(注) | 1. |
上記の「野口英世に宛てた母シカの手紙」の本文は、母シカの手紙の写真によりました。 改行は、手紙の通りにしてあります。手紙の日付は、明治45年1月23日です。 |
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2. | 福島県猪苗代町にある『野口英世記念館』のホームページがあります。 → 母シカの手紙 |
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3. | フリー百科事典『ウィキペディア』に、「野口英世」の項があります。 | ||||
4. | 『くらげ男の日々』というブログで、「野口英世にあてた、母の手紙」(前半部分)を画像で見ることができます。 | ||||
5. |
福島県折込広告社の『あらかると』(2004.October
Vol.214)に、野口英世が特集されており、ここで、母シカの手紙の全文を、画像で見ることができます。ここには、野口英世の生涯についての紹介もあり、写真などもあってたいへん参考になります。 残念ながら現在は見られないようです。(2016年9月29日) |
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6. | 国立科学博物館で、日本の科学者技術者展第6回『Dr.NOGUCHI 世界を勇気づけた科学者・野口英世』が、2008年5月20日から7月21日まで、開かれました。(ここに「展覧会概要」が出ていて、参考になります。) | ||||
7. | 国立国会図書館の『近代日本人の肖像』で、「野口英世」の肖像が見られます。 | ||||
8. | 『野口英世と東京歯科大学』というサイトに、野口英世の「年譜」「野口英世の生涯」「野口英世の『歯科医学叢談』『歯科学報』掲載論文・東京歯科医学院講義録」があります。 | ||||
9. | 『玄侑宗久公式サイト』に、玄侑氏のエッセイ「念ずる力─野口英世の母・シカの手紙」が出ています。 | ||||
10. | 『ぶらり重兵衛の歴史探訪2』というサイトの「会ってみたいな、この人に」(銅像巡り)の中に、「野口英世」のページがあり、そこで猪苗代の野口英世記念館にある銅像の写真のほか、生家や囲炉裏、誕生碑と忍耐の碑の写真、年譜などが見られます。 また、上野公園にある野口英世の銅像や、横浜検疫所長浜庁舎にある野口英世博士のレリーフも見られます。 |
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11. |
手紙の本文を普通の形に書き直してみます。なお、語句の注釈は、福島県立図書館の「図書館だより」第148号(2004年・平成16年・8月6日号)を参照させていただきました。 お前の出世には、皆たまげました。わたくしも喜んでをりまする。中田の観音様に、毎年(まいねん)、夜籠(よこも)りをいたしました。勉強なんぼでも切りがない。烏帽子(近所の地名。ここは、烏帽子という村からのお金の催促のこと)には困りをりますが、お前が来たならば、申し訳ができましょう。春になると、みな北海道に行つてしまひます。わたしも、心細くありまする。どうか早く来てくだされ。金を貰うたこと、誰にも聞かせません。それを聞かせると、みな飲まれてしまひます。早く来てくだされ。早く来てくだされ。早く来てくだされ。早く来てくだされ。一生の頼みでありまする。西さ向いては拝み、東さ向いては拝みしてをります。北さ向いては拝みをります。南さ向いては拝んでをりまする。一日(ついたち)には、塩断ちをしてをります。栄昌様(隣家の鵜浦栄昌。天台宗の修験者)に一日(ついたち)には拝んでもろてをりまする。なにを忘れても、これ忘れません。写真を見ると、戴いてをりまする。早く来てくだされ。いつ来ると教へてくだされ。これの返事待ちてをりまする。寝ても眠られません。 |