春の七草
春の七草(はるのななくさ)……正月七日に摘み採って七草粥に入れる若菜。
芹
せり・薺
なずな・御形
ごぎょう・蘩蔞
はこべ・仏座
ほとけのざ・菘
すずな・蘿蔔
すずしろの七種。
(『広辞苑第7版』による。)
ナズナ…………ペンペングサ ともいう。
ゴギョウ………ハハコグサ のこと。オギョウ とも。
ハコベ…………ハコベラとも。
ホトケノザ……タビラコ のこと。
スズナ…………カブ のこと。
スズシロ………ダイコン のこと。
春の七草の内容は、時代によって異なり、12種のこともあったそうですが、現在では上の七種とされています。
「せり・なずな・ごぎょう・はこべら・ほとけのざ・すずな・すずしろ、これぞ七草」という歌の形のものが知られており、この歌の形のものは四辻善成の『河海抄』が出典だとする記述も見られますが、『河海抄』の写本の画像
(注1参照)を見てみると、次のようになっているようです。
薺・繁蔞・芹・菁・御形・須々代・佛座
読み方は、薺(なずな)・繁蔞(はこべら・はこべ)・芹(せり)・菁(すずな)・御形(ごぎょう)・須々代(しずしろ)・佛座(ほとけのざ)となります。(ただし、私の見た『河海抄』には菁に「アヲナ」と振り仮名がついていました。)
ネットで調べてみると、『みんなの知識
ちょっと便利帳』というサイトの「春の七草・春の七種 [3]鎌倉時代からの文献に見る七種の種類」というページに、次のように出ていました。
■春の七草の種類は、現代では「
芹せり
薺なずな
御行おぎょう
繁縷はこべら
仏の座ほとけのざ
菘すずな
蘿蔔すずしろ
これぞ七草 」という言い方が定着し、時期になると「春の七草」がパック詰めされた商品が店頭に並ぶ光景が見られます。
■
「せり なずな おぎょう はこべら ほとけのざ すずな すずしろ これぞ七草」の、短歌の形での言い回しが初めて見られたのは、現時点での当サイトの調査では、
至徳元年・1384年(今から639年前)頃に成立したとされる『梵灯庵袖下集ぼんとうあんそでしたしゆう
』という連歌の語彙注釈集です。
(『みんなの知識 ちょっと便利帳』より)
ここには「おぎょう」とありますが、サイトに「オギョウは、ゴギョウとも。一般には「ゴギョウ」とするものが多く見られる」と注があります。「ごぎょう」が普通でしょうか。
ともかく、この歌の形のものが『梵灯庵袖下集』に出ているという指摘は貴重です。
早稲田大学の『古典総合データベース』に入っている『梵灯庵撰 梵灯庵袖下』には、次のように出ています。 →
『古典総合データベース』 →
『梵灯庵撰 梵灯庵袖下』(コマ番号
14/36)
一 春の七草の事
せり なつな こきやう はこへら 佛の座 すゝな
すゝしろ 是や七草
『古典総合データベース』の『梵灯庵撰 梵灯庵袖下』の説明には、
<著者は朝山梵灯庵(1349~)。江戸末期の出版。伊地知鉄男文庫、題僉書名「袖之下」。元禄3年西順の奥書あり。国書総目録には『梵灯庵袖下集』とある。>
とあります。(ここでは「これぞ七草」ではなく、「これや七草」となっていますね。)
この歌の形のものについては、嘗て『チューさんの今昔ばなし』というサイトに「七草の歌・作者は誰?」というページがあって、そこに『河海抄』の写本の画像を引用して詳しい考察がなされていましたが、今は見られないのが残念です
(2023年6月22日現在)。
また、
『薬草・野草のページ』という、元・帝京大学薬学部教授木下武司先生のサイトにも詳しい解説がありますのでご覧ください。木下先生によりますと、春の七草の中で万葉集に出てくるのは、意外なことに、芹だけだそうです。(このサイトについては、
注2をご参照ください。)
※ ホトケノザについて
『広辞苑』(第6版)には、ほとけのざ【仏の座】(1)キク科のタビラコの別称。春の七草の一つ。〈季・新年〉(2)シソ科の一年草または越年草。原野・路傍に自生。茎は柔軟で高さ25センチメートル。春、紫色の唇形花を輪状に付ける。ホトケノツヅレ。三階草。漢名、宝蓋草。
とあります。
普通、早春に私たちが路傍で見かける
紫色の花をつけているホトケノザは、この(2)のシソ科の草を言っているわけで、
黄色い花をつける春の七草のホトケノザとは違うので、注意を要します。
フリー百科事典『ウィキペディア』のシソ科の「ホトケノザ」(春の七草ではないホトケノザ)の項に、
春の七草の一つに「ほとけのざ」があるが、これは本種のことではなく、標準和名をコオニタビラコというキク科の草である。ところが、この種(引用者注:春の七草ではない、シソ科のホトケノザ)を七草の「ほとけのざ」であると誤解されている場合がある。本種は食用ではないため、注意を要する。
と出ています。
『ウィキペディア』 →
「ホトケノザ」
→
「コオニタビラコ」
『広辞苑』(第6版)の「たびらこ」の項も引いておきます。
たびらこ【田平子】キク科の越年草。畦(あぜ)などに多い
雑草。茎・葉からは白い汁が出る。早春に、高さ約10センチメートルの花柄を出し、黄色の舌状花だけから成る頭花を開く。春の七草の一つの「ほとけのざ」はこれをいい、若葉を食用。カワラケナ。
なお、タビラコは、コオニタビラコ(小鬼田平子)とも言います。オニタビラコ(鬼田平子)に対して、小さいタビラコという意味なのでしょう。『ウィキペディア』によれば、春の七草の「ホトケノザ」の標準和名は、コオニタビラコだそうです。
(「ホトケノザについて」の項、2015年3月6日追記)
* * * * *
〇七種の節句(ななくさのせっく)=五節句の一つ。七種粥を祝う正月七日の節句。人日(じんじつ)。七草の祝。若菜の節。
〇七草の囃し(ななくさのはやし)=七草の祝に、前日の夜または当日の朝、俎(まないた)に薺(なずな)または七草や台所のすりこぎ・杓子などを載せ、吉方(えほう)に向かい、「唐土(とうど)の鳥が日本の土地へ渡らぬ先になずなななくさ(ななくさなずな)」、または「唐土の鳥と日本の鳥と渡らぬ先に、ななくさなずな手に摘み入れて」などと唱え囃しながら、それらを叩く習俗。〈(季)新年〉
(以上、『広辞苑』第6版による。)
※
唐土(とうど)の鳥が日本の土地へ……=七種は、前日の夜に俎に乗せて囃し歌を歌いながら包丁で叩き、当日の朝に粥に入れる。歌の歌詞は「七草なずな唐土の鳥が、日本の土地に、渡らぬ先に、合わせて、バタクサバタクサ」など、地方により多少の違いがある。囃し歌は鳥追い歌に由来するものであり、これは七種粥の行事と、豊作を祈る行事が結び付いたものと考えられている。
(フリー百科事典『ウィキペディア』の「七草」の項による。)
なお、平凡社の『国民百科事典10』(1978年3月20日初版発行)の田中一氏の記述によれば、「この行事(引用者注:七草の節供、あるいは略して七草)が一般に普及したのは、江戸時代に五節供の一つに定められてからであろうが、古く中国で7種の羹(あつもの)を食べて無病のまじないとした人日(じんじつ)の風習や、平安時代に野に出て小松を引いたり若菜を摘んで羹を作った<子(ね)の日の遊び>の影響が考えられる」ということです。
〇子(ね)の日の遊び=正月初子(はつね)の日に、野に出て小松を引き若菜を引いて遊び、千代を祝って宴遊する行事。小松引。〈(季)新年〉
(『広辞苑』第6版による。)
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秋の七草
秋の七草(あきのななくさ)……秋に花が咲く代表的な七種の草花。
ハギ・オバナ(ススキ)・クズ・ナデシコ・オミナエシ・フジバカマ・アサガオ(キキョウ・ムクゲなどの説あり)
漢字で書いてみます。
萩・尾花・葛・撫子・女郎花・藤袴・朝顔
オバナ………ススキ(芒)のこと。
アサガオ……これについては、今のアサガオとする説、キキョウ・ムクゲ・ヒルガオとする説もあるそうです。(私はキキョウと習ったように覚えていますが。)
秋の七草については、万葉集の山上憶良の歌が有名です。
山上臣憶良の、秋の野の花を詠む二首
秋の野に咲きたる花を指(および)折りかき数ふれば七種の花
萩の花尾花葛花瞿麦の花女郎花また藤袴朝貌の花
(巻八、1537・1538)
上の歌の本文は、日本古典文学大系5『萬葉集
二』(高木市之助・五味智英・大野晋校注、岩波書店発行)によりました。(2首目の歌の「の」を「が」とする読み方もあるようですが、そのほうが適当なのでしょうか。)
この本の頭注に、「朝貌─牽牛花(今のアサガオ)・旋花(ヒルガオ)・木槿(ムクゲ)桔梗(キキョウ)などの諸説があるが、決定し難い」とあり、巻末の補注に詳しい説明があります。
なお、憶良の歌は、最初の歌は短歌、二首めは旋頭歌(577577)になっています。
参考までに、上記の日本古典文学大系から原文をひいておきます。
山上臣憶良詠秋野花二首
1537 秋野尓 咲有花乎 指折 可伎數者 七種花 其一
1538 萩之花 乎花葛花 瞿麥之花 姫部志 又藤袴 朝皃之花 其二
(2首目の「萩」の漢字は、原文は独特の形をした文字なので、普通の字体の漢字に置き換えてあります。)
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(注) |
1. |
『おかげおじさんのCOCORO自由塾』というブログに、「四辻善成と『河海抄』と春の七草」という記事があり、「薺、繁縷、芹、菁、御形、須々代、佛座」という春の七草が四辻善成の『河海抄』に出ていることが紹介されています。(薺は「なずな」、繁縷は「はこべら」、菁は「すずな」です。
以前、『チューさんの今昔ばなし』というサイトにあった「チューさんの野菜ワールド」の「あれこれ 野菜・こぼれ話」の
第六話「七草の歌・作者は誰?」というページに、特に春の七草の歌についての詳しい考察がありましたが、残念ながら今は見られないようです。
ただ、「七草の歌・作者は誰?」にも引用されていた『河海抄』の本文の画像が、奈良女子大学学術情報センターの『阪本龍門文庫善本電子画像集』で見られます。
奈良女子大学学術情報センター →『河海抄』
この『河海抄』の写本は、「第二十巻末に、散位基重が永和2年(1376)11月から5年(1379)3月まで、四辻家から借り出して書写したという元奥書を持つ、いわゆる「中書本(成稿本以前の形態
のもの)」系統の古写本」だということです。(春の七草についての記述は、巻第十三の9枚 目の画像に出ています。) |
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2. |
『薬草・野草のページ』というサイトにも、春の七草・秋の七草についての詳しい解説が見られます。
『薬草・野草のページ』TOPページの「日本文化と植物」の中の「文明・民俗文化と植物」
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「日本人、日本文化と植物」の中の「万葉の花の語源と民俗文化」以下、「春の七草と七草粥について」など、いろいろな解説記事があります。 |
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