資料284 横井也有「焼蚊辞」(『鶉衣』より)



         燒 蚊 辭
                  横 井 也 有

 おのが身ひとつはたゞ塵ひぢの幽なる物ながら、類を引群をなし、夕のせとに柱を立、軒端に雷の聲をなし、貴賤の肌をなやますより、世に蚊帳といふ物を以て汝を防ぎ、末々の品に至るまで、誰か一釣の紙帳をもたざるべき。積りて世の費いくばくぞや。されば虻の利觜、蜂の毒尾も、しひて人を害せむとはせず。既に仇の逼る時、是をもて防がんとするは、人の刀劒を帶するにひとし。汝が針は只人の油斷をうかゞひ、ゝとり口腹のためにむさぼらんとす。たまたま蜘の巣につゝまれ、人の手に握られて、其針を出すことあたはず。然れば巾着切のはさみには劣れり。今宵一把の杉の葉をたいて、端居をこゝちよくせんとすれど、猶も透間をうかゞふ憎さに、おとなげなきわざながら、紙燭さして汝を駈る。ひとへに汝が業火なれば、他をうらむ事あるべからず。さるにても淺ましき汝が身を觀ずれば、
  火をとりに來ぬ蚊は人に燒れけり


  (注) 1.  上記の「燒蚊辭(かをやくのじ)」(「焼蚊の辞」)は、岩波書店刊の日本古典文学大系92『近世俳句俳文集』(阿部喜三男・麻生磯次校注、昭和39年7月6日第1刷発行)所収の『鶉衣』によりました。『鶉衣』の校注者は、麻生磯次氏です。           
    2.  大系本の凡例に、「『鶉衣』の木版本には十二册本と四冊本との二種あるが、本書は塩屋忠兵衛・塩屋弥七合梓の四冊本を底本とした。板下は十二册本と全く同様である」とあります。
 また、底本には句読点を全然施していないので、通行の「。」「、」の符号を用いて段落を調えることにした、とあります。      
   
    3.  平仮名の「く」を縦に伸ばした形の繰り返し符号は、平仮名に直して記載しました。(「たまたま」)    
    4.   本文の読みを補っておきます。(読みは、現代仮名遣いで示しました。)
 類を引(ひき)群(むれ)をなし  柱を立(たて) 誰(たれ)か  紙帳(しちょう)  世の費(ついえ)  虻(あぶ)の利觜(りし)  蜘(くも)の巣   其針(そのはり)を出(いだ)す  紙燭(しそく)  燒(やか)れけり       
   
    5.   〇横井也有(よこい・やゆう)=江戸中期の俳人。名は時般ときつら。別号に野有、知雨亭・半掃庵など。尾張藩の重臣。多才多能の人で軽妙洒脱な俳文に最も秀で、俳文集「鶉衣」によって名高い。(1702~1783)
 〇鶉衣(うずらごろも)=俳文集。横井也有の遺稿。刊本12冊。前編1787年(天明7)刊、後編88年刊、続編・拾遺1823年(文政6)刊。和漢の故事をはじめ種々の材料を機知と技巧をもって軽妙な筆致で描く。(以上、『広辞苑』第6版による)
   
           









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