資料311 信貴山縁起 

  



 

 

    信貴山縁起      


   
(第一巻)

(詞 書)

    〔絵〕

   (第二巻 第一段)

 この鉢に、米を一俵
(ひとたはら)のせて飛ばするに、雁(かり)などの続きたるやうに、残りの米ども、続き立ちたり。また、むら雀などのやうに続きて、たしかに主(ぬし)の家にみな落ちゐにけり。
 かやうに行ひて過ぐるほどに、そのころ、延喜の帝
(みかど)、御悩(ごなう)重く煩はせたまひて、さまざまの御祈(おほむいの)りども、御修法(みずほう)・御読経(みどきやう)など、よろづにせらるれど、さらにえをこたらせたまはず。ある人の申すやう、「大和に信貴(しぎ)といふところに、行ひて、里へ出づることもなき聖(ひじり)さぶらふなり。それこそ、いみじく尊く、験(しるし)ありて、鉢を飛ばせて、ゐながらよろづのありがたきことゞもをしさぶらふなれ。それを召して祈らせさせたまはゞ、をこたらせたまひなむものを」と申しければ、「さは」とて、蔵人を使にて、召しに遣はす。
 行きて見るに、聖
(ひじり)のさま、いと尊くてあり。「かうかう宣旨にて召すなり。参るべき」よしいへば、聖、「なにごとに召すぞ」とて、さらに動き気(げ)もなし。「かうかう御悩大事におはします。祈りまいらさせたまふべき」よしをいへば、「それはた参らずとも、こゝながら祈りまいらせ候む」といへば、「さては、もしをこたらせたまひたりとも、いかでかこの聖の験知るべき」といへば、「もし祈りやめまいらせたらば、剣(けむ)の護法(ごほう)といふ護法をまいらせむ。おのづから、夢にも幻にも、きと御覧ぜば、さらば知らせたまへ。剣(けむ)を編み続けて衣(きぬ)に着たる護法なり」といふ。「さて京へはさらに出でじ」といへば、帰りまいりて、「かうかう」と申すほどに、
    〔絵〕


   (第二巻 第二段)

 さて、三日ばかりありて昼つかた、きとまどろませたまふともなきに、きらきらとあるものゝ見えさせたまへば、「いかなる人にか」とて御覧ずれば、「その聖のいひけむ剣の護法なめり」と思し召すより、御
(おほむ)心地さはさはとならせたまひて、いさゝか苦しきこともおはしまさで、例(れい)さまにならせたまひにたれば、人々も喜び、また聖をも尊がり、賞であひたり。
 帝の御
(おほんここち)心地にも、めでたく尊くおぼえさせたまへば、人遣はす。「僧都、僧正にやなるべき。また、その寺に庄(さう)などをも寄せむ」といひ遣はす。聖うけたまはりて、まづ、「僧都、僧正、さらにさらにさぶらふまじきこと」ゝて、聞かず。「又、かゝるところに、庄などあまた寄りなどしぬれば、別当(べたう)なにくれなど出で来て、なかなかむつかしう、罪得がましきこと出で来(く)。たゞかくてさぶらはむ」とて、やみにけり。
    〔絵〕


   (第三巻 第一段)

 かゝるほどに、信濃には姉ぞ一人ありける。かくて年ごろは見えねば、「あはれ、この小院
(こゐ)の、東大寺に受戒(ずかい)せむとて上(のぼ)りしまゝに見えぬが、いかなるならん。おぼつかなきに、尋ねみむ」とて、上りにけり。山階寺(やましなでら)、東大寺のわたりを尋ねければ、「いさ知らず」とのみいふ。「命蓮小院(みやうれんこゐ)といふやある」と、人ごとに問へど、さすがに廿余(よ)年になりにければ、そのかみのことを知りたる人はなくて、「知らず」とのみいへば、尋ねわびて、「いかにせむ。これが有様聞(きゝ)てこそ、帰りも下らめ」と思ひて、その夜(よ)、東大寺の大仏の御前(おまへ)に候て、夜(よ)ひとよ行ふ。「命蓮がありところ、夢にも教へさせたまへ」と申しけり。
 夜ひとよ申して、うちまどろみたる夢に、この仏の仰せらるゝやう、「この尋ぬる僧のあるところは、これより西のかたに、南によりて、未申
(ひつじさる)のかたに山あり。その山に紫雲(しうむ)たなびきたるところを行きて尋ねよ」と仰せらるゝと見て、さめたれば、あか月になりにけり。「いつしか疾(と)く夜(よ)の明けよかし」と思ひて、見ゐたれば、ほのぼのと明けたるに、未申のかたを見やりたれば、山かすかに見ゆるに、紫の雲たなびきたり。嬉しくて行く。
    〔絵〕


   (第三巻 第二段)

 そこをさして行きたれば、まことに堂などあり。人の気色
(けしき)見ゆるところに寄りて、「命蓮小院やいまする」といへば、「誰(た)そ」とて、さし出でゝ見れば、信濃なりしわが姉の尼君なり。「こはいかにか尋ねおはしたる。思ひかけず」といへば、ありつることのさまを語る。「さて、いかに寒くておはしつらん。これを着せたてまつらんとて、持たりつるものなり」とて、懐(ふところ)より引き出でたるものを見れば、衲(たい)といふものを、なべてのにも似ず太き糸などして、厚々(あつあつ)とこまかに強げにしたれば、喜びて取りて着たり。もとは紙衣(かみぎぬ)をたゞ一つ着たりければ、まことにいと寒かりつるに、これを下に着たれば、寒くもなくて、多くの年ごろ行ひけり。このいもうとの尼君も、本の国へも帰らざりけり。そこにぞ行ひてありける。
 さて、多くの年ごろ、それをのみ着てありければ、果てにはやれやれと着なしてぞありける。鉢に乗りて来たりし倉をば、飛倉
(とびくら)とぞいひける。その倉にぞ、ゝの衲(たい)の破(や)れは納めてありける。その破(や)れの端(はし)を露ばかりなど、おのづから縁にふれて得ては、守りにしけり。その倉も今に朽ち破(やぶ)れて、その木の端をも露ばかり得たる人は、守りにし、毘沙門つくりたてまつりて、その倉の木の折れたる端などは請ひけり。
 さて信貴とて、えもいはず験
(げむ)じたまふ所に、今に人々明け暮れ参る。この毘沙門は、命蓮聖(みやうれんひじり)の行ひ出でたてまつりたるところなり。
    〔絵〕


 

〔底本の形〕


    信貴山縁起      


   
(第一巻)

(詞書)*

    〔絵〕

   (第二巻 第一段)

このはちにこめをひとたはらのせてとはするにかりなとのつゝきたるやうにのこりのこめともつゝきたちたりまたむらすゝめなとのやうにつゝきてたしかにぬしのいゑにみなをちゐにけり
かやうにをこなひてすくるほとにそのころえむきのみかとこなうおもくわつらはせたまひてさまさまのおほむいのりともみすほうみと経なとよろつにせらるれとさらにえをこたらせたまはすある人のまうすやうやまとにしきといふところにおこなひてさとへいつることもなきひしりさふらふなりそれこそいみしくたうとくしるしありてはちをとはせてゐなからよろつのありかたきことゝもをしさふらふなれそれをめしていのらせさせたまはゝをこたらせたまひなむものをとまうしけれはさはとてくら人をつかひにてましにつかはす
ゆきて見るにひしりのさまいとたうとくてありかうかうせんしにてめすなりまいるへきよしいへはひしりなにことにめすそとてさらにうこきけもなしかうかうこなうたいしにおはしますいのりまいらさせたまふへきよしをいへはそれはたまいらすともこゝなからいのりまいらせ候むといへはさてはもしをこたらせたまひたりともいかてかこのひしりのしるししるへきといへはもしいのりやめまいらせたらはけむのこほうといふこほうをまいらせむおのつからゆめにもまほろしにもきとこらんせはさらはしらせたまへけむをあみつゝけてきぬにきたるこほうなりといふさて京へはさらにいてしといへはかへりまいりてかうかうとまうすほとに
    〔絵〕


   (第二巻 第二段)

さて三日はかりありてひるつかたきとまとろませたまふともなきにきらきらとあるものゝみえさせたまへはいかなる人にかとてこらんすれはそのひしりのいひけむけんのこほうなめりとおほしめすよりおほむ心ちさはさはとならせたまひていさゝかくるしきこともおはしまさてれいさまにならせたまひにたれは人々もよろこひまたひしりをもたうとかりめてあひたり
みかとのおほんここちにもめてたくたうとくおほえさせたまへは人つかはすそうつ僧正にやなるへきまたそのてらにさうなとをもよせむといひつかはすひしりうけたまはりてまつそうつ僧正さらにさらにさふらふましきことゝてきかす又かゝるところにさうなとあまたよりなとしぬれはへたうなにくれなといてきてなかなかむつかしうつみえかましきこといてくたゝかくてさふらはむとてやみにけり
    〔絵〕


   (第三巻 第一段)

かゝるほとにしなのにはあねそ一人ありけるかくてとしころはみえねはあはれこのこゐの東大寺にすかいせむとてのほりしまゝにみえぬかいかなるならんおほつかなきにたつねみむとてのほりにけりやましなてら東大寺のわたりをたつねけれはいさしらすとのみいふ命れむこゐといふやあると人ことにとへとさすかに廿よ年になりにけれはそのかみのことをしりたる人はなくてしらすとのみいへはたつねわひていかにせむこれかありさまきゝてこそかへりもくたらめとおもひてそのよとう大しの大仏のおまへに候てよひとよをこなふ命れむかありところゆめにもをしへさせたまへとまうしけり
よひとよまうしてうちまとろみたるゆめにこのほとけのおほせらるゝやうこのたつぬるそうのあるところはこれよりにしのかたにみなみによりてひつしさるのかたにやまありその山にしうむたなひきたるところをゆきてたつねよとおほせらるゝと見てさめたれはあか月になりにけりいつしかとくよのあけよかしとおもひてみゐたれはほのほのとあけたるにひつしさるのかたをみやりたれはやまかすかにみゆるにむらさきのくもたなひきたりうれしくてゆく
    〔絵〕


   (第三巻 第二段)

そこをさしてゆきたれはまことにたうなとあり人のけしきみゆるところによりて命れむこゐやいまするといへはたそとてさしいてゝ見れはしなのなりしわがあねのあまきみなりこはいかにかたつねおはしたるおひかけすといへはありつることのさまをかたるさていかにさむくておはしつらんこれをきせたてまつらんとてもたりつるものなりとてふところよりひきいてたるものをみれはたいといふものをなへてのにもにすふときいとなとしてあつあつとこまかにつよけにしたれはよろこひてとりてきたりもとはかみきぬをたゝひとつきたりけれはまことにいとさむかりつるにこれをしたにきたれはさむくもなくておほくのとしころおこなひけりこのいもうとのあまきみもゝとのくにへもかへらさりけりそこにそをこなひてありける
さておほくのとしころそれをのみきてありけれはゝてにはやれやれときなしてそありけるはちにのりてきたりしくらをはとひくらとそいひけるそのくらにそゝのたいのやれはをさめてありけるそのやれのはしをつゆはかりなとおのつからえむにふれてえてはまもりにしけりそのくらもいまにくちやふれてそのきのはしをもつゆはかりえたる人はまもりにしひさもむつくりたてまつりてちしたてまつる人はかならすとくつかぬ人はなかりけりされは人はそのえむをたつねてそのくらのきのおれたるはしなとはこひけり
さてしきとてえもいはすけむしたまふ所にいまに人々あけくれまいるこのひさもむは命れんひしりのをこなひいてたてまつりたるところなり
    〔絵〕 
 


 
* 第一段の詞書については、下の(注)の4を参照してください。

 

  
 
 (注)1.上記の本文は、日本思想大系20『寺社縁起』(桜井徳太郎・萩原龍夫・
     宮田登 校注、岩波書店・1975年12月23日第1刷発行
)によりました。
      「底本の形」は、引用者が凡例の「本文について」によって底本の形
     に戻したものです。厳密に底本の形に戻っているかどうかは、確信があ
     りません。
    2.平仮名の「く」を縦に伸ばした形の繰り返し符号は、普通の仮名(又
     は「々」)に直してあります。(「さまざま」「かうかう」「さはさは」
     「きらきら」「人々」など。)
    3.
上記本文の底本は、凡例に、「奈良県生駒郡平群町信貴山寺(朝護孫子
       寺)
所蔵「信貴山縁起絵巻」の詞書(複製による)」とあります。
    4.日本思想大系本の上記本文の「第一巻」の「詞書」の頭注に、
       「信貴山縁起絵巻」には、第一巻に詞書がないが、第二巻、第三巻
       の詞書とほとんど同じ内容の物語が、他の書物に収められている。
       すなわち、古本説話集巻下の「信濃国聖事」と、宇治拾遺物語巻八
       の同じく「信濃国聖事」とが、それであり、この二つの説話集を参
       照すれば、第一巻の物語の筋を詳しく知ることができる。
     とあります。そして巻末の補注に、岩波文庫の『
梅澤本 古本説話集』巻下
     の「信濃国聖事」のうち、第一巻の詞書に相当する本文が掲載されてい
     ます。ここでも、それを次に掲げておきます。  
    

 

いまはむかし、しなのゝ國に、法師ありけり。さるゐ中にて、ほうしになりにければ、まだずかいもせで、「いかで、京にのぼりて、東大寺といふところにまいりて、ずかいせん」とおもひて、かまへてのぼりて、ずかいしてけり。
さて、もとのくにへかへらむと思ひけれど、「よしなし、さる無佛世界のやうなる所に、いかじ。こゝにいなむ」とおもふこゝろつきて、東大寺の仏の御前に候て、「いづくにか、をこなひして、のどやかにすみぬべき所」と、よろづのところをみまはしければ、ひつじさるのかたに、やま、かすかにみゆ。そこにおこなひて、すまむと思ひて、ゆきて、山の中に、えもいはずおこなひて、すごす程に、すゞろに、ちゐさやかなるづしほとけを、ゝこなひいでければ、そこにちひさきだうをたてゝ、すゑたてまつりて、えもいはずおこなひて、としつきをふるほどに、山ざとに、げすに人とて、いみじきとくにむありけり。
そこに、そふのはちは、つねにとびゆきつゝ、物はいりてきけり。おほきなるあぜくらのあるをあけて、物とりいでさするほどに、このはちとびて、れいの物こひにきたりけるを、「れいのはち、きにたり。ゆゝしく、ふくつけきはちよ」とて、とりて、くらのすみになげをきて、とみに物もいれざりければ、はちはまちゐたりけるほどに、物どもしたゝめはてゝ、このはちをわすれて、物もいれず、とりもいでゞ、くらのとをさして、ぬし、かへりぬるほどに、とばかりて、このくら、すゞろに、ゆさゆさと、ゆるぐ。「いかにいかに」とみさはぐほどに、ゆるぎゆるぎして、つちより一尺ばかりゆるぎあがるときに、「こはいかなることぞ」と、あやしがり、さはぐ。「まことまこと、ありつるはちをわすれて、とりいでずなりぬれ、それがけにや」などいふほどに、このはち、くらよりもりいでゝ、このはちにくらのりて、たゞのぼりに、そらさまに、一二尺ばかりのぼる。さて、とびのぼる程に、人々みのゝしり、あさみ、さはぎあひたり。くらぬしも、さらにすべきやうもなければ、このくらのいかむ所をみむとて、しりにたちていく。そのわたりのひとひと、みないきけり。さて、みれば、やうやうとびて、かうちのくに、このひじりのおこなふかたわらに、どうとをちぬ。
いといとあさましと思ひて、さりとてあるべきならねば、ひじりのもとに、このくらぬし、よりて申やう、「かゝるあさましきことなむ候。このはちの、つねにまでくれば、物いれつゝ、まいらするを、けふ、まぎらはしく候つるほどに、くらにをきて、わすれて、とりもいでゞ、じやうをさして候ければ、くら、たゞゆるぎにゆるぎて、こゝになむ、とびて、まうできて、をちたちて候。このくらかへし給候はん」と申時に、「まことにあやしきことなれど、まどひてきにければ、くらは、えかへしとらせじ。こゝにも、かやうのものもなきに、をのづから、さやうの物もをかん。よしよし、うちならむものは、さながらとれ」との給へば、ぬしのいふやう、「いかにしてか、うたちまちにははこびとり候べからむ。物せんごく、つみて候つる也」といへば、「それは、いとやすき事也。たしかに、我、はこびてとらせむ」とて、
(以下、第二巻第一段につづく。)
    (岩波文庫『
梅澤本 古本説話集』141~144頁8行目途中まで)

  
※ 平仮名の「く」を縦に伸ばした形の繰り返し符号は、普通の仮名(又は
   「々」)に直してあります。
(「いかにいかに」「まことまこと」「人々」「やう
    やう」「いといと」「よしよし」)

    
岩波文庫の『梅澤本 古本説話集』(川口久雄校訂)は、昭和30年
   4月25日第1刷発行を使用しました。


 

     5.信貴山縁起絵巻(しぎさん・えんぎ・えまき)=信貴山寺を再興した
         修行僧
 命蓮(みやうれん)にまつわる三つの奇跡談を三巻に描いた絵巻。
         12世紀後半成る。動きに富む貴賤さまざまの人物の表情姿態を、すぐれ
         た筆力で自在に描く。日本の絵巻物の代表的遺品の一つ。
                    信貴山寺(しぎさん・じ)=信貴山の東腹にある信貴山真言宗の総本山。正称は
                                    朝護孫子寺(ちょうごそんしじ)。聖徳太子の創建と伝え、延喜(901~
                                    923)年間、 命蓮
(みやうれん)が再興。初め天台系、次いで真言系修験
                                     道の道場となる。本尊は毘沙門天。
信貴山縁起絵巻を所蔵。
                    信貴山(しぎさん)=奈良県北西部、生駒山地南部にある山。標高437㍍。山腹
                                    に信貴山寺、頂上に松永久秀の城址がある。
                                      
(以上、『広辞苑』第6版による。)
    6.平群町公式ホームページ『平群町』に、国宝 紙本著色(しほんちゃく
     
しょく)信貴山縁起[信貴山縁起絵巻]のページがあります。
     7.フリー百科事典『ウィキペディア信貴山縁起の項があります。
     
               



 

 

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