資料257 菅原道真の詩「九月十日」「不出門」




    九 月 十 日
          菅 原 道 眞
 
  去 年 今 夜 侍 淸 涼
  秋 思 詩 篇 獨 斷 腸
  恩 賜 御 衣 今 在 此
  捧 持 毎 日 拜 餘 香


    九月十日
  去年の今夜淸涼に侍す、
  秋思の詩篇獨り斷腸。
  恩賜の御衣は今此に在り、
  捧持して毎日餘香を拜す。 


 
    不 出 門
          菅 原 道 眞
 
  一 從 謫 落 就 柴 荊
  萬 死 兢 兢 跼 蹐 情 
  都 府 樓 纔 看 瓦 色
  觀 音 寺 只 聽 鐘 聲  
  中 懷 好 逐 孤 雲 去
  外 物 相 逢 滿 月 迎  
  此 地 雖 身 無 檢 繋
  何 爲 寸 歩 出 門 行  



     門を出(い)でず
  一たび謫落せられて柴荊に就きしより、
  萬死兢兢たり跼蹐の情。 
  都府樓は纔かに瓦の色を看、
  觀音寺は只鐘の聲を聽く。
  中懷好し孤雲を逐うて去るに、
  外物相逢うて滿月迎ふ。  
  此の地身檢繋無しと雖も、
  何爲れぞ寸歩も門を出でて行かん。
 
 

(参考)

 九日後朝同賦秋思應制
 
  丞相度年幾樂思
  今宵觸物自然悲
  聲寒絡緯風吹處
  葉落梧桐雨打時
  君富春秋臣漸老
  恩無涯岸報猶遲
  不知此意何安慰
  飲酒聽琴又詠詩



   九日後朝(こうちょう)、同(とも)
   秋思を賦して制に應ず

  丞相年を度(わた)つて幾たびか樂しび思へる、
  今宵物に觸れて自然に悲し。
  聲は寒し絡緯風の吹く處、
  葉は落つ梧桐(ごとう)雨打つの時。
  君は春秋に富み臣は漸く老いたり、
  恩は涯岸無く報ずること猶ほ遲し。 
  知らず此意何(いづ)くにか安慰せん。
  酒を飲み琴を聽き又詩を詠ず。


  (注) 1.  上記の菅原道真の詩「九月十日」「不出門」の本文は、新釈漢文大系『日本漢詩上』(猪口篤志著、明治書院 昭和47年8月25日初版発行)によりました。詩の出典は『菅家後集』です。
 ただし、「不出門」の詩の読みのうち、「瓦色を看」「鐘聲を聽く」と読んであるのを、好みによって「瓦の色を看」「鐘の聲を聽く」としました。      
   
    2.   参考に挙げた「九日後朝同賦秋思應制」の詩は、「九月十日」の詩に出てくる「秋 思詩篇」にあたる詩です。            
    3.  詩の語句の読み方をいくつか示しておきます。
 清涼(せいりょう)  秋思(しゅうし)  御衣(ぎょい)  此(ここ)に在(あ)り  捧持(ほうじ)   餘香(よこう)  謫落(たくらく)   柴荊(さいけい)  萬死(ばんし) 兢兢(きょうきょう)  跼蹐(きょくせき)  纔(わず)かに  中懷(ちゅうかい)  檢繋(けんけい)   雖(いえど)も   何爲(なんす)れぞ  寸歩(すんぽ)  丞相(じょうしょう)  絡緯(らくい)  涯岸(がいがん)
   
4.   〇菅原道真(すがわら・の・みちざね)=平安前期の貴族・学者。是善の子。宇多天皇に仕えて信任を受け、文章博士・蔵人頭・参議などを歴任、894年(寛平6)遣唐使に任ぜられたが、その廃止を建議。醍醐天皇の時、右大臣となったが、901年(延喜一)藤原時平の讒言により大宰権帥(だざいのごんのそち)に左遷され、同地で没。書をよくし、三聖の一人。「類聚国史」を編し、「三代実録」の撰に参与。詩文は「菅家文草」「菅家後集」に所収。死後、種々の怪異が現れたため御霊(ごりょう)として北野天満宮に祭られ、のち学問の神として尊崇される。菅公(かんこう)。菅丞相(かんしょうじょう)。菅家(かんけ)。(845-903)(引用者注:丞相は「じょうしょう」とも読む。)
 〇菅家後集(かんけこうしゅう)=漢詩集。菅原道真(みちざね)著。一巻。903年(延喜3)成立。道真が没するに臨み、紀長谷雄(きのはせお)に贈ったもので、大宰府に貶(へん)せられた後の詩46首を収める。菅家後草。西府(せいふ)新詩。(以上、『広辞苑』第6版による)                   
           
           






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