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(注) |
1. |
上記の源氏物語「桐壺」の本文は、吉澤義則著『對校
源氏物語新釋』巻一(平凡社、昭和27年4月25日発行)によりました。
ただし、会話の発言者や歌の作者を示す表記は、これを省略しました。また、平仮名の「く」を縦に伸ばした形の繰り返し符号は、もとの仮名や漢字に直してあります。(例、かたがた、いよいよ、やうやう、ふしぶし、泣く泣く、など)
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2. |
漢字の読みは、一部、引用者が補ったものがあります。
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3. |
ここに採った本文は、『對校
源氏物語新釋』巻一の凡例に「本書は湖月抄本を底本とし、尾張徳川家所蔵の河内本を以て厳密に対校して本文を立てた」とあるうちの、湖月抄本を採用してあります。
また、凡例には、「繙読の便宜上、原本の仮名書の部分に適宜漢字を充て、宛字を正して、仮名遣を統一し、詞と地とを区別し、濁点・句読点を施し、かつ適当に分節してある」とあります。
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4. |
〇湖月抄(こげつしょう)=(紫式部が石山寺で琵琶湖上の月を見、興を催し、まず須磨の巻に筆を染めたとの伝説による)源氏物語の注釈書。60巻。北村季吟著。1673年(延宝1)成立。本註4巻、古注を集成。
〇河内本(かわちぼん)=鎌倉初期、河内守源光行・親行父子が校勘した源氏物語。(以上、『広辞苑』第6版による) |
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5. |
吉沢義則 (よしざわ・よしのり) = 国語・国文学者。名古屋生れ。京大教授。平安文学を専攻。かな書道をよくし、短歌では「帚木ははきぎ」を主宰。著「対校源氏物語新釈」「国語史概説」など。(1876~1954) (同じく『広辞苑』第6版による)
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6. |
「野分だちて」の読みについて。
岩波書店の日本古典文学大系14『源氏物語一』(山岸德平校注、昭和33年1月6日第1刷発行)では、「野分たちて」と読んで、頭注に「野分の風が吹いたので。「野分」は「野分の風」の略。九月頃吹く暴風。」とあり、巻末の「補注」で、次のように言っています。
「野分だちて」は、花鳥余情の読みである。伊行釈も野分の風と解し、伝阿仏尼筆本には、「野分して、俄に膚さむく涼しき夕暮に云々」とある。後の文には、「野分に、処々、荒れたる云々」ともある。「野分たちて」は、「野分の風が吹いたので」で野分が既に過ぎ去った後である。故に、空も澄んで月も一入面白い。因って花鳥余情の読みには従わない。
注: 〇花鳥余情(かちょうよじょう。カチョウヨセイとも)=源氏物語の注釈書。一条兼良著。30巻。1472年(文明4)成る。「河海抄」を補正したもので、事実の考証よりも文意の解釈に力を注ぐ。本文は河内本を用いる。
〇河海抄(かかいしょう)=源氏物語の注釈書。20巻。四辻よつつじ善成著。1367年(貞治6)稿本を将軍足利義詮に撰進。祖師義行・先師忠守の説をうけ、 旧説を渉猟して集大成。語句解釈の面を著しく開拓し、河内本と青表紙本とを対等の位置においた。
〇河内本(かわちぼん)=下の注5をご覧下さい。
〇青表紙本(あおびょうしぼん)=[青い表紙を用いたからいう](河内本に対して)定本の源氏物語。 (以上、『広辞苑』第6版による)
なお、フリー百科事典『ウィキペディア』に、「源氏物語」・「青表紙本」・「河内本」の項目があって参考になります。
手元にある小西甚一著『基本古語辞典』三訂版(大修館書店、昭和51年3月1日三訂第2版発行)の「野分き(のわき)」の項に、次のようにあります。
のわき(野分き)(「野の草を分ける風」の意で)秋のはじめごろ吹く強風。台風。「─たちて(=暴風ガ吹イタノデ)、にはかにはだ寒き夕暮れのほど」[源氏・桐壺]「─せし小野(をの)の草臥(ぶ)し(=草ノ上ノ寝所)荒れはててみ山に深きさ牡鹿の声」[新古今・秋下] 《桐壺の例は「野分きだちて」とよみ、「野分きだつ」という自動詞に取るのが室町時代中期からふつうおこなわれている説だが、情景から考えると「野分きがたつ」と解するのが適切のようである》
──ということで、最近は「野分たちて」と読む本が多いようですが、「野分だちて」という古来の読みも捨てがたい思いがするのは、なぜでしょうか。
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『源氏物語を正しく読むために』というサイトに、「野分立ちて 01050:清音か濁音か」の項があって、そこに次のようにあります。
「野分たつ」と「野分だつ」の二説がある。清音なら野分が吹いての意味。過去の助動詞が使われていないからといって、現在吹いている必要はない。夕暮れになる前に吹けば、今朝でもよく数日前でもかまわない。現在形がおおう範囲は広い。これに対して、濁音なら、野分のような風が吹いて、吹き始めたのが「にはかに肌寒き」の直前になる。「たつ」は今目の前で立ったという変化と、すでに立って終わったあとの状態の両方を意味するが、「だつ」は今目の前で起こった変化の感覚が強い。もうひとつは、清音は野分そのもの、濁音は野分に似たものとの違いがある。ここのみで、野分だったのか、野分風であったのか論じても意味がない。しかし、後に「野分にいとど荒れたる心地」とあって、いつとは判明しないが、最近野分が吹いたことは明白に述べられている。それとは別に、今また野分ふうの風を想定する理由はないと思う。
かなり説得力のある解説だと思いますが、「野分立ちてにはかに肌寒き夕暮のほど」という言い方からすると、「野分立つ」ことが「肌寒き」の原因となっているように思われるのですが、つまり、「野分のような風が吹いて、吹き始めたのが「にはかに肌寒き」の直前」ということになるように思われるのですが、どうでしょうか。それでは「野分にいとど荒れたる心地」とあるのと合わないではないかと言われると、確かにそうではあるのですが。
「野分が吹きにわかに肌寒さを感じる夕暮れ時」という現代語訳を読んでも、「野分が吹」いたことが「肌寒さを感じ」た原因になっているのではないでしょうか。
→『源氏物語を正しく読むために』
(この項:2024年1月9日記す)
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7. |
奈良女子大学附属図書館のホームページに『阪本龍門文庫善本電子画像集』があって、ここで、『河海抄』の本文が見られます。 |
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8. |
「桐壺源氏」という言葉があって、広辞苑によれば、これは「源氏物語を読み始めたが冒頭の「桐壺」でやめてしまうように、あきやすくて読書や勉強が長続きしないこと」を言った言葉だそうです。
しかし、源氏物語の桐壺の巻を読んだだけでも、作者紫式部がいかにすぐれた作家であるかが分かるでしょう。桐壺の帝と桐壺の更衣のあわれ深い別れと更衣のはかない最期、そして更衣亡き後の帝の悲嘆の場面は、読む人の心を深く打たずにはおかないものがあります。
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9. |
『源氏物語のすべて=写本・本文・訳・音=美しい文章と文字(紫式部)』というサイトがあり、参考になります。 |
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10. |
資料671に「谷崎潤一郎訳源氏物語(桐壺の巻)」があります。 → 資料671
谷崎潤一郎訳源氏物語(桐壺の巻) |
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