資料292 島崎藤村「千曲川旅情の歌」 



       千曲川旅情の歌    島崎藤村


   一
小諸なる古城のほとり 
雲白く遊子(いうし)悲しむ
緑なす繁蔞(はこべ)は萌えず
若草も藉くによしなし
しろがねの衾(ふすま)の岡邊
日に溶けて淡雪流る

あたゝかき光はあれど
野に滿つる香(かをり)も知らず
淺くのみ春は霞みて
麥の色わづかに靑し
旅人の群はいくつか
畠中の道を急ぎぬ

暮れ行けば淺間も見えず
歌哀し佐久の草笛
千曲川いざよふ波の
岸近き宿にのぼりつ
濁り酒濁れる飲みて
草枕しばし慰む 

   二
昨日またかくてありけり
今日もまたかくてありなむ
この命なにを齷齪(あくせく)
明日をのみ思ひわづらふ

いくたびか榮枯の夢の
消え殘る谷に下りて
河波のいざよふ見れば
砂まじり水巻き歸る

嗚呼古城なにをか語り
岸の波なにをか答ふ
(いに)し世を靜かに思へ
百年(もゝとせ)もきのふのごとし

千曲川柳霞みて
春淺く水流れたり
たゞひとり岩をめぐりて
この岸に愁(うれひ)を繋(つな)

 


  (注) 1.  上記の「千曲川旅情の歌」の本文は、岩波文庫『藤村詩抄』(昭和2年7月10日第1刷発行、昭和45年4月10日第48刷発行)によりました。 
   
    2. この「千曲川旅情の歌」は、「一」の部分が、『明星』の創刊号(明治33年4月)に「旅情」という題で発表され、明治34年8月刊行の『落梅集』に「小諸なる古城のほとり」という題で収められました。昭和2年刊の『藤村詩抄』で、「千曲川旅情の歌 一」と改められたわけです。
  → 明治34年8月刊行の『落梅集』(国立国会図書館デジタルコレクション所収)

「二」の部分は、『文界』の明治33年4月号に「一小吟」という題で発表され、明治34年8月刊行の『落梅集』で「千曲川旅情のうた」(目次には「歌」)と改題、大正6年9月刊の改刷版『藤村詩集』に「千曲川のほとりにて」と改題、さらに昭和2年7月発行の『藤村詩抄』で「千曲川旅情の歌 二」と改められました。(この項は、関良一氏の『近代文学注釈大系 近代詩』(有精堂、昭和38年9月10日発行、昭和39年12月20日再版発行)によりました。) 
   
    3.   〇島崎藤村(しまざき・とうそん)=詩人・作家。本名、春樹。木曾馬籠まごめ(現、岐阜県中津川市)の生れ。明治学院卒。詩集「若菜集」などでロマン主義的詩風を示す。小説「破戒」によって作家の地位を確立。「春」「家」「新生」「嵐」などの自伝的作品で自然主義文学を代表。「夜明け前」は畢生の大作。「幼きものに」「ふるさと」などの童話もある。(1872~1943)   
 〇落梅集(らくばいしゅう)=島崎藤村の詩文集。1901年(明治34)刊。従来の感傷的・ロマン的傾向を脱して、現実的で重厚な詩風への転機を示した。(以上、『広辞苑』第6版による。)
   
    4.  手元にある参考書をあげておきます。
○吉田精一著『日本近代詩鑑賞 明治篇』(新潮文庫、昭和28年6月5日発行、昭和29年8月10日3刷)
○吉田精一著『鑑賞現代詩 I (明治)』(筑摩書房・1966年10月20日新版第1刷発行、1968年2月10日新版第2刷発行) 
○関良一著『近代文学注釈大系 近代詩』(有精堂、昭和38年9月10日発行、昭和39年12月20日再版発行)
○吉田精一・分銅惇作・大岡信 編『現代詩評釈』(學燈社、昭和43年3月20日初版発行)
○小海永二編『現代詩の解釈と鑑賞事典』(旺文社、1979年3月1日初版発行、1980年第2刷発行)
   
    5. 青空文庫に、岩波文庫の『藤村詩抄』が入っています。
  青空文庫 → 岩波文庫『藤村詩抄』
   
      6.  『国立国会図書館デジタルコレクション』所収の『落梅集』(春陽堂、明治34年8月25日発行)をご覧ください。 → 『落梅集』
「小諸なる古城のほとり」は、6 /146 にあります。
   







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