資料22 立原道造の「友への手紙」(田中一三あて)


       
 東京では、大學の銀杏の美しい新緑です。このアーチを胸に金釦をつけてくぐつて行くのもこの一年かぎりかとおもふと、その下をいくたびも歩きながら嫁ぐ日を待つ少女ほどの心のときめきをおぼえます。煤煙にじむ大都會の窓にも、春の雲が、ながれてをります。「花が雲のやうに」といふのがもしあなたの世界なら「雲が花のやうに」といふのが僕の世界なのでせう。花びらのやうに、ながれて行くものや、灰色の羊のやうに默つて蟠つてゐるのもあります。そして今日僕の眺めてゐる雲は、おそらく物語のなかの少年少女、オオカッサンとニコレットの眺めてゐた雲とちがつてゐないのでせう。十二世紀のその靑空にはげしいあこがれを感じてをります。
 なぜ自然科學など、僕たちは信じるのでせう。雲が水蒸氣の滴りから組み立てられてゐるといふ傳説も信じたくない。雲は、だが何なのだらうとたづねながら、あまりにも眞理をたづねたがる僕らのかなしい性質を見てゐます。
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 大學では、何を勉強してゐますか。僕は、ゴチックを勉強してゐます。怠け怠けながらで、卒業までに、何がわかるかどうかわかりませんけれど、中世紀の美しい建築──寫眞のほかは知るよすがもないが──には、いちばんはげしい共感を強ひられます。この國の美しい中世の建築にも心ひかれながらやはりとほい西洋に餘計にあこがれを感じてゐるのです。
 そのほか學校では月にひとつづついろいろな建物を設計します。いまホテルをつくつてゐます。それが僕たちの學校勉強なのです。設計は現代建築なので、ヘラス・ゴチックなどの憶ひを、どう表現するか考へるのはむづかしいのです。今日、目に觸れる建築には、ただ近代の意匠だけあつて、何の表現もないやうにおもひます。銀行などの、ギリシャの列柱を並べた、復興式建築以外に、あたらしくヘラス・ゴチックのいのちを現代に表現する新古典派の道こそ今日以後の建築家に課せられた問題ではないかと考へてゐます。建築家は、文學家のやうに惠まれた條件ではない條件の下で、仕事をしなくてはならないが、決して良心を失つてはならないと信じます。これは僕の半身です。僕の分身は、かうして日夜、ひとりの僕が文學の道に生きてゐるとき、おなじ熱情で、建築の道に生きてゐます。熱情だけはあるが、懶惰がすきなので、寢そべりながら建築の幻想ばかりして、紙の上にする建築も、寡い作品しか持つてゐません。
 そのふたつの分身のすべてをあはせても、もうひとつの大きな分身には及ばない、それは、靑年である分身です。この分身だけがほんたうで、あとはディレッタントだと考へるのかもしれません。實は、この文章書きながら、あまりディレッタント風な思考にいやきがさしてゐるのです。思考といふもの自身が、僕の身にとつてはディレッタントの感慨にすぎないのかも知れません。僕にあるのは、歌と憧憬と遍歴と願望だけで、その他の場所で僕は死に絶えてゐるのかも知れません。そして人生にさへ僕は憧憬によつてしか觸れてゐなかつたにちがひありません。人生はとほくにしかないものだと! 
 事實、これが人生だと知つたのは、つい近頃でした。人生とはとほくにはない、いつも僕といつしよにしかゐないのだと!
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 このころの讀んでゐる本は、ノヴァリスです。「靑い花」のはじめの方をよんでゐます。うつくしい本です。
 先夜、リリイ・クラウスとゴオルトベルクの演奏でクロイツェルソナタをきき、きらひだつたベエトオヴヹンに親しみを感じました。明夜、フォイアマンがバッハやモツァルトやストラヴィンスキイを奏きます。お金の都合がついたら聞きに行きます。バッハといへば、ブランデンブルグのいいレコードが出ましたね。トラムペットを吹いてゐる美しい部分涙がながれました。
 ピカソの回顧展が、この間小畫廊でありました。寫眞が、年代順に並べられ、そのなかにまざつて、珠玉のやうな版畫がありました。それを見た日のいろいろな出來事が哀しい人生に觸れてゐたため、あのピカソの展覽會はいつまでもきびしい熱い記憶になるでせう。
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 またあとでおたよりします。けふはをはり。さよなら。


  (注) 1. この「友への手紙」は、昭和11年4月22日(想定)、田中一三(かずみ)あてのものです。    
           
    2. 本文は、角川書店版『立原道造全集』第五巻(1973年2月10日初版発行、1974年9月30日3版発行)によりました。原文は、勿論縦書きです。    
           
    3. 文中の「ベエトオヹン」の「ヹ」は、ワ行の古い仮名「ヱ」に濁点の付いている、「ヴェ」に当たる仮名です。    
           
    4. 文中の「──」は、原文では間に途切れのない実線(2字分)です。    
           
    5. 漢字は、できるだけ旧字体を用いましたが、「緑」「情」など、旧字体になっていないものもあります。    
           
    6. 上掲書の後注から、いくつか補っておきます。
(1)オオカッサンとニコレット Aucassin et Nicolette……13世紀フランスの作者不明の歌物語。
(2)「青い花」Heinrich von Ofterdingen(Die Blaue Blume)1802…… 単行本初訳は、田中克己『青い花』昭和11年1月・第一書房刊(「コギト」昭和9年6月─11月号)。
(3)フォイアマン Emanuel Feuermann ……アメリカのチェリスト。晩年のカザルス・トリオに参加した。
(4)ブランデンブルグ……協奏曲第2番ヘ長調。演奏は、アドルフ・ブッシュ指揮、ルドルフ・ゼルキン(ピアノ)、ジョージ・エクスデール(トランペット)、 マルセル・モイーズ(フルート)、 オーブリー・ブレーン(ホルン)、エブリン・ロスウェル(オーボエ)。

 ※ Dailymotion というサイトで、ブッシュ室内合奏団の演奏による「ブランデンブルグ協奏曲第2番」の第1楽章が聞けます。
 このレコードが立原道造の聞いたレコードと同じものであるかどうかは分かりませんが、演奏者は全集の後注にあるもの(上記)と同じですから、もしかしたら同じレコードであるかもしれません。
 → アドルフ・ブッシュ指揮「ブランデンブルグ協奏曲第2番」

 なお、「ブランデンブルグ協奏曲」は3楽章からなり、トランペットの演奏は第1楽章と第3楽章だけで、第2楽章にはないようです。
 参考までに、演奏者は不明ですが、YouTubu から第2楽章と第3楽章の演奏も挙げておきます。
 →「ブランデンブルグ協奏曲第2番」第2楽章
 →「ブランデンブルグ協奏曲第2番」第3楽章  
                     (2012年3月23日付記)
   
           
    7. なお、立原道造については、「立原道造記念館」のホームページが参考になります。
ただし、「立原道造記念館」は事情により2011年2月20日を以て閉館し、現在は「立原道造記念会」が運営を引き継いでいるそうです。
   
           
    8.  「立原道造記念会」が運営を引き継いだ、かつての「立原道造記念館」のホームページに、昭和11(1936)年12月4日付けの「田中一三から立原道造宛の巻紙」があります。
 この書簡(巻紙)の解説によれば、田中一三は立原の一高時代の友人で、当時京都大学仏文科に在学中でした。田中は昭和13(1938)年1月に召集され、昭和15年12月、ソ満国境で自決した由です。
 なお、国友則房編集で刊行された『香積詩選』(1991年・丸田公子)があるようです。(「香積」は田中一三の雅号。)
   
           
    9. 『立原道造全集』第五巻の巻末の「宛名人註」に、次のように出ていました。(平成19年12月26日追記)
田中一三(たなか・かずみ)
  別称香積(かずみ)。福山市生。岡山・誠之中、一高文丙(同期)、
  京大仏文学科昭和12年卒(卒論シュリィ・プリュドム)。「未成年」
  同人、「四季」投稿。落合太郎教授に師事、堀辰雄に近づく。大学院
  から姫路師団入隊、野砲連隊の将校としてソ満国境に出動、昭和15年
  12月自決した。 
   
           
    10. 『四季・コギト・詩集ホームページ』というサイトに、『四季』の総目録が出ています。
   → 同人詩誌「四季」総目録
 総目録の「第二次「四季」昭和12年 1937 第23號~第32號」によれば、『四季』第30号(昭和12年10月号 記念作品特輯号)に、立原道造の「やがて秋」と田中一三の「泉の歌」という詩が掲載されています。
   
           
    11. 『つれづれの文車─趣味の文書室─』というサイトに「立原道造」のページがあり、そこで岩波文庫からとった彼の詩集を読むことができます。     
           
    12. また、メールマガジン「立原道造詩集」や、電子図書館「青空文庫」
でも、立原道造の詩を読むことができます。

 注:メールマガジン「立原道造詩集」は現在休刊中だそうですが、幸い『USUKEISM』というサイトで見ることができます。
 『USUKEISM』メールマガジン「立原道造詩集」バックナンバー
  お断り: 残念ながら現在は見られないようです。(2017.11.02)
   
           
           





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