資料274 朱舜水「水戸城鐘銘并序」   

 

        

  

  水戸城鐘銘并序   朱 舜 水

 


夫鐘者所以警君臣之逸豫而鼓勵上下於
明作者也洪鐘聲動遠邇咸聞天子諸侯興
求衣問治之思孤卿百僚振佩玉鳴騶之度
賢妃不必厪會歸之憎羣工不必聽絳幘之
籌爲益弘已是故天子之都以及侯封宮省
膠庠省會莫不建焉下而郡邑莫不建焉況
水戸大邦哉今
水戸侯參議公好學博古知此爲邦家重器
君民之急需於是鎔精金以鑄之懸於城中
以警有位以警庶士庶民以警庶人之在宮
者而先以自警其志亦大矣特其制度之長
短大小弇哆聲音之宏亮悠揚淸咽手揣輕
重未必盡協然而鐘簴不移夫故物勤民蚤
戒於夙興他日之爲効豈淺鮮哉銘曰
天開地闢  斯鐘則鳴  萬籟猶寂
鍧鍧震驚  宵衣求治  噦噦鸞衡
君曰咨爾  如何民生  臣曰吁哉
王田民情  文王追蠡  遹駿有聲
遹求厥寧  遹觀厥成  垂謨萬禩
永勒鴻名
      明遺民餘姚朱之瑜頓首拜撰



參議從三位行右近衛權中將兼左衛
 門督水戸侯源朝臣光國德亮
 從 四 位 下 行 佐 近 衛 權 少 將
  水 戸 世 子 源 朝 臣 綱 方




 寛文柒年歳次丁未拾貳月    穀旦建

 

 

 

 

 

  
  (注) 1.  上記の朱舜水「水戸城鐘銘并序」は、『朱舜水全集』(稲葉君山(岩吉)編、文會堂書店、明治45年4月17日発行)所収の「朱舜水先生文集巻之十八」によりました。
  ただし、一部の文字を前川捷三編著『水戸の漢詩文(一集)』(茨城大学教育研究開発センター
分野別科目(人文の分野)、1998年3月発刊)によって修正しました。特に、「況水戸大邦哉」の部分が、『朱舜水先生文集』では「況於水戸大邦哉」となっています。
   
    2.  文中の「以」は、原文では「官-宀」という文字(辞書では左上が離れている「」)になっています。(「」は、島根県立大学の“e漢字フォント”を利用させていただきました。)    
    3.  また、「朱舜水先生文集巻之十八」の文中に施してある返り点・句点は、これを省略しました。    
    4.  この朱舜水の銘并序のある鐘は、現在は水戸東照宮にありますが、もとは水戸城内にあって時刻を知らせたものと伝えられています。寛文7年(1667)に水戸光圀の命によって鋳造された銅鐘で、常葉山時鐘(ときわやま・じしょう)と呼ばれています。    
    5.  「寛文柒年」の「柒」は「七」の大字で、『改訂新版・漢字源』(2002年)に、「証書類の改竄を防ぐ大字として、中国では「七」の代わりに用いる。日本では一般に漆を用いる」とあります。つまり、寛文七年のことで、西暦1667年にあたります。
 
注: 大字(だいじ)=一二三などの代わりに用いられる漢数字。壱・弐・参・肆・伍・陸・漆(柒)・捌・玖・拾・佰・阡。(上記の『改訂新版・漢字源』による。)
   
    6.  水戸東照宮でいただいた栞に、「社宝(境内に配置されたもの)」の一つとして、次のように紹介されています。
 ○ 常葉山時鐘(鐘楼 市指定文化財)
 寛文七年(1667年)光圀公によって造られた。口径約66センチ、周囲約2.6メートル、中国明の学者朱舜水の漢詩銘があり、現在では新年を迎える除夜の鐘として打鐘される。
   
    7.  水戸市教育委員会による水戸市指定文化財「常葉山時鐘」の解説文を、次に書き写しておきます。
 寛文7年(1667年)に、それまでの水戸城における太鼓による時報に代わるものとして、水戸藩二代藩主光圀(義公)の命によって鋳造された銅鐘である。
 朱舜水の銘と序が刻まれており、城内二の丸柵町門にかかげられ、時を知らせた。
 鐘は、宝永元年(1704年)に常葉山東照宮に納められ、城内の時報は再び太鼓に代わったが、安永5年(1776年)に新鐘が造られて太鼓に代わり、元の鐘は東照宮の宝庫に納められていた。
 明治5年(1872年)、県庁に移されて時報に用いられていたが、大正9年(1920年)、東照宮に再び納められ、今日に至っている。
 常葉山とは、元禄12年(1699年)、社のある一帯に命名された名称である。
   
    8.  『茨城県立歴史館』のホームページで、「朱舜水肖像画を見ることができます。
 
『茨城県立歴史館』
  → 茨城歴史事典
  →「②アイウエオ順で調べる」の「サ行」 
 
  
→ 朱舜水(しゅしゅんすい)
    → 朱舜水
   
    9.  『銅像はにわイズム』というブログで、水戸市北見町にある「朱舜水の銅像」の写真が見られます。     
    10.  『朱舜水先生文集巻之十八』所収の「水戸城鐘銘幷序」に施されている句点と返り点を、次に示しておきます。    

 

夫鐘者所以警君臣之逸豫。而鼓勵上下於明作者也。洪鐘聲動。遠邇咸聞。天子諸侯。興衣問治之思。孤卿百僚。振玉鳴騶之度。賢妃不必厪會歸之憎。羣工不必聽絳幘之籌。爲益弘已。是故天子之都。以及侯封宮省膠庠省會。莫建焉。下而郡邑。莫不焉。況於水戸大邦哉。今水戸侯參議公。好學博古。知此爲邦家重器。君民之急需。於是鎔精金以鑄之。懸於城中。以警有位。以警庶士庶民。以警庶人之在宮者。而先以自警。其志亦大矣。特其制度之長短大小弇哆。聲音之宏亮悠揚淸咽。手揣輕重。未必盡協。然而鐘簴不夫故物。勤民蚤戒於夙興。他日之爲効。豈淺鮮哉。銘曰。
天開地闢。斯鐘則鳴。萬籟猶寂。鍧鍧震驚。宵衣求
治。噦噦鸞衡。君曰咨爾。如何民生。臣曰吁哉。王田民情。文王追蠡。遹駿有聲。遹求厥寧。遹觀厥成。垂謨萬禩。永勒鴻名

 

 

    11.  この冒頭の1文「夫鐘者所以警君臣之逸豫。而鼓勵上下於明作者也。」はどう読むのでしょうか。 「夫(そ)れ鐘は君臣の逸豫を警(いまし)め、而(しこう)して上下を明作に鼓勵する所以(ゆえん)のものなり。」とでも読むのでしょうか。
 しかし、こう読んだ場合、「明作」の意味がわかりません。どなたかご教示頂ければ幸いです。  (2009年4月24日記)
 
   











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