資料298 北原白秋「落葉松」





          落 葉 松                     

                    北原白秋                                               

 

       一 
   からまつの林を過ぎて、
   からまつをしみじみと見き。
   からまつはさびしかりけり。
   たびゆくはさびしかりけり。

       二  
   からまつの林を出でて、
   からまつの林に入りぬ。
   からまつの林に入りて、
   また細く道はつづけり。

       三 
   からまつの林の奥も
   わが通る道はありけり。
   霧雨のかかる道なり。
   山風のかよふ道なり。

       四 
   からまつの林の道は
   われのみか、ひともかよひぬ。
   ほそぼそと通ふ道なり。
   さびさびといそぐ道なり。

       五
   からまつの林を過ぎて、
   ゆゑしらず歩みひそめつ。
   からまつはさびしかりけり、   
   からまつとささやきにけり。

       六
   からまつの林を出でて、
   浅間嶺にけぶり立つ見つ。   
   浅間嶺にけぶり立つ見つ。
   からまつのまたそのうへに。

       七
   からまつの林の雨は
   さびしけどいよよしづけし。
   かんこ鳥鳴けるのみなる。
   からまつの濡るるのみなる。
  
       八 
   世の中よ、あはれなりけり。
   常なけどうれしかりけり。
   山川に山がはの音、
   からまつにからまつのかぜ。


 

 

  (注) 1.  上記の「北原白秋「落葉松」」の本文は、『日本現代詩大系 第四巻』(矢野峰人・他編、河出書房・昭和25年10月30日発行)によりました。ただし、本文についている振り仮名(霧雨(きりさめ)・浅間嶺(あさまね))を省いてあります。また、旧漢字を常用漢字に直してあります。  
    2.  上記の「落葉松」の出典は、『水墨集』(大正12年6月18日アルス発行)です。同詩集には、≪落葉松≫として「落葉松」「寂心」「ふる雨の」「啼く虫の」「露」の5篇が出ているようです。そして、≪落葉松≫の初めに、次の文が書かれています。落葉松の幽かなる、その風のこまかにさびしく物あはれなる、ただ心より心へと伝ふべし。また知らむ。その風はそのささやきは、また我が心の心のささやきなるを、読者よ、これらは声に出して歌ふべききはのものにあらず、ただ韻(ひびき)を韻とし、匂を匂とせよ。
 
※ 「我が心の心のささやきなるを」は、関良一氏の『近代文学注釈大系 近代詩』の頭注にも同じ形で引用してありますが、吉田精一氏の『鑑賞現代詩  明治』には、「我が心のささやきなるを」としてありますので、吉田氏は「心の心の」を衍字と見られたのかもしれません。
 なお、
吉田精一氏の『鑑賞現代詩 I  明治』には、

 また「ある作曲家に」
(『詩と音楽』創刊号、大正11年9月)にも、
  この七章は私から云へば、象徴風の実に幽かな自然と自分との心状を歌つたつもりです。これは此のままの香を香とし響を響とし、気品を気品として心から心へ伝ふべきものです。何故かなら、それはからまつの細かな葉をわたる冷々とした風のそよぎ、さながらその自分の心の幽かなそよぎでありますから。(後略)    
 と同じ意味のことが述べられています。

とあります(259~260頁)。
 
※ ここに「この七章は」と白秋が書いているのは、この文章が書かれた当時は、「落葉松」 はまだ全7章(節)であったからです。(注の3参照)
 
    3.  「落葉松」の初出は、『明星』(大正10年11月発行)で、このときは全7節。『白秋パンフレット』第二輯(大正11年8月刊)に収められ、更に第8節を加えて『水墨集』の ≪落葉松≫ に収められました。白秋は、大正10年晩春・初夏のころ浅間山麓に遊んだそうです。(この項は、関良一・校訂・注釈・解説『近代文学注釈大系 近代詩』(有精堂・昭和38年9月10日発行、昭和39年12月20日再版発行)によりました。
 吉田精一氏の『鑑賞現代詩 I  明治』によれば、「「落葉松」は、大正の初めごろからスランプ状態に陥って童謡民謡のほかは詩作を絶っていた白秋が、渋く寂しい象徴の詩境を啓き、詩作の道に復活する機縁となった記念すべき作品」の由です。
 
    4.  語句の注を引いておきます。(詳しくは関良一氏の『近代文学注釈大系 近代詩』の「落葉松」の頭注(同書165~167頁)、及び吉田精一氏の『鑑賞現代詩 I  明治』の語釈(同書258~259頁)を参照してください。)
 
からまつの林を過ぎて……落葉松の林の中を通り過ぎて。「林を出ての意ではない」と関氏の注意があります。    
 〇さびさびといそぐ道なり……閑寂な情感を抱きながら行く手を急ぐ道である。さびしく静かな心をいだきながら通る道である。   
 〇ゆゑしらず歩みひそめつ……関氏の注に、「落葉松の無声の声、無韻の韻に耳をかたむけるためである」とあります。  

 〇からまつとささやきにけり……落葉松の葉のかすかなそよぎと詩人の心との交感を表現した詩句。「落葉松が落葉松とささやいた、詩人が落葉松よとささやきかけたなどの意ではない」と関氏の注意があります。ただし、吉田精一著『鑑賞現代詩
I  明治』には、「作者がからまつと心にささやき交わしたとも見られるが、山風にかすかにゆれる梢の音を、からまつとからまつがささやき合っている、と感じたのであろうと思われる」とあります。これは如何なものでしょうか。 
 〇さびしけど……「さびしけ」は、形容詞「さびし」の已然形の古い形。   
 〇世の中よ、あはれなりけり……人の世は、しみじみとした情趣のあることよ。     
 〇山川に山がはの音……「山川」は次に「山がは」とあるので、「やまがわ」と読みます。吉田氏の注に「山中の渓流。山と川の意ではない」とあります。そして、「山の川には山の川だけのもつ独自の風趣がある。すなわち、この世の万物はそれぞれ独自の深い趣きをもっている、の意で、次の「からまつにからまつのかぜ」も同様である」とあります。
 
    5.  参考書
 〇関良一・校訂・注釈・解説『
近代文学注釈大系 近代詩』(有精堂、昭和38年9月10日発行・昭和39年12月20日再版発行)
 〇吉田精一著『鑑賞現代詩 I  明治』(筑摩書房・1966年10月20日新版第1刷発行、1968年2月10日新版第2刷発行)
 
    6.  〇北原白秋(きたはら・はくしゅう)=詩人・歌人。名は隆吉。福岡県柳川生れ。早大中退。与謝野寛夫妻の門に出入、「明星」「スバル」に作品を載せ、のち短歌雑誌「多磨」を主宰。象徴的あるいは印象的手法で、新鮮な感覚情緒をのべ、また多くの童謡を作った。詩集「邪宗門」「思ひ出」、歌集「桐の花」、童謡集「トンボの眼玉」など。(1885~1942)(『広辞苑』第6版による)      
 〇北原白秋(きたはらはくしゅう)=(1885-1942) 詩人・歌人。福岡県柳川生まれ。本名、隆吉。早大中退。「明星」の歌人として出発、「パンの会」を結成し、耽美
(たんび)主義運動を展開。滑らかな韻律と異国情緒・官能性豊かな象徴的作法で「邪宗門」「思ひ出」「桐の花」を発表。後年、自然賛美に作風を転換、童謡・民謡にも名作を残す。また、短歌雑誌「多磨」を創刊した。(『大辞林』第2版による)       
 〇北原白秋(きたはらはくしゅう)=[1885~1942]詩人・歌人。福岡の生まれ。本名、隆吉。与謝野鉄幹の門人となり、「明星」「スバル」に作品を発表。のち、木下杢太郎
(きのしたもくたろう)らと耽美派文学の拠点となる「パンの会」を結成。詩集「邪宗門」「思ひ出」、歌集「桐の花」、童謡集「トンボの眼玉」など。(『大辞泉 増補・新装版(デジタル大辞泉)』による)
 
    7.  軽井沢町のホームページに、「白秋が星野温泉を訪れたときに、朝夕の散策中カラマツの芽吹きに感激して詠んだ4行8章の絶唱「落葉松」の詩碑」として、「落葉松」の詩碑の写真が出ています。
  軽井沢町
  →「北原白秋詩碑」
 
      北軽井沢ブルーベリーYGHユースホステルの『北原白秋文学碑「カラマツ」』というページがあり、そこで軽井沢町長倉に建っている碑の写真が見られます。
  →『北原白秋文学碑「カラマツ」』
 
    8.  「落葉松」の詩碑の写真は、『信州』というサイトで見ることができます。(2016年9月29日現在)
 → 
『信州』の「落葉松」の詩碑の写真 (クリックすると写真が拡大します。) 
 
    9.  中央大学の渡部芳紀先生による『北原白秋文学散歩』があるようですが、簡単には見られないようです。参考までに一つだけ挙げておきます。
 国立国会図書館デジタルコレクション
   → 国文学:解釈と鑑賞 69巻5号
 
    10.  『北原白秋記念館─白秋生家・柳川市立歴史民俗資料館─というサイトがあります。  

       
      
      

   
      
        
     
                                               
       
 
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