資料272 橋本左内「啓発録」



         啓 發 録
                   橋 本 左 内
              
去 稚 心
稚心トハヲサナ心ト云事ニテ俗ニイフワラビシキコト也菓菜ノ類ノイマダ熟セザルヲモ稚トイフ稚トハスベテ水クサキ處アリテ物ノ熟シテ旨キ味ノナキヲ申也何ニヨラズ稚トイフコトヲ離レヌ間ハ物ノ成リ揚ル事ナキナリ人ニ在テハ竹馬紙鳶打毬ノ遊ビヲ好ミ或ハ石ヲ投ゲ蟲ヲ捕フヲ樂ミ或ハ糖菓蔬菜甘旨ノ食物ヲ貪リ怠惰安佚ニ耽リ父母ノ目ヲ竊ミ藝業職務ヲ懈リ或ハ父母ニヨシカヽル心ヲ起シ或ハ父兄ノ嚴ヲ憚リテ兎角母ノ膝下ニ近キ隱ルヽ事ヲ欲スル類ヒ皆幼童ノ水クサキ心ヨリ起ルコトニシテ幼童ノ間ハ強テ責ルニ足ラネドモ十三四ニモ成リ學問ニ志シ候上ニテ此心毛ホドニテモ殘リ是有ル時ハ何事モ上達致サズ迚モ天下ノ大豪傑ト成ル事ハ叶ハヌ物ニテ候源平ノコロ并ニ元龜天正ノ間マデハ隨分十二三歳ニテ母ニ訣レ父ニ暇乞シテ初陣ナド致シ手柄功名ヲ顯シ候人物モ有之候此等ハミナ稚心ナキ故ナリモシ稚心アラバ親ノ臂ノ下ヨリ一寸モ離レ候事ハ相成申間敷マシテ手柄功名ノ立ベキヨシハコレナキ義ナリ且又稚心ノ害アル譯ハ稚心除カヌ時ハ士氣ハ振ハヌモノニテイツマデモ腰拔士ニナリ居リ候モノニテ候故ニ余稚心ヲ去ルヲモツテ士ノ道ニ入ル始ト存候ナリ
振  氣
氣トハ人ニ負ヌ心立アリテ恥辱ノコトヲ無念ニ思フ處ヨリ起ル意氣張ノ事也振トハ折角自分ト心ヲトヾメテ振立振起シ心ノナマリ油斷セヌ樣ニ致ス義ナリ此氣ハ生アル者ニハミナアル者ニテ禽獣ニサヘコレアリテ禽獣ニテモ甚シク氣ノ立タル時ハ人ヲ害シ人ヲ苦シムルコトアリマシテ人ニ於テヲヤ人ノ中ニテモ士ハ一番此氣強ク有之故世俗ニコレヲ士氣ト唱ヘイカホド年若ナ者ニテモ兩刀ヲ帶シタル者ニ不禮ヲ不致ハ此士氣ニ畏レ候事ニテ其人ノ武藝ヤ力量ヤ位職ノミニ畏候ニテハコレナシ然ル處太平久敷打續士風柔弱佞媚ニ陷リ武門ニ生レナガラ武道ヲ忘却致シ位ヲ望ミ女色ヲ好ミ利ニ走リ勢ニ附事ノミニフケリ候處ヨリ右ノ人ニ負ケヌ恥辱ノコトハ堪ヘヌト申雄雄シキ丈夫ノ心クダケナマリテ腰ニコソ兩刀ヲ帶スレ太物包ヲカヅキタル商人樽ヲ荷フタル樽ヒロヒヨリモヲトリテ纔ニ雷ノ聲ヲ聞犬ノ吠ユルヲ聞テモ却歩スル事トハ成ニケリ偖偖可嘆之至ニコソシカルニ今ノ世ニモ猶未ダ士ヲ貴ビ町人百姓抔於侍樣ト申唱ルハ全ク士ノ士タル處ヲ貴ビ候ニテハ無之我 君ノ御威光ニ畏服致シ居候故無據貌ノミヲ敬ヒ候コトナリ其證據ハムカシノ士ハ平生ハ鋤鍬持土クジリ致シ居候得共不斷ニ恥辱ヲ知リ人ノ下ニ屈セヌ心逞シキ者ユヘマサカ事有ルトキハ吾 大御帝或ハ將軍家抔ヨリ募リ召寄セラレ候ヘバ忽チ鋤鍬打擲テ物具ヲ帶シテ千百人ノ長トナリ虎ノ如ク狼ノ如キ軍兵バラヲ指揮シテ臂ノ指ヲ使フゴトク致シ事成レバ芳名ヲ靑史ニ垂レ事敗ルレバ屍ヲ原野ニ暴シ富貴利達死生患難ヲ以テ其心ヲカヘ申サヌ大勇猛大剛強ノ處有之ユヘ人人其心ニ感ジ其義勇ニ畏候ヘドモ今ノ士ハ勇ハナシ義ハ薄シ謀略ハ足ラズ迚モ千兵萬馬ノ中ニ切入縱横無碍ニ駈廻ル事ハカナフマジ況帷幄ノ内ニ在テ運籌決勝之大勳ハ望ムベキ所ニアラズサスレバ若腰ノ兩刀ヲ奪ヒ取候ヘバ其心立其分別盡ク町人百姓ノ上ニハ出申マジ百姓ハ平生骨折ヲ致シ居町人ハ常ニ職業渡世ニ心ヲ用居候ユヘ今若シ天下ニ事アラバ手柄功名ハ却テ町人百姓ヨリ立テ福島左衛門大夫片桐助作井伊直政本多忠勝等ガゴトキ者ハ士ヨリハ出申サヾルベキカト思ワレ誠ニ嘆カワシク存ル箇樣ニ覺ノナキモノニ高禄重位ヲ被下平生安樂ニ被成置候ハ扨扨君恩ノホド申限ナキコト辭ニハ盡シガタシ其御高恩ヲ蒙リナガラ不覺ノ士ノミニテマサカノトキニ我君ノ恥辱ヲサセマシ候テハ返ス返ス恐入候次第ニテ實ニ寢テモ目モ合ワズ喰テモ食ノ咽ニ通ルベキ筈ニアラズコトサラ我先祖ハ國家ヘ奉對聊ノ功モ可有之候得ドモ其後ノ代代ニ到リテハ皆皆手柄ナシニ恩禄ニ沿(ママ)シ居候義ニ候ヘバ吾吾共聊ニテモ學問ノ筋心掛忠義ノ片端モ小耳ニ挾ミ候上ハ何トゾ一生ノ中ニ粉骨碎身シテ露滴ホドニテモ御恩ニ報ヒ度事ニテ候此忠義ノ心ヲ撓マサズ引立迹還リ致サヌ樣ニ致候ハ全ク右ノ士氣ヲ引立振起シ人ノ下ニ安ゼヌト申事ヲ忘レヌコト肝要ニ候乍去只此氣ノ振立候而已ニテ志立ヌ時ハ折節氷ノ解ケ醉ノサムル如ク迹還リ致ス事有之者ニ候故ニ氣一旦振候ヘバ方ニ志ヲ立候事甚大切ナリ
立  志
志トハ心ノユク所ニシテ我コヽロノ向ヒ趣キ候處ヲイフ侍ニ生テ忠孝ノ心ナキ者ハナシ忠孝ノ心有之候テ我君ハ御大事ニテ我親ハ大切ナル者ト申事聊ニテモ合點ユキ候ヘバ必ズ我身ヲ愛重シテ何トゾ我コソ弓馬文學ノ道ニ達シ古代ノ聖賢君子英雄豪傑ノ如ク相成リ君ノ御爲ヲ働キ天下國家ノ御利益ニモ相成候大業ヲ起シ親ノ名マデモ揚テ醉生夢死ノ者ニハナルマジト直ニ思付候者ニテ此即志ノ發スル所也
志ヲ立ルトハ此心ノ向フ所ヲ急度相定一度右ノ如ク思詰候ヘバ彌切ニ其向キヲ立テ常常其心持ヲ失ワヌ樣ニ持コタヘ候事ニテ候凡志ト申ハ書物ニテ大ニ發明致シ候カ或ハ師友ノ講究ニ依リ候カ或ハ自分患難憂苦ニ迫リ候カ或ハ憤發激勵致シ候歟ノ處ヨリ立チ定リ候者ニテ平生安樂無事ニ致シ居リ心ノタルミ居候時ニ立事ハナシ志ナキ者ハ魂ナキ蟲ニ同ジ何時迄立候テモ丈ノノブル事ナシ志一度相立候ヘバ其以後ハ日夜逐逐成長致シ行キ候者ニテ萌芽ノ草ニ膏壤ヲアタヘタルガゴトシ古ヨリ俊傑ノ士ト申候人トテ目四ツ口二ツ有之ニテハナシ皆其志大ナルト逞シキトニヨリ遂ニハ天下ニ大名ヲ揚候也世上ノ人多ク碌碌ニテ相果候ハ他ニ非ラズ其志太ク逞シカラヌ故ナリ志立タル者ハ恰モ江戸立ヲ定メタル人ノ如シ今朝一度御城下ヲ蹈出シ候ヘバ今晩ハ今莊明夜ハ木ノ本ト申樣ニ逐々先ヘ先ヘト進ミ行申候者也譬バ聖賢豪傑ノ地位ハ江戸ノ如シ今日聖賢豪傑ニ成ラン者ヲト志シ候ハヾ明日明後日ト段々ニ其聖賢豪傑ニ似合ザル處ヲ取去リ候ヘバ如何程短才劣識ニテモ遂ニハ聖賢豪傑ニ至ラヌト申理ハコレナシ丁度足弱ナ者デモ一度江戸行キ極メ候上ハ竟ニハ江戸マデ到着スルト同ジキ事ナリ
扨右樣志ヲ立候ニハ物ノ筋多クナルコトヲ嫌候我心ハ一道ニ取極メ置キ不申候ハデハ戸ジマリナキ家ノ番スルゴトク盗ヤ犬ガ方方ヨリ忍入迚モ我一人ニテ番ハ出來ヌナリマダ家ノ番人ハ隨分傭人モ出來候得共心ノ番人ハ傭人ハ出來不申候サスレバ自分ノ心ヲ一筋ニ致シ守リヨクスベキ事ニコソ兎角少年ノ中ハ人人ノナス事致ス事ニ目ガチリ心ガ迷ヒ候テ人ガ詩ヲ作レバ詩文ヲ書ケバ文武藝トテモ朋友ニ鑓ヲ精出ス者アレバ我今日マデ習居タル太刀業止テ鑓ト申樣ニ成リ度モノニテコレハ正覺取ラヌ第一ノ病根ナリ故ニ先我知識聊ニテモ開候ハヾ篤ト我心ニ計リ吾所向所爲ヲサダメ其上ニテ師ニ就キ友ニ謀リ吾及バズ足ラワヌ處ヲ補ヒ其極メ置タル處ニ心ヲ定メテ必多端ニ流レテ多岐亡羊ノ失ナカランコト願ワシク候凡テ心ノ迷フハ心ノ幾筋ニモ分レ候處ヨリ起リ候事ニテ心ノ紛亂致シ候ハ吾志未ダ一定セヌ故ナリ志定マラズ心收マラズシテハ聖賢豪傑ニハ成ラレヌモノニテ候
何分志ヲ立ル近道ハ經書又ハ歴史ノ中ニテ吾心ニ大ニ感徹致シ候處ヲ書拔キ壁ニ貼ジ置候カ又ハ扇抔ニ認置キ日夜朝暮夫ヲ認メ咏メ吾身ヲ省察シテ其不及ヲ勉メ其進ムヲ樂居候事肝要ニシテ志既ニ立候時ハ學ヲ勉ムル事ナケレバ志彌フトク逞ク成ラズシテ動モスレバ聰明ハ前時ヨリ減ジ道德ハ初ノ心ニ慚ル樣ニ成行モノニテ候
勉  學
學トハナラフト申事ニテ總テヨキ人スグレタル人ニ善キ行ヒ善キ事業ヲ迹付シテ習ヒ參ルヲイフ故ニ忠義孝行ノ事ヲ見テハ直ニ其人ノ忠義孝行ノ所爲ヲ慕ヒ傚ヒ吾モ急度其人ノ忠義孝行ニ負ケズ劣ラズ勉行候事學ノ第一義ナリ然ルヲ後世ニ至リ字義ヲ誤リ詩文ヤ讀書ヲ學ト心得候ハ笑カシキ事ドモナリ詩文ヤ讀書ハ右學文ノ具ト申モノニテ刀ノ欛鞘ヤ二階ノ楷梯ノ如キモノナリ詩文讀書ヲ學文ト心得候ハ恰モ欛鞘ヲ刀ト心得楷梯ヲ二階ト存候ト同ジ淺鹵粗麁ノ至リニ候學ト申ハ忠孝ノ筋ト文武ノ業トヨリ外ニハ無之君ニ忠ヲ竭シ親ニ孝ヲ盡スノ眞心ヲ以テ文武ノ事ヲ骨折勉強致シ御治世ノ時ニハ御側ニ被召使候ヘバ君ノ御過ヲ補ヒ匡シ御德ヲ彌増ニ盛ンニナシ奉リ御役人ト成リ候時ハ其役所役所ノ事首尾能取修メ依怙贔負不致賄賂請謁ヲ不受公平謙直ニシテ其一局何モ其威ニ畏レ其德ニ懷キ候程ノ仕ワザヲナシ可申義ヲ平生ニ心掛居不幸ニシテ亂世ニ逢候ハヾ各各我居場所ノ任ヲ果シテ寇賊ヲ討平ゲ禍亂ヲ克定メ可申或太刀鎗ノ功名組打ノ手柄致シ或ハ陣屋ノ中ニアリテ謀略ヲ賛畫シテ敵ヲ鏖ニシ或ハ兵糧小荷駄ノ奉行トナリテ萬兵ノ飢渇不致兵力ノ不減樣ニ心配致シ候事抔兼兼修練可致義ニ候此等ノ事ヲ致シ候ニハ胸ニ古今ヲ包ミ腹ニ形勢機略ヲ諳ジ藏メ居ラズシテハ叶ハヌ事共多ク候ヘバ學問ヲ專務トシテ勉メ行フベキハ讀書シテ吾智識ヲ明ニ致シ吾心膽ヲ練リ候事肝要ニ候
然ル處年少ノ間ハ兎角打續キ業ニ就キ居候事ヲ厭ヒ忽讀忽廢忽習文忽講武トイフ樣ニ暫ク宛ニテ倦怠致スモノナリ此甚ダ不宜勉ト申ハ力ヲ推究メ打續キ推遂候處ノ氣味有之字ニテ何分久ヲ積ミ思ヲ詰不申候ハデハ萬事功ハ見ヘ不申候マシテ學問ハ物ノ理ヲ説筋ヲ明ニスル義ニ候ヘバ右ノ如ク輕忽粗麁ノ致シ方ニテ眞ノ道義ハ見ヘ不申中中有用實着ノ學問ニハナリ申サヌナリ且又世間ニハ愚俗多候故學問ヲ致シ候ト兎角驕慢ノ心起リ浮調子ニ成テ或ハ功名富貴ニ念動キ或ハ才氣聰明ニ伐リ度病折々出來候モノニテ候コレヲ自ラ愼ミ可申ハ勿論ニ候ヘドモ茲ニハ良友ノ規箴至テ肝要ニ候間何分交友ヲ擇ミ吾仁ヲ輔ケ吾德ヲ足シ候工夫可有之候
擇 交 友
交友ハ吾連朋友ノ事ニテ擇トハスグリ出ス意ナリ吾同門同里ノ人同年輩ノ人吾ト交リクレ候ヘバ何レモ大切ニスベシ乍去其中ニ損友益友アリ候ヘバ則擇ト申ス事肝要ナリ損友ハ吾ニ得タル道ヲ以テ其人ノ不正ニ事ヲ矯直シ可遣益友ハ吾ヨリ親ヲ求メ事ヲ詢リ常ニ兄弟ノ如クスベシ世ノ中ニ益友ホド難有難得者ハナク候間一人ニテモ有之バ何分大切ニスベシ
總テ友ニ交ルニハ飲食歡娯ノ上ニテ附合遊山釣魚ニテ狎合候ハ不宜學問ノ講究武事ノ練習侍タル志ノ研究心合ノ吟味ヨリ交ヲ納レ可申事ニ候飲食遊山ニテ狎合候朋友ハ其平生ハ腕ヲ扼リ肩ヲ拍互ニ知己知己ト稱シ居候ヘドモ無事ノ時吾德ヲ補フニ足ラズ有事ノ時吾危難ヲ救ヒクレ候者ニテハナシコレハ成リ丈屢出會ハ不致吾身ヲ嚴重ニ致シ附合候テ必狎昵致シ吾道ヲ褻サヌ樣ニシテ何トカ工夫ヲ凝シテ其者ヲ正道ニ導キ武道學問ノ筋ニ勸メ込候事友道ナレ扨益友ト申ハ兎角氣遣ナ物ニテ折々不面白事有之候夫ヲ篤ト了簡致スベシ益友ノ吾身ニ補アルハ全ク其氣遣ナル處ニテ候士有爭友雖無道不失令名ト申コト經ニ有之候爭友トハ即益友也吾過ヲ告知ラセ我ヲ規彈致シクレ候テコソ吾氣ノ附ヌ處ノ落モ欠モ補ヒタシ候事相叶候ナリ若右ノ益友ノ異見ヲ嫌候時ハ 天子諸侯ニシテ諫臣ヲ御疎ミナサレ候同樣ニテ遂ニハ刑戮ニモ罹リ不測ノ禍ヲモ招ク事アルベキナリ
扨益友ノ見立方ハ其人剛正毅直ナルカ温良篤實ナルカ豪壯英果ナルカ逡邁明亮ナルカ闊達大度ナルカノ五ツニ出ズ此等ハ何レモ氣遣多キ人ニテ世間ノ俗人ドモハ甚シク厭棄致シ居候者ナリ彼損友ハ佞柔善媚阿諛逢迎ヲ旨トシテ浮躁辯慧輕忽粗慢ノ生質アル者ナリ此ハ何レモ心安ク成リ易キ人ニテ世間ノ女子小人ドモ其才智ヤ人品ヲ譽居候者ナレドモ聖賢豪傑タラント思フ者ハ其所擇自ラ在ル所アルベシ
以上五目少年學ニ入ルノ門戸トコヽロヘ書聯申候者也
右余嚴父ノ敎ヲ受常ニ書史ニ渉リ候處性質疎直ニシテ柔慢ナル故遂ニ進學ノ期ナキ樣ニ存ジ毎夜臥衾中ニテ涕泗ニムセビ何トゾシテ吾身ヲ立テ父母ノ名ヲ顯シ行々君ノ御用ニモ相立祖先ノ遺烈ヲ世ニ耀シ度ト存居候折柄逐々吾身ニ解得致シ候事ドモ有之候樣覺申ニ付聊書記シ後日ノ遺忘ニ備フ敢テ人ニ示ス處ニアラズ嗚呼如何セン吾身刀圭ノ家ニ生レ賤技ニ局局トシテ吾初年ノ志ヲ遂ル事ヲ不得ヲ然レドモ所業ハ此ニ在リテモ所志ハ彼ニ在リ候ヘバ後世必吾心ヲ知リ吾志ヲ憐ミ吾道ヲ信ズル者アラン歟

右啓發録距今十許年前余所手記也其言雖淺近顧當時憤悱之奮且厲反非今日所及也近頃偶撿舊獲之因淨寫一本示愛友子秉及弟持卿以爲啓發地嗚呼十年前既如彼而今日如此則自今十年之後其將何如乎繙閲間不覺赧然丁巳皐月景岳紀識時年二十又四
 


  (注) 1.  上記の「啓発録」の本文は、日本思想大系55『渡邊崋山 高野長英 佐久間象山横井小楠 橋本左内』(岩波書店、1971年6月25日第1刷発行)によりました。
 ただし、漢字を旧漢字に改め、句読点・振り仮名・返り点を省略しました。また、最後に出ている漢文の書き下し文も、省略しました。          
   
    2.  日本思想大系本の巻頭の凡例に、「仮名の濁音符号は校注者が施した」とあるので、「啓発録」の本文に於てもそうである(仮名の濁音符号は校注者が施した)と考えられます。なお、橋本左内の校注者は、山口宗之氏です。(日本思想大系本には、頭注がついています。)              
    3.  底本は、「啓発録……自筆。御物。松平永芳氏蔵写真に拠る」とあります。            
    4.  「振氣」の文中に「恩禄ニ沿(ママ)シ居候義ニ候ヘバ」とある「沿シ」は、「「浴シ」の誤記であろう」と、頭注にあります。    
    5.  本文の最後の文に使用した「」の漢字は、島根県立大学の “e漢字フォント” を利用させていただきました。    
    6.  この「啓発録」は、嘉永元年(1848)に、14歳(数えで15歳)の橋本左内が自省のために認(したた)めたものだそうです。           
    7.  語注 大系本の頭注から幾つか引かせていただきます。(漢字の読みは、引用者がつけたものです。詳しくは同書を参照してください。)

 去稚心 
  ワラビシキコト……子供じみたこと。福井・石川県の方言。
  ヨシカヽル……もたれかかる。福井・石川県の方言。
 振氣
  福島左衛門大夫……福島正則。秀吉の武将。1624年没、64歳。
  片桐助作……安土桃山時代の武将。1615年没、60歳。
  井伊直政……家康の武将。1602年没、42歳。
  本多忠勝……家康の武将。1610年没、63歳。
  國家へ奉對……「國家」は福井藩のこと。
 勉學
  楷梯……階梯。はしご段。
  伐リ……誇り。自慢する。(引用者注:「伐リ」は、「ほこり」と読む。「伐リ度病」は、「ほこりたきやまい」と読む。)
 漢文
  舊……古い箱。
  子秉(しへい)……門弟溝口辰五郎。
  弟持卿(じけい)……末弟橋本綱常。

 なお、最後に「景岳紀識」とある「紀」は、景岳の名、綱紀(つなのり)の略です。
   
    8.  講談社学術文庫に、伴五十嗣郎全訳注『啓発録─付 書簡・意見書・漢詩』(昭和57年7月10日第1刷発行)があります。    
    9.  〇橋本左内(はしもと・さない)=幕末の志士。福井藩士。号は景岳。緒方洪庵らに蘭学・医学を学び、藩の洋学を振興。藩主松平慶永に認められて藩政改革に当たる。将軍継嗣問題で慶喜(よしのぶ)擁立に尽力、安政の大獄に連座し斬罪。著「啓発録」など。(1834~1859) (『広辞苑』第6版による。)
 〇橋本左内(はしもと・さない)=1834─59(天保5─安政6) 幕末の志士。福井藩士。名は弘道、号は景岳。父は藩の奥外科医。はじめ吉田東篁につき、1849(嘉永2) 大坂に出て緒方洪庵に蘭学・医学を学ぶ。藤田東湖・西郷隆盛らと交遊、藩主慶永に認められて福井藩医・御書院番・藩校明道館学監となる。57(安政4) 福井藩藩政改革にあたり、中根雪江・由利公正らと手腕をふるう。将軍継嗣問題がおこると慶永を助けて一橋慶喜擁立に尽力。幕政の改革によって統一国家を実現、資本主義諸国の技術の導入と日露提携を首唱。当時の絶対主義的改革派として独自の存在。安政の大獄で斬罪に処せられた。「橋本景岳全集」がある。(『角川日本史辞典』第2版、(昭和41年12月20日初版発行、昭和49年12月25日第2版初版発行)による。)
   
    10.  『国立国会図書館デジタルコレクション』に、明治時代に発行された『啓発録』が収められています。
 『啓発録』(山本忠輔、明治22年8月)
 『啓発録』(金原喜一、明治30年10月)
 『啓発録』(松原栄著、日新館、明治28年5月)
   
    11.  『国立国会図書館デジタルコレクション』に収められている昭和8年2月15日に発行された『大日本思想全集』に、『啓発録』の原文と口語訳が出ています。
  『大日本思想全集』第18巻(徳川光圀集・藤田東湖集・橋本左内集)
  → 『啓発録』226~234/237)
   
12.  国立国会図書館の『近代日本人の肖像』で、橋本左内の肖像が見られます。(写真をクリックすると、写真が拡大します。)     







           トップページへ