資料24 夏目漱石『草枕』(一・二)               
 


 
        『草枕』一・二    夏 目 漱 石

 

 

      

山路
(やまみち)を登りながら、かう考へた。

 智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい。 

 住みにくさが高じると、安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟つた時、詩が生れて、畫が出來る。

 人の世を作ったものは神でもなければ鬼でもない。矢張り向ふ三軒兩隣りにちらちらする唯の人である。唯の人が作つた人の世が住みにくいからとて、越す國はあるまい。あれば人でなしの國へ行く許りだ。人でなしの國は人の世よりも猶住みにくからう。

 越す事のならぬ世が住みにくければ、住みにくい所をどれほどか、寛容(くつろげ)て、束の間の命を、束の間でも住みよくせねばならぬ。ここに詩人といふ天職が出來て、ここに家といふ使命が降る。あらゆる藝術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするが故に尊(たつ)とい。

  住みにくき世から、住みにくき煩ひを引き拔いて、難有い世界をまのあたりに寫すのが詩である、畫である。あるは音樂と彫刻である。こまかに云へば寫さないでもよい。只まのあたりに見れば、そこに詩も生き、歌も湧く。着想を紙に落さぬとも璆鏘(きうさう)の音(おん)は胸裏に起る。丹青は畫架に向つて塗沫せんでも五彩の絢爛は自(おのづ)から心眼に映る。只おのが住む世を、かく觀じ得て、靈臺方寸のカメラに澆季(げうき)溷濁(こんだく)の俗界を清くうららかに收め得れば足る。この故に無聲の詩人には一句なく、無色の畫家には尺縑(せきけん)なきも、かく人世(じんせい)を觀じ得るの點に於て、かく煩惱を解脱するの點に於て、かく清淨界(しやうじやうかい)に出入(しゆつにふ)し得るの點に於て、又この不同不二(ふどうふじ)の乾坤を建立(こんりふ)し得るの點に於て、我利私欲の羈絆を掃蕩するの點に於て、──千金の子よりも、萬乘の君よりも、あらゆる俗界の寵兒よりも幸福である。
  
世に住むこと二十年にして、住むに甲斐ある世と知つた。二十五年にして明暗は表裏の如く、日のあたる所には屹度(きつと)影がさすと悟つた。三十の今日(こんにち)はかう思ふて居る。──喜びの深きとき憂(うれひ)(いよいよ)深く、樂みの大いなる程苦しみも大きい。之を切り放さうとすると身が持てぬ。片付けやうとすれば世が立たぬ。金は大事だ、大事なものが殖えれば寐る間も心配だらう。戀はうれしい、嬉しい戀が積もれば、戀をせぬ昔がかへつて戀しかろ。閣僚の肩は數百萬人の足を支へて居る。脊中には重い天下がおぶさつて居る。うまい物も食はねば惜しい。少し食へば飽き足らぬ。存分食へばあとが不愉快だ。……
  余の考がこゝ迄漂流して來た時に、余の右足は突然坐りのわるい角石の端を踏み損くなつた。平衡を保す爲めに、すはやと前に飛び出した左足が、仕損じの埋め合せをすると共に、余の腰は具合よく方三尺程な岩の上に卸
(お)りた。肩にかけた繪の具箱が腋の下から躍り出した丈で、幸ひと何の事もなかつた。
 立ち上る時に向ふを見ると、路から左の方にバケツを伏せた樣な峯が聳えて居る。杉か檜か分からないが根元から頂き迄悉く蒼黑い中に、山櫻が薄赤くだんだらに棚引いて、續ぎ目が確と見えぬ位靄が濃い。少し手前に禿山が一つ、群を拔きんでゝ眉に逼る。禿げた側面は巨人の斧で削り去つたか、鋭どき平面をやけに谷の底に埋めて居る。天邊に一本見えるのは赤松だらう。枝の間の空さへ判然して居る。行く手は二丁程で切れて居るが、高い所から赤い毛布
(けつと)が動いて來るのを見ると、登ればあすこへ出るのだらう。路は頗る難義だ。
 土をならす丈なら左程手間も入るまいが、土の中には大きな石がある。土は平らにしても石は平らにならぬ。石は切り碎いても、岩は始末がつかぬ。堀崩した土の上に悠然と峙
(そばだ)つて、吾等の爲めに道を讓る景色はない。向ふで聞かぬ上は乘り越すか、廻らなければならん。巖(いは)のない所でさへ歩るきよくはない。左右が高くつて、中心が窪んで、丸で一間幅を三角に穿(く)つて、其頂點が眞中を貫いてゐると評してもよい。路を行くと云はんより川底を渉ると云ふ方が適當だ。固より急ぐ旅ではないから、ぶらぶらと七曲りへかゝる。
 忽ち足の下で雲雀の聲がし出した。谷を見下
(みおろ)したが、どこで鳴いてるか影も形も見えぬ。只聲だけが明らかに聞える。せつせと忙(せは)しく、絶間なく鳴いて居る。方幾里の空氣が一面に蚤に刺されて居たゝまれない樣な氣がする。あの鳥の鳴く音(ね)には瞬時の餘裕もない。のどかな春の日を鳴き盡くし、鳴きあかし、又鳴き暮らさなければ氣が濟まんと見える。其上どこ迄も登つて行く、いつ迄も登つて行(ゆ)く。雲雀は屹度雲の中で死ぬに相違ない。登り詰めた揚句は、流れて雲に入(い)つて、漂ふて居るうちに形は消えてなくなつて、只聲丈が空の裡(うち)に殘るのかも知れない。
巖角を鋭どく廻つて、按摩なら眞逆樣に落つる所を、際どく右へ切れて、横に見下すと、菜の花が一面に見える。雲雀はあすこへ落ちるのかと思つた。いゝや、あの黄金
(こがね)の原から飛び上がつてくるのかと思つた。次には落ちる雲雀と、上(あが)る雲雀が十文字にすれ違ふのかと思つた。最後に、落ちる時も、上る時も、また十文字に擦れ違ふときにも元氣よく鳴きつゞけるだらうと思つた。
 春は眠くなる。猫は鼠を捕る事を忘れ、人間は借金のある事を忘れる。時には自分の魂の居所さへ忘れて正體なくなる。只菜の花を遠く望んだときに眼が醒める。雲雀の聲を聞いたときに魂のありかゞ判然する。雲雀の鳴くのは口で鳴くのではない、魂全體が鳴くのだ。魂の活動が聲にあらはれたものゝうちで、あれ程元氣のあるものはない。あゝ愉快だ。かう思つて、かう愉快になるのが詩である。
 忽ちシエレーの雲雀の詩を思ひ出して、口のうちで覺えた所だけ暗誦して見たが、覺えて居る所は二三句しかなかつた。其二三句のなかにこんなのがある。

      
We look before and after
                        And pine for what is not
:
                
Our sincerest laughter
                        With some pain is fraught
;
           
Our sweetest songs are those that tell of saddest thought.
 「前を見ては、後
(しり)へを見ては、物欲しと、あこがるかなわれ。腹からの、笑といへど、苦しみの、そこにあるべし。うつくしき、極みの歌に、悲しさの、極みの想、籠るとぞ知れ」
 成程いくら詩人が幸福でも、あの雲雀の樣に思ひ切つて、一心不亂に、前後を忘却して、わが喜びを歌ふ譯には行
(ゆ)くまい。西洋の詩は無論の事、支那の詩にも、よく萬斛の愁などゝ云ふ字がある。詩人だから萬斛で素人なら一合で濟むかも知れぬ。して見ると詩人は常の人よりも苦勞性で、凡骨の倍以上に神經が鋭敏なのかも知れん。超俗の喜びもあらうが、無量の悲も多からう。そんならば詩人になるのも考へ物だ。
 しばらくは路が平で、右は雜木山、左は菜の花の見つゞけである。足の下に時々蒲公英を踏みつける。鋸の樣な葉が遠慮なく四方へのして眞中に黄色な珠を擁護して居る。菜の花に氣をとられて、踏みつけたあとで、氣の毒な事をしたと、振り向いて見ると、黄色な珠は依然として鋸のなかに鎭座して居る。呑氣なものだ。又考へをつゞける。
 詩人に憂はつきものかも知れないが、あの雲雀を聞く心持になれば微塵の苦もない。菜の花を見ても、只うれしくて胸が躍る許りだ。蒲公英も其通り、櫻も──櫻はいつか見えなくなつた。かう山の中へ來て自然の景物に接すれば、見るものも聞くものも面白い。面白い丈で別段の苦しみも起らぬ。起るとすれば足が草臥れて、旨いものが食べられぬ位の事だらう。
 然し苦しみのないのは何故だらう。只此景色を一幅の畫
(ゑ)として觀、一巻の詩として讀むからである。畫(ぐわ)であり詩である以上は地面を貰つて、開拓する氣にもならねば、鐵道をかけて一儲けする了見も起らぬ。只此景色が──腹の足しにもならぬ、月給の補ひにもならぬ此景色が景色としてのみ、余が心を樂ませつゝあるから苦勞も心配も伴はぬのだらう。自然の力は是に於て尊(たつ)とい。吾人の性情を瞬刻に陶冶して醇乎として醇なる詩境に入(い)らしむるのは自然である。
 戀はうつくしかろ、孝もうつくしかろ、忠君愛國も結構だらう。然し自身が其局に當れば利害の旋風
(つむじ)に捲き込まれて、うつくしき事にも、結構な事にも、目は眩んで仕舞ふ。從つてどこに詩があるか自身には解(げ)しかねる。
 これがわかる爲めには、わかる丈の餘裕のある第三者の地位に立たねばならぬ。三者の地位に立てばこそ芝居は觀て面白い。小説も見て面白い。芝居を見て面白い人も、小説を讀んで面白い人も、自己の利害は棚へ上げて居る。見たり讀んだりする間丈は詩人である。
 それすら、普通の芝居や小説では人情を免かれぬ。苦しんだり、怒つたり、騒いだり、泣いたりする。見るものもいつか其中に同化して苦しんだり、怒つたり、騒いだり、泣いたりする。取柄は利慾が交らぬと云ふ點に存するかも知れぬが、交らぬ丈に其他の情緒
(じやうしよ)は常よりは餘計に活動するだらう。それが嫌だ。
 苦しんだり、怒つたり、騒いだり、泣いたりは人の世につきものだ。余も三十年の間それを仕通して、飽々
(あきあき)した。飽き々々した上に芝居や小説で同じ刺激を繰り返しては大變だ。余が欲する詩はそんな世間的の人情を鼓舞する樣なものではない。俗念を放棄して、しばらくでも塵界を離れた心持ちになれる詩である。いくら傑作でも人情を離れた芝居はない、理非を絶した小説は少からう。どこ迄も世間を出る事が出來ぬのが彼等の特色である。ことに西洋の詩になると、人事が根本になるから所謂詩歌の純粹なるものも此境を解脱する事を知らぬ。どこ迄も同情だとか、愛だとか、正義だとか、自由だとか、浮世の勸工場(くわんこうば)にあるものだけで用を辨じて居る。いくら詩的になつても地面の上を馳けあるいて、錢の勘定を忘れるひまがない。シエレーが雲雀を聞いて嘆息したのも無理はない。
 うれしい事に東洋の詩歌はそこを解脱したのがある。採菊東籬下、悠然見南山。只それぎりの裏
(うち)に暑苦しい世の中を丸で忘れた光景が出てくる。垣の向ふに隣りの娘が覗いてる譯でもなければ、南山に親友が奉職して居る次第でもない。超然と出世間的に利害損得の汗を流し去つた心持ちになれる。獨坐幽篁裏、彈琴復長嘯、深林人不知、明月來相照。只二十字のうちに優に別乾坤を建立して居る。此乾坤の功德は「不如歸」や「金色夜叉」の功德ではない。汽船、汽車、權利、義務、道德、禮義で疲れ果てた後、凡てを忘却してぐつすりと寐込む樣な功德である。
 二十世紀に睡眠が必要ならば、二十世紀に此出世間的の詩味は大切である。惜しい事に今の詩を作る人も、詩を讀む人もみんな、西洋人にかぶれて居るから、わざわざ呑気な扁舟を泛べて此桃源に溯るものはない樣だ。余は固より詩人を職業にして居らんから、王維や淵明の境界を今の世に布敎して廣げやうと云ふ心掛も何もない。只自分にはかう云ふ感興が演藝會よりも舞踏會よりも藥になる樣に思はれる。フアウストよりも、ハムレツトよりも難有く考へられる。かうやつて、只一人繪の具箱と三脚几を擔いで春の山路
(やまぢ)をのそのそあるくのも全く之が爲めである。淵明、王維の詩境を直接に自然から吸収して、すこしの間でも非人情の天地に逍遙したいからの願。一つの醉興だ。
 勿論人間の一分子だから、いくら好きでも、非人情はさう長く續く譯には行
(い)かぬ。淵明だつて年が年中南山を見詰めて居たのでもあるまいし、王維も好んで竹藪の中に蚊帳を釣らずに寐た男でもなからう。矢張り餘つた菊は花屋へ賣りこかして、生えた筍は八百屋へ拂ひ下げたものと思ふ。かう云ふ余も其通り。いくら雲雀と菜の花が氣に入つたつて、山のなかへ野宿する程非人情が募つては居らん。こんな所でも人間に逢ふ。じんじん端折(ばしよ)りの頰冠りや、赤い腰巻の姉(あね)さんや、時には人間より顔の長い馬に迄逢ふ。百萬本の檜に取り圍まれて、海面を拔く何百尺かの空氣を呑んだり吐いたりしても、人の臭ひは中々取れない。夫れ所か、山を越えて落ちつく先の、今宵の宿は那古井の温泉場(をんせんば)だ。
 唯、物は見樣でどうでもなる。レオナルド、ダ、
ンチが弟子に告げた言(ことば)に、あの鐘の音を聞け、鐘は一つだが、音はどうとも聞かれるとある。一人の男、一人の女も見樣次第で如何様(いかやう)とも見立てがつく。どうせ非人情をしに出掛けた旅だから、其積りで人間を見たら、浮世小路の何軒目に狹苦しく暮した時とは違ふだらう。よし全く人情を離れる事が出來んでも、責めて御能拜見の時位は淡い心持ちにはなれさうなものだ。能にも人情はある。七騎落(しちきおち)でも、墨田川でも泣かぬとは保證が出來ん。然しあれは情三分藝七分で見せるわざだ。我等が能から享ける難有味は下界の人情をよく其儘に寫す手際から出てくるのではない。其儘の上へ藝術といふ着物を何枚も着せて、世の中にあるまじき悠長な振舞をするからである。
 しばらく此旅中に起る出來事と、旅中に出逢ふ人間を能の仕組と能役者の所作に見立てたらどうだらう。丸で人情を棄てる譯には行
(い)くまいが、根が詩的に出來た旅だから、非人情のやり序でに、可成(なるべく)節儉してそこ迄は漕ぎ付けたいものだ。南山や幽篁とは性(たち)の違つたものに相違ないし、又雲雀や菜の花と一所にする事も出來まいが、可成(なるべく)(これ)に近づけて、近づけ得る限りは同じ觀察點から人間を視てみたい。芭蕉と云ふ男は枕元へ馬が屎(いばり)するのをさへ雅(が)な事と見立てゝ發句にした。余も是から逢ふ人物を──百姓も、町人も、村役場の書記も、爺さんも婆さんも──悉く大自然の點景として描き出されたものと假定して取こなして見樣。尤も畫中の人物と違つて、彼等はおのがじゝ勝手な眞似をするだらう。然し普通の小説家の樣に其勝手な眞似の根本を探ぐつて、心理作用に立ち入つたり、人事葛藤の詮議立てをしては俗になる。動いても構はない。畫中の人間が動くと見れば差し支(つかへ)ない。畫中の人物はどう動いても平面以外に出られるものでない。平面以外に飛び出して、立方的に働くと思へばこそ、此方(こつち)と衝突したり、利害の交渉が起つたりして面倒になる。面倒になればなる程美的に見て居る譯に行(い)かなくなる。是から逢ふ人間には超然と遠き上から見物する氣で、人情の電氣が無暗に双方で起らない樣にする。さうすれば相手がいくら働いても、こちらの懷(ふところ)には容易に飛び込めない譯だから、つまりは畫の前に立つて、畫中の人物が畫面の中(うち)をあちらこちらと騒ぎ廻るのを見るのと同じ譯になる。間三尺も隔てゝ居(を)れば落ち付いて見られる。あぶな氣なしに見られる。言(ことば)を換へて云へば、利害に氣を奪はれないから、全力を擧げて彼等の動作を藝術の方面から觀察する事が出來る。餘念もなく美か美でないかと鑒識する事が出來る。
 こゝ迄決心をした時、空があやしくなつて來た。煮え切れない雲が、頭の上へ靠垂
(もた)れ懸つて居たと思つたが、いつのまにか、崩れ出して、四方は只雲の海かと怪しまれる中から、しとしとと春の雨が降り出した。菜の花は疾(と)くに通り過して、今は山と山の間を行(ゆ)くのだが、雨の糸が濃(こまや)かで殆んど霧を欺く位だから、隔たりはどれ程かわからぬ。時々風が來て、高い雲を吹き拂ふとき、薄黑い山の脊が右手に見える事がある。何でも谷一つ隔てゝ向ふが脉の走つて居る所らしい。左はすぐ山の裾と見える。深く罩(こ)める雨の奥から松らしいものが、ちよくちよく顔を出す。出すかと思ふと、隱れる。雨が動くのか、木が動くのか、夢が動くのか、何となく不思議な心持ちだ。
 路は存外廣くなつて、且つ平だから、あるくに骨は折れんが、雨具の用意がないので急ぐ。帽子から雨垂れがぽたりぽたりと落つる頃、五六間先きから、鈴の音
(おと)がして、黑い中から、馬子がふうとあらはれた。
 「こゝらに休む所はないかね」
 「もう十五丁行
(ゆ)くと茶屋がありますよ。大分濡れたね」
 まだ十五丁かと、振り向いて居るうちに、馬子の姿は影畫の樣に雨につゝまれて、又ふうと消えた。
 糠の樣に見えた粒は次第に太く長くなつて、今は一筋毎に風に捲かれる樣迄が目に入
(い)る。羽織はとくに濡れ盡して肌着に浸み込んだ水が、身體の温度(ぬくもり)で生暖く感ぜられる。氣持がわるいから、帽を傾けて、すたすた歩行(ある)く。
 茫々たる薄墨色の世界を、幾條の銀箭が斜めに
走るなかを、ひたぶるに濡れて行(ゆ)くわれを、われならぬ人の姿と思へば、詩にもなる、句にも咏まれる。有體なる己れを忘れ盡して純客觀に眼をつくる時、始めてわれは畫中の人物として、自然の景物と美しき調和を保つ。只降る雨の心苦しくて、踏む足の疲れたるを氣に掛ける瞬間に、われは既に詩中の人にもあらず、畫裡の人にもあらず。依然として市井の一豎子に過ぎぬ。雲烟飛動の趣も眼に入(い)らぬ。落花啼鳥の情けも心に浮ばぬ。蕭々として獨り春山(しゆんざん)を行(ゆ)く吾の、いかに美しきかは猶更に解(かい)せぬ。初めは帽を傾けて歩行(あるい)た。後には唯足の甲のみを見詰めてあるいた。終りには肩をすぼめて、恐る恐る歩行(あるい)た。雨は滿目の樹梢を搖(うご)かして四方より孤客(こかく)に逼る。非人情がちと強過ぎた樣だ。
 

               二 
   
「おい」と聲を掛けたが返事がない。
 軒下から奥を覗くと煤けた障子が立て切つてある。向ふ側は見えない。五六足の草鞋が淋しさうに庇から吊されて、屈托氣
(くつたくげ)にふらりふらりと搖れる。下に駄菓子の箱が三つ許り並んで、そばに五厘錢と文久錢が散らばつて居る。
 「おい」と又聲をかける。土間の隅に片寄せてある臼の上に、ふくれて居た鷄が、驚いて眼をさます。クヽヽ、クヽヽと騒ぎ出す。敷居の外に土竈
(どべつつひ)が、今しがたの雨に濡れて、半分程色が變つてる上に、眞黑な茶釜がかけてあるが、土の茶釜か、銀の茶釜かわからない。幸ひ下は焚きつけてある。
 返事がないから、無斷でずつと這入つて、床几の上へ腰を卸した。鷄は羽搏きをして臼から飛び下りる。今度は疊の上へあがつた。障子がしめてなければ奥迄馳
(か)けぬける氣かも知れない。雄が太い聲でこけつこつこと云ふと、雌が細い聲でけゝつこつこと云ふ。丸で余を狐か狗の樣に考へてゐるらしい。床几の上には一升枡程な煙草盆が閑靜に控へて、中にはとぐろを捲いた線香が、日の移るのを知らぬ顔で、頗る悠長に燻(いぶ)つて居る。雨は次第に収まる。
 しばらくすると、奥の方から足音がして、煤けた障子がさらりと開
(あ)く。なかゝら一人の婆さんが出る。
 どうせ誰か出るだらうとは思つて居た。竈
(へつい)に火は燃えてゐる。菓子箱の上に錢が散らばつて居る。線香は呑気に燻つてゐる。どうせ出るには極つてゐる。しかし自分の見世(みせ)を明け放しても苦にならないと見える所が、少し都とは違つてゐる。返事がないのに床几に腰をかけて、いつ迄も待つてるのも少し二十世紀とは受け取れない。こゝらが非人情で面白い。其上出て來た婆さんの顔が氣に入つた。
 二三年前
(ぜん)寶生の舞臺で高砂を見た事がある。その時これはうつくしい活人畫だと思つた。箒を擔いだ爺さんが橋懸りを五六歩來て、そろりと後向になつて、婆さんと向ひ合ふ。その向ひ合ふた姿勢が今でも眼につく。余の席からは婆さんの顔が殆んど眞むきに見えたから、あゝうつくしいと思つた時に、其表情はぴしゃりと心のカメラへ燒き付いて仕舞つた。茶店の婆さんの顔は此寫眞に血を通はした程似て居る。
 「御婆さん、此所を一寸借りたよ」
 「はい、是は、一向存じませんで」
 「大分降つたね」
 「生憎な御天気で、嘸
(さぞ)御困りで御座んしよ。おゝおゝ大分御濡れなさつた。今火を焚いて乾かして上げましよ」
 「そこをもう少し燃し付けてくれゝば、あたりながら乾かすよ。どうも少し休んだら寒くなつた」
 「へえ、只今焚いて上げます。まあ御茶を一つ」
と立ち上がりながら、しつしつと二聲で鷄を追ひ下げる。こゝゝゝと馳け出した夫婦は、焦茶色の疊から、駄菓子箱の中を踏みつけて、徃來へ飛び出す。雄の方が逃げるとき駄菓子の上へ糞を垂れた。
 「まあ一つ」と婆さんはいつの間にか刳り拔き盆の上に茶碗をのせて出す。茶の色の黑く焦げて居る底に、一筆がきの梅の花が三輪無雜作に燒き付けられて居る。
 「御菓子を」と今度は鶏の踏みつけた胡麻ねぢと微塵棒を持つてくる。糞はどこぞに着いて居
(を)らぬかと眺めて見たが、それは箱のなかに取り殘されてゐた。
 婆さんは袖無しの上から、襷をかけて、竈
(へつつひ)の前へうづくまる。余は懷から寫生帖を取り出して、婆さんの横顔を寫しながら、話しをしかける。
 「閑靜でいゝね」
 「へえ、御覧の通りの山里で」
 「鶯は鳴くかね」
 「えゝ毎日の樣に鳴きます。此邊
(こゝら)は夏も鳴きます」
 「聞きたいな。ちつとも聞えないと猶聞きたい」
 「生憎今日は──先刻
(さつき)の雨で何處(どこぞ)へ逃げました」
 折りから、竈のうちが、ぱちぱちと鳴つて、赤い火が颯
(さつ)と風を起して一尺あまり吹き出す。
 「さあ、御あたり。嘸
(さぞ)御寒かろ」と云ふ。軒端を見ると靑い烟りが、突き當つて崩れながらに、微かな痕(あと)をまだ板庇にからんで居る。
 「あゝ、好い心持ちだ、御蔭で生き返つた」
 「いゝ具合に雨も晴れました。そら天狗巖
(てんぐいは)が見え出しました」
 逡巡として曇り勝ちなる春の空を、もどかしと許りに吹き拂ふ山嵐の、思ひ切りよく通り拔けた前山
(ぜんざん)の一角は、未練もなく晴れ盡して、老嫗(らうう)の指さす方に(さんぐわん)と、あら削りの柱の如く聳えるのが天狗岩ださうだ。
 余はまづ天狗巖を眺めて、次に婆さんを眺めて、三度目には半々に兩方を見比べた。畫家として余が頭のなかに存在する婆さんの顔は高砂の媼(ばゞ)と、蘆雪のかいた山姥のみである。蘆雪の圖を見たとき、理想の婆さんは物凄いものだと感じた。紅葉(もみぢ)のなかゝ、寒い月の下に置くべきものと考へた。寶生の別能會を觀るに及んで、成程老女にもこんな優しい表情があり得るものかと驚ろいた。あの面は定めて名人の刻んだものだらう。惜しい事に作者の名は聞き落したが、老人もかうあらはせば、豐かに、穩やかに、あたゝかに見える。金屏にも、春風にも、あるは櫻にもあしらつて差し支ない道具である。余は天狗岩よりは、腰をのして、手を翳(かざ)して、遠く向ふを指(ゆびさ)してゐる、袖無し姿の婆さんを、春の山路(やまぢ)の景物として恰好なものだと考へた。余が寫生帖を取り上げて、今暫くといふ途端に、婆さんの姿勢は崩れた。
 手持無沙汰に寫生帖を、火にあてゝ乾かしながら、
 「御婆さん、丈夫さうだね」と訊ねた。
 「はい。難有い事に達者で──針も持ちます、苧
(を)もうみます、御團子の粉(こ)も磨(ひ)きます」
 此御婆さんに石臼を挽かして見たくなつた。然しそんな注文も出來ぬから、
 「こゝから那古井迄は一里足らずだつたね」と別な事を聞いて見る。
 「はい、二十八丁と申します。旦那は湯治に御越しで……」
 「込み合はなければ、少し逗留しやうかと思ふが、まあ氣が向けばさ」
 「いえ、戰爭が始まりましてから、頓と參るものは御座いません。丸で締め切り同樣で御座います」
 「妙な事だね。それぢや泊めて呉れないかも知れんね」
 「いえ、御頼みになればいつでも宿
(と)めます」
 「宿屋はたつた一軒だつたね」
 「へえ、志保田さんと御聞きになればすぐわかります。村のものもちで、湯治場だか、隱居所だかわかりません」
 「ぢや御客がなくても平氣な譯だ」
 「旦那は始めてゞ」
 「いや、久しい以前一寸行つた事がある」
 會話はちよつと途切れる。帳面をあけて先刻
(さつき)の鷄を靜かに寫生して居ると、落ち付いた耳の底へぢやらんぢやらんと云ふ馬の鈴が聽え出した。此聲がおのづと、拍子をとつて頭の中に一種の調子が出來る。眠りながら、夢に隣りの臼の音に誘はれる樣な心持ちである。余は鷄の寫生をやめて、同じページの端(はじ)に、
   春風や惟然が耳に馬の鈴
と書いて見た。山を登つてから、馬には五六匹逢つた。逢つた五六匹は皆腹掛をかけて、鈴を鳴らして居る。今の世の馬とは思はれない。
 やがて長閑な馬子唄が、春に更けた空山一路の夢を破る。憐れの底に氣樂な響がこもつて、どう考へても畫にかいた聲だ。
   馬子唄の鈴鹿越ゆるや春の雨
と、今度は斜
(はす)に書き付けたが、書いて見て、是は自分の句でないと氣が付いた。
 「又誰ぞ來ました」と婆さんが半ば獨り言の樣に云ふ。
 只一條
(ひとすぢ)の春の路だから、行(ゆ)くも歸るも皆近付きと見える。最前逢ふた五六匹のぢやらんぢやらんも悉く此婆さんの腹の中で又誰ぞ來たと思はれては山を下り、思はれては山を登つたのだらう。路(みち)寂寞(じやくまく)と古今の春を貫いて、花を厭へば足を着くるに地なき小村に、婆さんは幾年(いくねん)の昔からぢやらん、ぢやらんを數へ盡くして、今日(こんにち)の白頭に至つたのだらう。
   馬子唄や白髮も染めで暮るゝ春
と次のページへ認
(したゝ)めたが、是では自分の感じを云ひ終(おほ)せない、もう少し工夫のありさうなものだと、鉛筆の先を見詰めながら考へた。何でも白髮といふ字を入れて、幾代の節(ふし)と云ふ句を入れて、馬子唄といふ題も入れて、春の季も加へて、それを十七字に纏めたいと工夫して居るうちに、
 「はい、今日
(こんにち)は」と實物の馬子が店先に留つて大きな聲をかける。
 「おや源さんか。又城下へ行
(い)くかい」
 「何か買物があるなら頼まれて上げよ」
 「さうさ、鍛冶町
(かぢちやう)を通つたら、娘に靈嚴寺(れいがんじ)の御札を一枚もらつてきて御呉れなさい」
 「はい、貰つてきよ。一枚か。──御秋さんは善い所へ片付いて仕合せだ。な、御叔母
(おば)さん」
 「難有い事に今日
(こんにち)には困りません。まあ仕合せと云ふのだろか」
 「仕合せとも、御前
(おまへ)。あの那古井の孃さまと比べて御覧」
 「本當に御氣の毒な。あんな器量を持つて。近頃はちつとは具合がいゝかい」
 「なあに、相變らずさ」
 「困るなあ」と婆さんが大きな息をつく。
 「困るよう」と源さんが馬の鼻を撫でる。
 枝繁き山櫻の葉も花も、深い空から落ちた儘なる雨の塊まりを、しつぽりと宿して居たが、此時わたる風に足をすくはれて、居たゝまれずに、假りの住居
(すまひ)を、さらさらと轉げ落ちる。馬は驚ろいて、長い鬣(たてがみ)を上下(うへした)に振る。
 「コーラツ」と叱り付ける源さんの聲が、ぢやらん、ぢやらんと共に余の瞑想を破る。
 御婆さんが云ふ。「源さん、わたしや、お嫁入りのときの姿が、まだ眼前(めさき)に散らついて居る。裾模樣の振袖に、高島田で、馬に乘つて……」
 「さうさ、船ではなかつた。馬であつた。矢張り此所
(こゝ)で休んで行つたな、御叔母(おば)さん」
 「あい、其櫻の下で孃樣の馬がとまつたとき、櫻の花がほろほろと落ちて、折角の島田に斑
(ふ)が出來ました」
 余は又寫生帖をあける。此景色は畫にもなる、詩にもなる。心のうちに花嫁の姿を浮べて、當時の樣を想像して見てしたり顔に、
   花の頃を越えてかしこし馬に嫁
と書き付ける。不思議な事には衣裳も髮も馬も櫻もかつきりと目に映じたが、花嫁の顔だけは、どうしても思ひつけなかつた。しばらくあの顔か、この顔か、と思案して居るうちに、ミレーのかいた、オフエリヤの面影が忽然と出て來て、高島田の下へすぽりとはまつた。是は駄目だと、折角の圖面を早速取り崩す。衣装も髮も馬も櫻も一瞬間に心の道具立から奇麗に立ち退いたが、オフエリヤの合掌して水の上を流れて行
(ゆ)く姿丈は、朦朧と胸の底に殘つて、棕櫚箒で烟を拂ふ樣に、さつぱりしなかつた。空に尾を曳く彗星の何となく妙な氣になる。
 「それぢや、まあ御免」と源さんが挨拶する。
 「歸りに又御寄り。生憎の降りで七曲りは難義だろ」
 「はい、少し骨が折れよ」と源さんは歩行
(あるき)出す。源さんの馬も歩行出す。ぢやらんぢやらん。
 「あれは那古井の男かい」
 「はい、那古井の源兵衛で御座んす」
 「あの男がどこぞの嫁さんを馬へ乘せて、峠を越したのかい」
 「志保田の孃樣が城下へ御輿入
(おこしいれ)のときに、孃樣を靑馬(あを)に乘せて、源兵衛が覇絏(はづな)を牽いて通りました。──月日の立つのは早いもので、もう今年で五年になります」
 鏡に對
(むか)ふときのみ、わが頭(あたま)の白きを喞(かこ)つものは幸(さいはひ)の部に屬する人である。指を折つて始めて、五年の流光に、轉輪の疾き趣を解し得たる婆さんは、人間としては寧ろ仙に近づける方だらう。余は斯う答へた。
 「嘸
(さぞ)美くしかつたらう。見にくればよかつた」
 「ハヽヽ今でも御覧になれます。湯治場へ御越しなされば、屹度出て御挨拶をなされませう」
 「はあ、今では里に居るのかい。矢張り裾模樣の振袖を着て、高島田に結
(い)つて居ればいゝが」
 「たのんで御覧なされ。着て見せましよ」
 余はまさかと思つたが、婆さんの樣子は存外眞面目である。非人情の旅にはこんなのが出なくては面白くない。婆さんが云ふ。
 「孃樣と長良の乙女とはよく似て居ります」
 「顔がかい」
 「いゝえ。身の成り行きがで御座んす」
 「へえ、其長良の乙女と云ふのは何者かい」
 「昔し此村に長良の乙女と云ふ、美くしい長者の娘が御座りましたさうな」
 「へえ」
 「所が其娘に二人の男が一度に懸想して、あなた」
 「なる程」
 「さゝだ男に靡かうか、さゝべ男に靡かうかと、娘はあけくれ思ひ煩つたが、どちらへも靡きかねて、とうとう
   あきづけばをばなが上に置く露の、けぬべくもわは、おもほゆるかも
と云ふ歌を咏んで、淵川へ身を投げて果てました」
 余はこんな山里へ來て、こんな婆さんから、こんな古雅な言葉で、こんな古雅な話をきかうとは思ひがけなかつた。
 「是から五丁東へ下ると、道端に五輪塔が御座んす。序に長良の乙女の墓を見て御行
(おい)きなされ」
 余は心のうちに是非見て行かうと決心した。婆さんは、そのあとを語りつゞける。
 「那古井の孃樣にも二人の男が祟りました。一人は孃樣が京都へ修行に出て御出での頃御逢ひなさつたので、一人はこゝの城下で隨一の物持ちで御座んす」
 「はあ、御孃さんはどつちへ靡いたかい」
 「御自身は是非京都の方
(はう)へと御望みなさつたのを、そこには色々な理由(わけ)もありましたろが、親ご樣が無理にこちらへ取り極めて……」
 「目出度、淵川へ身を投げんでも濟んだ譯だね」
 「所が──先方
(さき)でも器量望みで御貰ひなさつたのだから、隨分大事にはなさつたかも知れませぬが、もともと強ひられて御出なさつたのだから、どうも折合がわるくて、御親類でも大分御心配の樣子で御座んした。所へ今度の戰爭で、旦那様の勤めて御出の銀行がつぶれました。それから孃樣は又那古井の方へ御歸りになります。世間では孃樣の事を不人情だとか、薄情だとか色々申します。もとは極々内氣の優しいかたが、此頃では大分氣が荒くなつて、何だか心配だと源兵衛が來るたびに申します。……」
 是からさきを聞くと、折角の趣向が壞れる。漸く仙人になりかけた所を、誰か來て羽衣を歸せ歸せと催促する樣な氣がする。七曲りの險を冒して、やつとの思で、こゝまで來たものを、さう無暗に俗界に引きずり下
(おろ)されては、飄然と家を出た甲斐がない。世間話しもある程度以上に立ち入ると、浮世の臭ひが毛孔から染込んで、垢で身體が重くなる。
 「御婆さん、那古井へは一筋道だね」と十錢銀貨を一枚床几の上へかちりと投げ出して立ち上がる。
 「長良の五輪塔から右へ御下りなさると、六丁程の近道になります。路はわるいが、御若い方には其方がよろしかろ。──是は多分に御茶代を──氣を付けて御越しなされ」  

 
 

 

 

 

 

 

 
  (注) 1.  本文は岩波書店版『漱石全集』第二巻(昭和41年1月18日発行)により、『草枕』の一・二の部分を収録しました。      
    2.  『草枕』は、明治39年9月1日発行の『新小説』で発表されました。  
    3.  「二」の中に出てくるの漢字は、音、サン。 岏(さんがん)とは、「ごつごつした山のこと」と漢和辞書にあります。上記の岩波の全集の巻末の注解には、「切りたったような山のこと」とあります。
 なお、「(山+賛)の漢字は、島根県立大学の “e漢字” を使用しました。     
 
    4.  原文の、平仮名の「く」を縦に長くした形の繰り返し符号(踊り字・くの字点)は、普通の仮名に改めました。(「ちらちら」、及び「愈」のルビの「いよいよ」など)           
    5.  全集の原文は総ルビですが、ここでは一部の漢字のルビのみを残して、他は省略しました。(ルビは、括弧に入れて示しました。)            
    6.  文中の下線の部分は、原文では傍点になっている所です。  
    7.  「背中」が「脊中」になっているのは、原文のままです。また、能や謡曲の「墨田川」は、「隅田川」「角田川」とも書くそうです。
 ここで、岩波の全集の「注解」から、漱石の勘違いと思われる箇所に触れておきます。
 〇じんじん端折り……爺端折りの転というから、正しくは「ぢんぢん……」
 〇枕元へ馬が屎
(いばり)する……「屎」は「尿」が正しい。
 〇箒を擔いだ爺さん……漱石の記憶の誤りで、これは「高砂」の能のシテツレ姥
(うば)でなければならない。
 〇婆さん……この方が前シテの尉
(じょう)で、宝生流では竹把(さらえ、熊手)を担いで出る。                
 
    8.  なお、『草枕』の全文を、電子図書館「青空文庫」で読むことができます。  
    9.  熊本国府高等学校PC同好会の制作したホームページ『くまもと文学散歩』があり、そこに「草枕の旅」・「熊本時代の漱石」などのページがあって参考になります。  
    10.  熊本県玉名市のホームページに『漱石・草枕の里』(草枕の里ガイドブック)というページがあって、草枕に関するいろいろな資料が用意されています。  
    11.  奈良国立博物館のホームページで、松岡映丘及びその一門が描いた全3巻の『草枕絵巻』の像を見ることができます。
    『奈良国立博物館』TOPページの「情報検索サービス」をクリック
  → 「所蔵写真検索システム」をクリック    
  → 「草枕絵巻」又は「草枕」と入力して検索 
  → 草枕絵巻(巻第一)~草枕絵巻(巻第三)
 
    12.  東北大学附属図書館のホームページに、「漱石文庫」があります。 
  
また、「東北大学デジタルコレクション」に、「漱石文庫データベース(2309)」と 「漱石文庫データベース(2020年再撮影)(811)」があります。
 
    13.  「漱石文庫関係文献目録」は、夏目漱石旧蔵書(東北大学「漱石文庫」を含む)について言及している文献を収集したもので、該当部分の記事を抜粋して収録してあります。
 
    14.  「ウェブ上の漱石」という、漱石関連の情報を集めたページがあります。  
    15.  2019年5月9日の朝日新聞デジタルが、ロンドン漱石記念館の再開を伝えています。
 
 「漱石記念館、ロンドンで再開 天皇陛下の記帳など公開 文豪・夏目漱石(1867~1916)が英国に留学した際の資料を集めた「ロンドン漱石記念館」が8日、ロンドン郊外で開館した。2016年までロンドン市内にあった同館の展示を移し、3年ぶりに再開した。」
 
  
『小林恭子の英国メディア・ウオッチ』というブログに、ロンドン漱石記念館の紹介記事があって、参考になります。
  
『小林恭子の英国メディア・ウオッチ』 → ロンドン漱石記念館 
 
    16.  熊本県玉名市の「漱石・草枕の里」のホームページがあります。  
    17.  漱石が泊まった小天温泉の「那古井館」のホームページがあり、漱石に関す写真や記述があって、参考になります。    
    18.  カナダの天才ピアニスト グレン・グールドが漱石の『草枕』を愛読していたという事実は、よく知られています。
  朝日新聞記者の横田庄一郎氏は、その著『「草枕」変奏曲 夏目漱石とグレン・ グールド』(1998年5月30日、朔北社発行)の「はじめに」の中で、「この人ほど『草枕』を愛読したという話をほかには聞かない。しかも日本人ではなく、外国人であり、世界的な著名人でもある。二十世紀で最もユニークな天才ピアニストといえばいいのだろうか、その名をグレン・グールド(19321982)という。カナダに生まれてカナダに没した、実に個性あふれる人物であった。彼はこの漱石の『草枕』を「二十世紀の小説の最高傑作の一つ」と評価し、死に至るまで手元に置いて愛読していたのである。」と書いておられます。  
             

 
 20世紀最高のピアニスト~グレン・グールド賛歌』というホームページがあります。グールドに興味をお持ちの方はどうぞ。
 グールドの演奏(ベートーベンの「ゴールドベルク変奏曲」)をYouTubeで聴くことができます。次にその一つを挙げておきます。
  → 
YouTube 
   「ゴールドベルク変奏曲」1955 グレン・グールド
                   
 
    19.  『ぶらり重兵衛の歴史探訪2』というサイトの「会ってみたいな、この人に」(銅像巡り・銅像との出会い)に、新宿区早稲田南町の漱石公園(漱石山房跡)にある「夏目漱石の胸像」の写真や、漱石誕生の地の紹介などがあります。  
    20.  渡部芳紀先生の『夏目漱石』(夏目漱石文学散歩)があります。
  参考) 渡部芳紀研究室   
    
残念ながら今は見られないようです。
 


    
         

         
        

                        
        
       
       

   
             トップページ(目次)