(注) | 1. |
この徳川斉昭「賛天堂記」の本文は、生活情報誌『ぷらざ』№71(2005年8月号)掲載の武石東二氏の「愛郷清話」第71話「医学館と本間玄調像」に載せてある「賛天堂記」の写真を参考に、『水戸藩史料 別記下』や『水戸藩医学史』掲載の本文・書き下し文等を参照して記述しました。 『水戸藩史料 別記下』には原文が、『水戸藩医学史』には書き下し文が載っています。 |
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2. |
改行は、写真の通りにしてあります。 漢字の字体は、「以」が本字(※)になっているのを普通の字体の文字(「以」)に直したりするなど、字体は必ずしも写真版のものと同一ではないことをお断りしておきます。 ( ※ 「以」の本字=「」。この漢字は、“島根県立大学e漢字フォント”を利用させていただきました。) |
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3. |
『水戸藩史料 別記下』に載っている本文とここに掲げた本文との違いに触れておきます。 (上掲の本文) (『水戸藩史料 別記下』の本文) 夫天地之於萬物也 夫天地於萬物也 (「之」なし) 煖 暖 (「煖」と「暖」) 蠻舶所齎者則藥石 蠻舶所齎者藥石 (「則」なし) 蓋升平無事 蓋昇平無事 (「升」と「昇」) 未聞人短折 未聞人々短折 (「人」と「人々」) 保長壽者往有焉 保長壽者往々有焉 (「往」と「往々」) 金銀者壹與之則 金銀者一與之則 (「壹」と「一」) 蓋上世大己貴命 大己貴命 (「蓋上世」なし) 戮力壹心 戮力一心 (「壹」と「一」) |
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4. | 「賛天堂記」は、斉昭が弘道館の医学館開設の趣旨を記したもので、医学館の講堂に掲げられたといいます。「賛天」は、『中庸』の中にある、「能盡物之性則可以賛天地之化育」(能く物の性を盡くせば、則ち以て天地の化育を賛(たす)くべし)[第四段第二小段] からとったものです。 | ||||
5. | 医学館は、弘道館開館の翌々年(天保14年( 1843))に弘道館の構内に開設されましたが、明治元年(1868)の戦火で焼失しました。 | ||||
6. |
『水戸藩医学史』掲載の訓読文を参考に、「賛天堂記」の書き下し文を次に示してみます。(お気づきの点を教えていただければ幸いです。) 賛天堂記 夫(そ)れ天地の萬物に於けるや、煦嫗(くう)覆育、神妙測られず。然れども其の廣大無窮なるに及びてや、其の賦與する所の者、或(あるい)は齊(ひと)しき能はず。是(ここ)を以て凡(およ)そ四方の國、寒煖燥濕有り。而(しか)して民の其の間(かん)に生まるる者、其の性各(おのおの)異なり。南方は煖燥、人心寛柔にして恭順、衣食餘り有り。故に生育自(おのずか)ら多し。北方は寒濕、人心凝悍にして猛烈、衣食倶(とも)に乏し。故に生育自ら少なし。夫(そ)の火食せず粒食せず穴居野處、皮を衣とし羽を被(かぶ)る若(ごと)きも、亦風土の然(しか)らしむるなり。嗚呼(ああ)、我が神州は正氣純粋、寒煖宜しきを得、人心仁厚にして義勇、衣食饒(ゆた)かに、居處安らかに器械備はり、一物と雖も之(これ)を他に求むるを待たずして足れり。然るに中世以降、海外の交易大いに行はれて、蠻舶の齎(もた)らす所の者は則ち藥石・砂糖・珍禽・奇獸・皮角・羽毛、諸(もろもろ)の玩好の物なり。彼に與ふる所の者は、大は則ち金銀銅鐵、小は則ち紙蠟脯脩の屬(たぐい)、皆日用の物なり。蓋(けだ)し升平無事、驕奢淫逸、奇を好み異を衒(てら)ひ、以て之(これ)を致す有り。其の敝(へい)、今日 に至りては殆(ほとん)ど救ふべからざる者有り。其の大敝(たいへい)の如きは、則ち姑(しば)らく置く。今夫れ藥石も亦天の生ずる所、萬國各(おのおの)有り。而して異産の我に於けるや、固(もと)より肺腸に熟せざる者有り。故に適(たまたま)之を服すれば、則ち其の奇驗有るも亦宜(むべ)なり。遂に藥物の精良は海外に及ばずと曰(い)ふに至り、而して我の産する所及び傳ふる所の醫方は皆棄てて省みず。是れ何の心ぞや。蓋(けだ)し海外の奇藥は其の價最も貴し。故に富貴の人、獨り之を甞(な)むるを得(う)。然れども未(いま)だ其の齡(よわい)を保ち百千歳なる者を聞かず。而(しか)るに、貧賤の人之(これ)を甞むるを得ずと雖も、亦未だ人の短折するを聞かず。而して或は長壽を保つ者、往(おうおう)有り。今富貴の人、獨り之を得るも、亦大いに善し。然れども他日辺釁(へんきん)一たび開き、交易路絶ゆれば、則ち將(まさ)に之を奈何(いかん)せ んとす。且つ藥物は之を用ひて盡き易くして、金銀は壹(ひと)たび之を與ふれば、則ち再び取る能はざる者なり。獲難(えがた)きの至寶を擧げて、以て盡き易きの藥物に換ふ。是れ亦何の心ぞや。今其の至寶を蠻夷に棄てんよりは、其の財を以て良藥を製するの愈(まさ)れりと爲すに如(し)かざるなり。蓋(けだ)し上世、大己貴命(おおなむちのみこと)、少彦名命(すくなひこなのみこと)と戮力(りくりょく)壹心(いっしん)、天下を經營し、醫藥の方を定む。是の時に當たり、未だ奇藥を海外に取るを聞かざるなり。余、少小より慨然として深く之を嘆ずること茲(ここ)に三十年なり。海内(かいだい)産する所の藥物と、傳ふる所の醫方とを聞見する毎(ごと)に、採りて之を集む。今、局を弘道館に設け、醫生をして檢閲精製せしむ。因りて之に命(なづ)けて賛天堂と曰ふ。蓋し人心の靈、誰(たれ)か天の賦與する所、各(おのおの)分かつ處有るを知らざらんや。嗚呼、我が國 中より推(お)して天下に及ぼさば、則ち神州の神州たる所以(ゆえん)を知るに庶(ちか)からん。 天保十四年八月十五日記す。 |
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7. | 参考書 ○ 生活情報誌『ぷらざ』№71、2005年8月号(ぷらざ茨城・平成17年8月1日発行) ○『水戸藩史料 別記下』(侯爵徳川家蔵版、吉川弘文館・大正4年11月10日発行のものを、同じ吉川弘文館が昭和45年12月25日に再発行したもの) ○『水戸藩医学史』(石島弘著、ぺりかん社・平成8年12月25日初版第1刷発行) ○『水戸市史 中巻(三)』(水戸市役所・昭和51年2月25日発行) ○『水戸弘道館小史』(鈴木暎一著、文眞堂・2003年6月5日第1版第1刷発行) |