第一條『西陟』之『陟』字、『尚平』之『尚』字, 《金華叢書》訛爲『渉』、『向』, 而《説郛》本未誤。故繁本《游録》取《説郛》本爲底本, 以《金華叢書》本爲對校本, 以簡本爲參校本。(後略)

 

 

 

 

 

 


  

  
 (注)☆『改正月令博物筌』について

    1.上記の『改正月令博物筌』は、早稲田大学図書館の画像によりました。
     この本は、天保12年(1841)3月に出版された、文化元年(1804)-
     5年(1808)刊の本の新訂本の由です。
       
改正月令博物筌 天保十二年丑三月
            江戸日本橋通り一丁目
               須原屋茂兵衛
            ほか4名の共同刊行。
      題簽の書名は『季寄/註解
改正月令博物筌』、見返しの書名は『改正
     月令博物筌』(貝原先生歳時増選、鳥飼洞斎編述)となっています。

    2.夏山のところに平仮名の「く」を縦に伸ばした形の繰り返し符号が使
     ってありますが、これは普通の仮名に直してあります(「
アヲアヲ」)。
    3.東北大学附属図書館のホームページでも、『東北大学デジタルコレク
     ション』で、『季寄/註解
改正月令博物筌』(貝原益軒選・鳥飼洞斎編、
     文化5年・浪花塩屋弥へ兵衛等刊)を画像で見ることができます。

       東北大学附属図書館 → 『季寄註解改正月令博物筌』の「山眠」の画像

          (詳しい出し方)
東北大学附属図書館 → TOP画面で「所蔵コレクション」をクリック
              → 「デジタルコレクション」をクリック
              →  検索キーワードに「改正月令博物筌」と入力して検索
              → 「3. 季寄註解改正月令博物筌」をクリック
              → 左の「コンテンツ数804」の下の「1-5」の右の▼をクリック
              → ここから「771-775」を出してクリック 
              → そこから「773」を出すと、右に『季寄註解改正月令博物筌』の
               「山眠」の画像が出るので、これを拡大して見る。

   
☆『臥遊録』について 
  
 4. 上に引いた游録(繁本)』は、次の本によっています。
      『呂祖謙全集』第16冊(黄靈庚・吴戰壘 主編、浙江古籍出版社・
                 2008年1月第1版発行)
    5.「支公好鶴, 住剡東山。」の「」は、原文は「山」が左、「卬」
     が右の字です。
    6.「郭煕《記》『春山淡冶……」の「記」は、書名ではなく、郭煕の
     「書いたもの」という意味でしょうか。

    ☆ 郭煕について    

 

7.郭煕(かく・き)=北宋の画家。字は淳夫。河陽温県の人。神宗の時、宮殿の壁画

 

 

 

を制作。李成の系統の画風。画論「林泉高致集」は三遠で有名。「早春図」
(1072年作)が現存。90余歳で没。   
(『広辞苑』第6版による。)

 

 

  郭煕(かくき)=字、淳夫。北宋の画家。河陽温県(河南)を原籍とする。宋初の李

 

 

 

成の画風を学んだが、独自に遠近法を用いて自然を実写的に描き、山水
画の名手として、宮廷画院の指導的地位についた。師とともに「李郭」と称
される。子の郭思が編集した『林泉高致』にかれの画論が展開されており、
それによると山水画の目的は、塵埃を避けて烟霞仙聖を慕うことであり、
山水の景を活物とみる。山の距離によってその趣の異なることを説く「三遠
の法」はとくに有名である。四季の景観の変化に着目し、雲烟に山峰の見え
がくれする様を写すのに巧みであったという。郭煕の筆と伝えられる『渓山
秋霽図巻』が残っている。 
       
(『中国史人名辞典』外山軍治・日比野丈夫編、新人物往来社・
                          昭和59年5月25日第1刷発行)

 

 

    郭煕(かく・き)=中国北宋の画家。宋初の李成に私淑し、北方系山水画の様式

 

 

 

を確立。「林泉高致」を著し、山水画の基本形式である三遠の法則を確立。
生没年未詳。                    
(『大辞林』第2版による。)

 

 

    ※ 三遠(さんえん)=[美学・美術]中国の山水画で空間を構成する三つの原理。山の麓から
         山頂を見上げるのを高遠、前の山から後の山を眺めるのを平遠、手前の谷の間か
         ら遠くの山を遠眺するのを深遠と呼ぶ。北宋の画家郭煕
(かくき)が提唱し、以後
         永く尊重された。               (『広辞苑』第6版)

 

      なお、フリー百科事典『ウィキペディア郭煕の項があります。
      また、『林泉高致集』山水訓の原文・書き下し文・訳文等については、
     注の10をご覧ください。(ただし、現在のところ、まだ山水訓のごく初め
     の部分しか書かれていないようです。)
   
☆ その他
    8.『広辞苑』の 「山笑う」「山粧う」「山眠る」を引いておきます。     

 

山笑う [画品、郭煕四時山「春山淡冶にして笑うが如く、夏山蒼翠として滴(した)

 

 

たるが如し、秋山明浄にして粧うが如く、冬山惨淡として睡(ねむ)るが如し」]春の芽吹きはじめた華やかな山の形容。冬季の山の淋しさに対していう。笑う山。<季・春> 

 

 

山粧(よそお)う 晩秋の澄んだ空気のなかで、山が紅葉に彩られているさ
    まをいう。<季・秋>。

 

 

山眠る 冬季の山が、枯れていて全く精彩を失い、深い眠りに入るように
    見えるのをいう。眠る山。<季・冬>。
  (以上、『広辞苑』第6版による。)

    9.「山滴る」という言葉は、季語として認められているのでしょうか。
      『広辞苑』には出ていないようですが、歳時記によっては、季語として
      採用しているものもあるようです。

     10.『林泉高致集』山水訓の原文・書き下し文・訳文等について
       跡見学園女子大学の島田英誠先生のホームページ柳上書屋WEB版
     
中国絵画史辞典があり、そこに郭煕や林泉高致集についての解
      説、
『林泉高致集』山水訓の「原文」「返り点つき本文」「読み下し」
      「訳」が出ていますが、山水訓の本文については、残念ながら、現在のと
      ころまだ、ごく初めの部分しか書かれていないようです。
(2002年1月18日)
          
 ※ 現在、上記のWEB版「中国絵画史辞典」・「林泉高致集」・「林泉高致集」山水訓などは、
       見られない(接続できない)ようです。(2012年6月16日)

     11.資料318に『四庫全書』文淵閣本による林泉高致集』山水訓の本文
     あります。     
                   

 
 

 

           トップページ(目次)