資料23 夏目漱石『坊つちやん』(坊っちゃん)(冒頭)
 


 

       『坊つちやん』(冒頭) 

 



 親讓りの無鐵砲で小供の時から損ばかりして居る。小學校に居る時分學校の二階から飛び降りて一週間程腰を拔かした事がある。なぜそんな無闇
(むやみ)をしたと聞く人があるかも知れぬ。別段深い理由でもない。新築の二階から首を出して居たら、同級生の一人が冗談に、いくら威張つても、そこから飛び降りる事は出來まい。弱虫やーい。と囃(はや)したからである。小使(こづかひ)に負ぶさつて歸つて來た時、おやぢが大きな眼をして二階位(にかいぐらゐ)から飛び降りて腰を拔かす奴があるかと云つたから、此次(このつぎ)は拔かさずに飛んで見せますと答へた。
  
親類のものから西洋製のナイフを貰つて奇麗な刃を日に翳(かざ)して、友達に見せて居たら、一人が光る事は光るが切れさうもないと云つた。切れぬ事があるか、何でも切つて見せると受け合つた。そんなら君の指を切つて見ろと注文したから、何だ指位(ゆびぐらゐ)此通(このとほ)りだと右の手の親指の甲(かふ)をはすに切り込んだ。幸(さいはひ)ナイフが小さいのと、親指の骨が堅かつたので、今だに親指は手に付いて居る。然し傷痕(きずあと)は死ぬ迄消えぬ。
  
庭を東へ二十歩に行(ゆ)き盡すと、南上がりに聊(いさゝ)か許(ばか)りの菜園があつて、眞中に栗の木が一本立つて居る。是(これ)は命より大事な栗だ。實の熟する時分は起き拔けに脊戸(せど)を出て落ちた奴を拾つてきて、學校で食ふ。菜園の西側が山城屋と云ふ質屋の庭續きで、此(この)質屋に勘太郎といふ十三四の忰(せがれ)が居た。勘太郎は無論弱虫である。弱虫の癖に四つ目垣を乘りこえて、栗を盗みにくる。ある日の夕方折戸の蔭に隱れて、とうとう勘太郎を捕(つら)まへてやつた。其時(そのとき)勘太郎は逃げ路を失つて、一生懸命に飛びかゝつて來た。向ふは二つ許り年上である。弱虫だが力は強い。鉢の開いた頭を、こつちの胸へ宛てゝぐいぐい押した拍子に、勘太郎の頭がすべつて、おれの袷(あはせ)の袖の中に這入(はい)つた。邪魔になつて手が使へぬから、無闇に手を振つたら、袖の中にある勘太郎の頭が、右左へぐらぐら靡(なび)いた。仕舞に苦しがつて袖の中から、おれの二の腕へ食ひ付いた。痛かつたから勘太郎を垣根へ押しつけて置いて、足搦(あしがら)をかけて向(むかふ)へ倒してやつた。山城屋の地面は菜園より六尺がた低い。勘太郎は四つ目垣を半分崩して、自分の領分へ眞逆樣に落ちて、ぐうと云つた。勘太郎が落ちるときに、おれの袷の片袖がもげて、急に手が自由になつた。其晩母が山城屋に詫びに行つた序(つい)でに袷の片袖も取り返して來た。
  此外
(このほか)いたづらは大分やつた。大工の兼公(かねこう)と肴屋(さかなや)の角(かく)をつれて、茂作(もさく)の人參畠をあらした事がある。人參の芽が出揃はぬ處へ藁が一面に敷いてあつたから、其上で三人が半日相撲をとりつゞけに取つたら、人參がみんな踏みつぶされて仕舞つた。古川の持つて居る田圃の井戸を埋(う)めて尻を持ち込まれた事もある。太い孟宗の節(ふし)を拔いて、深く埋(う)めた中から水が湧き出て、そこいらの稻に水がかゝる仕掛(しかけ)であつた。其時分はどんな仕掛か知らぬから、石や棒ちぎれをぎうぎう井戸の中へ插し込んで、水が出なくなつたのを見屆けて、うちへ歸つて飯を食つて居たら、古川が眞赤になつて怒鳴り込んで來た。慥(たし)か罰金を出して濟んだ樣である。

 


 
  (注) 1.  本文は、岩波書店版『漱石全集』第二巻(昭和41年1月18日発行)によりました。   
2.  『坊つちやん』は、明治39年4月、「ホトトギス」に発表され、後に書かれた『草枕』『二百十日』とともに、『鶉籠』の名のもとに、翌明治40年1月1日の日付で、春陽堂から出版されました。
    3.  原文の縦書きを横書きにしました。  
    4.  繰り返し符号(踊り字)は、普通の仮名に改めました。(「とうとう」「ぐいぐい」「ぐらぐら」「ぎうぎう」は、繰り返しの部分が「く」を縦に長くしたような形の踊り字が使ってあります。)  
    5.  全集には、すべての漢字にルビが振ってありますが、特に読みづらいと思われるもの だけを残して、後は省略しました。 ルビは(  )に入れて読みを示しました。
 なお、「
弱虫やーい。と囃したからである。」の「弱虫やーい。」の句点、及び「背戸」を「脊戸」としてあるのは、原文のままです。
 
    6.  『坊つちやん』の全文は、電子図書館「青空文庫」で読むことができます。  
    7.  東北大学附属図書館のホームページに、「漱石文庫」があります。 
  
「東北大学デジタルコレクション」に、「漱石文庫データベース(2309)」と 「漱石文庫データベース(2020年再撮影)(811)」があります。
 
    8.  「漱石文庫関係文献目録」は、夏目漱石旧蔵書(東北大学「漱石文庫」を含む)について言及している文献を収集したもので、該当部分の記事を抜粋して収録してあります。  
    9.  「ウェブ上の漱石」という、漱石関連の情報を集めたページがあります。  
    10.  2019年5月9日の朝日新聞デジタルが、ロンドン漱石記念館の再開を伝えています。
 
 「漱石記念館、ロンドンで再開 天皇陛下の記帳など公開 文豪・夏目漱石(1867〜1916)が英国に留学した際の資料を集めた「ロンドン漱石記念館」が8日、ロンドン郊外で開館した。2016年までロンドン市内にあった同館の展示を移し、3年ぶりに再開した。」
 
  『小林恭子の英国メディア・ウオッチ』というブログに、ロンドン漱石記念館の
紹介記事があって、参考になります。
  
『小林恭子の英国メディア・ウオッチ』 → ロンドン漱石記念館  
 
    11. フェイスブックに、「Virtual ロンドン漱石記念館/草枕交流館(熊本県玉名市
  天水町)」があります。
 
    12.  『ぶらり重兵衛の歴史探訪2』というサイトの「会ってみたいな、この人に」(銅像巡り・銅像との出会い)に、新宿区早稲田南町の漱石公園(漱石山房跡)にある「夏目漱石の胸像」の写真や、漱石誕生の地の紹介などがあります。  
    13.  渡部芳紀先生の『夏目漱石』(夏目漱石文学散歩)があります。
      (参考) 渡部芳紀研究室 
   
残念ながら今は見られないようです。
 
    14.   集英社新書ヴィジュアル版『直筆で読む「坊っちやん」』(2007年10月22日第1刷発行)が出ています。(この本の初めにある秋山豊氏の「自筆原稿を「読む」たのしみ」に、「あらかじめこの作品名の表記について断っておく。作品については、漱石がタイトル表記として書いた『坊っちやん』を使い、主人公は、今風に「坊っちゃん」と表記することにする」とあります。)
 つまり、直筆の原稿によれば、漱石は「坊っちやん」と、促音「つ」を小さく表記している、ということになるわけです。タイトルの他、本文中も、大体「坊っちやん」と書いているようです。
(ただ、最後の「坊つちやん後生だからCが死んだら、坊っちやんの御寺へ埋めて下さい」のところは、最初の「坊つちやん」の「つ」が大きく書かれているように見えます。)(2012年6月1日付記)
 
    15.  『AREA SOSEKI』(漱石とその時代)というホームページで、「ホトトギス」 版(初出)の『坊つちやん』を  読むことができます。(2012年5月4日付記)  

 

   





  
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