資料307  山本常朝『葉隠』(冒頭) 



            タイトル (幅 960px) (1.2em)

甲:(底本)国立国会図書館蔵餅木鍋島家本



    葉 隠      聞書 一  教訓

武士たる者は、武道を心懸(こころがく)べき事、不レ珍(めずらしからず)といへども、皆人(みなひと)油斷と見へたり。其子細(しさい)は、「武道の大意は何と御心得候哉(や)」と問懸(といかけ)たる時、言下に答る人稀(まれ)也。兼々(かねがね)胸に落着(おちつき)なき故也。偖(さて)は、武道不心懸(ふこころがけ)のこと知られ申候。油斷千萬の事也。

武士道と云(いう)は、死ぬ事と見付(みつけ)たり。二つ二つの場にて、早く死方(しぬかた)に片付(かたづく)ばかり也。別に子細なし。胸すわつて進む也。圖(ず)に當らず、犬死などいふ事は、上方風(かみがたふう)の打上(うちあがり)たる武道なるべし。二つ二つの場にて、圖に當るやうにする事は不レ及(およばざる)事也。我人(われひと)、生(いく)る方がすき也。多分すきの方(かた)に理が付(つく)べし。若(もし)圖に迦(はず)れて生(いき)たらば、腰ぬけ也。此境(このさかい)危(あやう)き也。圖に迦れて死(しに)たらば、氣違にて恥には不レ成(ならず)。是が武道の丈夫也。毎朝毎夕、改めては死々(しにしに)、常住死身に成(なり)て居る時は、武道に自由を得、一生落度(おちど)なく家職を仕課(しおお)すべき也。



           * * * * * * * *


乙:(底本)国立国会図書館蔵『葉隠』(山本常朝述・田代陳基記・中村郁一編、
        東京:丁酉社、明治39年3月発行)
 

    葉 隠 

武士たるものは、武道を心掛くべきこと、珍らしからずといへども、皆、人、油斷と見えたり。其の仔細は、武道の大意は、何と御心得候か、と問ひかけられたるとき、言下に答へ得る人稀なり。そは平素、胸におちつきなき故なり。さては、武道不心がけのこと、知られ申し候。油斷千萬のことなり。

武士道と云ふことは、即ち死ぬことと見付けたり。凡そ二ツ一ツの場合に、早く死ぬかたに片付くばかりなり。別に仔細なし。胸すわりて進むなり。若し圖にあたらぬとき、犬死などと云ふは、上方風の打上りたる武道なるべし。二ツ一ツの場合に、圖にあたることのわかることは、到底出來ざることなり。我れ人共に、等しく生きる方が、萬々望むかたなれば、其の好むかたに理がつくべし。若し圖にはづれて生きたらば、腰ぬけなりとて、世の笑ひの種となるなり。此のさかひ、まことに危し。圖にはづれて死にたらば、犬死氣違ひとよばるれども、腰けにくらぶれば、耻辱にはならず。是れが武道に於てまづ丈夫なり。毎朝、毎夕、改めては死ぬ死ぬと、常住死身に成つてゐるときは、武道に自由を得、一生落度なく、家職を仕果すべきなり。


  (注) 1.   『葉隠』の文章を理解するためには、その全文を読む必要があると思われますが、ここにはかの有名な「武士道と云ふことは、即ち死ぬことと見付けたり」の前後の部分だけを取り上げました。    
    2.  上に引いた『葉隠』本文についての注。

 甲について。
 (1)甲の本文は、岩波書店の日本思想大系26『三河物語 葉隠』(1974年6月25日第1刷発行)によりました。『葉隠』の校注者は、佐藤正英・相良亨の両氏です。
 (2)凡例によれば、底本は、国立国会図書館蔵餅木鍋島家本だそうです。
 (3)上記の引用部分の原文には、振り仮名はついていません。現代仮名遣いによる振り仮名は、校注者によるものです。
 なお、「多分すきの方(かた)に理が付(つく)べし」の「方」には、「かた」と読み仮名がついていますが、「我人(われひと)、生(いく)る方がすき也」の「方」には読み仮名がついていません。これは、こちらの「方」は「ほう」と読んだからでしょうか。 因みに三島由紀夫著・笠原伸夫訳『葉隠入門』には、「早く死ぬほうに片付(かたづ)くばかりなり」となっています。(光文社カッパブックス『葉隠入門』178頁)
 (4)平仮名の「く」を縦に伸ばした形の繰り返し符号は、普通の仮名に直してあります。(二つ二つ)
 (5)常用漢字を、引用者が旧漢字に直しました。                    
 (6)日本思想大系本の原文には、「武士たる者は、」「武士道と云(いう)は」の前に、それぞれ「一、」がついていますが、ここではそれを省略しました。
 (7)巻頭の口絵として、写本のこの部分が出ていますので、ご覧ください。 ただし、「……此境危き也。圖に」までしか出ていません。
                     
 乙について。         
 (1)乙の本文は、『国立国会図書館デジタルコレクション』所収の『葉隠』(山本常朝述・田代陳基記・中村郁一編、東京:丁酉社、明治39年3月23日発行)によりました。本文は、13左~14右 /107 に出ています。
 
   
    3.  日本思想大系26『三河物語 葉隠』巻末の解説「『葉隠』の世界」(筆者・相良亨氏)によると、「『葉隠』は、山本常朝(万治2年-享保6年、1659-1721)がかたった言葉を7年間にわたって田代陣基(延宝6年-延享5年、1678-1748)が筆録したものといわれる。常朝は少年時代から鍋嶋家第二代の藩主光茂の側近に仕え、42歳の時、光茂の死にあい、その機会に剃髪した。常朝が陣基にかたりはじめた宝永7年(1710)は剃髪してから10年後のことである。常朝は書物役などを以て光茂に仕えたのであるが、主君光茂からうけた懇情に対しては殉死をねがう思いであった。しかし殉死が当時すでに禁止されていたので、やむなく出家の道をえらんだのである。筆録者の陣基も御祐筆役として三代綱茂に仕えた武士であるが、当時故あって謹慎中であった。」とあります。
 なお、この成立事情についても、「どこまで正確なものであるかについては、なお疑問をいれる余地がないわけではない」として、詳しい考察がなされていますので、詳しくは同書657頁以下を参照してください。
 ※ 日本思想大系26『三河物語 葉隠』巻末の解説「『葉隠』の世界」に、「山本常朝(万治2年-享保6年、1659-1721)」とあるのは、どういうことでしょうか。普通は、山本常朝の没年は享保4年(1719)となっています。 
   
    4.  また、上記の解説の中で相良亨氏は、『葉隠』の中の「武士道と云は、死ぬ事と見付たり」という言葉について、「(この)言葉は、『葉隠』の言葉として余りにも有名であるが、その意味内容あるいは『葉隠』全体において占める位置は中々複雑であり、必ずしも容易に理解しうるものではない」として、考察をしておられます。(661頁以下)    
    5.  『葉隠』の諸本については、佐藤正英氏が、日本思想大系26『三河物語 葉隠』の巻末に「『葉隠』の諸本について」という文章を書いておられます。それによれば、ここに掲げてある国立国会図書館蔵本の餅木鍋島家本は、(1)小山本系(2)鹿島本系(3)孝白本系 のうちの孝白本系に属するものの由です。           
    6.  〇葉隠(はがくれ)=武士道を論じた書。佐賀藩士山本常朝つねとも(1659-1719)の談話の筆録。11巻。1716年(享保1)頃成る。藩内外の武士の言行の批評を通じて武士の心構えを説く。 葉隠聞書。葉隠集。葉隠論語。鍋島論語。  (『広辞苑』第6版による)    
    7. フリー百科事典『ウィキペディア』に、「山本常朝」の項があります。          
    8.  佐賀大学附属図書館貴重書デジタルアーカイブ』で、小城鍋島文庫(おぎなべしまぶんこ)の「葉隠」(写本)を画像で見ることができます。(この写本は、注4の諸本の分類によれば、(2)鹿島本系に属するものの由です。)
「葉隠の解説」もあります。
   
    9.  光文社から昭和42年(1967)9月にカッパブックスの1冊として発行された三島由紀夫著『葉隠入門』が、現在は新潮文庫(1983年4月27日初版発行)として出ています。
 カッパブックスの『葉隠入門』の内扉裏には、「この本に引用した原文は、岩波版『葉隠』(和辻哲郎・古川哲史校訂)と、『校註葉隠』(栗原荒野編著、内外書房刊)、『いてふ本・葉隠』(三教書院刊)の3冊を参考にさせていただいた。なお、訳者・笠原伸夫氏は、三島由紀夫氏とともに、「批評」の同人。」と記してあります。
 この中に、「岩波版『葉隠』(和辻哲郎・古川哲史校訂)」とあるのは、岩波文庫の『葉隠』(上:昭和15年(1940)4月1日発行、中:昭和16年(1941)4月15日発行、下:昭和16年(1941)9月20日発行)を指しています。    
   
    10.  『松岡正剛の千夜千冊』に、823夜「山本常朝『葉隠』」があり、参考になります。 (「松岡正剛 千夜千冊・全読譜」があります。)    







             トップページへ