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(注) |
1. |
上記の朱舜水「水戸城鐘銘并序」は、『朱舜水全集』(稲葉君山(岩吉)編、文會堂書店、明治45年4月17日発行)所収の「朱舜水先生文集巻之十八」によりました。
ただし、一部の文字を前川捷三編著『水戸の漢詩文(一集)』(茨城大学教育研究開発センター
分野別科目(人文の分野)、1998年3月発刊)によって修正しました。特に、「況水戸大邦哉」の部分が、『朱舜水先生文集』では「況於水戸大邦哉」となっています。 |
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2. |
文中の「以」は、原文では「官-宀」という文字(辞書では左上が離れている「」)になっています。(「」は、島根県立大学の“e漢字フォント”を利用させていただきました。) |
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3. |
また、「朱舜水先生文集巻之十八」の文中に施してある返り点・句点は、これを省略しました。 |
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4. |
この朱舜水の銘并序のある鐘は、現在は水戸東照宮にありますが、もとは水戸城内にあって時刻を知らせたものと伝えられています。寛文7年(1667)に水戸光圀の命によって鋳造された銅鐘で、常葉山時鐘(ときわやま・じしょう)と呼ばれています。 |
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5. |
「寛文柒年」の「柒」は「七」の大字で、『改訂新版・漢字源』(2002年)に、「証書類の改竄を防ぐ大字として、中国では「七」の代わりに用いる。日本では一般に漆を用いる」とあります。つまり、寛文七年のことで、西暦1667年にあたります。
注: 大字(だいじ)=一二三などの代わりに用いられる漢数字。壱・弐・参・肆・伍・陸・漆(柒)・捌・玖・拾・佰・阡。(上記の『改訂新版・漢字源』による。) |
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6. |
水戸東照宮でいただいた栞に、「社宝(境内に配置されたもの)」の一つとして、次のように紹介されています。
○ 常葉山時鐘(鐘楼 市指定文化財)
寛文七年(1667年)光圀公によって造られた。口径約66センチ、周囲約2.6メートル、中国明の学者朱舜水の漢詩銘があり、現在では新年を迎える除夜の鐘として打鐘される。 |
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7. |
水戸市教育委員会による水戸市指定文化財「常葉山時鐘」の解説文を、次に書き写しておきます。
寛文7年(1667年)に、それまでの水戸城における太鼓による時報に代わるものとして、水戸藩二代藩主光圀(義公)の命によって鋳造された銅鐘である。
朱舜水の銘と序が刻まれており、城内二の丸柵町門にかかげられ、時を知らせた。
鐘は、宝永元年(1704年)に常葉山東照宮に納められ、城内の時報は再び太鼓に代わったが、安永5年(1776年)に新鐘が造られて太鼓に代わり、元の鐘は東照宮の宝庫に納められていた。
明治5年(1872年)、県庁に移されて時報に用いられていたが、大正9年(1920年)、東照宮に再び納められ、今日に至っている。
常葉山とは、元禄12年(1699年)、社のある一帯に命名された名称である。 |
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8. |
『茨城県立歴史館』のホームページで、「朱舜水肖像画」を見ることができます。
『茨城県立歴史館』
→ 茨城歴史事典 →「②アイウエオ順で調べる」の「サ行」
→ 朱舜水(しゅしゅんすい)
→ 朱舜水 |
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9. |
『銅像はにわイズム』というブログで、水戸市北見町にある「朱舜水の銅像」の写真が見られます。 |
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10. |
『朱舜水先生文集巻之十八』所収の「水戸城鐘銘幷序」に施されている句点と返り点を、次に示しておきます。 |
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