今歳二月末の四日、月は草庵に殘る物から、禪師身まかり給ひけりと、湖南の正秀が許よりしらされけるにぞ、胸ふさがり涙とゞめかねつ。つくづく此人のむかしを思ふに、尾張の國に生れ、犬山に仕へて、勇猛の名もありしとかや。一日若黨一人を供し、ひそかに君父の前をしのび出、道の傍に髮おしきり、黑染には引かへられける。常の物語には、指の痛ありて、刀の柄握るべくもあらねば、かく法師にはなり侍ると也。ある人のいへるは、其弟に家録讓り侍らんと、かねて人しれず志ありて、病にはいひよせられけるとなむ。其後洛の史邦にゆかり、五雨亭に假寐し、先師にま見え初られしより、二疊の蚊屋の内に、頭をおし並べ、四間の火燵の上に、面をさしむけて、吟會おほくは此人をかゝず。先師の言に、此僧此道にすゝみ學ばゞ、人の上にたゝむ事、月を越べからずとのたまへり。其下地のうるはしき事、うらやむべし。然れども、性くるしみ學ぶ事を好まず、感ありて吟じ、人ありて談じ、常は此事打わすれたるが如し。先師深川に歸り給ふ比、此邊の句ども、書あつめまいらせけるうち、大原や蝶の出て舞ふおぼろ月などいへる句、二つ三つ書入侍りしに、風雅のやゝ上達せる事を評じ、此僧なつかしといへとは、我方への傳へなり。又難波の病床、側に侍るもの共に、伽の發句をすゝめ、けふより我が死後の句なるべし。一字の相談を加ふべからずとの給ひければ、或は吹飯より鶴を招むと、折からの景物にかけてことぶきを述、あるはしかられて次の間に出ると、たよりなき思ひにしほれ、又は病人の餘りすゝるやと、むつまじきかぎりを盡しける。其ふしぶしも等閑に見やり、たゞうづくまる寒さかなといへる一句のみぞ、丈草出來たりとは、感じ給ひける。實にかゝる折には、かゝる誠こそうごかめ、興を探り、作を求るいとまあらじとは、其時にこそ思ひ知侍りけれ。先師遷化の後は、膳所松本の誰かれ、たふとみなづきて、義仲寺の上の山に、草庵をむすびければ、時々門自啓、曲々水相逢などゝ打吟じ、あるは杖を横たへ、落柿舎を扣て、飛込だまゝか都の子規とも驚かされ、予も彼山に這のぼりて、脚下琶湖水、指頭花洛山と、眺望を共にし侍りしを、人は山を下らざるの誓ひあり、予は世にたゞよふの役ありて、久しく逢坂の關越る道もしらず。去々年の神無月、一夜の閑をぬすみ、草庵にやどりて、さむき夜や、おもひつくれば山の上と申て、こよひの芳話に、よろづを忘れけりと、其喜びも斜ならず、更行まゝに雷鳴地にひゞき、吹風扉をはなちければ、虚室欲夸閑是寶、滿山雷雨震寒更と、興じ出られ、笑ひ明してわかれぬ。身の上を啼からす哉ときこえし、雪氣の空もふたゝび行めぐり、今むなしき名のみ殘りける。凡十年のわらひは、三年のうらみに化し、其恨は百年のかなしみを生ず。をしみても猶名殘をしく、此一句を手向て、來しかた行末を語り侍るのみ。
なき名きく春や三とせの生別れ
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(注) |
1. |
上記の「丈艸誄(じょうそうがるい)」は、岩波書店刊の日本古典文学大系92『近世俳句 俳文集』(阿部喜三男・麻生磯次校注、昭和39年7月6日第1刷発行)所収の『風俗文選』によりました。『風俗文選』の校注者は、麻生磯次氏です。 |
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2. |
大系本の凡例に、「『風俗文選』の底本には『本朝文選』を再版した野田治兵衛尉板の五冊本を用い、野田弥兵衛尉板の九冊本を参照した」とあります。
また、底本には句読点に「。」のみを用いているのを、通行の「。」「、」の符号を用いて段落を調えることにした、とあります。 |
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3. |
本文中、平仮名の「く」を縦に伸ばした形の繰り返し符号を用いているところは、引用者が平仮名を用いて表記しました。(「つくづく」「ふしぶし」) |
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4. |
本文の読みを補っておきます。(読みは、現代仮名遣いで示しました。)
二月(きさらぎ) 一人を供(ぐ)し 假寐(かりね)
ま見え初(そめ)られし 先師の言(ことば)
歸り給ふ比(ころ) 側(かたわら)に侍るもの共(ものども)
伽(とぎ)の發句(ほっく)
吹飯(ふけい)より鶴を招(まねか)むと
ことぶきを述(のべ) 等閑(なおざり)に見やり
遷化(せんげ) 膳所(ぜぜ)
時々門自啓(おのずからひらく) 扣(たたい)て
虚室欲夸閑是寶(本文には、「虚室 欲ス レ 夸(ほこ)ラント
レ 閑ニ 是寶」とありますが、頭注に「虚室夸(ほこ)ラント欲ス閑ハ是レ宝]と読むべきか、とあります。)
來(こ)しかた行末(ゆくすえ)
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5. |
大系本の頭注に、本文中に「黑染」とあるのは「墨染」の誤りであろう、「家録」とあるのは「家禄」の誤り、とあります。
なお、語句の詳しい注釈等は、大系本の334~336頁の頭注を参照してください。 |
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6. |
〇内藤丈草(ないとう・じょうそう)=江戸前期の俳人。蕉門十哲の一人。尾張犬山藩士。別号、仏幻庵など。官を辞して山城深草に仮寓し芭蕉に師事。作風は高雅洒脱。著「寝ころび草」など。(1662~1704)
〇向井去来(むかい・きょらい)=江戸中期の俳人。名は兼時。字は元淵。別号、落柿舎など。蕉門十哲の一人。長崎の生れ。京都に住み、堂上家に仕え、致仕後、嵯峨に落柿舎を営んで芭蕉を招き、凡兆とともに「猿蓑さるみの」を撰。その作風は蕉風の極致に達した。俳論「旅寝論」「去来抄」など。(1651~1704)(以上、『広辞苑』第6版による) |
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