資料280 向井去来「丈草誄」(丈艸誄)
 

 

         

  

    丈 艸 誄 (丈艸が誄)         去 來 

 
今歳二月末の四日、月は草庵に殘る物から、禪師身まかり給ひけりと、湖南の正秀が許よりしらされけるにぞ、胸ふさがり涙とゞめかねつ。つくづく此人のむかしを思ふに、尾張の國に生れ、犬山に仕へて、勇猛の名もありしとかや。一日若黨一人を供し、ひそかに君父の前をしのび出、道の傍に髮おしきり、黑染には引かへられける。常の物語には、指の痛ありて、刀の柄握るべくもあらねば、かく法師にはなり侍ると也。ある人のいへるは、其弟に家録讓り侍らんと、かねて人しれず志ありて、病にはいひよせられけるとなむ。其後洛の史邦にゆかり、五雨亭に假寐し、先師にま見え初られしより、二疊の蚊屋の内に、頭をおし並べ、四間の火燵の上に、面をさしむけて、吟會おほくは此人をかゝず。先師の言に、此僧此道にすゝみ學ばゞ、人の上にたゝむ事、月を越べからずとのたまへり。其下地のうるはしき事、うらやむべし。然れども、性くるしみ學ぶ事を好まず、感ありて吟じ、人ありて談じ、常は此事打わすれたるが如し。先師深川に歸り給ふ比、此邊の句ども、書あつめまいらせけるうち、大原や蝶の出て舞ふおぼろ月などいへる句、二つ三つ書入侍りしに、風雅のやゝ上達せる事を評じ、此僧なつかしといへとは、我方への傳へなり。又難波の病床、側に侍るもの共に、伽の發句をすゝめ、けふより我が死後の句なるべし。一字の相談を加ふべからずとの給ひければ、或は吹飯より鶴を招むと、折からの景物にかけてことぶきを述、あるはしかられて次の間に出ると、たよりなき思ひにしほれ、又は病人の餘りすゝるやと、むつまじきかぎりを盡しける。其ふしぶしも等閑に見やり、たゞうづくまる寒さかなといへる一句のみぞ、丈草出來たりとは、感じ給ひける。實にかゝる折には、かゝる誠こそうごかめ、興を探り、作を求るいとまあらじとは、其時にこそ思ひ知侍りけれ。先師遷化の後は、膳所松本の誰かれ、たふとみなづきて、義仲寺の上の山に、草庵をむすびければ、時々門自啓、曲々水相逢などゝ打吟じ、あるは杖を横たへ、落柿舎を扣て、飛込だまゝか都の子規とも驚かされ、予も彼山に這のぼりて、脚下琶湖水、指頭花洛山と、眺望を共にし侍りしを、人は山を下らざるの誓ひあり、予は世にたゞよふの役ありて、久しく逢坂の關越る道もしらず。去々年の神無月、一夜の閑をぬすみ、草庵にやどりて、さむき夜や、おもひつくれば山の上と申て、こよひの芳話に、よろづを忘れけりと、其喜びも斜ならず、更行まゝに雷鳴地にひゞき、吹風扉をはなちければ、虚室欲夸閑是寶、滿山雷雨震寒更と、興じ出られ、笑ひ明してわかれぬ。身の上を啼からす哉ときこえし、雪氣の空もふたゝび行めぐり、今むなしき名のみ殘りける。凡十年のわらひは、三年のうらみに化し、其恨は百年のかなしみを生ず。をしみても猶名殘をしく、此一句を手向て、來しかた行末を語り侍るのみ。
   なき名きく春や三とせの生別れ

 

 

  
 
   (注)  1.  上記の「丈艸誄(じょうそうがるい)」は、岩波書店刊の日本古典文学大系92『近世俳句
         俳文集』(阿部喜三男・麻生磯次校注、昭和39年7月6日第1刷発行)所収の『風俗文
         選』によりました。『風俗文選』の校注者は、麻生磯次氏です。
        2. 大系本の凡例に、「『風俗文選』の底本には『本朝文選』を再版した野田治兵衛尉板
         の五冊本を用い、野田弥兵衛尉板の九冊本を参照した」とあります。
          また、底本には句読点に「。」のみを用いているのを、通行の「。」「、」の符号を用いて
         段落を調えることにした、とあります。
        3. 本文中、平仮名の「く」を縦に伸ばした形の繰り返し符号を用いているところは、引用
         者が平仮名を用いて表記しました。(「つくづく」「ふしぶし」) 
        4. 本文の読みを補っておきます。(読みは、現代仮名遣いで示しました。)
          
二月(きさらぎ)  一人を供(ぐ)し  假寐(かりね)  ま見え初(そめ)られし  先師の言(ことば)  
           歸り給ふ比(ころ)  側(かたわら)に侍るもの共(ものども)  伽(とぎ)の發句(ほっく)   吹飯
           (ふけい)より鶴を招(まねか)むと  ことぶきを述(のべ)  等閑(なおざり)に見やり  遷化(せんげ)  
           膳所(ぜぜ)    時々門自啓(おのずからひらく)  扣(たたい)て     虚室欲夸閑是寶(本文には、 
           「虚室 欲
夸(ほこ)ラント 是寶」とありますが、頭注に「虚室夸(ほこ)ラント欲ス閑ハ是レ
              宝]と読むべきか、とあります。)    來(こ)しかた行末(ゆくすえ)

        5. 大系本の頭注に、本文中に「黑染」とあるのは「墨染」の誤りであろう、「家録」とあるの
         は「家禄」の誤り、とあります。
          なお、語句の詳しい注釈等は、大系本の334~336頁の頭注を参照してください。
        6. 内藤丈草(ないとう・じょうそう)=江戸前期の俳人。蕉門十哲の一人。尾張犬山藩士。
             別号、仏幻庵など。官を辞して山城深草に仮寓し芭蕉に師事。作風は高雅洒脱。
             著「寝ころび草」など。(1662~1704)         
          向井去来(むかい・きょらい)=江戸中期の俳人。名は兼時。字は元淵。別号、落柿舎
             など。蕉門十哲の一人。長崎の生れ。京都に住み、堂上家に仕え、致仕後、嵯峨
             に落柿舎を営んで芭蕉を招き、凡兆とともに「猿蓑
さるみの」を撰。その作風は蕉風
             の極致に達した。俳論「旅寝論」「去来抄」など。(1651~1704)
                                           (以上、『広辞苑』第6版による)    




            
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